Ragnarok Online - IF -
『BraveHEART』





 ――ひとりの、今はまだ小さな少年がいた。
 彼は幼い頃から冒険に憧れ、いつの日か冒険の旅に出たい――そんな夢を描いていた。
 しかし一歩街の外に出ればそこは、凶暴な魔物で溢れた危険な世界。
 少年は街の外に出ようと何度も試みる。
 が、両親はもちろん、仮にそれを抜け出せたとしても、まだ子供に過ぎない少年は街の入口に立つ守衛達に阻まれ、街の外に出ることは決して許されなかった。
 しかしその度に少年の心の中では、街の外に出たいという想いがますます募っていくのだった。


 ――ある日、街でひとつの大きな騒ぎが起こった。
 その時に守衛達にも召集がかかり、現場へと向かっていった隙に少年は一人、まんまと街を抜け出すことに成功する。

 街の外に出ればそこは、今まで少年が見たことのなかった未知の世界が広がっていた。
 見渡す限り、広大な草原。
 地平線の向こうから緩やかに吹く風。
 それがとても心地よく、少年はそれに喜ぶと、草原の中を力いっぱいに走りだす。




 そうして行き着いた先、そこには森の入り口があった。
 鬱蒼と木々の生い茂る森。大人達でさえそこには滅多に立ち入ることのない場所だったが、探求心の勝った少年は、その森の中へと足を踏み入れていく――――
 森の中は、木々によって入り組んでいた。
 そこにはまるで侵入者を迷わせようとする意志があるかのように、陽の光さえ届かない――高くそびえ立つ樹木が織りなす闇苅(くらがり)の迷宮は、そこに入り込んだ者の正常な感覚をも容易に狂わせた。
 少年が歩を進める度、それはより深いものになっていく。
 己のいる位置はもちろんのこと――今この時間が昼なのか夜なのかさえ、少年には既に解らなくなっていた。

 がさっ。

 そんな木々がざわめく――音がした。
 それまでは静寂としていたはずの森の狭間からは冷やかな風が吹き抜け、葉の擦れる音が辺りに木霊する。
 そこに、何者かの足音と思しき振動が混じる。
 足音は少年へと近づいていき――やがて少年の眼前に、その姿は現れた。

 突如、木々の切れ間から出てきた魔物達――数は4〜5体と言った所か。
 オーク族――亜人種(デミ・ヒューマン)とそれは分類される――ナタのような武器と円盤状の盾、左右に鋭利な角を生やした兜。
 原始的なフォルムの武装に身を包んだ、野性の部族の戦士達。
 少年の背丈の優に倍はあろうその巨大な体躯は、見る者を瞬く間に圧倒する迫力を備えていた。
 目の前に大した装備もない――その上単身で自らのテリトリーへと迂闊に迷い込んできた――幼き哀れな獲物の姿を見た魔物達は、重く低い声で少年を嗤い始めた。

「くっ――」
 それを見て、少年の額からじわり、汗が流れる。
 彼の視界には、しかし逃げ出すという文字は存在しなかった。
 辺りを横目できょろきょろと見回す。すると一本の木の枝が落ちていることに気付く。これは武器として使える――

 オーク族の一匹が少年の前へと躍り出るとその魔物は、仲間達に向かって腕を振り上げ、力こぶを作って見せた。
 さながらそれは、少年ひとりを倒すなど造作もないと言わんばかりの挑発だった。
 大きく欠伸をしながら魔物は、ゆっくりと気怠そうに少年へと近づいていく。
 少年は木の枝を掴み取り、両手で構えると、近づく魔物に向かい精一杯の力で横振りに薙いだ――

 ――それは、魔物の額を深く切り裂いていた。

 ばっくりと開いたその傷口から、鮮血が滴り落ちる。
 魔物は滴るものが自分の血液であることを理解すると、怒濤の如く怒り狂った。
「グォォオォオオオオオ――――!!」
 その咆哮の瞬間。残りの魔物達が武器を携え、少年に向かって一斉に襲いかかった。
 少年は、おぼつかない手つきで枝を両手に構えながらも、戦う意志をなおも失わない目線で、向かい来る魔物達に立ち向かおうとしていた。
 しかし、形勢はあまりに多勢に無勢。
 今まで街の外の世界を知らずに生きてきた――戦闘経験さえゼロである年端もいかぬ少年と、武装を身に付け、それなりの実戦と場数を経てきたであろう強靱な体躯を持つ野性の部族――その両者の実力の差など最早、火を見るより歴然と明らかだった。
 少年は襲いかかる魔物達によって、その短すぎる生涯を散らしてしまうかに見えた――が、刹那。どこからか光が放たれたような、そんな一筋の閃きがほとばしった。

「――ボウリングバッシュ!!」
 そのかけ声を少年が耳にした瞬間、すべては決着していた。
 魔物達の動きがそこでピタリと止んだ――次の瞬間には、どさり、どさりと次々と倒れる魔物の姿が少年の網膜に飛び込んできたのだった。
「な――」
 少年がそう驚くのも当然だった。
 ついさっきまで自分に向かって襲いかかっていた魔物の群れ。
 それが突然、目の前で倒れ――自分の未だ知らないこと、正体不明の出来事によってそれは起こったのだ。
 初めて目の当たりに見るそれに対し、驚かない方こそがどうかしていた。
 そして今はこうして生きている。
 どきどきと。
 さめやらぬ胸の鼓動に少年は、あるものを感じていた。

 ザッ――――
 視界のさらに奥から、少年に向かって近づいてくる足音があった。
「くッ――!」
 少年はそれに息を呑みながら、手に持った棒を構える。
「――間に合ったようだな」
 そして聞こえてきたのは、安堵の息を含みながらの男の声――見ると、頑強そうな金属の鎧で全身を覆った物影が立っていた。
「大丈夫か、少年?」
 男は手に持っていた剣を静かに鞘に収めると、少年に向かって手を伸ばす。
「……」
 それが自分と同じ人間の男と判ると少年は、見知らぬ森の中を一人で彷徨っていた不安と、突然現れ襲いかかってきた魔物との対峙によって極度に張り詰めた緊張の糸が解けたのか、そのままふっと気を失って倒れてしまった。




「目を覚ましたか」

 ――少年は気がつくと、そこには男が腰を降ろしている姿が映っていた。
 ぱちぱちと焚き火が燃える音がする。
 暖かい、オレは生きているのか――
 ゆっくりと少年は体を起こすと、うろんな頭を無理矢理叩き起こすように少年は、大きくかぶりを振る。

「お前に襲いかかってきた連中はすべて、この俺が倒した」
 男は言った。
 そういえば、さっきの魔物達は一体どこへ――?
 はっ、と思い出したように少年は、木の枝を男に向かって構える。
「心配するな。俺はお前のことを取って食うつもりはない」
 掌を開き、『W』の形に両腕を上げてみせると男は、少年を危害を加える意志がないことを伝えた。

「それよりお前もこの肉を食え。よく焼けていて旨いぞ?」
 そして焚き火に焙ってあった肉を何本か掴むと、それを少年に向かって差し出した。


 がつがつがつがつ――――
 よほど腹を空かせていたのだろう。
 少年は男から肉を受け取ると、それをそのまま物凄い勢いで食べていった。

「まったく、大したものだよ――」
「ん、何が?」
「あれだけの数の魔物を相手にすれば、例え手練れの冒険者でも普通なら逃げ出すものだ。それを逃げもせず、しかもそんな棒っきれだけで一太刀を浴びせるんだからな。それに――」
 男は少年の手の方をちらりと見る。

「気を失っていても、その棒きれを手から片時も離さずに握り締めていた。なかなかできることじゃない」
 言われて少年は枝を掴んでいた掌を見る――と、その部分が赤くじんじんと腫れていることに気付いた。
「俺が渾身の力を込めてその手から離そうとしても、全然離れなかったんだからな」
 そう言って男は、けらけらと苦笑した。
「明らかに自分より格上の魔物どもを相手に、逃げも隠れもせず、そんな棒きれ一本で立ち向かおうとした姿には感心したぞ?」
「…オッサンは、オレに喧嘩を売っているのかよ?」
「ふっ、なかなか威勢がいいな少年。そういうのは確かに嫌いじゃない」
「こうして肉を御馳走になっておいて何だけど、オレはあいつらには絶対に負けなかった。余計なことをしやがって…」
 少年はそう言い捨てるようにごちた。

 ……。
 少年のその言葉に男は、無言で少年の腕を掴んだ。
「何するんだ、放せよっ!」
 少年はその手を振り解こうとしても、しっかり抑えつけられているために離れない。
 男は少年の目をきっと睨み付け、真顔の表情をしながら言った。
「――偶然近くを通りかかったから良かったものの、あそこでもし誰も助けてくれる奴がいなかったら、今頃お前はあのオークどもの餌食にされる所だったんだぞ? 少しは礼の言葉くらい言ったらどうなんだ?」
「………」
 少年はそのまま閉口してしまう。

「まぁそれは良いとして。とにかく――だ」
 それだけを言うと、男は少年の腕から手を離す。
「どうしてお前は、大した装備も持たずにあんな危険なところにいたんだ?」
「――冒険者になりたいんだ」
「冒険者?」
「強くなって、立派な冒険者になってみせる! それがオレの夢なんだ」
「強い――冒険者か」
 その言葉にどこか遠い眼差しをする。そして男は焚き火の燃える炎を眺めながら言った。
「少年…お前は"強さ"の本当の意味を知ってるか?」
「それは…何があっても絶対に負けない"強さ"…のことだと思う」
「…少し違うな。それだけでは、まだ充分な"強さ"とは言えない」
「じゃあ何なんだよ? "強い"っていうことは?」

 しばらくの間が、あった――

 そして、その沈黙を破るように男は言葉を続ける。
「――護ることのできる、"強さ"だ」
「護ること?」
「そうだ。本当の意味での"強さ"とは、自分自身を護るための力じゃない。その力を、他の誰かを護るために使える"強さ"だ。…少年、本当に強くなりたいのなら――弱き者、助けを求める者、大切な者を護れる"強さ"を持て」
「"強さ"…護るための、"強さ"……」
「騎士である俺は、そんな"強さ"を追い求めている――」
 少年は目を見開いて、男の肩をがっしりと掴む。

「…その騎士になれば、オレも強くなれるのか?」
「あ、ああ。少なくとも、さっきのような場合でも――」
「頼む、教えてくれ! オレはあんたみたいな強い騎士になりたいんだ!!」

 それから2人は森を抜け、こうして少年が再び街に帰還できたのは、街を抜け出してからおよそ二日後の夜明けのことだった。




 ――騎士の男はしばらく街に滞在し、少年に剣を教えていた。

「…そうだ、少しは太刀筋がまともになってきたじゃないか」
「へっ、オレだってこれくらいできるんだよ」
「だがまだ甘い――」
「あ――」
 男は少年の構える木剣を、たったのひと振りであっさりと弾き飛ばす。
 木剣は明後日の方向に飛んでいき、からからと音を立てて地面に転がった。

「いいか少年、よく見ていろ――――」
 静かに双眸を瞑じて男は厳かに剣の柄に手を構える。その頭上には、木々からはらはらと舞い降りる落葉があった。
 男は剣を抜き放ち、そして数回、太刀を鮮やかに振るって見せる。すると落葉のすべてに切れ込みが走り、それが真っ二つに別れてはらはらと舞い散っていった。
「……すげぇ……」
 その光景に、少年は言葉を失ってしまっていた。
 騎士の男は話を続けた。
「剣を使う者にとって、剣とは己そのものだ。つまり己自身が乱れれば、剣もまた乱れていく。しかし乱れた心を鎮め、己を磨き上げることが出来れば、このように木から舞い落ちる葉を斬ることもできる」
 そう言って男は、ぱちんと剣を鞘に戻す。
「つまり要は、剣を持つ者の心掛けひとつと言うことだ」
 少年は男が見せた、凛とした剣技の冴えにさめやらぬ思いだった。
 それと同時に少年は、騎士というものへの憧憬をより一層強くしていった。




 ――そして数日後。男との別れの時が訪れた。

「俺も冒険者だ。いつまでも同じ街で腰を降ろしているわけには行かない。お前とはここでお別れだ」
「……」
 別れ際の男を前にして少年は俯いたまま、何も言葉にしようとはしなかった。そんな少年の心情を汲んだのか男は少年の肩にぽん、と掌を乗せる。
「最後にお前に言っておきたいことがある」
「……」

「もしお前に、本気で冒険者になる意志があるのなら――」
「強くなれ。そして一人前の立派な冒険者になれ。想いがあるのなら、できるはずだろう?」
「……」
「この短剣は俺が以前に使っていた物だ。せん別としてお前にやろう。そう遠くない未来で、お前が冒険を始めた時。きっと役に立つはずだ」
 少年は男から一本の短剣を受け取る。
 そして少年はそれを両手でぎゅっと握り締める。
 振るえる手には、数滴の涙の雫が滲んでいた。

「…ほら泣くなよ。男だろ?」
 騎士の男は、泣いている少年の頭をその掌でぐしゃぐしゃに撫でてやった。








 ――幾ばくかの年月が経ち、小さな少年は一人の少年へと成長していた。
 結局あれから少年は、冒険者になることに決めた。
 男から聞かされたことを忠実に守り、少年は我流ではあるが、己の剣を日々磨き上げてきた。
 働いてこつこつと貯めてきたお金で旅の支度を整えて、ついに今日、彼は旅立ちの日を迎える。
 その時に両親からの反対もあったが、幼い頃から少年がずっと描いてきた夢。
 止めても無駄だと解っていたのか。両親は少年に『頑張ってきなさい』と言葉を贈ると、少年の旅立つ姿を暖かい目で見送った。




 ――ルーンミッドガッツ王国の首都、プロンテラ。

 少年がやってきたその場所は、日夜ともに華やかな賑わいを見せる城下町。
 その街の一角にそびえ立つ豪華な建物、騎士団ギルドの受付カウンターを挟んで、少年は受付の兵士と口論をしていた。

「…ダメだダメだ。そんなことは無理に決まってるだろう?」
 延々と数時間。
 少年の申し出を『ダメだ』の一点張りで突っぱねている兵士は、もういい加減に呆れた顔をしていた。
「オレは騎士になる! そう決めたんだ!!」
「何度も言わせるな。無理なものは無理に決まっている」

 ばん! と少年は、カウンターを両掌で思いきり叩きつけてから大声で言った。
「無理なんかじゃない!! 剣だってちゃんと磨いた。オレは誰にも負けない。俺は今にこの王国で一番の強い騎士になってみせるんだ!!」
 それを兵士は嘲るように息をつき、答えた。
「思い上がりの自信や威勢だけでやっていけるほど、世間様ってのは甘くないんだ。そんな気配だけをプンプンさせてる弱っちぃガキなんざ、凶暴な魔物どもの恰好の餌食にされるのがオチだぜ?」
「なんだと!!」
「おいどうした、何を騒いでいる?」
 そこに年輩の騎士が現れた。その風貌から、騎士団の要職を務めているらしい騎士が現れると、兵士達は一同に敬礼をする。


「は、団長! このガキが騎士になりたいなどと……」
「俺はガキじゃねえ!!」
「貴様っ、あまり大人達を怒らせると……」
「まあ待て、落ち着け。今の言動は確かにお前の方に非があるぞ?」
 その騎士は兵士をそう言って宥めると、少年の方を見て言った。

「少年」
「なんだよ?」
「騎士になりたいか?」
「当たり前だ! オレはそのためにここまで来たんだ」
「貴様! 団長に向かって…」
「だから落ち着きたまえ。私は今この少年と話をしている」
 騎士団長がそう言うと、さっきまで凄みを利かせていた兵士があっさりと黙ってしまう。

「だが少年」
 そう言って騎士団長は言葉を続ける。
「我々も君のような若者なら迎え入れたい。しかしおいそれと名誉ある騎士の称号を与える訳にはいかないんだ」
「…だったら、どうすればいいんだよ?」
「騎士になりたければ、剣士としてまずは充分な修行を積みたまえ」
「剣士…?」
「そうだ」
 少年の問いに、騎士団長は頷く。

「剣士になってちゃんと強くなったら、オレを騎士にしてくれるのか?」
「ああ、それはこの私が保証しよう。だが道のりは険しいぞ?」

 騎士団長は少年の目をはっきりと見て言った。
「君には剣士になる覚悟はあるかね?」
「もちろんだ。憧れの騎士になるためなら、剣士にだって何だってなってやるさ」
「良い返事だな。剣士ギルドの方には私から連絡をしておこう。この場所に行けば、支給品が手渡されるはずだ」
 そして彼から一枚のメモを受け取ると少年は、剣士ギルドに向かうために騎士団の建物を発っていった。




「団長…よろしいのでありますか? あのような子供を?」
「…君は、彼のことに気付いたかね?」
「は、何をでありましょうか?」
「良い目をしていた。汚れを知らない、純粋でまっすぐな目だ」
「純粋…ですか(それって、ただの世間知らずなんじゃ…)」

 騎士の隊長は兵士のそんな内面の声を読みとったか、ため息をついて答えた。
「かく言う君は、その世間とやらの一体何を知っていると言うんだね?」
「う、それは、その…」
「剣を志す者にとって、最も欠かせないものがある。それは"勇気"というものだ。彼にはその充分な資格を持っている」
「資格ねぇ…」
「いいかね、"勇気"とは無限の可能性だ。これから向かう先、彼は幾多の試練や苦難を乗り越えなければならないだろう。しかし、己の持つ"勇気"を心に忘れない限り、それは必ず乗り越えられる」

「彼がこの先、騎士に相応しい男へと成長した時、我々はそれを暖かく迎え入れてやろうではないか」
「は、はぁ……」
 2人の男は、騎士を志した少年が剣士のギルドへと向かう姿を、視界の向こうに消えてしまった後もしばらく見届けていた。



 少年は、こうして冒険者としての第一歩を迎えた。
 これから少年が立ち向かう冒険の行方。それはまだ誰にもわからない。
 しかしこれは、少年がこの広大な世界を旅する幾多の冒険の、ほんの僅かな始まりに過ぎないのだから――――


 



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