KanonSS 『水瀬家パニック!?』




<朝・祐一の部屋で>

「…暇だ」
春休み。学生にとってこれ以上に退屈な期間なんてあるんだろうか?
周りにあるもの何もかもが平和すぎて、何もすることがない。

朝からぽかぽかと暖かで陽気な日差しが差し込んでいる。
昼は眠くて体も異様にだるいし・・・何か面白いことはないのか・・・?

どうかこんな俺にイイ思いをさせてくれっ! と神様に祈ってみる。
しーん・・・・・・・しばらくの沈黙。しかし、何も起こった様子はない。
「…そりゃそうだよな」
このままボーっとした毎日を送りながら、俺は春休みを終えてしまうのだろうか?

「みんな。ご飯ですよー」
秋子さんが朝食ができたことを知らせてくれる。
いつもの通り、お寝坊な名雪を起こし、真琴を連れ、階段を下りて食卓へと向かう。
あまりにも当たり前で、いつも通りの風景だった。

 


<水瀬家・食卓>

食卓に入ると、入れたてのコーヒーとこんがり焼けたトーストの
香ばしい匂いが鼻腔をくすぐる。

「おはようございます。秋子さん」
「おはようございます。今日はちょっと新しいジャムを作ってみたんです。
今からみんなで試食してくれないかしら?」

そういうと秋子さんは、ジャムの入った瓶をテーブルに置く。
何か嫌な予感がするな・・この前みたいに、独特の味がするヤツとか・・・
祐一はいつになく疑惑の目を光らせている。

「味は保証しますよ。祐一さん」
秋子さんは、まるで祐一の心を読みとったかのようにそう言う。
本当に、底の知れない人だと思った。祐一の額からは、じわりと冷汗がにじみ出ている。

「祐一、このジャムはけっこう美味しそうだよ」
このジャム『は』なのか、名雪・・?
今まで食わされたジャムがどうだったのか、名雪の言葉からも何となく想像がつく。
「うーん…」 祐一は悩む。

そこで真琴が、
「祐一〜。それ食べないなら、真琴がも〜らったっ♪」
「おい真琴。俺の朝メシを勝手にとるなっ。それなら代わりにお前の分をもらうぞ」
「あぅ〜、かえしてよぉ〜」
「ほらほら二人とも。仲良くしなさい」
「は〜い・・・」

祐一たちがこんなバカなことをしている中、
名雪はコーヒーだけをすすって、食卓から逃げるように出ていこうとする。
「どこに行くの、名雪」
秋子さんの声。
「うん、今日は香里と会う約束があるから…」
取り繕うように返事を返す名雪。
「…駄目よ。ちゃんと朝ご飯を食べてから行きなさい」

名雪に勝ち目はなかった。
おとなしく食卓の椅子に座り、神妙な顔をしながら
秋子さんが新しく作ったジャムを塗ったパンを食べ始める名雪。

「…うん、とても美味しいよ。 おかあさん」
しかしさっきまでの態度とは裏腹に、名雪は満足げな表情を浮かべる。

「そう? よかったわ」
「うんうん。いけるじゃない、このジャム。祐一も食べてみたら」
そうなのか・・?
俺はまさに狐につままれた気分で、この新しいジャムを塗ったパンをかじってみる。
すると・・・

「・・・うまいっ!」
口の中に広がるこの芳醇な旨味。このすっきりしててくどくない、この甘さ。
どれをとっても非の打ち所のない、最高の味だ!! 
こんなジャム、他では食べたことがない!!!

「ふふふ、喜んでもらえてうれしいわ・・・・」
俺たちはその時、秋子さんの真の意図に気づくはずもなかった・・・・

 


<水瀬家・玄関>

「それじゃあ、行ってきます。留守番を頼んだわよ」

秋子さんは、仕事に出かけていった。話だと、出張のため2日は帰ってこないらしい。
俺と名雪、そして真琴の三人で留守番……かなり不安だ。
秋子さんがドアから出ていくのを確認すると、祐一は食卓に戻る。

 


<再び水瀬家・食卓>

「くー」
案の定だった。名雪の席には、青い色をした謎の物体がテーブルに顔をうずめていた。

「仕方ないやつだな」
祐一は名雪の肩を揺さぶって起こしてみる。

「ほら起きろ、名雪」
「うにゅう……いま多分ちゃんと起きてるぉ…42.195%くらい〜」
意味不明の寝言を繰り出す名雪。
どうやら完全に熟睡モードに入っているようだ。

「祐一、わたしのお兄ちゃんになってよぉ…」
…どうやら昔の夢を見ているみたいだな。
そういえば昔、名雪からそんな照れくさいことを言われたこともあったっけ……

「そうしたら、ジャムとけろぴーで世界をぉ……」
…いったいどんな夢を見てるんだ、コイツは?


「こらっ、待ちなさーい」
「にゃ〜」
唐突に真琴とぴろが食卓に入ってくる。

「お、おいっ」
名雪が寝ていたから良かったものの、起きていたらどうするつもりだったんだ?

「ゆういちっ。ぴろが、ぴろが〜っ」
「にゃ〜っ」
ぴろが部屋中のあちこちに飛び回っている。

「この〜っ」
ひらりっ。
「このこの〜っ」
ひらりひらりっ。

真琴はそれを必死で追うが、超スローな動きのため、
素早く逃げ回るぴろをとても捕まえられそうにない。

「あぅ〜、祐一。ぴろを一緒に捕まえて〜っ」
「仕方ないやつだな…」
呆れ顔で真琴を手伝うことにする祐一。


今、ぴろはテーブルの上に乗ってくつろいでいる。
祐一は真琴にひとつの作戦を提案する。
「よし真琴、1.2.3.の合図で捕まえるぞ」
「うん、わかったっ」

「じゃあいくぞ、1…2の…3!」
その合図と共に、祐一と真琴はぴろに同時に飛びかかる。
ぴろは飛び跳ねてひらりとそれをかわす。

しかし祐一の右手は、ぴろの尻尾をがっちりとつかみ取っていた。
「に"ゃ〜〜!?」
そして祐一が倒れる勢いが、そのままぴろの身体への遠心力となり、
それが寝ている名雪の頭に直撃する。

ごちーん☆!!!

なんか、すごい音が響いたような気がしたが…大丈夫なのか!?

「…くー」 名雪はまだ寝たままだ。
「なんてタフなヤツ…」
祐一は色々な意味で名雪に感心していた。

「祐一。こっちも大変〜」
ぴろはさすがに、頭をぶつけたショックで気を失っているようだった。

「あぅ〜っ。ぴろっ、ぴろ〜」
「よかったな真琴。ぴろを無事に捕まえることができて」
「どこが無事なのよっ!!」
「せっかく捕まえてやったのに、わがままなヤツだな…」
「もう、祐一なんかには頼まないわよっ。ひっく、ぴろ〜…」


真琴は半べそをかきながら、気絶しているぴろを抱きかかえて二階に上がっていった。
祐一もそれに続き、名雪を肩に担いでやると二階へと階段を登っていく。

 


<二階・名雪の部屋>

「これでよし、と…」
寝ている名雪を祐一は部屋のベッドに横たえる。
そして自分の部屋に戻ろうと、祐一が名雪の部屋を後にしようとしたとき、


「ん………」 名雪が目を覚ます。
「名雪、あんなところで寝るなよな。おかげで俺は重労働だったぞ」
「………」
祐一のついた悪態にも、名雪からの返事はない。

「おい名雪、聞いているのか……」
そして祐一が次の言葉をかけようとした、その時。

「…にゃんっ♪」
猫みたいな声をあげて、祐一にがばっと飛びかかる名雪。不意をつかれた祐一は
思わず名雪に押し倒されてしまう。


「名雪、いったい何の冗談……ッ!?」
名雪が祐一の頬を舌でなぞってくる。

「いきなり何をするんだ、名雪」
祐一のその言葉に対しても、名雪はいっこうにそれをやめようとはしない。
そして、名雪は祐一に抱きついて離れないまま、その手が祐一の…

「お、おい、いくらなんでもそれはマズいだろ。
その気があるなら、せめて真琴が寝ている夜に…じゃない。
こらっ、そんなとこにまで手をやるなっ」

「…………」
冷ややかな顔で静かに祐一を見下ろす名雪。
無言のままで、その手の動きは次第にエスカレートしてくる。
「俺達はいとこ…おい、そこまで…」


……………

…………………………

………………………………………


「名雪、いつの間にこんな事を…!? うますぎる…」
止まることなく続けられる名雪のその行為に、今の祐一にはもう抵抗するだけの気力はない。
「いかん、意識が朦朧としてきた…マジでやばい……」
その出来事に、祐一の意識が飛んでいってしまいそうになったとき…




「ゆういち〜〜っ、たいへ〜〜〜んっ!!!」
突然の真琴の大声。祐一はその声に「はっ」と我にかえり、声に驚く名雪から身をはなす。

「はぁはぁ…もう少しで本当にヤバいところだった……」
今だけは、真琴に感謝するとするか。
でも少しだけ惜しかったかも……


どたどたどたどた・・・・・・

どたどたと真琴が廊下を走る音。
祐一は身体を前かがみにしながら、名雪の部屋を出る。

 


<二階の廊下>

見ると真琴がぴろを抱いたまま、祐一の部屋の前に立っていた。

「どうしたんだ真琴。つまみ食いでもして腹をこわしたのか?」
「レディになんて事を言うのよっ」
「違うのか…」
「違うわよっ」
真琴はからかうと本当に面白い。


「祐一〜ぴろがヘンになっちゃったの〜っ」
「おい、名雪がいる前でぴろの事は言うなって。気づかれたらどうするつもりなんだ」
「あぅ〜っ、ゴメン。でもぴろが……」
「ぴろがどうしたんだ? 真琴」
「うん、それがね…」 真琴がそう口を開いた時。


「……………」
俺達の会話が聞こえていたのか、名雪が部屋から出てくる。

(まずい真琴。ぴろを隠せっ)
(あ、あうっ)
言うのが遅すぎたか、名雪がこっちに向かって歩いてくる。
その足取りは、いつもの名雪のものとは明らかに違っていた。

「ほら、だから言わない事じゃない…」
そしてまた、名雪の猫アレルギーが始まる…かと思った。
しかし、名雪は何故かぴろの方ではなく、真琴の方を突然押し倒す。
「あうっ」 真琴はそのはずみで、後頭部を廊下の木の床に打ち付ける。

「!?」 祐一は目を疑った。だが悲しいかな。
その視線は、名雪の真琴に対する行為への関心へと変わっていく。


「あぅ…名雪。どうしちゃったの」
「にゃ〜っ♪」

再び名雪の猫みたいな声。
そして名雪はさっきまで俺にしていた以上の行為を真琴に始める。
「あ、あぅ〜〜…………っ」 真琴が甘い声を漏らす。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


・・・・・・・・・・・・


「名雪、もうやめてっ。真琴、おかしくなっちゃうよ〜……」

真琴の目は、すでに焦点が定まっていない。その口からは涎を垂らしながら、
名雪からのその行為にのたうつ真琴。
どこで覚えたのか知らないが、名雪の腕は相当なものらしい。知らなかったぞ……

「あぅ…もう…だめぇ………」 真琴に限界の波が押し寄せる。

朝早くから、こんなシチュエーションが味わえるなんて、
今日はひょっとしてついているのか?

(神様は、俺の願い事をちゃんと聞いてくれたのか………)
こういう時だけ妙に信心深くなる祐一。


そう祐一が思ったときだった。祐一は背後にするどい視線を感じる。
その視線の感じられる元…見てみると、
そこにはぴろが何故か、祐一に向かって強烈な殺気を放っていた。

「ま、まてぴろ。俺はお前からうらみを買うような覚えは…」

問答無用!と、ぴろは祐一めがけて飛びかかってくる。
そして……


祐一の顔には、ぴろによる無数の爪痕がついていた。

頭に『?』を浮かべたまま、祐一はその場に立ち尽くしている。
いったい、何が……?


「あ、あぅ、あぅぅ…」 真琴の方は、すでに事が済んでいた。
そこに座ったまま、涙を流している真琴。

「真琴、お前……」
「あぅ〜っ、それから先は言わないで〜〜〜っ」

「…ちくしょう、ぴろの邪魔さえ入らなかったら……」
祐一がひとりごちる。



「それにしても、名雪はどこに行った?」
「あう………」
いつの間にか名雪の姿が消えている……?
周りをぐるりと見渡しても、名雪らしい姿は見あたらない。

「名雪ーーーーーー」
名前を呼んでも、返事が返ってくる様子はない。名雪の部屋を探すが……ここにもいない。

「あいつ、どこにいったんだ」
真琴には悪いが、と言い残し、真琴をそのままにして祐一は名雪を探すことにした。

家中の部屋をくまなく探してみる、しかし、名雪の姿はどこにも見あたらない。
どこに行ったんだ、あいつは………?

「祐一〜。名雪を見つけたーーー」
体調を取り戻したらしい真琴が、名雪をみつけてくれたようだ。
二階の方から声がする。祐一は真琴の声がした方へと向かった。

「真琴っ、名雪はどこにいるんだ」
「ほら、あそこ」
真琴が指を差すところ…家の塀の上に、名雪はいた。
今日の名雪は明らかに様子がおかしい。
そういえば、ぴろの様子も変だったな。いきなり顔をひっかくし。

とりあえず名雪をあんなところに放っておくわけにはいかない。近所の目もある。
祐一は、名雪のいるところに向かった。

 


<水瀬家・中庭>

今日、空は晴天。太陽のぽかぽかとした陽気にさらされて、
外はとても居心地の良い雰囲気に包まれている。

ひゅうぅぅぅぅ……
中庭に出ると、家と家とのすき間に春の風が吹き抜ける。

そして名雪は塀の上に四つん這いになり、あくびをしながら
春の陽気をゆったりと満喫している。

まったく、あそこから落ちたりしたら、どうするつもりなんだ?
祐一は呆れ顔になる。

「名雪、早く降りてこい」
名雪のそばに寄って祐一は手招きをする。
それはまるで、いたずらな猫をあやしているみたいで妙な感じがした。

「…にゃんっ♪」 そんな祐一に向かって、名雪は身体ごと飛びかかる。

「うわああぁぁぁぁっ!!」
いきなり飛びかかる名雪を祐一は受け止められるはずもなく、
はずみで転倒した祐一は、そのまま後頭部を地面に打ち付け、その意識を手放した……

 


<水瀬家>

「…ういち、ゆういち〜っ」

真琴が俺の名前を呼ぶ声がする。その声を聞いて、祐一は目を覚ます。
気がつくと、家の中で横になっていた。
あれから真琴がここまで運んでくれたらしい。

「ゆういち、ゆういち〜〜〜」

ああ、真琴。心配してくれてありがとうな。
真琴って、けっこう良いヤツだったんだな。祐一はそう思った。
「祐一が目を開けてくれないよぉ〜〜っ」


…へっ?
一瞬、自分の耳を疑った。俺はここにいるぞ……?

横を見ると、真琴がそこで寝ているヤツの身体を揺さぶりながら、
必死になって俺の名を叫び続けている。

「祐一。目をさましてよぉ〜〜っ」
祐一には何が何だかわからなかった。

「お、おい真琴…」
唐突に真琴の名を呼ぶ。その声を聞いた真琴が、おそるおそるこっちの方を振り向く。


そして、
「祐一がぜんぜん目を覚ましてくれないよ〜っ」
真琴は奇妙なことを言う。

「おいおい、真琴。祐一は俺だって。そら、この通り……」

「何言ってるの名雪。どこか頭でも打ったの」
…いま真琴、俺のことを「名雪」って呼ばなかったか?

祐一は頭に疑問符を浮かべながら、
ふと横で寝ているヤツの姿を見る。それは、俺自身だった。


「えぇぇっ!?」
どうして、あそこに俺がいるんだ!?

「名雪ぃ、今日はなんか変だよ? 」 真琴はまた俺のことを「名雪」と呼ぶ。
そう言えば、手が少し小さくなっているような気がする。

いったいどういうことなんだ!?
祐一は鏡のある洗面所へとダッシュで向かう。そして鏡に自分の姿を映してみる。
するとそこに映った顔は……

「…ウソだろ?」

鏡には、名雪の顔が映っていた。
いや、俺自身が名雪になってしまっているようだった。

もう一度、鏡を見てみる。目の形、髪の毛の長さや色、頬をつねってみた感じ、
何もかもが名雪そのものだ。それじゃあ……

「…名雪、鏡の前で自分の胸に手を当てて、何やってるの?」
真琴の思わぬ邪魔が…もとい、真琴が洗面所に来ていた。


「ホントに大丈夫? 頭を打って、おかしくなっちゃったの?」
言い方にかなりきついトゲのある真琴の言葉。

俺は真琴にいままでの経緯を話す……

「え〜っ、身体が入れ替わってるですって〜〜〜」
「まあ、俺の推測だがな」
「それじゃあ、さっき真琴と……してたのはっ」
真琴の声の調子が荒くなる。
誤解させてはいけないので、祐一は言葉を続ける。

「待て、それはきっとぴろの仕業だ」
「ぴろの……?」

「いいか、考えても見ろ。いくらあの名雪でも、猫みたいににゃーにゃー言ったり、
塀の上で日向ぼっこなんてするか? あれはどう見たって、ぴろじゃないか」
「そういえばそうね・・・」 顎に手を当てて納得する真琴。

そう考えれば、いままでに起こっている不自然なことにも全て説明がつく。

「ということは、いま祐一が名雪の中にいて、ぴろが祐一の・・・あぁっ、頭がこんがらがっちゃうよ〜」
「ああ、そして名雪は多分、ぴろの中にいるんだろうな」

「いけないっ、名雪たちをあのままにしていたっ」
「そうだな、いったん戻るか」

・・・・・・・・・・・・・・・・・

 


<水瀬家・居間>

「にゃーにゃー!」
「にゃーにゃー♪」
「にゃーにゃーにゃー!!」
「にゃーにゃーにゃー♪♪」

祐一(名雪の躰)と、真琴があわてて居間に戻ってみると、
名雪(ぴろの躰)とぴろ(祐一の躰)が、その声を見事にハモらせていた。

 


<祐一の部屋に移動して>

「…と言うことでだ」

三人と一匹がひとつの部屋に集まり、こうなった原因などについて話し合うことにした。
まず俺(名雪の躰)が座り、テーブルを挟んで向こうに真琴、その両手には名雪(ぴろの躰)が抱かれ、
ぴろ(祐一の躰)は、真琴に膝枕をしてもらっている姿勢になっている。
事情を知らないヤツが見たら、それはある種異様な光景だった。

「祐一、名雪は腕を組んであぐらなんてかかないよ」
「あぁ、そうだったな」 言われて祐一(名雪の躰)は、正座に足を組み替える。
「にゃ〜…(祐一〜…)」

「本題に入ろう。こうなった原因は多分、秋子さんの新しいジャムを
食べたせいだと思うんだが?」

「真琴もそう思う…」  真琴は俺の言葉にそう応える。
「にゃ〜〜……」  名雪(ぴろの躰)は何となく気づいていたみたいだな
「にゃんっ♪」 ぴろ(俺の躰)はマイペースでとても幸せそうだ。

「あと、この状態で一番困ることは、身体が入れ替わっていることもそうだが、
名雪、お前が喋れないということだ」

祐一(名雪の躰)がそう言うと、名雪(ぴろの躰)は、前足を使ってテーブルをリズミカルに叩き出す。
ととん、つー、ととん。ととん、つー。とん、つー、ととん。とん、つー、とん。

「…?」 首を傾げる真琴。
モールスか。すまない名雪、俺達はそれ知らないんだ………

そして祐一が。
「いいか名雪、これから俺達の言うことに対して、Yesなら1回、Noなら2回たたくようにしてくれ」
「とん」

テーブルが1回叩かれる音。言葉が上手く伝わったみたいだ。これで名雪と会話ができる。

「まず、お前は名雪なのか?」 「とん」
「お前も、秋子さんのあのジャムのせいでこうなったと思うか」 「…とん」
「やっぱり、この状況から早く元に戻りたいと思うよな?」 「とん」
「名雪、実は俺はこの躰のままでもいいと思っているんだ…」 「……」
「しばらくの間、名雪の躰で生活してみたいぞ。そうすれば色々と楽しみが……」
少し邪悪な笑みを浮かべる祐一。

・・・ぶち。

名雪(ぴろの躰)の頭の血管が切れた。そして名雪(ぴろの躰)は突然暴れ出す。
そして部屋中のあちこちを見事なまでに荒らしていく。

「どうした、俺が何かしたっていうのかっ」
「今のはぜったいに祐一が悪いっ」

やめろ、そこには誰にも見せられない、俺だけの秘蔵の愛読書が・・・・
本棚が倒れる。そして本が所々に落下して散乱していく。
「あうっ」
そのうちの一冊が、真琴の頭部を直撃する。そして真琴はそのまま気を失う……

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


しばらくして。

「んぅ……」
「にゃー!?」
一人と一匹が同時に目を覚ます。

「あ…猫さん……」
視界の中にぴろの姿を認めると、途端に真琴の目の色が豹変する。
「ねこーねこー♪」
そして真琴はすかさず、ぴろの躰を抱きしめる。

「ねこーねこー♪」
「にゃーにゃーにゃー!!(あぅーあぅーあぅー!!)」
「ねこ〜ねこ〜ねこ〜ねこ〜♪」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(ぁぅ…ぁぅ…ぁぅ…ぁぅ……)」

今度は、名雪と真琴の躰が入れ替わったみたいだな……

もともと猫アレルギーではない真琴の躰に、愛猫狂の名雪がいる。
そして、その目の前には猫の姿。加えて名雪の暴走を止められる要素は、ここにはない。

真琴(ぴろの躰)は名雪(真琴の躰)のなすがまま、その両腕に抱かれ、
その中で過激なまでの愛撫(洗礼?)を受け続けている。

真琴、不憫なヤツ……

 


<水瀬家・夕方>

いつの間にか陽は沈み、その夕暮れの光は、辺りの景色を赤く染め上げている。

「もう、こんな時間なのか……」

秋子さんは今日は帰ってこない。祐一達はこの状況を解決する糸口の見えないまま、
夜を迎えることになった。
「とりあえず、あの二人を何とかしなくちゃな・・・・」

晩飯は名雪(真琴の躰)に作らせることにした。その間に、祐一(名雪の躰)は、
真琴(ぴろの躰)を名雪(真琴の躰)に見つからないように、押し入れの中に隠す。
「いいか真琴、ここで待ってろよ?」
「にゃ〜…(あぅ〜…)」

そして祐一は押し入れのふすまを閉じると、食卓へと向かっていった・・・

 


<水瀬家・夕食>

「祐一〜。さっきの猫さんどこ〜〜」
「…いいからメシを食えよ、名雪」
「わたし、猫さんさえいれば、ご飯何杯だっていけるよ?」
お前は猫食いか?

「とにかくお前は猫禁止」
「どうしてそんなことを言うの、祐一」
「だって、猫が可哀想だろ」
「わたし、猫さんにそんなことしないよ」
「十分してたぞ」
「かわいいのに・・・」
「可愛くてもダメだ」
「うにゅう……」
心から残念がる名雪(真琴の躰)。

そして、夕食を食べ終わる。名雪(真琴の躰)は食器の片づけを始めた。

 


<夕食後>

さて、俺はそろそろ風呂にはいるかな。

…どうしていままでこんな大事なことに気付かなかったのか?
今、俺は名雪の躰になっているんじゃないか?

しかし、このまま黙って風呂に入ると名雪に悪いし…どうしようか?

………………
…………
……

ほどなくして、自分の欲望に正直に生きようと心に決めた祐一(名雪の躰)は、
誰にも気付かれないように、ひとり浴場へと足を運んだ。

(別に、やましい事なんて、考えていないぞ・・・・)
ひたすら自分に嘘を言い聞かせながら。

「よし、ついたぞ・・・・」
そして祐一(名雪の躰)は浴場へとたどり着く。

これから見られるであろう桃源郷に、祐一の心臓は心なしか動悸が早くなる。

「ふふふふふふふふふふふ・・・・・」
祐一の中で何かが弾け…もとい、覚悟が決まった。

今の祐一に「迷い」の二文字はない。
そして祐一は、静かにドアノブに手をかける。

 


<水瀬家・脱衣所>

「よし。桃源郷はすぐそこだ」 と祐一は期待に胸を膨らませていた。
しかし…

「………!!」
「ここで何をしようとしていたのかな、ゆ・う・い・ち・?」

脱衣所には真琴…いや名雪(真琴の躰)が仁王立ちをして待ちかまえていた。
その目は笑っているが、声が笑ってはいない。

「いやぁ、ちゃんと風呂くらい入らないと、体に良くないだろ? 」
「…下心みえみえ」
「馬鹿な事を言うな。俺は純粋にお前の身体のことを気遣ってだな・・」
「鼻の下のびてるよ、祐一」
「いつも言ってるが、お前は男のロマンを…じゃない、俺のことを疑いすぎるんだよ」
「だって・・・」
「俺は悲しいぞ。いとこのお前に、そんな目で見られていたなんて…」

「…わかったよ。その代わりお風呂に入っている間、これをつけていてね」
祐一の口車に負けた名雪は、ある物を差し出した。

・・・・・・・・・・・

 


<水瀬家・浴場>

祐一は、名雪に言われたとおりに目隠しをさせられていた。その上名雪の見張りまでついている。

「くそ、これじゃ何も見えないじゃないか・・・」
「何を見るつもりだったの、祐一」
「・・・・・」
「やっぱり・・・・・」
名雪が呆れてため息をつく。

「ほら、髪を洗うよ。じっとしてて」

ジャアアアアア・・・・

…まあ、名雪(真琴の躰だけど)に、背中を流してもらったり、
髪を洗ってもらったりしているんだ。まぁ良しとするか・・・・

名雪(真琴の躰)に髪を洗ってもらっている間、うっかりしてシャンプーの液が
祐一(名雪の躰)の目の中に入ってしまった。

「おい、シャンプーが目に入ったぞ。どうしてくれるんだ」
「あっごめん祐一。すぐに洗い流すから」

名雪(真琴の躰)はあわてて、俺(名雪の躰)の目に入ったシャンプー液を洗い流そうとする。
しかし、目隠しにもしみこんでいるせいで、うまく流すことができない。

「まだとれないぞ、名雪」
「うにゅうぅぅ・・・」

名雪(真琴の躰)が焦ってシャワーの水量を上げる。そのはずみで、俺(名雪の躰)の目隠しがはずれて・・・

「あ・・・・・・」
「え・・・・・・」

月明かりの下、淡い光に照らされた夜の街に、その静寂をうち破る大きな絶叫がこだました。


「さっきのは不可抗力だっ」
「・・・・・・・・」
名雪(真琴の躰)は本気で怒っている。あれから一度もこっちの方を向いてくれない。

「もう、祐一なんて知らない」
「さっきのはお前が悪いんじゃないか」
「それはそうだけど・・・」

「とにかく、話は俺達が元に戻れる方法を見つけてからだ。
だが今日はもう遅い、そろそろ寝るぞ」
「…わかったよ。祐一」

二人はそのまま階段を登り、それぞれの部屋のベッドで眠りについた・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(あぅ…祐一、早く夕ごはん持ってきてよぉ・・・・)

一方、真琴(ぴろの躰)は押し入れの中でひもじい思いをしていた……
それが発見されるのは、翌日のこととなる。

 


<朝・祐一の部屋>

ジリリリリリリ・・・・
「朝〜、朝だよ〜。朝ご飯食べて学校行くよ〜」
…今は春休みだがな。
目覚ましの声と共に、祐一は目を覚ます。

暖かな春の陽気の日差し。薄色のレースカーテンから差し込む光の景色は、
まるで昨日の出来事が夢だったのかとさえ思えてしまうほどだった。

「・・・・・・・・・」
祐一は改めて今の自分の姿を見てみる。

「どうやら、夢じゃなかったみたいだな・・・・」
祐一はまだ名雪の姿のままだった。


ジリリリリリリリリリ・・・・・・・・
ほどなくして隣の部屋から突然鳴り響く、名雪の目覚ましの音。

「…そういえば、今日は名雪と探し物をするんだったな」
祐一はがばっと躰を起こし、名雪の部屋へと足を運ぶ。

 


<名雪の部屋>

無数の目覚まし時計が鳴り響く部屋の中で、
真琴の姿をした名雪がぐっすりと快眠していた。

「おい、そろそろ起きろ名雪。今日は探し物をするんだろ」
「もう少しだけだよ、祐一・・・」
「ダメだ、もう起きろ名雪」
「うにゅう、違うのぉ・・・」

(何が違うんだよ、名雪・・・・)

昨日と似た、奇妙な寝言を繰り出す名雪(真琴の躰)。ちっとも起きる様子がない。
困ったヤツだと祐一は、名雪(真琴の躰)の肩を揺すってみる。

「ほら、これなら文句ないだろ。いい加減に起きろっ」
「祐一、もうダメぇ。これ以上は飲めないよぉ・・・・」
…いったいどんな夢を見てるんだ。こいつは?

仕方ない、名雪を起こすのを諦めて名雪のベッドに背を向けたとき、

「んにゅ・・おはよう」
名雪(真琴の躰)がいきなりむくりと起きあがって挨拶をする。

「あ、ああ。おはよう」 呆気にとられて祐一は挨拶を返す。

「…一緒にいこう?」 かたことのような名雪の言葉。
「ああ、そうだな。じゃあ一緒に行こうか、名雪」
「うん・・・」

ふらふらとした足取りの名雪を連れて、
祐一たちは階段を降りていった・・・

 


<水瀬家・一階>

祐一(名雪の躰)と名雪(真琴の躰)は、階段を降りて食堂へと向かう。
途中の居間のソファーには、ぴろ(祐一の躰)が横になって寝ていた。

祐一(名雪の躰)がぴろ(祐一の躰)を優しく起こすと、ぴろ(祐一の躰)は四つん這いになって
食卓へと足を運ぶ。祐一(名雪の躰)はかなり違和感を感じながら食卓へと向かった・・・・

 


<水瀬家・食卓>

「あっ、今日は猫さんがいるー♪」

見ると食卓に真琴(ぴろの躰)がいた。
そういえば昨日、押し入れの中に置き去りにしてたような気が・・・
ぐぁ、うっかり忘れていた・・・

「にゃー……(あぅー…)」
真琴(ぴろの躰)は力のない目で祐一(名雪の躰)の方を見ている。

(悪い、真琴) 祐一(名雪の躰)は、目で真琴(ぴろの躰)に謝罪する。

「ねこ〜♪」
名雪(真琴の躰)は真琴(ぴろの躰)に抱きつこうとした。

「待て、当分猫は禁止だと言ったはずだぞ?」
祐一(名雪の躰)はそれを制止する。

「だって・・・」
「だっても、杓子もない」
「うにゅう・・・」

がっくりと肩を落とす名雪(真琴の躰)。

「お前には悪いが、真琴のためなんだ・・・」
キッチンにとぼとぼと歩く名雪(真琴の躰)の姿を見て、祐一(名雪の躰)は呟く。

・・・・・・・・・・

朝食の準備が整った。俺(名雪の躰)はいつもの通り皿を並べて、名雪(真琴の躰)はできた料理を運んでくる。

「祐一、キッチンからこんなジャムが見つかったよ」
「どれどれ・・・」

名雪(真琴の躰)が持ってきたそれは、
今まで見たことのないような、毒々しい色をしたジャムの瓶だった。

「また、秋子さんの新しいジャムか・・・」
「どうするの、祐一?」
「どうもあやしいな。念のためにコイツに毒味させてみる」
「祐一、それひどすぎ」

祐一(名雪の躰)は、腹を空かせている真琴(ぴろの躰)に、この謎のジャムを食べさせてみた。

・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「…んっ。あー、あー、あー…何だかしゃべれるみたい」
中身は真琴だが、何故か猫が言葉を喋れるようになっている・・・・

ぶるぶるぶるぶる・・・・・・
そして、真琴(ぴろの躰)は何かを思いだしたように身を震わせて。

「祐一、昨日はよくもあたしにひもじい思いをさせてくれたわねっ。あたしは、一晩中・・・・・」
真琴(ぴろの躰)は、怒りの炎にその身を燃やす。そしてすさまじいスピードで床を跳躍し、
向かう壁を後ろの脚で大きく蹴る。

…三角飛びか!?

祐一(名雪の躰)がその動きを捉えるより先、真琴(ぴろの躰)は、祐一(名雪の躰)めがけて
強烈な跳び蹴りをお見舞いした!!!
それが見事に祐一(名雪の躰)にクリティカルヒットする。

「猫の肉球攻撃だなんて・・そのまんまじゃないか・・・・」
そんな脈絡のないことを言いながら、今まで味わったことのない肉球の鋭い感触に、
祐一(名雪の躰)は新たな世界の扉を開けた思いだった・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 


<朝食後>

「ひょっとしたら今のジャムみたいに、何か見つかるかも知れない」
「うん、そうだね」
「家中を手分けして探してみるぞ」
「うん。ふぁいとっ…だよ」

朝食の後、祐一(名雪の躰)はひとりで、名雪(真琴の躰)は真琴(ぴろの躰)をその腕に抱いたまま、
解決の方法を見つけるために家中を探しまわることにした。

家中をくまなく探してみると、厳重に鍵のかかった棚、掛け軸の向こうに続く謎の通路。
天井裏の隠し部屋など、今まで見たことのない様々なものが見つかっていく。

「この家っていったい・・・」
祐一(名雪の躰)は独りごとを言う。

「祐一〜、こんなものが見つかったよ〜〜」
真琴の声だが、名雪独特の間延びした調子の声が聞こえてきた。
祐一(名雪の躰)は、急いで名雪の声がした所に向かう。

「ほら、ここ」
そう言って名雪(真琴の躰)が指さす先。床の敷物をどけたところに棚があった。
棚の蓋を開けると、そこから地下へと続く階段が伸びている。

「…名雪たちは、ここで待っていてくれ」
そう言って祐一(名雪の躰)は、ひとりでその階段を降りていくことにした。

 


<謎の地下室・通路>

「・・・・・・・・・・・」
しっかりとした石造りの階段。通路の壁にはちゃんと照明も付いている。
この通路はまるで、だいぶ前から既にあったような感じだ。

「・・・・・・・・・・・」
しばらく階段を降りていくと、目の前に頑丈そうな扉がある。
この非現実的な光景に、祐一(名雪の躰)の顔は冷汗を帯びている。

「・・・・・・・・・・・」
ここから先は見てはいけない。そんな恐怖にも一瞬駆られたが、
祐一(名雪の躰)の好奇心がそれにうち勝つ。
そして、その両手で扉を開けようとした時だった。

…ごすっ!!

一瞬。後頭部に強い衝撃が走り、視界が暗転する。
何か鈍器で強烈に殴られたような、そんな感じの痛み。

「あぶなかったわ・・・・」
ふと、そんな言葉が耳に聞こえた気がした。
その声の主を知ることのないまま、祐一(名雪の躰)はそのまま意識を失った・・・・

 


<そして数時間後……>

「あら祐一さん、目が覚めたのね」
祐一が目を覚ます。気がつけば、1階のソファーで横になっていた。
目の前には秋子さんの姿。もう仕事から帰ってきていたようだ。

「あれ? 俺、寝てしまってました?」
「ええ、ぐっすりと眠ってました。見ていて可愛い寝顔でしたよ。ふふふ」
えっと、俺達は飯を食ってから…それから先のことが思いだせない。

「痛っ・・・」
気がつくと、後頭部にズキリとした痛みが残っていた。

どこかで頭でも打ったのか・・・??
祐一にはその痛みの原因が分からなかった。

…あれ? そう言えば俺、まだ名雪の身体のまま、だよな?
さっき秋子さん、俺のことを「祐一さん」って呼んでいたような気がするが・・・

「世の中には知らない方が良いことだってあるんですよ・・・」
秋子さんが独り言のようにそう呟く。
その秋子さんの言葉に、祐一はいい知れない戦慄を覚えていた。

 


<水瀬家・食卓>

「みんなごめんなさいね。昨日のジャムは失敗だったみたい」

どこをどう失敗すれば、身体が入れ替わるようなジャムができあがるんだろう?
祐一たちの脳裏には、そんな疑問符が駆け巡っている。
「とりあえず、このジャムを食べればみんなもとに戻るはずよ」

元に戻れるとか、そんなジャムを簡単に作ってしまえる
秋子さんって一体・・・?

「祐一さん。それは企業秘密です」
秋子さんはニコニコしながら、祐一に暗黙の警告を言い渡す。
祐一はびくっ、と身を震わせ、返す言葉を失ってしまう。


「…いただきます」
名雪達が食べているところに続いて、祐一も素直にこのジャムを塗った
トーストを食べることにする。確かに美味いのかもしれないが、
今の祐一には、ジャムの味覚を堪能するだけの余裕はなかった。

「でも、これで元に戻れるんだよな・・・・」
祐一のとてつもないほどの不安、それは数分後、見事に的中した。
一瞬、食卓が沈黙する。

「…あらあら、今度は本当に失敗だったみたいね」
その沈黙を最初に破ったのは、秋子さんだった。

『今度は』って、秋子さん。昨日のヤツはまさか・・・・
そんな呑気なことを考えている場合じゃなかった。

秋子さんのその言葉に続いて、次々と沈黙を破る者たち。
「あはは〜っ、舞。どこですか〜」
「えぅ…お姉ちゃ〜ん?」
「にゃ〜っ!?(うぐぅ〜!?)」

今度は、すぐ近くにいない人間の躰まで入れ替わってしまっているらしい。
台詞から考えると、あの中にいるのは、佐祐理さん、栞、あゆ・・・・・
おそらく、ほかのみんなも・・・・

「まあまあ、どうしましょう」
その言葉とは裏腹に、秋子さんはどこか楽しそうだった。

「もう、どうにかしてくれ〜〜〜!!!!!」
そうして叫んでいる祐一にも、そのジャムの『効き目』が訪れるのだった・・・・・・



...fin?


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