夜天剣舞エピソード1
原作:Kanon ©VisualArt's/Key
Written by あると




 夜の闇も深まり、寒さも増すころ。
 ガラスの向こうで吹きつける風の音は、冬の寒気をよりいっそう寒く感じさせてくれる。
 今夜も冷えるな・・・

「舞は、今日もたった一人で魔物と戦っているのか・・・」

 はっきり言って、俺みたいなヤツが魔物とまともに戦うなんて、まず無理だ。
 だが、俺は戦っている舞のことが放っておけない。
 できることなら守ってやりたい、何か力になってやりたいって思うようになったから・・・

 そんなことを考えながら祐一は、夜の学校に向かう支度を整えていた。

 ――時計が10時をまわる。
「よし時間だ。行くか」







 学校に着いた。夜という時間だけあって、とても静かだ。
 冬の季節なので虫の鳴き声一つ聞こえてこない。
 ここには初めから誰も存在していないような、そんな錯覚さえおぼえるほどだ。

「こんなに静かなところに魔物がいるなんて、今でも信じられないな」

 校舎のいつもの場所で、祐一は舞と落ち合う。

「よお、舞」
「……げ、祐一」
 ――今こいつ、とてつもなくひどいことを言わなかったか?

「…祐一のまね」
「俺がいつそんなことを言った?」
「……いつもやってる」
「あのな、それじゃまるで俺がひどいヤツみたいじゃないか」
「…違うの」
 …もういい。今夜のところは勝ちを譲ってやろう。

「…勝った」
 勝ち誇る舞。なんだかくやしい。



「………!!」
 突然、舞の表情が鋭いものへと変わる。

「どうした舞」
「魔物が…来る」
「なにっ」

 校舎の奥の壁や床などから、魔物が近づくことを知らせるあの独特の反響音が聞こえてくる。

 魔物の姿は人間の目には見えない。俺も舞も、この音と気配を頼りにして
 ようやく魔物がいることが分かるくらいだ。
 反響音が大きくなっていく…魔物はすぐそこにいる!!

 まるで魔物がはっきりと見えるかのように、魔物の攻撃から次々とその身をかわしていく舞。
 舞は人並みはずれた抜群の感覚と運動神経を持ち合わせている。
 そうでなければこんなことは到底できないはずだ。
 しかし、「!っ、しまった・・・」突然体制を崩す舞。
 とっさに舞を守るため、祐一は舞に向かって飛びかかり、姿勢を低くさせた。
 その上を魔物が通り抜ける。運良く、舞にも祐一にもそれが当たらずに済んだ。

「気配が…消えた」
 舞がそう言った後、耳を澄ませてみると、あの反響音は聞こえなくなっていた。
 とりあえずは安心のようだ。
「大丈夫か、舞」
「…祐一」
「ケガがなくて良かったな…って!?」
 気がつくと祐一は、舞の身体の上にのりかかるような体制になっていた。

「あ、すまん。舞」
「…きゃあ。」
 …何だ。今の棒読みみたいな叫びかたは?
「佐祐理が、男の人にこういう事をされそうになったら、こう言えって言ってた」
「それにしては、ちっとも感情がこもっていなかったぞ?」
「…そう? それじゃもう一度…」
「…もういい。改めてそんな声を出されてもちっともうれしくない」
「…うれしい?」
「いや、なんでもないぞ」
「変な祐一」

「…ところで祐一。早くそこをどいて」
「そうだったな。悪い悪い」
 あわてて祐一は、舞から身体を離す。そんな祐一の仕草は、どこか悔しそうだった。
 祐一が、こうしてさっきの余韻にひたっていると…
「また…来る」

 舞が、再び魔物の気配が近づいてきていることを教えてくれる。
 さっき魔物が通り抜けていった方から、その音は近づいてくる。
 どうやらさっきの魔物がここに戻ってきているようだ。

 目を閉じて、じっとしている舞。
「お、おい…舞?」
「…静かに」
 目を閉じた姿勢で、居合いの構えに入る。
 そして舞は精神を集中させ、神経を研ぎ澄ませる。
 校舎の奥の方から、反響音が徐々に近づいてくる。大丈夫なのか、舞!?

「居合いの極意は、鞘中にあり」

 そう言葉にした刹那、舞は鞘から剣を素早く抜き放ち、そして……

 ドゴオォォォォォォォ…………!!!

 鮮やかな居合いの一閃。
 祐一はその一瞬の動きを、この目にとらえることはできなかった。

 舞の居合いの一撃で校舎の一部の壁は崩れ去り、
 そこには大きな穴が空いていた……
「お、おい。これは…?」
「マンガで読んだら、できるかなと思って……」

 普通マンガを読んだくらいじゃ、剣で校舎に穴まであけられない。

「大変なことになった」
「ああ、校舎の壁を剣で粉々にしてしまったんだからな」
「それはたいしたことじゃない」
 思いっきり一大事だと思うが。
「逃げられた。この穴から」
「…何?」
「この穴から魔物が出ていった。街の方に」

 おい…………?
 俺は壁に空いた穴から入る風に吹かれながら、その場にただ凍り付いていた。

「祐一。真面目にやって欲しい」
 真面目って簡単に言うけどなぁ…舞?
「広い夜の街の中で、あの目に見えない魔物を探して倒せというのか、舞は?」
「はちみつくまさん」
 舞はあっさり即答する。俺は、自分の中で何かが吹っ切れていく……
「そうか、なるほど。舞はこれからとっても忙しくなるのかー。ふむふむ」
「…どこに行くの?」
「今から家に帰ろうと思ってな。邪魔したら悪いだろ? ははは…」

 そういう祐一の言葉に舞は身を震わせて、その目からは一筋の光るものが流れ落ちていた。
「ひとりにしないって、言ってくれたのに…」
「お、おい。舞…」
「独りにしないで…」
 舞は祐一の胸の中でそう言った。

「わかったわかった。今のは冗談だ、悪かったな」
「魔物退治、手伝ってくれる?」
「ああ、約束する。どこまでもつきあってやるよ」
 しょうがない、舞のためだ。
「ありがとう」(実は、なにかの本で読んだことをそのまま実行しただけの舞)
 やれやれ、舞にはかなわないな。(何も知らない祐一)

 祐一と舞は、壁の穴から逃げていった魔物を追うべく、街の方へと向かっていった……







「さすがにこんな人通りのあるところにはいないな…」
 …くいっくいっ。
 商店街につくと、舞が祐一の服の裾を引っ張って、足を止める。
「どうした舞。もう魔物を見つけたのか」
「……」
 舞が指を差したその先…そこには牛丼屋があった。
「…で、おれにどうしろと」

 ぐぅぅぅ……。
 舞の腹の虫の音が聞こえてきた。なるほど、そういうことか。
「魔物さがしはどうするつもりだ?」
 ぐぅぅぅ……。
 腹の音で返事をするなよ、舞…
「わかったよ。じゃあ食いに行くぞ、舞」
「はちみつくまさん」
 仕方なく祐一は、舞を連れて店に入ることになった。







 店に入ると、牛丼の香ばしい匂いが、俺たちの鼻腔をくすぐる。
 この匂いが食欲を涌かせてくれるんだよな。
「舞はどれにする?」
「はい、特盛のお客さん。お待ち!!」

 舞のテーブルの上に、特盛の牛丼が置かれる。
 こういう時の舞の行動はとてもすばやい。

「じゃ、俺はこれにするか」

 祐一が牛丼を注文すると程なくして、テーブルに牛丼が運ばれてきた。そして…
 舞が座る隣のテーブルには、7、8杯くらいの牛丼(しかも特盛)が並べられていた。
 ごていねいにギョク(玉子)までつけて…

「まさかそれ全部食うつもりか?」
「……」
 こういう時の舞の無言は、肯定を意味する。そう言うと舞は玉子を丼に入れ、箸で牛丼をくちゅくちゅとかき混ぜながら、黙々と口の中に頬張っていく。
こうして舞と二人っきりでいるというのに。女の子とメシを食いに来てるっていうムードは、ほんの少しも感じられなかった。

 俺が半分あきれながら牛丼を食っていると、店の中に見知ったヤツの姿を見つける。それはあゆだった。
「あゆじゃないか。こんなところで会うなんて珍しいな」
「あっ、祐一君」

「夜中のこんな時間に一人で街中をうろついているのか?」
「へぇ、ボクのこと、心配してくれるんだ?」
「そうだな、あゆみたいなのが夜中に出歩いていたら、知らない人からいきなり声をかけられるかも知れないからな?」
「ちょっと、おどかさないでよぉ…」
「ははは、冗談だ」
「うぐぅ、祐一君のいじわる……」

「ところであゆは何も食っていないのに、何でここにいるんだ?」
「うん、それがね……」

……………………。

「また、たい焼きを食い逃げしてきたのか…」
「うん…」
「それで、逃げ場がなくなって、この店に入ったと?」
「うん……」
「まったく、しょうがないヤツだな、あゆは」
「うぐぅ……」

 ふたりがこうして話をしている間、マイペースで黙々と牛丼を食べ続ける舞。一杯、また一杯とおかわりを繰り返す。

「舞、あと何杯食う気だ……」
「腹八分になるまで」
「お前の胃袋は底なしか」
「その言い方、レディに失礼」
 胃が底なしというのは、どうやら間違いなさそうだ。

 祐一がそんなことを思っていると、あゆが話を続ける。

「それでね、祐一君。お店に入っちゃったから、料理を注文しなくちゃいけなくなってね、それで…」
「しょうがないヤツだな。あゆの分くらい俺が出してやるよ。」
「えっ、ありがとう! 祐一君」

 これくらい朝飯前だ。こんなことであゆの笑顔が見られるのなら、安いものだ。

「実は、私も持ち合わせがない」
 お前もか、舞…

「…その子はよくて、私はダメなの?」
 舞が上目遣いの目をして、こっちを見てくる。

「わかったわかった。しょうがない、お前の分も出してやる」
「…腹黒い祐一、相当嫌いじゃない」
「それを言うなら太っ腹だ」

 結局俺は、牛丼屋で3人分合わせて5000円分くらい払うハメになった。

「祐一、男らしくてかっこいい…」
「どこか微妙にセリフ回し間違っているぞ、舞」
「そう……?」
 あゆはともかく、最近の舞はどうも世渡り上手になってるような気がする。
「とにかく、外に出るぞ。二人とも」

「……………。」
 舞がふと立ち止まる。
「どうした舞? やっぱり食い過ぎて気分が悪くなったのか?」
「大盛、軽く3杯はいけた」
 まだ食う気だったのか……しかも俺の金で。







 店の外に出て、3人は夜の街を歩く。
「ところで祐一君。そのきれいな女の人、誰?」
「私も訊きたかった」

「ああ、そうだったな。紹介しよう。川澄舞、学校の先輩だ。いつも一緒にいる佐祐理さんとは無二の親友同士。2人が並べば、Kanonヒロインの双璧だとファンの間では評判だ」
「なんだか紹介の仕方がヘンだよ…」
「細かいことは気にするな。読み手にちゃんと伝われば問題ない」
「何の話だよっ!!」

「そして、こっちは月宮あゆ。見ての通り、うぐぅなお子様だ」
「幼児体型で悪かったねっ!!!」
「さて、時間があまりない。早くあれを見つけないと大変だ…」
「人の話を聞いてよっ!!」
「あまり子供をいじめるな。かわいそう」
「…………」
 あゆは何かあきらめたような、うつむいた顔をする。

 これはまずいと俺は、すかさずあゆにフォローを入れる。
「あ、あゆ。今がそんなに良くなくてもな、そのうちきっと……な?」
「………………っ!!」
 あゆは何も言わないまま、この場所から走り去っていった。
 その目にはうっすらと涙を浮かべながら。
 …どうやらフォローは失敗だったようだ。

「女の子を泣かせた」
「とどめは、舞が刺したと思うけどな」
「…ケンカ両成敗」
 意味が微妙に違うぞ、舞…

「とにかく、俺たちはこれから街のどこかにいる魔物を探すわけだ」
 こくこく。
 ふたりが今後の作戦について、話していると……

「祐一く〜んっ。でた〜〜〜〜〜〜〜っ!!!!」

 あゆが何かを叫びながら、再び祐一たちの方に向かって走ってくる。
「どうしたあゆ? やっぱり夜の一人うぐぅは危険だろ?」
「真面目な話だよ! おばけが出たんだよっ!!」
「おばけ? そんなものがいるわけないだろ?」
「確かに見たんだよ。あそこの方で!!!」
「その子の言ってることは本当」

 舞の表情が、魔物と対峙している時のような、真剣なものへと変わっていた。
「…どうした、舞?」
「魔物が…来る」
「なにっ」

 耳を澄ませてみると、確かに魔物が近づいてきている時のような
 独特の気配が音となって聞こえてくる。舞は剣を抜き、すでに戦闘の体勢に入っている。

「祐一、避けて」
「!?」
 魔物の重く鋭い衝撃が、祐一の肩をかすめた。

 そして祐一の肩からは、ズキリとした痛みが走る。
「痛………っ!!」

「祐一君、いまの祐一君の目の前にいたでしょ? どうしてよけなかったの?」
「あゆ、お前まさかあれの姿が見えるのか?」
「何言ってるんだよ!? あそこにいるのが分からないの、祐一君?」
 …驚いた。あゆには魔物の姿がなぜかはっきりと見えるらしい。

「…その子を連れて逃げて。私は魔物を討つ者だから……」
 見えない魔物を前に、舞は俺たちにここから逃げるように言う。
 女の子を置き去りにして逃げ出すなんて、俺のプライドが許さない。

 しかしここにはあゆがいる。魔物とはまったく関係のないあゆを巻き込むわけにはいかない。いったいどうすれば……?
 考え込む俺をめがけて、魔物が襲いかかる気配が。
「祐一君、危ないっ!!」

 魔物の体当たりをもろに受け、祐一の身体がその衝撃で吹き飛ばされる。
 あゆがクッション代わりになってくれたおかげで、ダメージはあまり少なくて済んだ。
「大丈夫か、あゆ…?」
 だが俺の手が…あゆの……
「…祐一君のえっち」
「いや、すまん…」

「…斬る!!」
 舞はすばやい動きで魔物に斬りかかる。がきん!がきん!と剣と魔物がぶつかり合う音がする。ひと振り、またひと振りと、舞にも見えていないはずの魔物に対して確実に剣撃をたたき込んでいる。

突然ごおっ、と大きな音がする。舞は高く跳躍する。見るとさっきまで舞がいた場所には魔物のようなものの形をした穴が、くっきりとあいていた。

「うわ…あの人、すごいよ……」
 あゆは舞と魔物の攻防を目の当たりにして、呆然と立ち尽くしている。
 俺は言った。
「あゆ、お前は早くここから逃げろ。そして今、目の前で起こっている事はすべて忘れるんだ、いいな?」
「祐一君はどうするの?」
「俺はあの舞と一緒に、魔物を倒す!!」
「えっ、祐一君にそんなことできるわけがないよ。ケガまでしてるし、絶対にむりっ!」
 あゆ、今の言葉にはものすごくトゲがあったぞ…

「……?」 あゆにはまったく悪気はないらしい。

「と、とりあえず、行くぞ……」
 俺は足もとを少しふらつかせながら、木刀を片手に魔物に立ち向かう。
「祐一君、無理はしないでね……」
 オレの後ろから、あゆのそんな言葉が聞こえてきた。
 …ああ、少しは元気がでてきた。
 祐一は木刀を構え、渾身の力で魔物に斬りかかる、だが魔物の姿が見えないだけに、どこを攻撃したらいいのさえ分からない。ただ空振りを繰り返すのみだった。

「祐一君、右から来るよ!!」
 あゆがそう言った。祐一はあゆの言葉に従い、バックステップで身をかわす。
 どうしてなのかは分からないが、あゆには本当にあの魔物の姿が見えるらしい。


「えっ………?」
 !?
「えっ、こっちに来ないで……」
 どうやら魔物は目標をあゆに変えたようだ。気がついたが、もう遅い-------かと思った。

「そこっ…!!」
 斬。
 舞の剣撃が魔物にクリーンヒットした。魔物が痛みにうめき声をあげる。
「手応えがあった。あと一撃で倒せる」

 舞が剣を両手で持ち、とどめの一撃を与えようと剣を振り上げる。その時。
「ダメ----------!!」
 なぜかあゆが制止に入った。しかし舞は一歩も引こうとしない。
「…そこをどいて」
「ダメだよ。この子を斬っちゃうだなんて、絶対にダメなんだよっ!!!」

 あゆがそう言った時、あゆの後ろの方が光り出す。そしてその光は、あゆの中へと入り込んでいった。
 突然動かなくなったあゆ、そして彼女の目がゆっくりと開いていく。その目は、いつものあゆの目とは違った光を放っていた。

「やっと、見つけたよ…」
 あゆ(?)は口を開く。どこか様子がおかしい。
「あゆ。どうなってしまったんだ……?」
「魔物が取り憑いた。最悪、あの子ごと斬らないと」
「なんだって!?」

 なんてことだ、俺は無関係なあゆを巻き込んでしまった。
 あゆを早くここから逃がしていれば…俺のせいで、あゆは……!

「気をつけて、祐一」 そう叫ぶ舞の言葉も遅く。

「忘れてしまっているなら、思い出させてあげるよ……」
 突然あゆ(?)の手のひらが光り出す。そして俺と舞はその光に包まれて…


 ……?
 辺り一面には、夕焼けに染まった麦畑の光景。この光景には見覚えがある。
 幼い頃に、アイツと一緒に鬼ごっこをしていた、あの懐かしい光景。
「おーいっ、どこだよー!」
「見つからないよーっ」
「こっちだよーっ」
「あははははっ」

 俺は麦畑のどこかに消えた、アイツの姿を探している。ただ無心に。そして俺は、アイツを見つけることができた。
 …その女の子、アイツの顔をはっきりと確かめることのできないまま、俺は目が覚める。
 どうやら気を失っていたらしい。舞はまだ気を失ったままのようだ。

「…思い出してくれた?」 とあゆ(?)は言う。
「…………」 俺の身体がひとりでに動く。

 それはまるで、見えない糸に操られてしまったかのように。
 しかし、不思議とそのことに抵抗は感じなかった。
 それはきっと俺の心のどこかで、こうする事を望んでいたから…

 本当はアイツが誰だったのか、まだはっきりとは思い出せないけど、こうしなければいけないような気がしたから……
 気がつくと俺は、あゆ(?)の身体を抱きしめ、口唇を重ねていた。

長い長いキス。あゆ(?)の身体の体温を感じながら、祐一は彼女の柔らかな口唇の感触を味わっていた。

「………」
いつの間にか舞も気がついて、二人のその行為を見ていたが、その時の祐一には、それがほとんど気にかからなかった。
「ありがとう…」 そんな声が響いた気がする。

彼女はそういうと、その身体がゆっくりと光を放つ。あゆの身体からぱぁっと光が放たれるとそれは光の粒となって、夜の天空へと消えていった…



「……んっ」
俺はそっと口唇をはなす。

「あ、あれ? ボク……」 ぽーっとした表情で、口唇に指を当てているあゆ。
「ごめんな…」 俺の口からは無意識のうちにそんな言葉がもれていた。
「祐一君!? あれ…あれっ??」 あゆは自分に何が起こっていたのか分からない様子でうろたえていた。

「………」
 舞は無言で夜の空を見つめている。辺りには白い雪が降り始めていた。
 そして、長かった夜は明けていく……







 陽は昇り、街は何事もなかったかのように朝が訪れる。通学路を歩いているといつものように舞と佐祐理さんに出会う。
「あはは〜っ、祐一さん。おはようございます〜っ」
佐祐理さんが屈託のない笑顔で挨拶をしてくれる。
「おはよう」
「………」
「何だ舞。朝はちゃんとおはよう、だろ?」
「おはよう、祐一……」
「どうした、舞?」
「…昨日はゴチになりました」
 黙れ。

「そういえば祐一さん。学校の校舎の壁がなんだか大変なことになっているそうですよー。何でも壁に大きな穴が空けられているとかで」
 ぐあ…それをすっかり忘れていた。
「………」
 舞は気にした様子はない。って、おい……?

「あっ、祐一君。おはよう!」
 俺たちが学校に向かって歩いていると、あゆが現れる。
「舞さんも、おはよう!」
「ああ…」
「昨日はごめんなさい。いろいろと迷惑をかけちゃった…」
「気にしなくていい……」
「…ほぇ? 舞の新しいお友達さんですか?」
「………」
 舞は佐祐理の質問に対し、珍しく無言のままだった。

「あゆ、今日もお前の学校、がんばれよ!」
「うん、祐一君たちも。じゃあね!!」
 そう言って走り去っていくあゆ。その姿を見て、舞はなぜか悲しそうな目をして見送っていた。
 それはまるで、あゆとの一生の別れのような、そんな感じの目をしていた。

「ほぇ…あの、えーっと??」
 佐祐理さんは、さっきからずっと頭に「?」を浮かべたままだ。

「祐一…」
「なんだ、舞」
「多分、気のせい」
「??」
 その時の祐一には、舞がどうしてあんな表情をしていたのか、
 いったい何をいいかけていたのか、分かる術はなかった。

「二人とも、早くいかないと学校に遅れちゃいますよーっ」
「そうだったな、行くぞ、舞」
「はちみつくまさん」
 俺たちは学校へと向かう。
 こうして、俺たちの新しい一日が始まっていく――



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