夜天剣舞エピソード4 『腹が減ってはなんとやら』
原作:Kanon ©VisualArt's/Key
Written by あると




 ――結局、舞が牛丼が食べられないと魔物と戦えないという結論に至った俺は、秋子さんにお願いし、夜の学校に行く前に牛丼を作ってもらうことにした。
 秋子さんお手製の牛丼のことを舞に話すと、とても喜んでくれたようで、さっそくその日の夕方に家にやってきていた。
「普通お肉には赤ワインを使うものだけれど、ここであえて白ワインを使うところがポイントなのよ」
「――意外な隠し味」
 こう見えても若い頃は、フードプロデューサーとして各地から引っ張りダコだったんですよ。と語る秋子さんである。本当にこの人には謎が多いんだよなぁ。
「この牛肉も自家製なんですよ」
 ・・・いや、この玉葱のような一般の家庭菜園でも栽培できる食材とか、秘伝のタレとか言うならまだ分かる。こないだラーメンの具に入っていたなるとでさえグレーゾーンだ。だが牛肉まで自家製というのは――俺は血縁でありながら、秋子さんの底知れなさを改めて感じずには居られなかった。
「――なるほど、その手があった」
 妙な納得をしてぽんと掌を手で叩くと、牛丼を口に運ぶ舞。
 その表情は、ほくほく幸せ顔だ。見ているだけで俺まで幸せになってくる。
「おかわりも沢山ありますからね」
「わーいっ♪」
 同じテーブルを囲う名雪や真琴も大喜びで牛丼をかきこんでいた。ふとキッチンに視線を向けると、今でも弱火でコトコトと煮込んである巨大な鍋があった。中を見ると、物凄い量の牛丼の具が。いったい何日前から仕込んでいるんだ秋子さん。

「秋子さんって若い。祐一のお姉さん?」
「いや、お姉さんってワケじゃないんだけどな」
 と。俺はここで口を噤んだ。ここでうっかり『おばさん』なんて単語を口走ってしまえば――その先にあるのは逃れ様のない阿鼻叫喚だというコトは――俺が子供の頃に初めて秋子さんに会った時に、誤ってそう呼んでしまったときに実証済みなのだから。
「まぁ。舞ちゃんったら嬉しいことを言うわね」
 嬉しそうにキッチンを跳ね回る秋子さん。俺はなんとか命拾いをしたようだ。
 秋子さんは舞が差し出すどんぶりのおかわりに並々と肉を盛り付けていた。
「そうだおー。お母さんは幾つになっても齢を取らないんだおー」
「――名雪、ちょっと良いかしら」
 あちゃあ――あの馬鹿。
 名雪が誤爆って迂闊なことを口走った所為で、秋子さんから呼び出しを喰らう。その表情と声の調子にようやく状況を理解できたのか、名雪の顔が一瞬のうちに蒼褪め、この世の全てに絶望しきった風に秋子さんに連れられるまま――――名雪、骨は拾ってやるぞ。
 この家は防音や耐震がしっかりしているから、扉を閉切ってさえいれば、隣の部屋の声さえ滅多な事では漏れてこない。それが幸いか災いか、名雪の断末魔の悲鳴が聞こえてくることはなかった。
 あの自称28歳という俺のおば・・・いや家主である秋子さん。仮に28歳というのが本当だとしたら、10歳から11歳の間に名雪を産んだ事になるわけで――マジでそうだとしたら、各方面から壮絶な抗議の嵐が――じゃなくて、どう考えてもその年齢で出産は無理だろ――いやあの秋子さんならもしかしたら――――
「祐一さん――余計な事は気にしない方が身のためですよ?」
 既に戻ってきていたのか秋子さんは俺に優しく語り掛けてくれる――どうやら最後通牒という意味らしい。
 俺だって自分の身は惜しい。ここは素直にこくこくと頷くと、秋子さんはとても満足したように笑みを返してくれた。
 これでよかったんだ。うん。

「――秋子さんって、やさしい人」
 今の秋子さんの行動をどう見て、どの口からそんな言葉が出てくる。しかもあからさまに赤面までするな。
「お母さんの味を、思い出す――」
 何かを思い出した様子で、ちょっと涙する舞。
「まあ・・・」
 舞が牛丼以外のことで泣くところなんて始めて見たな――
「ふふ。舞ちゃんさえ良かったら、いつでもおばさん達の家に遊びに来てもいいのよ?」
「うん――」
 秋子さんの言葉に、しおらしくなって頷く舞。こんな舞だから、俺はきっとコイツを放っとけなくなったんだよな。
 しかしついに秋子さん、自分のコトをおばさんと認めたか。
「――祐一さん、ちょっといいかしら?」
 ん?
 秋子さんに言われたので、俺は言われるまま付いていくコトにした。

「――祐一、ひどい怪我」
「・・・・・・」
 俺は、舞の胸の中で声を張り上げて泣きたかった。だけど、俺達の真後ろで天使のように微笑む影が、秋子さんの笑顔が、俺にそうさせる事を許してはくれなかった。そんな秋子さんと俺との絶望的な差がとても歯痒く、そしてとても哀しかった。
 ――こうして俺はカーテンの向こうで輝きを零す月影にたそがれ、舞はおやつに出してもらった柿ピーナッツを食べながらテレビを観賞し、時間になるまで、ゆっくりとした時間を過ごしていた。





 ――時計の針は午後十時を差し廻る頃。

「あの人の底が知れない――」
「ああ、まったく同感だ」
 今夜もいつも通り、学校にやってきた俺と舞。

 あれから俺が舞と二人で夜の学校に出かけている事情について、秋子さんから半ば強引に尋問されることになった俺。逆らうと後が怖いからと俺はひと通り事情を説明すると、秋子さんは訝しがったり、俺達に反対したりするどころか、『それではこれを持って行ってください』と、いくつかの武器を手渡してくれた。舞が右手に持つ剣は、シルバー925――純銀含有率92.5%、銅含有率7.5%という、別名スターリングシルバーと呼ばれる合金で作られた剣だ。柄には凝ったデザインのレリーフが刻まれており、この剣はそれだけで芸術品と呼んでも遜色ないだろう。その美しい刀身には俺には読めない文字が掘り込まれている。話によると本格的なエクソシストが持ち物に施す祝福儀礼だとか何とか。どうしてこんな物を秋子さんが持っていたのかについては、恐らく訊いてはならない領域なのだろう。
『壊れたら祐一さん持ちですよ。出世払いでお願いしますね♪』
 しかし、出かけ際に秋子さんがにっこりと微笑みながら言ってくれた言葉を、俺は決して忘れる事はないだろう。理性ではなく本能が、秋子さんに対する絶対的な戦慄を訴えていた。
「舞、その剣は大切に使うんだぞ」
 折ったり、壊れたりしたら俺が全ての責任を取らされて、下手したら命に関わるんだぞと積願の念を籠めて舞に言った。
「――ありがとう」
 そこでお前に“ありがとう”などと言われる筋合いはない。
「これで心置きなく戦える――」
 良くも悪くも様々な意味に補れる言葉を残して舞は――銀製の剣を携えて夜の廊下を駆けて行く。
 その一瞬、またも俺は舞のコトが信じられなくなっていた。

 そして秋子さんから俺にと手渡されたのは、刀身に『楽天入道正宗』と書かれた切っ先の広い木刀だった。五郎じゃないのか?
 しかもこれは如何にも観光旅行のお土産で売っていそうな感じの木刀だった。名のある霊山の古木を清水で磨きあげて仕上げたとか何とか言っていたけど。どちらにしても、こういう物をどこからか仕入れてくる秋子さんって一体何者なんだと俺は疑念を禁じえなかった。



「祐一。魔物――来る!」
「今夜もおいでなすったか」

 たったったったっ――――

 剣を垂直に構え、魔物との距離を測ると舞は魔物の気配のするほうへと足早に駆けて行く。

 しゅっ! ざざっ! かきぃん!

 目に見えない相手でありながら物理的な攻撃をする魔物にも関わらず、スターリングシルバーの剣はその名の通り星のような軌跡を描き、それが確実に魔物を捉えているようだ。剣の扱い方に関して言うなら、恐らくこの学校の何処にも右に出る者など居ないだろう――いくら舞から剣の手解きを受けているとはいえ、俺の目から見る舞の剣術は流石と形容するしかなかった。
「一太刀一太刀に籠めた強き想い、僅か一点の迷いなくして放たれるそれらは即ち――目に視えない魔物をも映し出し、断ち斬る業。太刀とは断ちへと通ずる由縁ならば――浮世の者はこの太刀の名を“退魔の剣”と申すなり――!!」
 舞は家で見てきたテレビの影響でノリノリだった。加えて元より持ち合わせた巧みな剣筋と体裁きで舞は、魔物と互角以上に渡り合っている。時々“ふり”の入る動きが特徴的で、見ていて飽きない。
「今宵も月に代わってお仕置いたす――」
 しかしそれは、どこか間違っているような気がするのは俺だけではないだろう。美少女アイドルさながらの舞うようなしなやかな動きで、観客に対するサービス精神を忘れない。カメラ目線にさり気なくポーズを決めたり、見えそうで見えないギリギリのラインを保ったチラリズムなどはもちろんお約束だ。

 ざしゅっ――!!!

 やがて魔物の一体を見事に打ち倒した。確かな音と共に、魔物の気配が霧散していく。
「――また詰まらぬ物を斬ってしまった――」
 自分が何年も戦ってきた魔物をあっさりと『つまらぬ物』と断じた舞。剣を∞の字に軽く振ると、舞は剣をパチンと鞘へと収める。
「祇園精舎の鐘の声――諸行無常の響きあり――」
 今度は平家物語か。鐘どころか、チャイムの音ひとつ鳴っていないんだがな舞。
「沙羅双樹の花――」
 完全にノリノリ状態の舞を放置して、俺は学校に来る途中にコンビニで買ってきた買い物袋を手に取る。
「舞、今夜もお疲れ様」
 そう言って俺は、舞に一本のペットボトルを投げて渡す。
「――この新しいデザイン、綺麗だけど車のボトル入れに入りにくいから微妙」
 蓋を開け中身を美味しそうに飲みながらそう言う――妙に現代通な舞だった。


「祐一。また秋子さんの牛丼が食べたい――」
「あの人はどんな物でもお手の物だからな」
「また明日も食べに来ていい?」
「ああ、構わんぞ――」
 普通なら女の子の方から『家に来ていい?』なんて訊かれると男としては無性に嬉しくなるものだが。
 コイツの場合は色気より食い気だからなぁ。いまひとつ何かが足りないと言うか。

 ――とまぁ、そんな感じで。
 魔物の気配を感じなくなってしばらく、俺達は何気ない雑談を交わしながら、夜の学校を跡にした――――



....continue?


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