MIO 〜輝く季節へ〜
第9話 『部活』
――放課後。
ここは文化部の部室が立ち並ぶ校舎の一角にある、演劇部の部室。
演劇部員である澪も、ここでは笑顔を振りまきながら元気に活動しているようだった。
声が出ないハンデなど気にしない。そんなもの、持ち前の元気でカバーする。
澪のそんな頑張る姿を見て、他の部員達もとても励まされている様子。
そんな和気藹々とした雰囲気の中。今日の日も演劇部の活動風景は朗らかに流れてゆく。
…しかし、ここでふと疑問が起こった。
天使のような微笑みをたえず振りまく今の彼女と、神をも恐れぬほど傍若無人に振るまう日頃の彼女。
果たしてどちらが本当の澪なのだろうか?
と。そう疑問符を浮かべた次の瞬間。
ガッツポーズを決める澪の姿を捉えた映像を最後に、我々の撮影カメラが木っ端微塵に破壊される音。
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しばらくして替わりのカメラが届いた頃には、今日に演劇部の部活は既に解散するところだった。
「みんな、今日もおつかれさまっ!」
(…ふぅ。今日も疲れたなの)
部活動の時間を終えて、澪はてくてくと廊下を歩いていく。
頃は夕方。陽はすっかり朱に染まった時間。
差し込む光は彼女の歩く校舎の廊下さえも、そんな夕暮れの朱の世界へと照らし出していた。
ポロン……
ふと歩いていると、どこかから微かな音色が響いた。
澪はそれに耳を傾ける。
それはギターを弾く音色。
儚げでおぼろげな彩を伝える。そんな優しさのある音色。
聴く者をまるでこことは違うどこかへと誘いつつ、生きることへの実感を詠うような。そんな不思議な旋律。
それは窓の外から聞こえてきていた。
(……?)
澪はそれが気になったのか、窓を開けてゆっくりと音のする外の方を見る。
そして澪の視界に飛び込んだのは、向かい側の校舎にある部屋の一室。
部屋の引き戸は半開きに開き、窓もどういうことか開いている。
しかし、そこからそのギターの音は確かにしていた。
澪はよいしょと窓枠に片足をかけ、風向きと向こう側の窓が十分に開いていることを確認する。
(…よし、なの)
そして大丈夫だと確認した後、澪は校舎の向こう側へと飛び移ろうとした。
カツカツカツ……
すると、廊下の奥から誰かが近づいてくる足音。
(……!)
見られたの! と澪は慌てて、音のする反対方向の廊下へと逃げるように走っていった。
「…………」
そんな澪が走りながら廊下の奥に消えていく姿を、現れた生徒はただ静かに眺めていた。
――そして澪は、廊下伝いに校舎の向こう側に辿り着いた。
(つ、つかれたの……)
さすがにかなりの距離を走った後である。
澪もぜぇぜぇと息を切らしている様子。
(…確か、この辺りだったはずなの……)
そしてひと呼吸おいて。
聴覚を頼りに耳を澄ませながら、澪はさっき見た教室を探すことにした。
ポロン………
すると、さっきも耳に聞いたあの音色…ギターの音がうっすらと聞こえてきた。
澪はその音に向かって、ゆっくりと廊下を歩く。
歩くたび、だんだんとその音も近づいていった。
(この部屋みたいなの……)
澪は歩む足を止める。
そこには『軽音部』と書かれたプレートが張られていた。
半開きに戸の開いた入り口からは、確かにギターの音が聞こえてくる。
この部屋に間違いないの。と思った澪は、開いた戸からゆっくりと顔をさしこんで、静かに部屋の中の様子を覗きみた。
(…あっ)
そこには目を瞑じた浩平が椅子に座り、部屋の中央でひとり静かにギターを奏でる姿があった。
(浩平君なの…)
無心にギターを弾く浩平の姿。
自分の知らない浩平がそこにいる…
そんな彼の姿を見て、澪はそう思った。
ポロン………
再びギターの演奏が響き渡る。
それは玲瓏でいて、心にシンと伝わる音色。
どこか懐かしい感じがしていた。
あたたかで、やわらかで。
抗いがたい包容力を持って、聴く者の想いさえもその音は優しく包み込もうとする。
そんな浩平の弾くギターの演奏。
その音を聴いていると、そのまま心をどこかに連れ去られてしまうような、そんな危うげな錯覚さえおぼえるほどだった。
(…あれ?)
それをしばらく聴いていて気がつくと、彼女の瞳はすっかりと潤みを帯びていた。
(あれあれ? おかしいの)
ごしごしと目を擦り涙を拭おうとしても、いっこうに涙はおさまらない。
ハンカチを持つ手を見ると、その手は細かに振るえていた。
(浩平君…)
しかし振るえる手をそのままに。
彼女はギターを演奏する浩平の姿を、涙で焦点の定まらない目で静かに見つめていた。
「おや? こんな時期に部活の見学かい?」
ふと後ろから、彼女を呼び止める声。
振り向くと、そこには1人の少年が立っていた。
「やぁ、初めまして…かな?」
少年は澪の姿を見て気さくに話しかけてくる。
飄々としたいでたち。線は細い身体をして。
美男子という形容に相応しい、整った輪郭の顔つきをした少年。
彼は優しく目を細めながら、澪の方を見ていた。
『…泣いている女の子の顔を見るなんて、デリカシーがない人なのっ!』
澪は怒ってぷいっと顔を逸らす。
「ごめんね。でも僕は君のそんな顔を見て、どうしても放っておけなかったからさ」
そう言って彼は優しげな笑みを覗かせると、震えている澪の手をそっと手に取る。
(!!)
途端。びくっと身体を大きく震わせて。
澪は慌てて彼の手を払いのけた。
「おやおや、嫌われちゃったかな…?」
はたかれた手を見ながら、彼は心底残念そうにして言葉を洩らす。
(う〜〜〜〜………)
触れられた手を胸元で守るように身体を縮めながら。
怪訝な目つきで少年の顔を見る澪。
すると少年は、後ろ髪を手を当てながら淡々と語りだした。
「そんなに警戒しなくても良いのに…僕と君が今ここで出会ったことには、何らかの意味があるのかもしれないんだからさ?」
(意味…?)
突然なにを言い出すの? と澪は首を傾げる。
しかしどういうことか、そんな少年の言葉から耳を逸らすことが出来ないでいた。
「そう。変則的な邂逅…僕たちはまさに、そんな風変わりな因果律の中にいるのかも…」
(邂逅? 因果律? 全然わけが分からないの)
「すべては、ひとつの『きっかけ』から始まったことなのさ…」
(………?)
「ふふっ……」
(なんだか怖いの…)
彼のそんな言葉に、澪はどこか戸惑いを覚え隠せずにいた。
「さて、すっかり嫌われちゃったみたいだから、今日はこの辺で失礼するよ。君ともいつか分かり合える時が来ると良いんだけど」
(…あっ、待つのっ)
澪の言葉も待たず、少年がそこまで言ったところで。
ガラッ。
と。軽音部の部室の引き戸が開けられる音。
「おや澪。どうしたんだこんな所で?」
(浩平君……)
その音に振り向くと、ちょうど鞄を持って下校しようとしている浩平が立っていた。
「せっかくだから、一緒に帰らないか?」
『うん、そうするの』
そして澪も、浩平と一緒に帰り支度を始めることにした。
(…あれ?)
ふと澪は、辺りをきょろきょろと見回す。
(あの電波なお兄さんがいなくなっているの……)
しかしさっきまでそこにいたはずの少年の姿は、まるでそこから消えたようにいなくなっていた。
「どうしたんだ澪?」
『なんでもないの』
澪はスケッチブックを抱えたまま少し考え込んでいたようだが、まぁいいのと思って浩平と一緒に帰途についた。
――そうして2人は、通学路を家路へと歩いていく。
「そう言えば澪。お前はなにか部活をやっているのか?」
『うん。演劇部をやっているの』
「そうか。がんばってるんだな」
うんうんっ。
澪は大きく頷く。
そんな元気いっぱいの返事に浩平は、よしよしと澪の頭に掌を乗せた。
えへへ〜と、澪は浩平に向かってはにかんだ表情を見せる。
というか、澪は日頃から演技で行動しているということに気付かないなんて。
そんな浩平を見て、我々はとても哀れに思う。
(…………)
澪が浩平に見えないところで血管を浮き立たせ、ちらちらとこちらの方を見ているようだが、となりに浩平がいるために迂闊には手が出せないようで、我々は内心でほっと一息をつくのであった。
「じゃあな澪、またな」
『ばいばいなの。また明日なの♪』
夕暮れの朱が差し込んだ中を、それぞれの家路に向かって、
また明日とそう言葉を残し2人は手をふって別れた。
そんな2人の帰ってゆく姿を、遠くから眺めるようにさっきの少年は立っていた。
「…ふふっ、これは面白いことになりそうだね」
彼はそう、含みを帯びた笑みを浮かべたままにしながら。