夜天剣舞エピソード3 『喰いしんぼ』
原作:Kanon ©VisualArt's/Key
Written by あると




「よう、舞」
「祐一。――」
 夜の10時。放課後の校舎で。俺は今夜も舞と合流する。
「――――」
「――――」
 以心伝心と言うのか、最近ではコイツの話し方にもだいぶ慣れ、簡単な言葉のやり取りと、表情や手の仕草だけで大体の思っていることが分かるようになった。例えば俺が舞に牛丼弁当を手渡すときのこの表情は『嬉しい』。ぱきんと割り箸を割って口の中に頬張るこの仕草は『まぁまぁ美味しい』などなど。
「――?」
 舞がそんな俺の視線に気付き、クエスチョンマークの籠った視線を投げる。
「いや、なんでもないぞ」
「そう・・・」
 照れ交じりに俺がそう告げると、舞はこくこくと頷いてから視線を戻す。
 けれど、舞は牛丼を二口三口頬張ったところで箸の動きを止めた。
「どうした舞。魔物が出たのか?」
「そうじゃない――」
 舞は弁当に蓋をすると、背中を廊下の壁に預け、床に腰掛け、膝を三角に折り、そのまま俯いてしまった。
 弁当と一緒に買ってきたペットボトル入りのお茶にもあまり口をつけず、舞は力無さそうに言った。
「吉屋の牛丼じゃないと――嫌」
「舞――」
 それは、牛特有の流行り病が報道されてからの事だ。
 この流行り病により、牛肉を扱う様々な店舗が相次いで販売の縮小や自粛を余儀なくされた。
 牛丼屋も勿論その例外ではなく――そう、舞お気に入りの吉屋チェーンですら急遽牛丼の販売停止という憂き目を見るコトとなったのだ。
 その知らせを聞いて数日間、舞はショックで口も聞いてくれなかった。いや元々舞は無口なんだけど、それに輪をかけて何も話さなくなっていた。佐祐理さんが舞に話しかけても反応は同じ――それもそのはずだ――吉屋の牛丼と言ったら舞の飛びっきりの大好物だったのだから。
 朝、通学路で舞の泣き腫らした顔を見るたび、俺はやるせない気持ちになっていた。
 矢張りというか相当ショックが大きかったらしく、舞は夜になってもその事を引き摺っているようだ。
 ――それにしてもだ。

「そんな座り方してると、下着が見えるぞ」
「祐一になら見られてもいい・・・」
 お・・・舞がちょっと照れくさいことを言ってくる。こいつにもちゃんと可愛い所があるじゃないか。
 思わずこいつの頭を撫でてやりたくなってしまった。
「見たら証拠隠滅するから」
 ――おい?
「じゃあ、魔物が居ないか見てくるからな」
 溜息をつき、俺は廊下の見回りをすることにした。
「祐一・・・いかないで」
 いったいどーしろと言うのか。

 オォオオオオ――――

 予期せず夜の校舎に響き渡る――独特の風切り音。
 どうやら俺達が見回るまでも無く、魔物は向こうからおいでなすったようだ。
「魔物が来るぞ、舞。急いで準備しろ」
 しかし舞は、三角座りのまま。
「お腹が空いて動けない・・・」
 寝言抜かすなコラ。

 ――――ゴオォオオッ!!!!

 舞が言ったその言葉が合図であるかのように、廊下に強烈な旋風が吹き抜けた。
 いつもならここで何枚もの窓ガラスが割れ、硝子片が俺達の目の前に飛散するところ――だが、これだけのプレッシャーなのに、窓ガラスはびくともしていない――それもそのはず――舞が魔物との闘いであまりにも多くの窓ガラスを割りすぎたため、生徒会長の久瀬が遂に業を煮やし、窓ガラスを全て強化防弾ガラスに張り変えてしまったらしい。
 その翌日、全校生徒の前で久瀬自らがバールを持ち、窓ガラスを力任せに叩きまくっても傷ひとつ付かず『校舎の窓ガラスは生徒ひとりひとりのモラルの象徴だ』と、まるで壊れたように高笑いを挙げていたというエピソードは記憶に新しい。
 ひとつの戦いが、ひとりの男の大切なものを奪ってしまった。
 戦いが生み出す悲しみと、切ない思いが俺の心を苛む――だからこそ、こんな戦いは早く終わらせなければならない!!

 ――魔物と戦うというコトは、ここまで心をハイにさせるものなのか。

 そんな、どうでもいいようなどうでもよくないような言葉がよぎった。
「っ、舞。大丈夫か――!?」
 俺は慌てて舞のほうを見る、すると――

『牛丼 どこか たのむ』

 舞は、リノリウムの床に人差し指でそう文字を残して、そのまま眠りこけていた。
 俺はこの一瞬、舞のことを心から嫌いになりそうだった。

 しかし魔物はそんな俺たちのことを待ってはくれない。魔物の前だというにも関わらず、盛大に寝落ちをかましてくれている舞を茫然と見ていた俺に次の攻撃をかけてくる。ややあって俺は落ち着きを取り戻し、簡単な瞑想を行う――舞との修行の成果か、こうして眼を瞑れば魔物の気配くらいはある程度解かるようになっていた――そこか!

 ばきぃん!!

 ビンゴだった。俺の放った木刀の一撃が魔物に確かな一撃を与える。魔物の気配が一瞬揺らぐ。が、魔物はすぐに体制を取り戻し再び俺に向かって襲い掛かる。
 そんなコトは既にお見通しの俺。木刀の構えを解かず待ち構えたように冷静に太刀を返す。
 しばらくの間、そんな応戦が続いた――

「ぜーはーぜーはー――――」
 魔物の気配は去っていた。流石に木刀一本では魔物を倒し切れるはずも無く、幾度かの有効打を与えた後に魔物が撤退していった、と見るべきだ。
 俺はと言うと、魔物が去っていって緊張が解けたのか、肩で息をしながら膝をついていた。
 ははは、すっかり満身創痍だな俺。
 ここで魔物がいなくなったのは幸いだった。
 もしもこんな状態であれ以上魔物と交戦し続けていたらと思うと、身震いが止まらなくなる。
 しかし――今の調子で毎晩魔物と戦っていたら、とてもじゃないけど身体が持たないな。
「おい舞! 大丈夫か――」
 魔物の気配が完全に消えたことを確認し、俺は舞の方を振り向いた――しかし。
「――くぅ」
 俺が命をかけて激しい闘いを繰り広げたというのに、この女はすっかり安眠モードを決め込んでいた。





 ――翌日。この日は祝日で授業は休みだったわけだが。

 朝刊に挟まれていた一枚のチラシが目に入る。『なんと、あの牛丼を一日だけ復刻キャンペーン 吉屋』と書かれたチラシだった。
 今夜これを買っていったら、舞のヤツ喜ぶかもな。
 そう思って俺は、久しぶりに吉屋の暖簾をくぐる事にした。
「店員さん、お持ち帰り牛丼2つ――」
 ――俺がそう頼もうとしたときだった。
 人気チェーン店のキャンペーンだけあって、元々もの凄い人だかりの店内だったのだが、その中でも特に際立つほどの黒山が出来ていた。黒山をかき分けて俺は衆目の集まる中心へと向かうと。
 もくもく・・・
 舞が。座席の一部を陣取り、吉屋の牛丼を食いまくっていた。

「大盛ねぎだく玉おかわり」
「あいよっ!」
「・・・何をやってるんだ、舞?」
「夜ごはん」
 いやそれは見れば分かるんだが。
「――いまは魔物より腹ごしらえ」
 それだけを言うと舞は視線を丼に戻し、食事を再開させる。
 すでに何杯目を完食しているのか。舞の座るテーブルの周りにはどんぶりの山が積み上がっている。
「おじさん、今度はつゆだく」
「あいよー!」
 尚も余裕顔で、ずずぃっとお茶を飲む舞。
「へいお待ち!」
 おかわりのコールを言っておよそ十秒も経たないうちに、新たな丼がテーブルの上に置かれる。
「いただきます」
 もきゅもきゅもきゅもきゅ・・・・・・
 衆目環視の中、肉汁たっぷりのつゆをご飯と具に絡ませて掻き込む。
 そんな舞の様子を周りで見ている吉屋ファン達から妙に高いテンションのエールが飛び交う。
 舞は誰が何と言っても俺が守ると心に決めた女だ。魔物の件が終わるまでは誰にもやるつもりはないけれど。
 少女と牛丼という組み合わせは果たして絵になるのか――うーん。
「食べられるうちに食べる。これ最強」
「「「これ最強!!!」」」
 時折放つ舞の一言一言が、ファン達のアツい心を掴んで離さない。舞が何か独り言を言うたび、ファン達の騒がしく復唱する声が耳に痛かった。
 かくしてテーブルには山ほどの丼が積まれる事になり――

「ごちそうさま」
 もうかれこれ何十分が経過したのだろう。やっと舞が割り箸を丼の上に置いた。
「元気100倍。これでまた戦える」
「そうか、よかったな舞」
「んー。ぐれいとぉ」
 それはそれで何か違うような気がするんだが、敢えて追及は避けることにした。

「祐一、おあいそお願い」
 ――は?
 まさか一人でこれだけの量を喰っておいて、代金は全部俺が奢れとか言うんじゃないだろうな。
「お財布がない」
 舐めんなこのアマ。
「いつもは佐祐理がお金を出してくれてたから」
 無二の親友をメッシー代わりかよ。
 店員から渡されたレシートを見ると、綺麗な活字で5桁もの数字が立ち並んでいた。
 かくして、今日貯金から下して来たばかりのピン札を払わされる羽目になった俺。とほほ・・・
「どうも毎度ありぃ!!」

「祐一、がんばろう――」
「――ああ」
 心底静かな怒りに震える俺を舞は知ってか知らずか――確信犯でやってるなら後できついお仕置きだ――俺達は今夜も夜の学校へと足を進めた。



 ――今夜の舞はあらゆる意味で格別だった。
「牛丼パワーは無敵――」
 吉屋の牛丼を腹いっぱい食べる事ができて食欲が満たされているのか、なんだか動きのキレが段違いだった。壁伝いに廊下を駆け抜け、そこから跳躍ざま、着地までに魔物を三度斬りつける様なコトも朝飯前。今夜は二匹の魔物が同時に襲い掛かっていたにも関わらず、舞はたった一人で超人的な動きを見せつけ、魔物達を圧倒していた。
「・・・魔物達が逃げていった」
「おつかれさん」
 気魄から圧倒されまくりの俺は一部始終、そんな舞の戦いを遠目で見ているしか術は無かったわけだが――――





 ――さらに次の晩。

「祐一・・・また吉屋の牛丼が食べたい・・・・・・」
 牛丼パワーが切れたのか、舞は再び無気力になり、廊下にへたり込む。
 俺はまた一人で魔物達と戦う羽目になっていた。
「早く牛丼を再開してくれぇぇええええ――――!!!!!」



....continue?


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