MIO 〜輝く季節へ〜
第10話 『試練』
「…ふふふふっ……」
――放課後。浩平のクラスの教室。
沈みかける夕陽の赤みがゆるやかに差し込むその場所で。
ひそひそと、女生徒達の微かな笑いが響いていた。
「…本当にするの? まさかこんな事までするなんて……」
そこにいるのは、ここのクラスの一部の女生徒達。その中に脅えた様子でいる少女が1人。
ひとりの少女を数名の女生徒達が取り囲み、ひとつの机に視線を向けるようにして立っている。
少女は躊躇いがちの弱々しい口調で、女生徒達に向かって問いかけている。
それに対して女生徒達のリーダーと思しきひとりの女生徒が、少女の耳元で囁くように言った。
「バカね。これくらいやらなきゃかえって意味がないのよ。それに貴女だって、あの子の事は前々からイヤだって言ってたじゃない?」
「そ、それは……」
少女の答えを最後まで言わせず、女生徒は言葉を継ぐ。
「今は辛いって思うかも知れないわ。でもね、これくらいやらないと、あの子だって思い知ったりしないって思わない?」
「大体さぁ、あの子って転校早々から生意気なのよ」
「そうだよね。いきなり男子の人気トップに躍り出たりしちゃってさ」
「休み時間は優雅に読書! あいつはお嬢様なの?って言いたくなるわ」
「ぶってんじゃないわよ。ねぇ?」
「そうそう〜」
彼女のその言葉を引き金に、次々と沸き立つ女生徒達の言葉。
クスクスと笑い声が混じる。
「だからね、私たちはあの子にこのクラスで生きていくためのルールを教えてあげるの。ちゃんとしたルールを守ってもらわないと、クラスのみんなが迷惑するだけだもの」
得意げな表情をして、己の持論を語ってみせる女生徒達のリーダー。
他の女生徒達も、合わせるようにうんうんと頷いてみせる。
「貴女だって、最初は色々と手のかかる子だったけど…」
「…っ!」
少女の下顎を軽く持ち上げながら呟く女生徒のその言葉に、己がかつて受けた仕打ちを思い出して眉を顰める少女。
「………」
しかしどういうことか、その強ばった表情がすぐに消えてしまう。
「…今では貴女も、すっかりクラスの中にとけ込んでいるじゃない?」
取り巻きの女生徒達の姿を見渡して、彼女は言う。
「う、うん…」
「感謝しなさいよ? 私達の『優しさ』に?」
「まぁ、そのうちの半分は日頃のうっぷん晴らしなんだけどね〜」
「あ、それ酷い〜っ!」
「あははははっ!!」
「………」
しばらくの間こうして、女生徒達は笑っていた。
そんな中、少女だけは最後まで唇をきゅっと噛み締めていたのだが。
「まぁ色々あるわけよ。でもこうして貴女も私たちの仲間入りを果たしたんだから、今回が初仕事」
「あの…その…初仕事って……何?」
「簡単よ。この子の机を、このナイフでガリガリと削ってあげればいいだけ」
「そんな……」
それはまさに、自分自身がかつて彼女達から受けた仕打ちそのもの。
それを今この場所で、自分と同じく転校してこの学校にやってきたクラスメイトの机に向かって再現しろと言うのだ。
「彫り方は自由。ただし手は抜かないこと。あの子の目を覚まさせてあげるためにも、これは愛の鞭…ね?」
「がんばって〜!」
「あ、あぁぁぁ…」
少女の手に、抜き身になった刃渡り数センチの木工用ナイフが手渡される。
やれやれと、女生徒達からの黄色く煽りたてる声。
元々気の弱い性質の少女はそれに抗う術もなく、さりとて机を傷つける意志も湧かず、震える手でナイフを構えながらただただその場に立ち尽くしていた。
「うぅぅ……」
「どうしたの? 思い切ってやるのよ?」
そんなことできるわけない。
涙に濡れながら叫んだその言葉は、少女にとってのささやかな抵抗だった。
「…仕方ないわね。じゃあ今回だけは特別。このあたしが手を貸してあげる」
「えっ…?」
しかしそれも虚しく。
震えるだけの動かない少女の手を、女生徒の冷たい手がゆっくりと包み込んだ。
「よく覚えておきなさい…こうやるのよ」
そう言って女生徒は手に持つナイフを机に当て、そして一気にすべらせる!
ガリッ。
机の上に、大きな傷が音を立てて刻まれた。
「ひぃ…っ!」
少女が小さく悲鳴をあげる。
「やめて、もうやめて……!!」
「まだまだこれからよ。ふふふ……」
少女の声を無視して、あるいはまったく耳に聞こえていないのか。
まるでそれは満たされていくようにだんだんと。
狂気をはらんだ表情の笑みを浮かべ始める彼女。
ガリガリと。ナイフが机を切り刻む音が次々と広がっていく。
少女はどんなにナイフを手から離そうとしても、その手は女生徒の両手にしっかりと握られていて、決して手から離れてはくれない。
「うっ、うぅぅぅうぅぅぅぅぅ………!!!」
少女は涙目になって必死に何かを訴えかけようとするが最早どうすることもできずに、
少女の握るナイフは、幾重にもわたって深々と机の天版を抉りつけていった。
「おめでとう。これで貴女も私達の仲間入りよ……」
そして、まるで嘲笑うかのような女生徒達の盛大な拍手と共に。
コロコロと。カラカラと。
しばらくの間。
教室はそんな女生徒達の笑い声によって満たされていった……
「くっ、こんな。なんでよ……!!」
――翌朝。
教室に入るなり、自分の席に付けられた無惨な有様を見た七瀬が、
拳を握りしめながらその怒りと悔しさに打ちふるえていた。
――昼休み。
今日も澪は天下御免の笑顔で校舎の廊下を歩いていた。
あれやこれやと浩平との逢瀬を頭に浮かべては、頬を紅く染めながらいやんいやんと両手を動かしたりとせわしない。
ふと、廊下で深く沈んだ七瀬の姿を見かける。
怒りと悲観の入り交じったそんな複雑な表情をさせながら、七瀬はゆっくりと廊下を歩いていた。
いつもの七瀬じゃない、そう思った澪は。
『七瀬さん。どうしたなの?』
「……あっ、澪ちゃん…?」
しかしスケッチブックの文字を見せてかなりの間をおいてから、
はっと気づくようにして七瀬は返事を返すのだった。
「あはは。なんでもないのよ、大したことじゃないわ」
そう言って七瀬はその場を後にする。
(…??)
なんだか様子がおかしいの。
いつもの七瀬さんじゃないみたいなの。
そんなことを思いながら、澪は廊下を食堂へと向かっていった。
――食堂。
『浩平君、あのねあのね』
「ん? どうしたんだ澪?」
さっきの七瀬のことが気になった澪は、さっそくスケッチブックを取り出して浩平に訊ねてみることにした。
『七瀬さんの様子がヘンなの』
「あぁ、あいつはいつもああなんだよ。男勝りな奴だって言いたいんだろ?」
…ぼこっ。
スケッチブックで浩平の頭を叩く音。
『まじめに聞くの!』
「痛たたた…わかったわかった、オレが悪かったよ」
『なんだか七瀬さん、さっきすごく暗い顔をしていたの。とても心配なの…』
「何、あいつが? 何かの間違いなんじゃないのか?」
『だといいの…浩平君、七瀬さんのことで何か心当たりがあったら聞かせて欲しいの』
「心当たり…う〜ん、ちょっと分からないな」
『そうなの…残念なの』
「あっ、もしかしたら……」
掌にポンと拳を乗せ、浩平は思い立ったように言った。
『! 心当たりがあるの?』
その言葉に澪は真剣な表情で浩平の顔を見る。
しばらくの間が空いて。
「…あの日とか?」
ごんっっ!!!
両手持ちによる、澪のスケッチブックが角から垂直に振り下ろされた音。
あらゆる防御補正を無視したクリティカルな一撃が、浩平の脳天に見事に決まる。
さらに追加ダメージによるスタン効果が適用され、浩平はその場に昏倒した。
『もういいの。そんな浩平君なんて知らないのっ!!』
そして顔を真っ赤にさせたまま、澪は食堂を走り去っていった。
初めて澪が浩平を嫌いといった瞬間。
確かにふざけるにも限度があるぞ、浩平よ。
…結局。
昼休みの間中、澪は校舎をあちこちと探しまわるも、七瀬の姿はどこにも見つからずじまいだった。
――放課後。
澪は七瀬にとにかく一度会おうと2年の校舎に足を運んでいると……
「あははっ、でしょ〜?」
目の前を嬉々として歩くのは、利発そうな顔立ちをしたショートヘアの女生徒。
そして彼女の周りを取り巻くようにして付き添う女生徒達……
行き交う生徒達を省みず、我が物顔で押し除けるようにして歩いてゆくその姿は、
見るからに感じの悪い印象を与えるものだった。
(…まぁいいの)
そんな女生徒達から澪は視線をはずすと、七瀬のいる教室に入っていった。
そこには1人の女生徒が、しゃがみこみながらごそごそと何かをしているようだった。
明らかな挙動不審。
澪はその女生徒に近づこうとすると。
「!」
澪の足音に気づいて恐る恐る振り向いたと思いきや、
その女生徒はひどく慌てた様子で教室を走り去っていった。
(……?)
そんな女生徒の背中を見送っていた澪。
(…何をそんなに慌てていたなの?)
と、澪は教室の中を見る。
するとそこにあったのは……
教室の中に整然と並べられた机の中で、ひとつだけ。
本人を酷く当てつけた内容の落書きと、いくつもの画鋲をセロハンテープで貼り付けた跡のあるもの……
(な、なんなの。これは…?)
その机の異様な光景を見て、澪は驚く。
「…あ、澪ちゃん。いたんだ……」
しばらくして気がつくと、七瀬が教室の中に入ってきていた。
声のトーンがいつもと比べてあきらかに暗い。
ひょっとして。と思うより先に、七瀬はその机に向かって歩いていた。
「恥ずかしいところを見せちゃったわね……」
消え入るような声をして、七瀬は澪に向かってにっこりと笑顔をする。
それが虚勢を張った表情だということは、傍目に見ても明らかだった。
『もしかして、誰かに狙われているの?』
「気にしなくて、いいから……」
『本当のことを言うの! その方が身のためなの』
「大したこと、ないのよ……」
ついつい地が出てしまった澪のスケッチブックだが、七瀬はそれに気づく様子もなく、
鞄の中身をゆっくりと片づけると、そのままふらふらとした足取りで教室を後にするのだった。
(うぅっ、こんなひどい事をする奴らめ…七瀬さんの力になってあげたいなの……)
澪は辛そうに廊下を歩く七瀬の背中を追いかけながら、そう心に思うのであった。
――昇降口へと通じる踊り場。
澪と七瀬はそこで、さっき廊下ですれ違った女生徒の集団を見つける。
「転校生には、一度立場ってものを教えてあげないといけないからね」
「これが辛いところなのよ」
「あははははっ」
「まぁ、これで少しはあの子達も懲りるでしょうね」
「だといいけどね〜」
「今からみんなでどこか遊びに行かない?」
「あっ、それ賛成っ!!」
そんな話し声が聞こえる。
(…まさか、こいつらが七瀬さんを……?)
澪はそんな疑念に駆られると、『訊きたいことがあるの』と書いたスケッチブックを見せて、
む〜とした表情で女生徒達を睨み付ける。
「なぁに、あの子? クスクス」
そんな澪の視線をまるで小馬鹿にしたような顔で一瞥して、
彼女たちはそのまま昇降口まで歩いていく。
(こ、こいつら……)
今のその行為ひとつで、澪の怒りゲージが一気にMAXすれすれにまで昇り詰める。
そんな澪を、七瀬はすっと片手で制止する。
「いいの。これはあたしの問題だから……」
言葉でそうは言うものの、七瀬の手はわなわなと高ぶった気持ちに震えていた。
(七瀬さん……)
でもこのままでは悔しいと澪は、ポケットからシャーペン型の吹き矢を取り出して、
それをグループの1人めがけて吹いた。
先端に痺れ薬の塗られた矢が首筋に刺さり、その場にどさりと倒れる女生徒の1人。
「えっ、やだ。どうしたのよ!?」
慌てて倒れた女生徒の所に集まるグループ達。
とりあえず、今日はこの辺で済ませておいてやるの。と澪は七瀬と共に家路につくことにした。
――澪は自宅に戻ると、すぐさま自室に向かいコンピュータのスイッチを入れる。
そして彼女はぱきぽきと小さく鳴らした両手の指で、そっとキーボードに触れた。
(ハッキング開始なの)
そう言って澪は幾重かに張られた学校のネットワーク防壁をいとも簡単に突破してみせ、
学校のデータベースに向けてアクセスを行う。
(…本年度2年生の登録名簿を検索。…放課後に学校で見たあの女達の顔と生徒の顔写真のデータとを照合。
…抽出できたデータ群をリストアップし、過去の経歴を加味してそれぞれの関係を洗い出してみるの)
プロ並みの手際で、あっという間に必要なデータを抜き出してしまった澪。
(よし…でてきたの。広瀬真希、こいつが七瀬さんを苦しめている親玉みたいなの。どれどれ調べてみるの…)
そして、データベースへのアクセスをいったん終了し、
次に澪独自のルートを用いて広瀬という女生徒の経歴について調べてみる。
すると、どうやら広瀬とは権力志向が強く、何でも自分の思い通りにならないと気が済まない性格らしい。
今までにも似たようなことを繰り返し行っているらしく、そのために泣くことになった人間は少なくない、と。
(やっぱりそうなの。こんな女に七瀬さんが…なんだか許せないの)
広瀬の顔写真に向かって、メラメラと怒りの闘志を燃やしている澪。
ふと気になったが澪よ。君は近親憎悪という言葉を知っているか?
(……♪)
今日は格別に日が悪かった。今の澪に軽口や冗談などは一切通用しない。
そして、撮影中のカメラが無残な闇の中に消えていく音がこだました。
――そして翌朝。
(黒幕が分かれば、あとはどうということはないの。私が直接あの女を仕留めてやるの)
澪はいつもより早く家を出て広瀬の通学路を先回りし、
曲がり角のかげに身を隠しながら、広瀬が現れる時を窺っている。
(失敗は許されないの。七瀬さんのためにも、この一撃で一切合切の決着をつけてみせるの)
そこで彼女は、今回使用する得物をもう一度確認する。
両の手に填められている物は相当に使い込まれた趣のある、色のやや黒ずんだグローブ。
昔からの彼女の愛用品だ。
手を用いた動作による近接戦闘を行う場合、
拳や手首を痛めないためにグローブの着用は欠かせない。
また彼女の場合、現場に万一の証拠を残さないための計算でもある。
と、しばらくして。
澪の視界に広瀬の姿が現れた。
(よし。1、2、3、……)
歩いてくる広瀬の足の歩幅とペースを測り、
澪は目を瞑じて攻撃に踏み込むタイミングと侵入する角度を割り出す。
(…今なの!!)
その瞬間、澪はため込んだオーラで爆発的にその身をたぎらせ、
気功を乗せ足元を地面から僅かに浮かせた歩法によって急接近。
そうして振り上げられた彼女の殺人兇手が広瀬の五体を無残に散らす…かのように見えた。
「…待って」
行動する寸前。
そんな澪の肩をぽんとたたく音。
七瀬だった。
「…いいのよ。そんなに心配しなくても」
いつもの元気が立ち消えたその様子は変わらず。
しかし彼女はゆっくりとそう言い放つ。
(七瀬さん離すのっ。とにかく私はここであの女を始末するのっ!!)
目的と手段がすっかり入れ替わってしまっている澪。
いやいやと七瀬の手を振り解こうとする、が。
「…あたしに考えがあるの、だから澪ちゃんは黙って見てて」
どこか決意を秘めた七瀬の言葉と表情、それを見て。
『がんばるの』
「ありがとう、じゃあね」
それだけを言うと、七瀬は今日の日の校舎へと向かっていった。
――今朝、確かにああは言ってみたものの。
それでもやっぱり気になってしょうがないと澪は、グラウンドの樹の枝の上に腰を掛け、
手に持った双眼鏡越しに七瀬の様子をうかがっていた。
頃は既に放課後。
七瀬は席を立ちあがり、鞄と小ぶりの巾着袋を持って広瀬の席へと歩く姿が見える。
広瀬の周りにはいつもの内輪連中が、帰り支度を済ませて次第に集まり始めていた。
(………)
澪はその様子をひとまず眺めていることにした。
「広瀬さん…あのさ」
「あら、どうしたの七瀬さん?」
七瀬の言葉に、白々しい態度で答える広瀬。
「これからどこかに行くんでしょ? 一緒に行ったらダメかな? …ほら、クッキーも焼いてきたんだよ。みんなで食べようよ」
そう言って、せいいっぱいの作り笑顔をしてみせる七瀬。
広瀬は七瀬からクッキーの入った巾着袋を受け取る。
がさごそと、その中から適当に一枚クッキーを取り出して。
「はは、クマさんだって。ダッサ」
クマの形に作られたクッキーを見た広瀬達から失笑が洩れる。
「あはは…でも味はいけると思うよ」
「ふん…」
そのクッキーの端を、申し訳程度にかじる広瀬。
「まっず」
そう言って、囓った分をぺっと吐き出すと、手に持った分のクッキーも床に投げ捨てる。
広瀬は怪訝な目を七瀬に向けながらハンカチで口もとを拭った。
「返すわ」
残りのクッキーの入った巾着袋を七瀬に向け勢いをつけて投げる。
その距離で投げられたものを、七瀬は受け止められるはずもなく。
「わっ…」
一度七瀬の胸にぶつかり、そしてそれは自然の摂理に従って落下していく。
慌てて手を伸ばすがすでに遅く。
カシャアッ!
口が開いたままだった巾着袋は床に叩きつけられ、軽快な音をたててその中身を撒き散らした。
空しく、たくさんのクマさんが床に転がった。
(………)
「うぐっ……」
澪も七瀬も、その光景に絶句する。
ぶるぶると。
七瀬の肩がにわかに震え始めていた。
皆が見て見ぬふりをしている中、
ついに我慢の限界に達した七瀬はその地を怒りに任せて、爆発させようとしていた。
「い…い…」
「いいかげんにしやがれえぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇーーーーーーーっっ!!!!」
突然、浩平の叫ぶ声が響いた。
教室中にいた生徒達の誰もがきょとんとした目で浩平を見る。
「…くっ!」
しばらくして、衝動的に七瀬は教室を外に走り去っていく。
(七瀬さんっ!?)
それを見た澪は木から降り、七瀬を追いかけるのだった。
(やっと見つけたの……)
学校の中庭までたどり着いてようやく、澪は七瀬を見つけることができた。
そこで膝を三角に曲げ、七瀬はぽつり寂しげに座っていた。
澪は七瀬のそばまでやってくると、その隣にゆっくりと腰かける。
(七瀬さん…)
「澪ちゃん、きてたんだ…」
澪の姿を認めると七瀬は、ゆっくりと視線を戻しながら。
「…澪ちゃん。ちょっとぐちになっちゃうけど、あたしの話を聞いてくれる?」
『うん、なんでも言ってほしいの』
「ありがと…それじゃ言うね」
はにかんでありがとうとそう告げると、ゆっくりと七瀬は話を始めた。
「…あたしさ、子供の頃から乙女になることを夢見ててさ」
『うんうん』
「…でもね、何かあるとすぐにカッとなって、頭の中が真っ白になっちゃって…どうしてなんだろう。さっきだって教室で折原がかわりに怒鳴ってくれなきゃ、前の学校にいた頃の繰り返しになってた…乙女になりたいはずなのに。本当はあたし、何がしたいんだろうって……」
『うん…』
「あははっ。こんな調子じゃあたし、とても乙女失格ね。ホント、何をやってるんだろ…わかんない」
『あのね、七瀬さん…』
たまらず澪は七瀬を慰める言葉を見つけようとするが、しかしいい言葉を見つけられずにいた。
「…澪ちゃんゴメンね。今からあたし、泣く……」
(………)
「うっ、うっうっ……」
七瀬はそのまま自分の膝に顔をうずめ、声を殺して泣いた。
澪はそんな七瀬の姿を見て、どこか自分と似ているな、と思った。
夢見ていることがあって。
それに向かってひたむきな姿勢を今でも忘れずにいる。
けど。
どこか不器用で。
どこか素直になりきれなくて。
結局言いたいことは心の奥に閉じこめてしまっていて。
自分の本当の気持ちは行方知れず。
そんな自分にただ耐えているだけの毎日…
澪には痛いほど、今の七瀬の気持ちが分かっていた。
…もっとも澪の場合はその結果。
幼い頃に”えいえん”と呼ばれる世界から恐るべき力を身につけてしまったわけだが………
(…もういいの、私が今すぐあの女にとどめを刺してきてやるの)
澪はすっくと立ち上がって校舎へと向かおうとする。
そこで。
「七瀬さん…」
そう言ってひとり、現れたのは広瀬だった。
(ここであったが百年目、ちょうどよかったの)
澪はポケットから取り出したグローブを両手に填めて、戦闘態勢に入ろうとする。
しかし広瀬の頬には、はたかれた跡。
赤くじんじんと腫れている。
七瀬はきょとんとした目で、広瀬のことを見ていた。
「今まで誰かに叩かれたことなんてなかったのよ、私…」
その部分を痛そうに手で押さえながら、広瀬は言う。
「でも、おかげで目が覚めたわ」
広瀬の顔が、ぱあっと明るいものに変わる。
「七瀬さんにも散々嫌がらせばかりしてきてごめんね。反省してる…」
七瀬に頭を下げる広瀬。
「今までずっと、誰かの痛む気持ちなんて考えたことなかった…わがままだったのよ」
うつむいて広瀬は、己のしたことへの後悔を語った。
「今さらこんなこと言っても許されるわけないと思うけど、本当にごめんね」
もう一度、深々と頭を下げる広瀬。
「ううん、いいのよ。そんなに気にしてないから」
「ありがとう…あ、そうだ!」
広瀬は、鞄に入れていた巾着袋を取り出す。
「ねぇ七瀬さん。さっきもらったこのクッキー。いまここで食べてもいい?」
「え、う、うん…」
呆気にとられながら答える七瀬。
広瀬は教室で七瀬から受け取った巾着袋からクッキーをひとつ摘んで、それを口の中に放りこむ。
「…うん、このクッキー。なかなかいけるじゃない」
「って、まさかっ。床に落ちたの食べてるのっ!?」
「大丈夫よ。ちゃんと埃は払って食べてるから」
「やめときなさいって。今度また焼いてきてあげるから」
「あはは。その時はお願いね」
しばらくの談笑、そして。
「いまさらだけど七瀬さん…一緒に帰らない? 私いい店知ってるんだ」
「うん、いいわよ」
そう言って広瀬は教室から持ってきていた七瀬の鞄を彼女に手渡すと、二人は並んで中庭を後にする。
(ふん…まぁ次はないと思うの……)
にやりと広瀬に向けて不敵な笑みを浮かべると、澪は静かに家路につくことにした。
(それにしても……)
澪のそんな視線。嫌な予感が走る。
(ついに晴らせなかったこのイライラの気持ちは、いったい誰にぶつければいいの〜〜〜っ!!!)
そしてその拳の矛先は、当然なのか我々のもとへ。
ひどい八つ当たりもあったものである。
…合掌。