MIO 〜輝く季節へ〜
第12話 『騒動』




「みゅ〜〜〜っ♪♪」
「ぎゃーーーっ!!」
 教室中に響き渡る歓喜と悲鳴の叫び声。
 彼女たちの休み時間は、この2つの声から目を覚ました。



 ――そこには少女が2人。
 嬉々とした満面の笑みを浮かべ、おさげに触れてはしゃぐ繭と、
 そのおさげを引っ張られ断末魔に等しい叫びをあげる七瀬。
 おさげを両手でぐいぐい引っ張ったり、くんくんと匂いを嗅いだりと繭は今日もごきげん。
 どうやら繭は、七瀬のこのツインテールに結った髪をとても気に入ったらしく、
 澪と共に教室に入るやいなや、澪が浩平達と話している間中、繭はこうして七瀬の髪をいじりにやってくるのであった。

「留美おねえちゃんのみゅー。かわいくていい匂いがするよう」
「…あのね。あたしのおさげはみゅーじゃないの…だからこれ以上引っ張らないでくれる?」
「だって、好きなんだもぅん…」
「あのねぇ……」
 おさげを両手に持ち、ただをこねるように言う繭に七瀬は呆れて物も言えなくなってしまう。

「くすくす。留美はもうすっかり人気者じゃない?」
 そんな七瀬達の傍でこらえるように笑っているのは広瀬。
「笑いごとじゃないの。この子に会う度におさげを引っ張られていたら堪らないわよ」
「でもその子、とても喜んでるじゃない。あたしも思い切って髪を伸ばしてみようかなぁ…」
 笑いながらそう言って、広瀬は自分のショートヘアの髪に手をやる。
 その表情はどこか嬉しそうに見えた。
「この子のためにそう思うのならやめときなさい。それが真希のためよ」

 先日の事件以来、広瀬はすっかり心を入れ替えた。
 あれから彼女は七瀬と話をしていくうちに段々うち解けていき、今ではツーカーの仲と呼べるまでの間柄になっている。
 七瀬のことを笑っているのは別段悪気があってのものではなく、純粋にこの光景を微笑ましいと思っている証。
 そのことは七瀬も理解しているようで、繭におさげで遊ばれる状況に彼女は複雑な思いで頭を抱えているのだった。





「あはは。向こうも楽しんでいるみたいだな」
(…さすがは私の妹分なの。あなどれないの……)
 そんな七瀬達の様子を見守りながら。
 こちらでは澪と浩平、長森、茜、そしてまたも学校に入り込んできた詩子とが輪になり、歓談のひとときを過ごしていた。
「じゃあ澪ちゃん。あたし達も楽しんじゃおうか?」
 そう言ったのは詩子。言って詩子は澪に向けてゆらりと両手を伸ばしてくる。

「……詩子……」
「びくっ!」
 するとぎらりと、深くトーンを落とした声と共に。
 茜からの冷たい視線が詩子の瞳の奥へと鋭く突き刺さる。
 表情はあくまで平静を装っている分、彼女のその声は却って恐ろしい響きとなって詩子の耳に届く。
「もう、これはおちゃめな冗談じゃない茜。そんな、あはははは……」
 茜の言葉にすっかり脅えた詩子は声さえも裏返り、だんだんしどろもどろになっていく。
 そんな詩子を見て、茜は大きく溜め息をついた。

「でもあたしは澪ちゃんのことが大好きなんだから、少しくらい良いじゃない?」
「ダメです。詩子の場合はいつもそれが度を過ぎますから…」
「…まだあのことを根に持っているの、茜?」
「……」
 詩子にそう訊ねられると茜は途端に頬を染め、
「…知りません」
 そう言ってそのままそっぽを向いてしまった。

「…じゃあ澪ちゃん、頭をなでなでさせてよ? それならいいでしょ?」
『う、うん。わかったの…』
 そんな詩子の申し出に澪は抱きつかないならという条件をつけてから、おそるおそる自分の頭を差し出す。

 なでなでなで……

 ゆっくりとした手つきで詩子は、澪の頭に手を乗せて撫でていく。
(うぅぅ……)
 以前のこともあったためか、澪は泣きそうになりながらそれをじっと堪えている。

 ………………
 澪の髪を撫でていくうちに、詩子の表情はだんだん艶がかっていく。
 撫でる手の動きも次第に速まっていき……

「…やっぱり澪ちゃんの髪って、さらさらしてて良いよぉ〜〜♪♪」
 しびれを切らした詩子は、そのまま勢いに乗って澪の身体を抱き締めた。
 ダメだこりゃ。












 ――残りの授業も終わり、半日の過ぎた土曜の放課後のこと。

「ひっくひっく…」
(お子様。そんなに泣くななの)
「…うん」
 いつもと違う様子で2人は廊下を歩いている。
 とても悲しそうにしている繭。
 繭をいさめながら歩く澪。

 そして澪達は浩平達の教室を訪れる。
 ガラッと引き戸を開けると、ちょうど浩平達が帰宅の準備をしているところだった。

「よう澪…って繭。いったいどうしたんだ?」





「…そうか。それは一大事だな」
「うん…」
 繭は浩平達にひととおりの事情を説明する。
 どうやら繭が大事に飼っているフェレットのみゅーが突然いなくなってしまったらしい。
 ほんのさっきまでは、ちゃんと彼女の側にいたらしいのだが……
「よしわかった。じゃあオレも一緒に探そう」
「浩平。よかったらわたしも手伝うよ」
「仕方ないわね。あたしも一緒に探してあげるわよ」
「留美がそういうのなら、私も手伝うわ」
 浩平に加え、教室に残っていた長森と七瀬、広瀬が協力を申し出た。

「ここは手分けしてみゅーを探そう」
「うんそうだね。その方が探しやすいと思うよ」
 浩平の提案により、みゅー探しは手分けして行われることになった。
「ちょうどここに6人いるから、2人づつで3つの手に分かれよう」
「じゃあ、あたしは真希と一緒に探すことにするわ」
「ああ頼む、そうしてくれ。ならオレは……」

(……♪)
 そこには目を爛々と輝かせながら、浩平の顔を見る澪がいた。
『あのね浩平君。それなら私と一緒に…』
 そう澪がスケッチブックに書き込むより先に。
「…そうだな繭。ならオレと一緒に探そう」
「うんっ!」
 浩平は繭に声をかけているところだった。

(おのれお子様。私の浩平君をよくもよくも……)
 めらめらと、妹分のはずの繭に向かって嫉妬の炎を滾らす澪。
 なのに周りは何故そんな彼女に気づかないのだろう?

「じゃあ澪ちゃんはわたしと一緒だね。繭ちゃんのために頑張ろうね♪」
(げ、長森瑞佳と一緒なの……)
 そうして必然的に。
 澪は長森と一緒にみゅーを探すことになった。
 心底がっくりと項垂れる澪。
 そんな澪などお構いなしに、ガッツポーズを決める長森。

「いなくなってそんなに時間が経ってないみたいだから、まだ学校にいる可能性はあるな。急いで探そう!」
 浩平のその号令の後、浩平達によるみゅー探しが始まった。







「みゅー。どこにいるのーっ?」
(おーいねずみー。いたら返事をするのーっ)
 そうして澪は長森と一緒に校舎をまわりながらみゅーの名を呼び続ける。
 なかなかしかし、みゅーの姿は見つからない。

「なかなか見つからないね澪ちゃん」
 長森のその言葉に向かって。
『うん。繭のためにすぐにでも見つかってほしいの』
 などとうそぶく澪。
 …というのは。
 澪はさっきから常に、長森の歩くところから左後ろ数歩の位置。
 それはそこから奇襲にも回避にも転じることの可能な位置であり、長森の利き腕さえも考慮した位置。
 つまり臨戦態勢の位置で歩いているからだ。

 その意味はもちろん、ひとけの消えた場所に彼女を導いてこそ真価を発揮するものである。
 今でこそ彼女たちの歩く廊下では、生徒達の姿が閑散と行き来しているが……
 その後になった恐ろしさを、それは我々がもっとも知るところであろうか。
 もちろん澪は、長森へと向ける殺気を隠すことを忘れずにいるのだった。







 ――その一方で。
 生徒達が元気に行き交う廊下を、七瀬と広瀬は互いに並ぶように歩いていた。

「…ねぇ、留美?」
「んっ、どうしたの真希?」
 と。
 視線を床に落とし、どこか鬱いだ表情で広瀬が訊ねる。
「あの時はホントにごめんね。あの頃の私、完璧どうかしてた……」
「……」
「あんなことまでしたんだもん。今更どんな事をしたって、とても償いきれないわね…」
 そんな彼女の悲痛な声に七瀬はやれやれとすると、力強くこう答えた。

「なに言ってるのよ。そんなことはこれからの真希の気持ち次第でしょ? 元気出しなさいよ」
「…ありがと。留美って優しいんだね」
「あたし達は友達同士なんだから、そんなの当たり前よ」
「友達、かぁ…」
 そんな七瀬の言葉に、広瀬はゆっくりと視線を上げる。
 心なしか、彼女の表情は明るかった。

「…ねぇ留美?」
「んっ?」
 照れた眼差しで相手の顔をそっと覗き込むようにして、彼女は言った。
「…これからもずっと良い友達でいてね?」
「もちろんよ。真希みたいに良いやつなんて、他にはいないんだから!」
「ぁ…」
 七瀬のそんな優しい言葉が、ふたりの間をそっとあたたかく包み込んでゆく。
 それはふたりの間に残っていたわだかまりが安らぎへと変わってゆく瞬間。

 ふたりは互いの手をぎゅっと繋ぐ。
 それは何があっても決して離れないと約束する心の絆。
 ”友情”を誓う契約だった。

「とりあえず今はあの子のフェレット探しね。終わったら一緒にカラオケにでも行きましょ?」
「…うんっ!」
 広瀬がゆっくりと笑顔を向ける。
 そして七瀬も笑顔をもって彼女を見返した。

「さあ、いきましょう」
 そうしてふたりは思いを新たに、校舎の廊下を行く先へと向かって歩き始めた。







「繭、そんなに心配するなよ。このオレが必ずみゅーを探し出してみせるからさ?」
「…うん」
「よしよし」
 そう言って浩平は慰めるように繭の頭を撫でながら、校舎の中を探していた。

 しばらく歩いていくうち、そこで浩平達は意外な人物と出会う。
「おや、どうしたんだい浩平君。そんなに慌てたりして?」
「…氷上か。今こいつの可愛いフェレットを探しているところさ」
「ふむ、探す…か。しかしただ闇雲に探し回ることは、勇気でもあり無謀とも言える行為だよ?」

 なんだこいつ? と浩平は、氷上と呼んだ少年に向かって怪訝な視線を投げつける。
「ふふっ、君もつれないな。初めて会った時からずっと僕は、君と解りあえると思っているのに」
 しかし少年はそれを気にした風でもなく、表情を崩さないままで浩平を見返す。
 そんな彼に浩平は心底溜め息をついた。
「…お前とわかり合うつもりはない。それは…」

「この間にも言ったと思う。
”わかり合うこと” と ”わかり合わないこと” とは、ある意味混然としていて、表裏一体を為すひとつの側面に過ぎない。
”はい” と ”いいえ”。
”ON” と ”OFF”。
”暖かさ” と ”冷たさ”。
”善” と ”悪”。
”存在” と ”虚無”。
 そうした両義性、世界には欺瞞と呼べるほど無数に満ちている。
 あまつさえ目の前にあるものからさえ見つかるものを、君はどうして目を逸らそうとするんだい?」
「………」
「みゅ??」
 浩平の言葉を制止し、淡々と言葉を投げかける少年。
 ばかばかしい、と浩平はそんな少年の話をすべて聞き流すつもりだったが、
 彼の話にはどういうことか耳を反らせずにいた。
 繭は終始、指をくわえながら?マークを浮かべていたのだが。

「…まぁ、今は君の思う通りにするといい。そうすることで新たに見えてくる事もあるからね」
「……」



「みゅーっ、待ってよーーっ!!」
 どてどてどてどてどて………!!

 それはまるで呼び戻されるように。
 ふと浩平達の視界の遠くから、そんな声と足音とが聞こえてきた。
 校舎の棟全体にまで響きかねないような大音量の声。それに地面が揺れるような足音がふたつ。
 それを聞いて。
「どうやら長森と澪が見つけたみたいだな。行くぞ繭!」
「みゅっ!!」
 そう言って2人は少年をおいて走り去っていった。

 そうした彼らに少年は苛立つ様でもなく。
「…ふぅん。彼女までいるのか……それでは、お手並み拝見といこうかな?」
 ぼそりと、そんなことを呟くのだった。







「みゅー。お願いだから待ってよ〜」
(このねずみめ、おとなしく捕まれなのっ!)
 期せずして澪達はみゅーを発見し、なんとか捕まえようとしている。
 しかしみゅーは、そんな2人から逃げている様子。
 2人は長い距離を追いかけているが、なかなか追いつけないでいる。

「どうして逃げちゃうの〜〜?」
(いさぎよくお縄につけなのっっ!!)
 まぁ、みゅーは澪の襲いかかるような形相に恐れを為して逃げているとも取れるのだが。
 …ガシャン!!
 澪がこちらをひと睨み、そう眼を向けた瞬間、またもひとつカメラが損傷する音。
 テープは幸い無事だった。

「澪ちゃん、瑞佳、どうやら見つけたみたいねっ」
 澪達の走る廊下の向こう側から、七瀬と広瀬の姿が現れる。
「もう大丈夫。みゅーはあたし達がしっかり捕まえてみせるわよ!」
「まかせといてっ」
 2人はしっかりと並び、みゅーがやってくるその時を逃さないようにじっと待ち構えていた。
 しかし。
 みゅーは七瀬達の姿を見て何を思ったか、
 身体を180度方向転換し、そこで油断した澪達の一瞬の隙間をすり抜けて、

「みゅうぅうぅうぅぅうううーーーーーーっっ!!!」
 視界の奥に消えたみゅー。
 そんなみゅーがその場に残した鳴き声は、だけどなぜか泣き声のようにも聞こえたのだった。





「遅かったか…」
 ようやくして、浩平と繭がやってきた。
「ごめん繭ちゃん。もう少しのところで捕まえられなかったわ」
「みゅ〜…」
 七瀬の言葉に、心底残念そうにする繭。

「過ぎたことは仕方がないさ。とりあえずもう一度手分けして探そう」
「そうだね」
(今度こそ捕まえてやるの!)
「みゅ〜っ!!」
「みんな、がんばりましょ!」

「行くぞ」
 浩平達は再び三つ手に分かれ、みゅーを探すことにした。











(おーいねずみー。どこなのー?)
「みゅー、いたら返事をしてー」
 あれから小一時間ほど探し回っていた澪と長森。
 しかしみゅーの姿は一向に見あたらなかった。

『…このままだと埒があかないの。長森さん、今から少しの間だけ目を瞑っていてほしいの』
「目を? うん、いいけど…」
 いったい彼女は何をするつもりであろうか。澪は長森に少し目を瞑っていてほしいと頼む。
 まだそこには生徒達の往来が残っているというのに。

 そして澪の言葉通り、長森は目を閉じた。
 澪はそれを確認すると、にたりと悪魔にも似た冷笑を浮かべて。
 すっ。
 と彼女の姿は音もなく消えた。



 ――澪の部屋。そこには何故か澪がいた。

(ふふふ、思えばある意味チャンスなの。今度こそ長森瑞佳を斃して浩平君を奪いとってみせるの)
 ”恋愛とは即ち戦い。いばらの道、修羅の路”と考える彼女は、自分の恋敵達を斃すために日々研究を重ねている。
 これもその成果のひとつ。
 彼女は部屋にあるファンシーで可愛らしく彩られた装飾の小道具箱から、
 頑丈そうな合金で造られた手甲にスロット状の何かがついた物、そして火薬の入った袋とを取り出す。

(これがあれば、あの長森瑞佳も木っ端微塵なの…)
 ”強さ”こそが少女の恋する証。幼い頃からそうだと信じぬいて生きてきた。
 どこか位相のずれた澪の思考回路。
 そんな彼女は手甲に映した自分の姿を静かに見つめながら、なにやらよからぬ笑みを浮かべていた。
(さて、あとはどうやってあの女を始末するかなの……)
 むー、と澪は作戦を立て始めて数十分。

(…あ、あのねずみを捕まえるために色々と持っていくの)
 まるで思い出したように、澪はごそごそと用意を始めた。
(よし、これで準備万端なの)
 道具をひととおり詰めると、澪はよいせとリュックを背負う。
 ズシリとした重量感。いったいどんな物を入れていたのだろうか?
 と思うが先か。

 ヒュン――
 再び音もなく、澪の姿がたちどころに消える。
 こうして澪はもといた学校へと帰還した。



 …ぐいっぐいっ。
「んっ、もういいの?」
 澪が長森の制服の裾を引っ張ると、『準備OKなの』と赤い文字で書かれたスケッチブックを見せる。
『お待たせしましたなの』
 その間は約30分ほど。少しと言うにはあまりにも待たせ過ぎである。
「澪ちゃん。その背中のリュックサックはなに?」
 気になったように、長森は首を傾げながら澪に訊ねる。
『それは企業秘密なの』
 それに対して、ニヤリと不敵に笑う澪。
「???」
『それじゃあハンティング→みゅー探しの再開なの。がんばるの!』
「う、うん…」



『まずはオペレーション1なの』
「オペレーション1?」
 澪はリュックにがさごそと手を入れると、そこからひとつの缶詰を取り出す。

「澪ちゃん、それはなに?」
『みゅーのえさなの。これでみゅーを誘ってみるの』
「あ、なるほど」
 なるほど餌でみゅーをおびき寄せる作戦のようである。

 澪は缶詰の蓋を開け、容器にたっぷりとその中身を盛りつける。
 それを廊下の端の方に仕掛けると、死角になる曲がり角の辺りでふたりは待機することにした。
「これでみゅーが見つかってくれるといいね」
『うまくいってほしいの』
 長森はそこに座り込み、餌の盛られた容器の方をじっと眺めている。

(…よし、これで準備バッチリなの)
 そんな長森の背後で、澪はリュックから合金製の手甲を取り出す。
 パキンと金具を開く音。
(ふふふふふ…長森瑞佳。見事に餌に引っかかってくれたみたいなの……)
 澪は嗤った。辺りにじわじわと、どす黒いオーラが立ちこめてゆく。
 彼女は手甲にあるスロットの中に、取りだした袋の火薬を装填し始めた。

「あっ、ところで澪ちゃん?」
 突然に長森が後ろを振り向く。
 それに澪はあたふたと慌てて手甲と袋とをリュックにしまい込む。
「そういえば澪ちゃんって、浩平と仲がいいよね?」
(……)
 唐突にそんなことを訊かれ、きょとんとした目で長森の顔を見る澪。
「あっ、ヘンな意味じゃないんだよ。ちょっと気になっただけ」
(そ、それは…浩平君は、私の…大切な……)
 …ぼっ。
 澪の顔が紅く染まる。



 …それからしばらくの沈黙。
 数時間もの間、お互いが何も話さない時間が過ぎていった。










 ――結局。
 頃は既に、空が夕焼けに暮れる時間になってしまった。
 みゅーの姿は未だに見つかっていない。

「なかなか見つからないね〜」
(…えぇい。ここまで見つからないと、いい加減に猫を放ってやりたくなるの…)
 ぶつぶつと、ふてくされるようにして歩く澪。次第に疲れも見え隠れしてきている。
 どうやら用意していた手甲もついに使う機会がなかったらしい。

「よぉ、みゅーは見つかったか?」
 澪達の疲労が募る中。廊下の向こうから浩平と繭がやってくる。
「ダメだよ。どこにも見つからないよ〜」
「…そっか」
「みゅ〜…」
(………)
 そこにいた全員が視線を床に落とす。
 誰もがそれを口に出さないが、憔悴するその表情はある一抹の不安を顕わにしていた。
「ぐすっ、みゅー。どこにいっちゃったんだよう…」
 そう言ってうつむく繭。ふと窓の外に視線を移した時だった、そこには。
「…みゅーーっ!?」
 繭は木の枝の上に、みゅーの姿を見つけた。

「みゅーっ、みゅーっ!!」
 それを見ると繭は窓を開け、必死にみゅーに向かって手を伸ばそうとする。
(やめるの。そんなことをしたらお前が危ないのっ!)
 が、澪がそんな繭の腕を引く。
「おねえちゃん、はなしてようっ!!」
 繭はみゅーの姿に興奮し窓から飛び降りそうなほどに暴れていたが、三人がかりでなんとか繭を押さえつけていた。

 ごおっと、中庭を一陣の強い風が吹き抜けた。
 風に煽られて、木が大きく揺れる。
 その弾みでみゅーが枝からうっかり足を踏み外してしまい、みゅーはそのまま振り落とされてしまった。
「!! みゅーーーーーーーっ!!?」
(……っ!)
 叫ぶ繭をそのままにして澪は、とっさに窓の外へとダイブする。
 そうしてなんとか空中でみゅーをキャッチするも、掴める物が側になかったため、澪はそのまま地面へと落下していった。





 その頃。
 今日の部活を終えタオルを首に巻いた住井が、スポーツドリンクを片手に中庭を歩いていた。
 彼の歩くそんな姿は、ようやくにして彼の出番到来といった趣であった。

「…ふぅ、今日もいい汗かいたぜぇ」
 と。
 彼はタオルで汗を拭いながら、スポーツドリンクの入ったペットボトルを大きくあおる。
「くっはー! 生き返るぅ〜っ!!」
 住井は青春の味を噛みしめていた。
「ふっふっふ。この調子で大会に出場し、見事活躍してみせるのさ。そうすれば愛しの澪ちゃんがこのオレに惚れ直してくれるに違いないっ!!」
 大会での活躍と拳を握りしめるその言葉には下心が見え見えという、ある意味ピュアな好少年。
 そんな住井の瞳はとても輝いていた。
「…うおお〜っ、だんだん燃えてきたぜ〜〜〜っ!!」
 めらめらと。惚れた女の子の笑顔を見上げる空に描いて、気合いを燃焼させる住井。
 まぁ誰に恋をしようと、それは本人達の意思による自由であるはずだ。
 もちろん相手を間違えなければの話なのだが。

「…みゅーーーーーっ!!」
 ふと、頭上からそんな声がした。
「み、澪ちゃん?!」
 見ると視界には、澪が校舎の二階から落下してくる様子が飛び込んでくるではないか。
 それを見て住井は一瞬戸惑う、しかし。
「…ふっ、心配しないでおくれ澪ちゃん。このボクが君のことをしっかりと受け止めてあげるから……」
 住井は優雅に前髪を梳き、きらりと白い歯を覗かせると、両手を胸一杯に広げ、落下する澪を受け止めるポーズをとる。
 一人称さえも耽美の園と化したその世界が、住井を中心にして瞬く間に広がってゆく。
 そんな住井の周り一面には、メルヘンチックに咲き誇るバラが無数に煌めいていた。
(あっ、まずいの…)
 しっかりと封をしていなかったらしく、澪のリュックの口から手甲や火薬入りの袋その他の凶器達があふれ出し……
「え? え? え?」
 その信じられない光景に、住井が瞳孔を見開いた瞬間と同じくして。

 ドゴオォォォォオオオオオオ……………!!!!!

 住井の立つその場所を中心に、壮絶に爆ぜる炎と衝撃と共に一本の巨大な火柱が舞いあがった。
 …南無。







「おい澪。大丈夫かっ!!?」
「おねえちゃーん!!」
 ほどなくして、浩平達が中庭に駆けつけてきた。

(…私は何とか無事なの)
 制服がすすだらけになってはいるが、どういうことか怪我などはまったくしていないようで、
 心配して呼びかける浩平達の声に澪はにっこりと笑顔を返した。
 それを見て、浩平達はホッと安堵する。

(ねずみもどうやら無事みたいなの……)
 そう言った澪の両手にはしっかりとみゅーが抱かれていた。
「みゅー…」
 繭は澪からみゅーを受け取ると、自分の胸もとにそっと導いた。

「あぁ愛しの澪ちゃん…君は無事みたいで僕は幸せだよ……」
 そんなうわごとを残して。
 誰にも見送られることもなく住井はひとり、担架に乗せられ病院に運び込まれていくところであった。

「なんか物凄い音がしたけど、大丈夫なの!?」
 爆音を聞きつけて、七瀬と広瀬も中庭に現れた。
「…みゅ…」
 みゅーは、やってきた七瀬のおさげの方を見ると、繭の掌から抜け出してそのまま逃げだそうとする。
 まるで七瀬のおさげにやきもちでも妬いていると言わんばかりに。



「いかないで。みゅー!!」
 繭は叫んだ。
 その声にみゅーの足が止まる。

「まゆは、みゅーのこと好きだから…大好きだから…どこにもいっちゃやだよう……」
 みゅーの側に走って駆け寄り、繭はみゅーの身体を両手でぎゅっと包み込む。
「ひっく、ひっく…」
 繭の手が震えているのが、みゅーの身体に直に伝わってくる。
 みゅーの目にも、繭が泣いているということがはっきりと映っていた。

「みゅー…」
 掌の上から。
 みゅーは、そんな繭の涙を吸い取るように優しく口づけをした。











 ――そして、明くる日のこと。

「みゅ〜っ、みゅ〜っ♪」
「ぎゃーーーーっ!!!」
 休み時間。浩平の教室では繭がまたも七瀬のおさげを引っ張っていた。
 傍らには、広瀬が微笑ましく笑う声。
 彼女たちの時間は、こうしていつも通りに流れてゆく。

「みゅ…」
 みゅーは繭達のそんなやりとりを遠目に見ながら、一匹涙を流しているのだった……



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