Ragnarok Online - IF -
『あるマジシャンの話』





 フェイヨンの森の中、あるマジシャンとプリーストの二人は魔物の群を狩っていた。
 マジシャンである少女の名はシルキー。ただいま修行中の駆けだし魔法士である。
 彼女はプリーストから祝福の法術を受けると、手にしたロッドを構え、呪文の詠唱をはじめる。
「――ファイアーボルトっ!!」
 ロッドの先端から赤い閃光が弾け、そこから目前にいるウィローめがけてファイアーボルトの魔法が撃ち放たれる。
 魔力によって現れた数本の炎の矢が直線の軌跡を描いて飛び、それらが瞬く間にウィローの躯を貫いた。
 続けざま彼女はボルトの詠唱を再開し、周りにいる他の魔物達を次々と倒してゆく。
「これでラストっ!!」
 残った最後の魔物の一匹が倒れる。

 ――ぱあぁぁっ。
 するとファンファーレの音と共に、白い天使が羽を舞い散らしながら現れ、彼女を光で包み込んだ。
「おめでとう、これでレベルアップだね」
「あは……ありがとうございますっ」
 そう言ってシルキーのレベルアップを祝福する彼の名はクラウス。
 厳しい修行を積んだ末に、ルーンミッドガッツ王国の首都プロンテラにある大聖堂よりプリーストの称号を授かっている。

 付近に漂っていた魔物の気配は今はすっかりと消え去り、森の中には静寂の空気が訪れていた。
 彼はシルキーの壁となって魔物から受けた傷をヒールの魔法で回復させると、シルキーと共に適当な岩肌に腰かけて軽い休憩をとっていた。
「あれからだいぶ成長したなぁ。初めて会ったときは、ポリン一匹を倒すのにも苦労するノービスだったのに」
「これもみんなクラウスさんのおかげですよ」
「ははは、僕はただ君のレベルアップのお手伝いをしているだけだからね」
 シルキーからの感謝の言葉に、そう言って微笑みを返すクラウス。
 いつしかシルキーは、そんな彼の姿を憧憬の眼差しで見るようになっていた。
「はいシルキー。今回レベルアップしたお祝いだよ」
 言ってクラウスは荷物袋から一本のアークワンドを取り出すと、それをシルキーに手渡す。
「え、こんな高価な物を……いいんですか?」
「武器は常に良い物を使わないとね。それに今の君のレベルなら充分に使いこなせるはずだから」
「すごく嬉しいです。大切に使わせてもらいますね!」
「♪〜」
 シルキーがアークワンドを手にとって喜ぶ様子を見て、クラウスはとても満足げに笑みを浮かべていた。

「ねぇ、クラウスさん……」
 そう言って隣に腰掛けるクラウスの手に、そっと自分の手を添えようとするシルキー……しかし。
「よし、レベルアップもしたことだし。今日はそろそろ帰ろうか?」
 当のクラウスはすっかり休憩を終えて立ち上がり、荷物をまとめはじめていた。
「あ、あのぉ……」
「ちゃんとした休憩なら街に帰ってからの方が安全だよ? ほら、ポタルを出したから早く乗って」
(……もうっ)
 シルキーは何か言いたげにクラウスにジト目を向けるも、返ってきた言葉に拗ねた顔で起きあがると、クラウスが出したポタルの光に包まれて街へと戻るのだった。





 二人が首都プロンテラに到着した時には、陽はすっかりと夕暮れに傾いていた。
「あら、おかえりなさい♪」
 彼らがいつも集合の場所にしている酒場に入ると、二人の帰りを迎えてくれたのは、シルキーの姉であるナイトのカール。
 髪はさらさらとしたストレートのロングで、青く透き通るように輝いている。
 服装は戦う時でも動きやすいよう軽装の装備に身を包んだ容姿で、座る席の傍らには彼女がいつも愛用しているクレイモアが立てかけてあった。
 彼女もまた、クラウスと同様に厳しい修行を重ね、ルーンミッドガッツの王宮より正式にナイトの称号を授かっている。
 その剣の腕前は、このプロンテラの中でそこそこ名が知れるほどのものらしい。
 狩りで疲れて戻ってきた二人にカールは笑顔を向けて。
「クラウス、妹のためにいつも壁をしてくれて本当に助かるわ」
「なぁに、僕はただ好きでやっているんだから。そんなにかしこまらなくてもいいよ」
 カールからの感謝の言葉。それに対してクラウスは微笑みながらそう答える。

「それで、今日の狩りはどうだった?」
「シルキーが頑張ったおかげで、アークワンドを装備できるくらいにレベルがあがったよ」
「おっそうなんだ。レベルアップおめでとう、シルキー」
 妹のレベルアップと聞いてカールは椅子から素早く立ち上がると、シルキーの身体をぎゅっと抱きしめる。
「お姉ちゃんはとても嬉しいぞ〜♪」
「うん、ありがとう。お姉ちゃん」
 そして狩りから帰って来て疲れている二人を労うようにカールは酒場のマスターに合図をすると、しばらくしてテーブルにはずらりと料理のフルコースが並べられていく。
「さあ、今夜はお祝いよ。ふたりとも、たくさん食べてちょうだい」

 …

 …

 …

「そうそう、僕からひとつ提案があったんだ」
「提案?」
「シルキーもだいぶレベルが上がってきたことだし……明日から狩り場を別の場所に変えてみようと思うんだ」
「そうね、この子にもマジシャンとして色々な場所を覚えておいてほしいし。私は賛成よ」
「どうだいシルキー、君はどう思う??」
「私も賛成ですっ! ……じゃなくて、えっと、その……」
 突然話を振られたシルキーは、どもった口調で答える。
「クラウスがしっかり壁してくれるから、とても安心できるのよね?」
「わわ! そう言うのじゃないってば!!」
 あたふたと手を振って誤魔化そうとするシルキー。
 そんな見え見えの反応をする妹を見て、くすくすとカールは微笑むのだった。
「明日は私も参加できそうだから、一緒に行くことにするわね」
「わ、お姉ちゃんも来てくれるんだ。すごく嬉しいよ」
「この前みたいに、間違ってあたしに魔法を撃ったりしないでよ?」
「もうっ、そんな事しないよっ!」
「じゃあ明日も、がんばってレベルアップしようね」
「オーケー。それじゃ改めて乾杯だ」
 これからも無事に狩りができる事を願って、三人は手に持った杯を鳴らした。











 ――翌日、シルキーとクラウスはモロク地方にある蟻地獄にやってきていた。
 砂漠の中にぽっかりと開かれた巨大な穴。そこがシルキーの新しい狩り場となる場所だった。
 だが当のシルキーはそこでひとりぷくーっとふくれていた。
「お姉ちゃん。来てくれるって言ったのに……」
「まぁ"囁き"で急用が入ったんだから仕方ないよ。とりあえず、僕達だけで先に狩っていようか?」
「はい、そうですね」
 シルキーは、クラウスの手に引かれながらゆっくりと蟻地獄の中に足を踏み入れていった。

 ――中では、途轍もないほどの空洞が広がっていた。
 熱帯の地方であるにも関わらず、そこはとても涼しく、暑さを全く感じさせない。
 なるほど巷で狩りのスポットと呼ばれる理由も分かる気がする。それがシルキーが初めて蟻地獄を見た時の印象だった。
「初めてだから、とても緊張しています……」
「大丈夫。僕がしっかりタゲ取りをするし、シルキーはそれだけを狙って魔法を撃っていけば安全だから」
「今日もよろしく……お願いしますね?」
「うんうん。ちょうど今は人も少ないし、ここは快適な狩り場だと思うよ」
「がんばりますっ!」
「よし、じゃあ始めようか」
 クラウスは周り見渡し、近くに他の冒険者がいないことを確認すると、アンドレやピエール達からタゲを取って側に誘き寄せる。
 魔物達の攻撃をバックラーの盾でかわしながら、クラウスはシルキーに支援魔法をかけると、合図を送った。
「今だよ、撃って!」
「――ファイアーボルトっ!!」
 どががががっ!!!
 シルキーが呪文を詠唱する声と、ボルトの炸裂する音とが空洞内に木霊する。
 元々火に弱い性質であるアンドレ達は、彼女の炎の魔法によって次々と焼かれていく。
「手応えはどうだい?」
「おかげさまですごく良い調子です」
「よし、この調子で狩りを続けようか」
「はいっ!」
 蟻の巣での狩りは好調に進んでいた。
 タゲ取りと魔法の詠唱を二人は休む間もなく繰り返していくうち、シルキーの頭上に次々とレベルアップのファンファーレが鳴っていく。
 しかし狩りを始めてから数時間が経過し、そろそろ二人の身体に疲れが見え隠れしだす頃だった。
 突如――空洞を震わせる程の大きな地響きが唸りを挙げる。
 辺りはぐらぐらと揺れていた。
「な、なんだ。いったいどうしたんだ?」
「!! クラウスさん、うしろ!」
「な…………」
 シルキーの声に後ろを振り向いたクラウスは、自分の背後に突如現れたその姿を目にして絶句した。

 ――プリオニ。
 この蟻地獄を根城に生息すると言われる、鈍色に光る4つの目、頭部と胴が一体化した醜悪な体躯と、その躯の両側から伸びるヒレに似た形状の触手を持つ巨大な生物。その奇怪な姿は、まさに異形の怪物と呼ぶに相応しい。
 プリオニは、目の前で立ち尽くすクラウスを標的と定めると、有無を言わさぬ勢いで襲いかかってきた。
「まさか、プリオニが現れるなんて――――」
 クラウスも高次職であるプリーストとはいえ、もともとそれは回復と支援の法術を専門とする職業。とりわけこのような強大な怪物に対し、ダメージを与える事はおろか、その攻撃力から身を守る手段など持ち得るはずがなかった。普段ならこのような魔物が現れても、ボスモンスターを専門に狩りを行う高レベルの冒険者達が発見して退治してしまうところだが、生憎と今は陽も早い時間と言うこともあって、そのような者達の姿はどこにも見られない。
 眼前より浮かぶ情景は絶望。絶対的な力量の差。
 不意に訪れた脅威との遭遇は、否応なしの恐怖心を余儀なく抱かせる。
 加えてアンドレ達から攻撃を受け続けて蓄積されたダメージで動きの鈍った足では、この場から逃げ仰せる事すらままならない。
 まさに絶体絶命といえた。
 せめて彼女だけはなんとか逃がさないと……クラウスはその一心で状況を案じていた。

「――ファイアーウォール!!」
 シルキーはプリオニの足元に向けて魔法を唱えた。クラウスの身を守るために。
 魔法士として、これが今できることのせいいっぱい。
 そして、そこには燃えさかる火柱の結界が現れる――はずだった。
 しかし、
「そんな……」
 シルキーはその事実に気付いて愕然とする。
「こんな時に、SPを切らしてしまうなんて……」
 魔法力が、なんと底を突いていた。
 彼女に抵抗するだけの術はないと知るや、プリオニは満面に不気味な笑みを張り付けて、クラウスに向かって触手を大きく振り上げる。
 凶悪な一撃。
「うわああっ!!」
 プリオニの触手に弾かれ、クラウスは数メートル先の岩壁に吹き飛ばされて、その勢いで岩壁に身体を強く打ち付けてしまう。
「クラウスさんっ!?」
「くっ――」
 シルキーは倒れるクラウスに向かって駆け寄った。
「僕のことはいい、シルキー。早くここから逃げろ、逃げるんだ……」
「いやです! クラウスさんを置いて逃げるなんて私にはできませんっ!!」
「こんな時にそんな、わがままを――」
 深手を負い、行動不能に陥ったクラウスを確認するとプリオニは、その傍らで泣き叫ぶシルキーへとタゲを移した。
 プリオニの目が、さらに怪しく輝く。
「この化物っ、これ以上クラウスさんに近づくなっ! ファイアーボルト!! ファイアーボルトっ!!」
 SPが既に尽きているにも関わらず彼女は、プリオニに向けて何度も何度も攻撃魔法を唱え続ける。
 効力を持たない詠唱の言葉は、空洞の中を虚しく吹き抜けていった。
 まるで標的の恐怖心を煽るようにゆっくりと魔物は近づいてくる。
「どうしてこんな時に魔法が出ないのよ! お願いあいつをやっつけて、ファイアーボルトっ!!」
 だけどシルキーの必死の詠唱も魔法として一度も発動されることのないまま、プリオニは二人のいる目の前にまで迫って来ていた。
 触手をゆらゆらと揺らしながら、にんまりと不気味な笑みを少女に向けるプリオニ。
「あ、あぁああ……」
 その瞬間、理解した。自分はここで死ぬということを。
 絶望に両脚が震え、その場にぺたんとかがみ込んでしまう。
「クラウスさん、ごめんなさい……」

 まだ私がノービスだった頃、魔法士を目指すと姉に言った。
 そうして姉に連れられてやって来た場所にあの人がいた。
 それがあの人との出会いの始まりだった。
 はじめましての挨拶の後、あの人は狩りのお手伝いをしてくれると言ってくれた。
 何気ない草に足を引っかけて転んでいたりしていた私。
 でも転ぶ度にあの人は、暖かい手を差しのべてくれて、擦りむいた膝にヒールをかけてくれた。

 しばらく経験を積んで、マジシャンにクラスチェンジすることができた。
 タゲを取る前にいきなり杖で殴ってしまったり、
 詠唱反応の敵に向かってうっかり魔法を唱えたり、
 他の人がタゲを取った敵を誤って攻撃したり、
 やっぱりやることはドジばかりで、
 いつも、迷惑ばかりかけていた。
 けれどそうした自分のドジも、あの人はいつも笑って許してくれた。
 あの人のそんな笑顔が、優しさが、とても好きだった。
 あの人と過ごしてきた時間は、みんな、楽しい物ばかりだった。

 シルキーの中で彼と過ごしてきた出来事が、まるで走馬燈のように駆けていた。
 彼女のそんな想いなどよそに、プリオニは一度に二人もの獲物を得たと勝利の確信に満ちた笑みを浮かべる。
 そうして振り上げられた触手が、シルキーに向かって無慈悲に振り下ろされた。
 彼女は目をきつく閉じ、自らの死が訪れる瞬間を覚悟した。

 ――しかし、プリオニからの最期の一撃は来なかった。

「あなた達の声を頼りにやって来たら、まさかこんな事になっていたなんてね――」
 代わりに耳に聞こえた覚えのある声に目を開くと、そこでは姉のカールが剣を抜き、目の前のプリオニと対峙していた。
 カールは強烈なバッシュの一撃を食らわせてプリオニを弾き飛ばし、二人の側から魔物を引き離すと、離れた魔物に向かって走り、一気に間合いを詰める。
「――ツーハンドクイックン!!」
 その裂帛のかけ声と共に、カールは目にも留まらぬ速さで剣を振るった。
 目蓋が一度瞬く間に数回、彼女の振るクレイモアはプリオニの姿を確実に捉え、的確に斬撃を叩き込んでいく。
 プリオニが反撃しようとして振り回す触手を、彼女は華麗な身のこなしで巧みにかわしてゆく。
 その戦いぶりは、まるで舞いを踊っているようだった。
「――オオォオォォオオオ――」
 やがてプリオニは、彼女を相手にしては勝ち目がないと思ったのか、地響きの鳴るような凄まじい咆吼を上げると、そのまま一目散に逃げていった。

「――あなた達大丈夫? ……じゃないみたいね」
 プリオニの気配が完全に退いた事を確認するとカールは、二人の姿を振り返る。
 そこには深手を負って気を失っているクラウスと、彼に身を寄せながら泣きじゃくるシルキーの姿があった。
「……とりあえず、こんな危険な場所から離れるのが先ね。しっかりと掴まっているのよ?」
 短く言うと彼女は道具袋から蝶の羽を取り出し、それを握りしめて羽の魔力を解放する。
 すると羽から淡い光が溢れだし、それに包まれながら三人は首都プロンテラに帰還することができた。





「――シルキー、あれは不可抗力だったの。そんなに気に病むことはないのよ」
「……」
「クラウスもなんとか一命を取り留めたみたいだから、後は回復を待つだけ。なんとかひと安心」
「……」
 カールはシルキーを慰めようと言葉をかけている。
 しかしその返事はない。
 宿の部屋に入るなり、シルキーはベッドの上で両膝を立てて蹲ったまま。
 街に戻るなり、ずっとこんな調子だった。

「……貴女もまだダメージが癒えていないのだから早くお休みなさい。クラウスならお姉ちゃんがちゃんと看ておくから」
 ばたん。
 扉が、閉まった。
 やがて姉が廊下を歩く足音も聞こえなくなると、
(私の、所為なんだ――)
(クラウスさんのことを守れなかったのは、私の所為、私が弱かった所為……)
(私の弱さが、クラウスさんを傷つけてしまった――)
 彼女は、蟻地獄で起こったことを心の中で反芻していた。

(クラウスさんも、お姉ちゃんも、私にすごく優しくしてくれる……だけど)
(このまま二人に甘えたままなら、きっと自分を許せなくなる……)

 夜の帳のすっかり降りた、冷やかな空気が流れるプロンテラの宿の部屋で、彼女はそんなことを思っていた。











――次の朝。
「! あの子……!!」
 カールは、寝室のテーブルの上に一枚の書き置きを見つける。
 それには『しばらく帰ってきません』とだけ書かれてあった。
 部屋の中を見ると、シルキーの荷物だけがすっかりなくなっており、シルキーは既に宿を発った後のようだった。
「こんな雨の日に、あの子ったらいったい何処に行ったのかしら……」



 ――外では雨が降りつけていた。
 そんな中。彼女はひとり、虚ろな目をしながら魔物を狩っていた。
(……誰にも、迷惑をかけたくないから)
 心の中で、静かに彼女は呟く。
(もう、誰も傷つけたくない……)
 その想いだけが、今の彼女を支えていた。

(だから、私は……)

「――ライトニングボルトっ!!」
 天から振り注いだ一条の雷がスチールチョンチョンに命中すると、そのまま飛ぶ力を失って地面に落ちてゆく。
 それにリンクして連鎖的にやって来る魔物に対し、彼女は物言わぬ顔で的確に魔法を当てていた。

 ――そうしてどれくらいの時間が経過したことだろうか。
 強い風に煽られながら、徐々に彼女の体力を奪っていく雨。
 彼女の疲労は、とっくに身体の限界にまで達していた。
(……もっと魔物を狩らないと……)
 もはや気力だけで狩りを続けていた、シルキー。
 だけど延々と降り止まぬ雨。
 それは彼女の身体を絶えず打ち付けていった。
 やがてその疲労は、彼女の気力の限界までも超えてしまう。
 ――どさり。
 シルキーは草むらの中に力無く倒れる。その瞳からは大粒の涙が零れていた。
(………………)
 残された意識の中で彼女は、空から降り注ぐその雨の音をただ静かに聞いていた――――











「う……ん……」
「シルキー? 気がついた?」
 彼女が目を覚ました場所。
 そこは草むらの芝の上ではなく、宿屋の暖かい布団に包まれたベッドの上だった。
「バカバカバカ〜。どれだけ貴女のことを心配したと思ってるのよう〜〜!!」
 シルキーの肩をカールがぽかぽかと叩く。
「それくらいにしておきなって。シルキーが痛がってるじゃないか」
「だって、だってぇ……」
 カールはぐすぐすと泣きじゃくっていた。
 普段の落ち着いた態度とは裏腹、こんな時に姉が見せる姿は、まるで子供のようだった。
 妹のシルキーには、そうまでなって哀しむ姉の気持ちが痛い程良く理解できていた。

「倒れていた君を親切な人が偶然見つけてくれて、そのまま街まで運んできてくれたんだよ」
「本当、その方が運んできてくださらなかったらと思うと……」
「…………」
 シルキーはベッドから身体を起こす。
 一瞬くらり、と目が眩んだ。
「駄目よ無理をしたら。貴女はいま風邪を引いてるんだから」
「一晩安静にしてれば元通りになるってお医者さんも言ってたから、今日はゆっくりおやすみ?」
「…………」
 シルキーは再びうつむいてしまう。
 こんなに優しくしてくれる人達なのに。
 また、ふたりに迷惑をかけてしまった……そんな罪悪感が、彼女の心を締め付けていた。
 しばらくの沈黙の後。彼女は二人にこう告げた。

「……私、もう冒険をやめようと思うの」
「え……?」
「どうして……?」
 シルキーが口にした言葉にカールとクラウスは耳を疑った。

「だって、私はいつも二人に迷惑をかけてばかり。二人の足を引っ張るくらいなら……」
「それは違うと思うよ」
 否定的なシルキーの呟きを、クラウスは遮るように言った。
「ここに、仲間がいるじゃないか」
「仲間……?」
 きょとんとした目で、シルキーは視線を返す。
「それに失敗する事なんて、誰にでもあることだしさ」
「そういえば私もまだ剣士だった頃、クラウスにはいつも迷惑ばかりかけてたっけ」
「今はこうしてナイトになっているカールも、まだ剣士だった頃はそれはもうお転婆でね」
 そしてクラウスはカールの方を見て溜め息をつきながら。
「カールはいつも突っ走ってばかりで、狩りの間中生傷が絶えなかったよね。その度にヒールをかけるのが大変だったよ」
 クラウスに恥ずかしい過去を暴露されたカールは少しむっとして、
「そういう貴方だって、INT型なのに戯けてアクティブを殴ったりするから、いつの間にか大勢の魔物に囲まれてて。あれを私ひとりでフォローするの大変だったんだから!」
「まぁまぁ落ち着いて。」
「他にもあるわよ! 目の前の魔物に間違ってヒールをかけたりとか、帰りのポタル用の青ジェムを買い忘れてたとか。まだまだたくさん……」
「くす、くすくす」
 そんなカール達のやり取りに、シルキーは思わず笑っていた。
 それにつられるように、二人も笑った。

「つまり僕達が言いたいことはね、シルキー」
「傷ついた時とか、困った時にはお互いに助け合う。それが"仲間"って言うものだろ?」
「うんうん♪」
「シルキーも僕達と一緒に狩りを始めたときから、既に僕達の仲間なんだから、もう少し僕達に甘えても良いと思うよ?」
「…………」
「だから、貴女がもしもうっかりして、ピンチになった時はいつでも私達が助けてあげる」
「その代わり、私達がピンチになった時には貴方もちゃんと私達を助けるのよ?」
 びしっ、と人差し指を立ててくっくっく、と邪笑するカール。
 シルキーの額からは一筋の冷や汗が伝う。

 しばらくして、シルキーはぱあっと明るい表情に戻ると、
「私の事をこれからも、よろしくお願いします」
 そう言って二人にペコリと一礼をした。それを見る二人は揃ってうんうんと頷いていた。











 ――そうして、しばらくの日が経ったある日のこと。
「おめでとうシルキー。立派になったね」
「これで貴女も一人前の魔法士ね」
「えへへ、これもお姉ちゃんとクラウスさんのおかげだよ」
 あれからシルキーはカールとクラウスの協力によって、魔法士として充分なレベルに達することができ、ゲフェンの魔法士協会からも正式に認められて、こうしてウィザードの称号を与えられることになった。

「これでシルキーとも公平が組めるね♪」
 にっこりと笑って、クラウスが言う。
「え……」
『そうそう。クラウスはね、シルキーと公平パーティを組めるようにって、今まであまりレベル上げをしていなかったのよ』
 カールが、クラウスに気付かれないようにぼそりと耳打ちする。
(そうだったんだ……)
「ちなみに、私もそうなんだけど」
 言ってカールはシルキーにウィンクをする。

「ふふふ、これからはシルキーとライバル同士になるわね。色々な意味で」
「??」
 一瞬、シルキーはカールの言った言葉の意味が分からないでいたが、彼女の見る視線の先を見て、
「くすっ、そうね」
 シルキーも納得した様子でクラウスの方に視線を伸ばす。
「?? どうしたの、ふたりとも?」
 当のクラウスだけが、何のことなのかを理解していないようだった。

「これからも頑張ろうね、お姉ちゃん」
「うん、お互いにね」
 ぐっとその手を重ねる。
 シルキーはこれからはウィザードとして、二人の助けになっていこうと心に誓うのだった。

「さーて、まずはどこに行こうかしら?」
「それなら、前から三人で行きたいと思っていたとっておきの場所があるんだ」
「いいわね。じゃあさっそくそこに行ってみようかしら」
「了解。じゃあ今からポタを出すよ〜」
「は〜いっ」
 いままでの感謝の気持ちと、これからの期待を込めてシルキーは、ウィザードとしての第一歩を踏み出す。
 新たな旅立ちの場所に向けて、クラウスの開いたワープポータルの中に足を踏み入れた。


 


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