MIO 〜輝く季節へ〜
第5話 『乙女』




 ――ここは、浩平のクラスの教室。
 今朝もいつものように、始業のホームルームが行われていた。


「んぁ〜。今日は転校生をひとり、紹介する」
 いつもはその殆どがホームルームなどそっちのけで自分たちの話題に興じるこのクラスの生徒達だが、担任の言ったその言葉が教室中に響いた途端一斉にひそひそ話が消え、皆一同に沈黙した。

「ちなみに女生徒だ」
 女生徒という言葉を聞いた途端、男性陣から歓喜の雄叫びが聞こえ、教室中が瞬く間にサポーターさながらの強烈な熱気のるつぼと化す。
 口笛を吹く者。歓喜に打ち震え、興奮に上着を脱ぎ放つ者。勢いあまって2階にあるこの教室から窓の外にのぞく広大なグラウンドへとダイブを決行しだす者までもがそこにいた。
 そしてどこから持ってきたのか、クラッカーをうち鳴らす音が次々と教室中に鳴り響く。
 対して教室内にいる女生徒達からの反応は冷ややかなもので、そんな男子生徒達の様子を見てすっかり呆れていた。

「こらこらお前たち静かに。では入ってきなさい」
 担任のその言葉のあと。
 がらっと引き戸を開ける音がして、そこからひとりの女の子が現れた。
 きらきらと輝きを瞬かせる青く長い髪の色。
 その髪を左右ふたつに結ったテールを小さく揺らしながら、静かな足取りで教室の中へと入ってくる。
 そうして彼女は教壇の前までやってくると、屈託のない笑顔をしながら明るい声で。

「七瀬留美です。みなさんよろしくお願いしますっ!」






 ――そして、放課後の時間。
 終業のチャイムが校内に鳴り響くと、生徒達はそれぞれの向かう場所へと歩いてゆく。
 夕陽の下。そこでは様々な青春の彩めいた風景が、まさに描かれようとしていた。

 そんなとある校舎の廊下の一角。
 授業中はいつも校舎の外でフェレットと共に遊んでいる繭と合流すると澪は、大好きな浩平のいる教室へとその足を向かわせていた。

(♪〜♪♪〜)
 澪はこれから会う浩平との過ごす時間が、そんなに嬉しいのだろう。
 廊下を歩きながら、心の中で上機嫌にハミングを奏でる。

「……」
 そんな澪の後ろ姿を見て、繭は澪の様子を後ろからそっと覗き込む。そして。
「♪〜♪〜」
 繭は、澪に続いて楽しげにハミングを口ずさむ。
 そのハミングの調べにのせて、繭に抱かれているフェレットのみゅーも、繭の掌の上から機嫌良くその身を踊らせる。
 …傍目に見てそれは、さぞや微笑ましい光景に映ることであろう。


 …その次の瞬間。澪の目には思いがたい光景が飛び込んでくる。
 そこには、澪が一日も忘れず恋を想い描く浩平の姿と、そして。

「折原っ。あんた、いったいどういうつもりなのよ!?」
「せっかく授業で寝ないようにと俺が気をつかって…」
「だからって、あんなことまでするなっっ!」
「そんなに怒るなって」
「これが怒らずにいられるかーっ!!」

 渡り廊下のある場所で。浩平がひとりの女生徒に詰め寄られ、口論となっている。
 他校のものと思われる制服を身につけたその女生徒は、浩平に向かってなにやら怒気をあらわにした声をたたき付けている。

(浩平君が、女の人に虐めを受けているなの…)
 そう判断した澪は、後ろをついて歩いてくる繭の歩みを制止して、廊下の曲がり角のかげからその様子を窺うことにした。
「…みゅ?」
 繭は何が何だか分からないと言った様子だったが、
 姐と慕う澪に素直に従い、うんと頷くと澪と共に曲がり角のかげに隠れることにした。

(あの女の人の方…なんだかすごく怒っているみたいなの……)
 澪達の方からはその顔がよく見えないが、彼女が浩平に向けて怒気をはらむその様子だけははっきりと見て取れた。
 この信じがたい光景に向けて、どのような事情がそうさせたのかと思いを巡らせる。

(私の浩平君がいったいどうして、あの女の人から怒られなければいけないの? なにかいけないことでもしたというの? …分からないの。でも彼氏のピンチを心配しない彼女なんて、この世にはいないの!!)
 浩平の(自称)恋人としての使命感と、そして何より愛する浩平を守りたいと想う心に澪は闘志を燃やす。
 そして彼女の周りからじわじわと陽炎の揺らめく中で、澪は廊下で続くふたりの様子に視線を向け、さらに思いを巡らせる。

(そういえば、あの女の人の制服は、この学校のものとは違うなの…)
 澪は比較的冷静に、その女生徒の様子を観察する。

 (そしてこの怒りに怒ったこの声…まさか、まさか…)
 その額からは冷汗が滴り落ち、澪の視界がわずかに暗転する。

(他校からの、果たしあいなのっ!?)
 澪の持つ脳内検索エンジンによって、その疑問符への解答はここに導き出された。
 その大いなる誤解に確信を抱いた澪は、繭を連れてふたりのいる現場へと向かおうとする。
 しかしその現場へと向かおうとした時には既に、その女の子はずかずかとした足取りでその場を立ち去っていたあとだった。

(浩平君…ケガはないの?)
 澪は浩平のそばにやってきて、浩平の身を案じて手を伸ばす。

「よお澪。それに繭。いったいどうしたんだ?」
(………)
 しかしそこで返ってきた浩平のそんな明るい態度に澪はただ、彼の顔を切ない思いで見ていることしかできなかった。








 そしてふたりは学校からの帰り際、商店街にあるファストフード店に入り、テーブルにふたり分のフルセットを前にして作戦を練っていた。
(これはゆゆしき事態なの…何とかしないと、浩平君があのオトコ女やその後ろにいるやつらの勢力抗争の毒牙にかけられてしまうの……)
 その議題は彼女達が放課後学校の廊下で見た、あの謎の女生徒のこと。
 先ほど無意識に盗撮した彼女の後ろ姿の写真を睨みつけながら、澪はその対策に悩んでいた。

(お子さま。お前はどう思うなの?)
「…みゅ?」
 澪は自分の妹分となった繭に対して視線を送り、意見を求めた。
 万一のことを考えて澪は、繭に対して目配せだけで自分の意志を伝えられる術を日々教え込んでいる。
(浩平君の敵はつまり、私の敵。私の敵が歩む道は、ただひとつなの…)
「みゅ〜…」
 そうして繭の返答を待つ。が…
「うん。おいしいよう」
 しかし教育の効果はあまり見られないようで、繭は嬉しそうに手に持ったハンバーガーにかぶりつきながら舌つづみを打っていた。
(……はぁ)
 澪はそんな繭の仕草を見て、思わず溜め息をついてしまう。
(…まぁいいの。ここはお子さま抜きで話を進めるなの)



(さっきのがあのオトコ女の学校からの果たし状だとしたら、そいつのバックなどの背後関係を洗う必要が出てくるの。そして浩平君の身を守るための手段。これからも浩平君の身が狙われないとも限らないからなの。よりによって、優しい浩平君が悪いやつらから目を付けられるなんて…私が浩平君と同じクラスだったら、いつでも浩平君のことを守ってあげることができるのに…くやしいなの)
 『澪に守られる』ということが、いったい何を意味するか…多分に脳内で妄想を絡めた凄惨な光景にもとい澪は、浩平のことを案じながら、ただただ頭を悩ませていた。

(うーっ。困ったの、困ったの…)
 そうやって澪が頭を抱えていると。
「おねえちゃん…」
(んっ、どうしたなの?)
 唐突に繭は、ハンバーガーを食べる手を止め、どこかもじもじとした仕草で澪に訊ねる。
「……」
 そして何かを言いたげな視線で、澪の目をじっと見つめている。

(どうしたの? 言いたいことがあるなら早く言うの)
「…怒らない?」
 繭の消え入るような響きの声。
 彼女がどこか躊躇した様子であることは、端から見ても一目で分かる。

(妹分からの貴重な意見なの。それで怒るわけがないの)
 その不安を取り去ってあげるように、澪はそう言葉を伝えて優しく視線を返す。
 それで繭は安心したのか、ゆっくりとした口調で言葉を続けた。
「…それじゃあ、いうよ?」
(うん、なんなの?)
 それから少しの間をおいて。

「アイスクリームたべたい」

 ……はあぁぁぁ。
 再び澪の大きな溜め息。

(わかったの。好きなだけ食べてくればいいの…)
「みゅ〜っ♪」
 デザートは別腹、ということなのか。繭はハンバーガーの味に満足すると、アイスクリームを注文するため硬貨を片手に、嬉々とした足取りでカウンターへと駆けていった。
(…役立たずなのっ!!)






 ――そして明朝。
 澪はうまく対策を得られないままで、学校へと登校する。

(うぅっ。私の浩平君が…いま大変なことに巻き込まれそうになっているなの……)
 こみ上げてくる涙を何とかこらえながら、澪はなんとか学校へとたどり着いた。
 そしてどこか落ち着かない足取りで、自分の教室へと校舎の廊下を歩いていく。そこで。

 どんっっ!!

 誰かにぶつかった音。その衝撃に澪は尻もちをついてしまう。

(痛いの!)
 その尻もちのはずみで澪の目から、こらえていた涙があふれてしまう。

「いきなりぶつかっちゃってごめんね。あたしうっかり慌てていたから」
 長く青い髪をツインテールに結った女生徒が、そう言って澪の顔を心配そうに覗き込む。
(優しそうなお姉さんみたいなの…)
 涙に潤んで澪の目にはよく見えなかったが、その女生徒に向かって、そんなことを思っていた。

「けっこう痛かったみたいね…ほら、立てる?」
 そう言って女生徒は、澪に向かって手を差し出してきた。
 しかし澪はその手を振りはらう。

(ふん…今日のところはこれで見逃してやるなの…)
 澪を心配する女生徒をよそに、澪はひとりで起きあがってスカートについた埃を落とすと、再び教室へと向かっていくのだった………






 ――昼休みの時間。
 学食ではいつものようにそれぞれの食事を囲い、浩平とみさき、そして澪と繭による昼食は行われていた。

「ははっ、それがさ……」
「へぇ。面白いね」
「♪〜♪♪」
(…………)
 昨日の放課後の出来事から、澪は食べ物がうまく喉に通らないでいた。
 浩平の笑顔の話し声。そんな浩平に談笑を交わすみさきと繭の姿。
 傍目にはそんな浩平の身に何が起こっているのか、そんなことは知る由もなく。
 そんな光景が、澪の心にはとても痛かった。

(浩平君……)
 澪は昼休みの間中、昨日の放課後に起こったあの出来事を反芻していた。





 ――放課後になる。
 澪は繭を伴い、浩平のいる教室へと歩いてゆく。

(浩平君。今日は大丈夫かなの…?)
 そうした途中の渡り廊下で、昨日も聞いたあの女生徒の声が響き渡っていた。

(…昨日のあのオトコ女なのっ!!)
 澪は声が聞こえる方へと向かう。
 そしてそこには、また昨日と同じように、浩平に問いつめるあの女生徒の姿があった。
 扉のかげから澪は、ふたりの様子を覗き込む。
 昨日と同じ、いや昨日のそれよりもさらに激しい展開が繰り広げられている真っ最中だった。

「あんたねえ! いい加減にしなさいよ!?」
「だからオレは…」
(うっうっ…浩平君。あんなオトコ女にいいように、とてもかわいそうなの……)

 澪は涙を潤ませながら、扉のかげからその光景をただただ見つめていた。
 彼女が強く握る手にくぼんだ鉄の扉こそが、我々にはとても痛く感じられたのだが。


「みゅー…かわいいよう……」
 突然に。澪の隣でその様子を見ていた繭がそう呟く。
 その声に澪は振り向くと、そこには目の色がいつものものとは明らかに違う繭の姿があった。
 どこか朱をはらんだ瞳の表情。わなわなと、繭はその身をふるわせながら。
 その視線の向かう先は浩平達のいるところ。
 繭のペットであるフェレットは、そんな繭の肩の上で首を傾げている。

(おいお子様…いったいどう……)
 澪のそのとっさのサインも虚しく、次の瞬間には。

「みゅ〜〜〜っ♪♪」
 浩平達のいる場所に向かって、繭は電光石火の勢いでダッシュを開始する。
 その時の繭の動きは音速を超えていた。ごおっという風切り音と共に、辺りを砂ぼこりの白煙が舞う。
 そして彼女はあっという間に目標地点に到達。

「だから折原…って、ぎゃーっ!!!」
「♪♪♪」
 そして繭は目の前にいる女生徒のツインテールに手を伸ばし、そのままそれにぶら下がる。
 まるで振り子のようにぶらんと垂れ下がり、愛しそうな目でツインテールを見つめて。
 そんな彼女の意識は既に、恍惚の世界の中へと向かっていた。


(くっ、お子様! 敵陣の中に1人で行くのは危険なのとあれほど……!!)
 澪は繭の無謀な行為に、続いてその場へと足を運ぶ。

「なんなのよ。いったい!?」
 突然のことに戸惑う女生徒。ツインテールを掴む繭に手を伸ばそうとも、繭はがっしりとそれを掴んでいて離れない。
 そこに澪が猛ダッシュでやってくる。

(あっ…!?)
 その途中、澪はうっかりと足を踏み外す。
 そうしてスライディングの体勢になった澪は、思わず女生徒の両足にしがみつく。
 澪のダッシュの慣性と、繭の振り子による重心の移動によって、女生徒の身体が90度横へと回転する。そしてそのまま…

 どしゃああんっ!!

 その豪快な響きと共に、澪と繭による女生徒へのツープラトンは炸裂した。








「…で。これはそういうことなのね?」
 むちうちのようになった女生徒が、教室で首を押さえながら浩平達の方を睨んでいた。

 彼女の名前は七瀬留美。
 近頃転校してきて、その初日から浩平によって色々と迷惑を被っているということ。
 最近、放課後は部活動探しに専念したいが、そこにも浩平がやってきて云々…という話を聞く。
 異常なまでに浩平に惚れている澪にとって、その話はまゆつばものだったが、とりあえず浩平の命を狙っているわけではないことだけは分かった。
(………)
 七瀬は話の横から割って入ってくる浩平の言葉の度に怒声を放っていたため、さすがに果たし合いや学校間の勢力抗争などについては怖くて聞き出せなかったが、その時はその時だと澪は思うことにした。


「それにしても、繭によっぽど好かれているんだなぁ七瀬」
「冗談じゃないわ。この子から見られるたびにおさげを引っ張られていたら、たまらないわよ!」
「みゅ〜っ♪」
 そんな繭に七瀬の方は嫌がる様子だったが、しかしまんざらでもないようで、繭の手を突き放すわけでもなくただじっとそのツインテールの痛みに耐えていた。

 こうして今日の一日は幕を閉じていった。



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