流れ星はきっと、恋のはじまりで






『ふぁんふぁんふぁんふぁん』
 耳をつんざく機械音。明滅する赤いライトと独特のドップラー効果を伴いながら、この国に住む人なら誰もが耳にした事のあるお馴染みのメロディラインが鳴り響いた。この音を聞かされるのは今日で何回目だろう。
 音は鳴り止む様子もない。鳴っているのは――僕と一緒に歩いてくれている彼女が持つ携帯電話。彼女との関係はその……いわゆる、ガールフレンド、だったりする。
「……ねぇほのか。携帯の着信音をパトカーのサイレンに設定するのやめたら?」
「この音を聴いてるとなんだか落ち着くんだ」
 ほのかは得意げに胸を反らす。
 君にとってはそうかもしれないけど。僕にとって、いや世間一般の価値観に基づけば、それは心が落ち着くどころか、激しく緊張感を走らせる音に違いない。
 二人で街を歩いていたある日。偶然目の前をすれ違ったパトカーのことを教えてあげたら、ほのかは興味津々な表情を浮かべて警察署にダッシュし、「白くて黒い車の音をこれに録音させて?」なんて言い出したんだ。僕は慌てて止めようとしたのだけれど。
 その時に受付してくれたお巡りさんがいい人だったのか、例によって彼女がまた何か「やっちゃった」のか。そこまではわからない。けどその結果がこれ。
「すとーかーって言うんだっけ。一人で街を歩いてる時とかにね、ずっと後をつけてくる変なヒト。そのヒトの前でこれを聞かせると、びっくりしたように逃げてくの。もうおっかしいったら。これって最高のお守りだと思わない?」
「……そう考えると、犯罪者除けにはうってつけかもしれないね」
「そうそう。変な連中に追われる心配もないしさ」
 犯罪者どころか、すれ違う通行人からも思いっきり距離を取られてるんだけど。
 着信音を鳴らすことに満足したのか、携帯を閉じるとちろりと舌を出して腕を絡ませてくる。傍から見たら世間や常識を知らないにも程がある、あの日以来いつも僕の隣にいてくれる女の子。人一倍どこか変わってて、人一倍明るい笑顔で微笑んでくれる、そんな女の子。
 こんなコトを言っても、きっと誰にも信じてもらえないと思うけど。
 彼女、星咲ほのかは――――宇宙人だった。




 まだ夏休みが半分くらい過ぎた夜のこと。キッチンの方から母さんと涼凪の話声がしていた。
「十郎」
 僕を見るや涼凪が声をかけてくる。
「夏休みの宿題が終わったからって、部屋でぼーっとしてるだけじゃダメだよ?」
「それくらいわかってるよ」
 本当におせっかいなんだから。
 涼凪(すずなぎ)しずくは、小さい頃から近所に住んでいて、幼稚園の頃からずっと一緒。最近は、夕食の準備を手伝いに来たり、毎朝おこしにやってきたり、弁当を作ってきたり……まあ、そういう関係。最近は母さんが二人になったって思うくらい口うるさくなってきたとか、それはとにかく。
 夕食の時、父さん達と僕と涼凪とでテーブルを囲んでいると、テレビで宇宙人の特集をやっていた。
 毎年お盆の前後はミステリーやオカルト系の話題が尽きない。カメラ映像や目撃者の話。専門家の分析を踏まえたトークショーとか。中には専門の調査団や、そういう団体を影から支援する国まであるとか。
「宇宙人って本当にいるのかしら」「地球人がいるんだから、宇宙人だってどこかにいるんじゃないか?」「もぐもぐ」
 特集を見たみんなの感想。ありふれた会話。……僕もあんな事が起こるまで、宇宙人の存在なんてこれっぽっちも信じてなかったわけだけど。
 宇宙人の特集が終わって数分のCMの後、今度は天体の話題に変わっていた。
 今夜はペルセウス座流星群が見られるらしい。これは、しぶんぎ座、ふたご座の流星群と並んで三大流星群と呼ばれる。流れ星の軌跡模様が織り成す夜空の神秘。その流星群が今年の夏の風物詩だそうだ。
「あのね」
 涼凪がどこか視線を逸らし気味に僕を見る。
「私たち子供の頃よく一緒に流星群を見てたでしょ? せっかくだし、また一緒に見ない?」
「僕はいいよ。じゃあ部屋に行くね。ごちそうさま」
「あ……」
 もうそんな子供じゃないし、涼凪の申し出を断ると部屋に戻った。
「あの子ったら仕方ないわね。しずくちゃん。後でおばさん達と流れ星を見ましょう?」
「はーいおばさま」

 特にやることもない僕は部屋でぼーっとしていた。こんな時間の過ごし方を退屈っていうんだろうな。……ふとテレビでやってた内容を思い出す。時計を見るとちょうど流星群が降りてくる時間みたいで。なんとなく窓から夜空を眺めてみる――その瞬間、なんとなくなんて言葉はすっかり消えてなくなってしまった。
「わあ……」
 見上げた夜空の景色。
 どう喩えたらいいのかな。美しい流星……違う、なんだろう。けど、星の軌跡を奇跡のように喩えた人達の想いが、いまなら分かる気がする。これなら涼凪と一緒に見てもよかったかも。
 一分に一個くらいのタイミングで降りてくる星達。そういえば流れ星が見える時に願うと、その願い事がかなうんだっけ。普段ならただのおとぎ話だと笑ってしまうのに、いまはそれを信じてみたい気分だった。これも流れ星が魅せる不思議なチカラの賜物かもしれない。
「……、…………」
 取りとめもない願い事を流れ星に伝える。届いたかどうかはわからない……けれどその時だ。
 流れ星のひとつが一際鮮やかなピンク色に輝いた気がした。願い事が届いたのかな?
 そうじゃなかった。ピンク色どころか真っ赤に燃え上がった流れ星が、大気圏で燃え尽きずに落下してくる。公園の方に向かって大きな塊が地面に衝突。辺りが激しく揺れた。
「えええええ!?」
 ものすごい地震だった。部屋中の家具が激しく揺れて倒れそうになる。
 揺れが落ち着いた頃、僕は部屋を飛び出し階段を駆け下りた。
「さっきの隕石の衝突。十郎は平気だったの」
 慌てて階段を駆け下りると、涼凪がリビングから顔を出した。父さんと母さんは地震にも関らず、二人揃って暢気に夜空を見上げたままだ。
「涼凪ごめん。ちょっと公園まで行ってくる!」
「ちょっ十郎。いま外に出るのは危険って……きゃ!」
 涼凪の横を押しのけるように玄関のドアを開け、僕は公園へと走った。
「ねぇ十郎ってば!」
 まさか星に願い事をしたから衝突した!? そんなはずはない! ……そんなはずはないんだけどっ!

「はぁっ、はぁっ、はぁっ……」
 あれほどの衝突だ。みんな絶対気づかないわけないのに、途中誰にも会わず公園に辿り着く。僕が一番乗りだったのかな。
 公園に入ってすぐ。憩いの場だったはずの広場に、隕石の衝突特有のクレーターがぽっかりあいていた。その真ん中辺りに飛行機みたいな形の乗り物がある。ハッチが開いていて、気を失って倒れている人影が見えた。
「う……ん……」
 女の子だった。ウェットスーツみたいな服が所々裂け、血を流して倒れている。
 病院に連れて行ったほうが良いのかな。慌てて携帯を取り出す……でも相手のことをよく知らないし、病院の人にどう説明すれば!
 ふと思い出す。とてもコワクて、とても不思議な宇宙人の話。
『宇宙人に出遭ったらまず逃げろ。逃げ遅れたら謎の光線でさらわれて実験体にされちゃうぞ。記憶喪失にされちゃうし、お家に帰れなくなるかもしれない。だから宇宙人が出てくる夜は家の中で過ごして、布団で早くおやすみなさいして朝まで楽しい夢を見よう』……幼い子供なら当たり前のように聞かされるおとぎ話。
 でもそれはただのおとぎ話で、僕達が大人になる前に大人だった人達が、夜更かしする子供を寝かしつける為に作った作り話。そういったもののはず。だけど事実おとぎ話だったはずの宇宙人を目の当たりにしている。その宇宙人がこんなかわいい女の子だってことも。
 事実に勝る根拠は存在しない……それが夢の中の出来事なら話は別だ。子供でも知ってる、これが夢なのか現実なのか判断する最も簡単な方法。頬をつねる……痛い。いろんな方向に引っ張ってみる。やっぱり痛い。
「あはははは! なにやってるのこの子。おっかしーい!」
 救急車を呼ぶのも忘れてあれこれやっていると、女の子がお腹を抱えて笑っていた。恥ずかしさに顔が熱くなる。
「な……そんなに笑わなくたって!」
「あれ、キミ。あたしのことが分かるの?」
 質問の意味が分からなかった。目の前にはあの子がいるし、声だって聞こえる。これ以上あの子のことがどう分かる分からないっていうんだろう。
「あれ、あれれ? 対認識ジャミングが故障してるのかな。あたしの存在がいまの地球人の技術で認識できるハズないのに……えーと、ほろれちゅちゅぱれろ?」
「ほろれちゅちゅぱれろって何……」
「うあ、完璧あたしの存在がバレてる。なんでなんで?」
「僕に訊かれても……」
「そういえばそうよね。やだ通信機も故障してる……ああん航行機能まで。もう全然ダメじゃん。今夜はやんたまがある日なのに。お家に帰れなくなっちゃうなんて〜〜」
 彼女はよく分からない次元の思考でうーうー唸っていた。あれだけの怪我なのに随分元気だなと思った。
「ていうか君すごいケガをしてるよ。待ってて、すぐ救急車を呼んであげるから」
 そうだ。急いで電話しなきゃ。
「ああこれね。このボタンを押せばすぐ治るから」
 言われて気づいたように、ケロリ顔で操縦桿にある緑のボタンを押す彼女。すると彼女の身体がぱぁっと光に包まれて、傷は綺麗に消えてしまった。その様子を口をぱくぱくさせながら眺めていた僕。
「ああこれはねナノマシン技術と波動光学の賜物でね流体ナノマシンを注入した素体に対してマナウス理論に則って最適化された変位パルスの精密照射が新陳代謝を瞬発的に加速させて細胞を再構成するのこれって美容にも効くからあたし割と好きなんだ……ってキミ、頭から煙ふいてるよ。大丈夫?」
 彼女の宇宙理論に僕の頭はオーバーヒートしていた。
「そっかぁ。地球とあたしの星だと実用化されてる技術が違うんだっけ。そいえばキミ。地球では今日は何年の何月何日なのかな?」
 まくし立てるように質問を繰り返す。
「西暦2007年の8月13日だけど……君こそ誰?」
「あぁなんてこと! 今日は流星群の光が降りてくる日じゃない。だから巡回域の空間一帯が急速な磁場収束を起こして、巡視艇のシステムが一斉にダウンしたんだわ。墜落の理由はそれね」
 僕の質問に答えてほしかった。
「ここまで故障してると修理に時間がかか……そうだ!」
 ポンと手を合わせて彼女は言った。
「巡視艇が直るまでの間、キミの所にいさせて?」
「はい?」
「あたしも地球人の友達が欲しかったし。よし決まり。今日からしばらくよろしくね」
 僕の返事も聞かず、強引に決められてしまった。

 ――こうして家に宇宙人の女の子がやってきた。彼女を連れて帰宅した頃には涼凪は家に帰ってたみたい。
「へぇ。地球人の部屋って割と雑然としてるのね」
「……これでも大急ぎで部屋を片付けたつもりだけどね」
「ふーん。でもあたしの故郷の星だと、安アパートでもこんな前時代的な構造はしてないわ」
 いちおう僕の両親が汗水垂らして建てた一国のお城なんですけどね。
「ううんスペックの問題じゃないわ。キャパシティの問題よ」
 ぐさっ。ぐさっぐさっ。
 矢印の形をした何かが心臓めがけて突き刺さっていく感じがした。
「あれ、なんか凹んでる人がいる。ひょっとして地球人って、本当のコトを言うと簡単に傷ついちゃう精神構造をしてるの?」
 それは知りえなかった情報ね、メモメモ……と言いながら左手首に填めた腕輪から光の文字盤みたいな物が出てきて、その上で右手を動かしている。
「じゃああたし、しばらくこの街に厄介になるわね」
「ちょっ、待ってよ。年頃の女の子と一緒に暮らすなんて。一階には母さん達だっているし」
「大じょぶ大じょぶ。これから地球の因子にアクセスしてちょこっと構造を書き換えさせてもらうから」
 ――夜が明けた頃には、地球の因子? 書き換え? なにそれ? なんて疑問が一瞬で吹き飛びそうな景色が待っていた。



 翌朝。
 ニュースでは地震の話題で溢れていた。朝早くからマスコミのヘリが飛び廻っている。けど不思議な事に地震の頃の状況を誰も覚えてないっていうんだ。あの時一階にいた父さんや母さんは勿論、涼凪に訊いても「なんの話?」って返されてしまった。
 そもそも地震があったのに建物がひとつも壊れていないなんて。進化した耐震構造技術の賜物、とか専門家の人達は言ってたけど、普通地震が起こって道路にヒビひとつ入らないのはありえないと思う。
「あたしが因子を書き換えたから昨夜の事は心配しないでね」
 昨夜の出来事の主役がやってきた。やっぱり夢じゃなかったっぽい。
「おはよ。あの時はドタバタしてたし、改めて挨拶しよーかなって」
「そうなんだ」
 昨日はあんな強引なことを言ってたのに、案外律儀な所もあるんだな。
「これからよろしくってお願いしたいところだけど」
「うん」
「その前に、ひとつだけ約束してほしいことがあって」
 約束ってなんだろう。
「あたしの正体が宇宙人だって事、誰にも言わないって約束」
 そんなコト誰にも言うワケないのに、どうしてそんなコトを言うんだろう。
「中にはあたし達みたいな異星人に理解のない人もいるのよ。異星人って言うだけで変な目で見たり、実力行使に出ようとするひどいヒトがいるものなの」
 口にする彼女はとても哀しそうな目をしていた。だから僕は、
「うん。約束するよ」
 と答えた。
「ありがと。これで晴れてあたし達はお友達だね。よろしく!」
 いきなりぎゅっと手をつながれる。心臓がどきん、と鳴った。
「そだ。お友達になった印に自己紹介しましょ。まだキミの名前を聞いてなかったな」
 そういえばまだお互い名前も知らなかったね。
「僕は杉並十郎。十郎でいいよ」
「十郎クンね。それじゃあたしの名前はね……」
 彼女はアゴに手を当てて何か考えてるようだった。自分の名前ってうんうん思い悩むようなものだったっけ。
「よし決めた!」
 決めたって何を!
「十郎クンの部屋に貼ってあるこのポスター!」
 彼女が指さす壁には人気アイドルのポスターが貼ってある。星咲ほのか。最近デビューしたばかりの、名前通り芸能界期待の新星と呼ばれる清純派アイドルだ。
「あたしこの娘の名前にするー」
「この名前にするって。名前はそんな簡単につけたりできるものじゃないと思うんだけど」
「え? だって名前って、その人を認識する便宜上の言語配列でしょ。だったら相手に一番わかりやすい名前をもらったほうがいいに決まってるじゃない」
 きょとんとした顔で問い返される。この娘の感覚は僕達地球人の感覚とはちょっとずれているみたいだ。
「ふーん。十郎クンはこんな感じの女の子が好きなんだー? メモメモ」
 なんだかニヤニヤ顔しながらメモられてしまってるし。
「そ、そりゃアイドル星咲ほのかにはちょっぴり憧れるけど、そもそも雲の上の人だし、そういう意味での好きってほどじゃあ……」
「じゃあこの子の名前、あたしがもらってもいいよね?」
 どういう理屈なのか分からなかった。
「次は、あたしの住む家を紹介するね」
 ……はい?

「なんだこれは……」
 空き地だったはずのお隣の敷地に立派な一軒家が建っていた。
「巡視艇の変形機能が生きてたから、十郎クンの家を参考に変形させちゃった」
 変形機能……って。参考って。
「割といい感じにできたわね。地球で有名な秀吉さんもびっくりよね」
 その前に僕がびっくりだよ。
 彼女は『星咲』と書かれた表札を門にさげる。
「だからその名前は……」
「うん。だから今日からこれがあたしの名前」
 すでに決定事項だった。そして彼女……から真顔でまじまじ見つめられる。ドキンと心臓が高鳴るのが先か、僕は彼女から目をそらすことができない。
「そう。いい子ね。これからあたしのお願いを聞いてくれるまで、あたしから絶対に目をそらしちゃダメよ?」
 言って目の前に人差し指を寄せてぐるぐる回しながら、
「ねえ、十郎クン? ……私の名前は星咲ほのか。星咲ほのかよ。これから私のコトはそう呼びなさい……」
 まるで催眠術みたいな言い回し。どうしてだろう。星咲ほのか。星咲ほのか。なんだか意識が朦朧としてきて。強烈な眠気に襲われる感じがする。軽い疼きと眩暈にクラクラする頭が彼女の言葉で満たされていって、だんだん何も考えられなく……。
 ……。
「それじゃほのかさん。僕の街を案内するよ」
「うんっ。十郎クンは優しいね」
 ――こうして僕はほのかさんとデートすることになったんだ。



 女の子と二人っきりで歩くなんて、幼い頃から涼凪と過ごしてて慣れてるはずなのに、昨日知り合ったばかりの女の子と一緒に歩くことがこんなに緊張するものだったなんて。
 ほのかさんには初めて出遭った時に着てたウェットスーツみたいな服のまま街を歩かせるわけにも行かず、僕の服のお下がりを着てもらっている。昔着てた服を目の前の女の子に着てもらっている事実に……なんだか倒錯めいた気恥ずかしさを感じて、視線を合わせづらい。
 けれど隣で目を爛々と輝かせながら街中を見回すほのかさんの姿に、思わず微笑んでしまう。
 街を案内する前に、ほのかさんに合う服を買いに行こう――諸々の理由込みでそういう話になって。

「へー。地球人ってこういう感じの服を着るんだー」
 お店に入るなり、ぐるぐると回って色んな服を手にとっては感心しているほのかさん。
「うっわーこれって完全に肌が丸見えじゃない。地球の女の子って勇気あるー」
 僕にとっては普段あんなピチピチの服を着てるキミのほうが勇気あると思うんだけど。
「ちょっと着替えてくるね!」
「う、うん」
 ほのかさんは選んだ服を抱え込むと、更衣室に向かってダッシュしていった。

「どう? 見て見て? 似合う?」
 ……。ほのかさん。せめて人前ではスカートくらい穿いてください。
「ってあら店員さん……ふむふむ、なるほどこの部分は見せちゃいけないのね。地球のおしゃれってむずかしいわー」
 物すごい恰好をして更衣室を出たほのかさんは、顔を真っ青にしてやってきた店員さんに怒られていた。
 それからしばらくの間。ボタンのかけ違え、サイズ違い、ソックスを手に填めたり、衣服の前後逆、裏がえし。……なんていうか、物心つく前の女の子が着替えのやり方を教わる所を眺めているような感覚だった。いくら地球にやってきたばかりとはいえ、女の子が下着のつけ方も知らないっていうのは……その、なんて言えばいいんだろ。大きくため息をつくしかなかった。
「うん。だんだん地球の衣服のことが分かってきたわ!」
 店員さんの見立てのおかげか自信満々のほのかさん。
「ようっし! 今度こそ!」
 ほのかさんは燃え上がっていた。そして数分後――――
「こんな感じでどう?」
 改めて更衣室から出てきたほのかさんの姿は、空から舞い降りた天女みたいで……それは誇張しすぎだろうか。
「ふふーんその反応……地球人の男の子って、こういう事でもドキドキしちゃうのね。いいことを知ったわ」
 口をパクパクさせるだけで精一杯のそんな僕を、ほのかさんはニヤニヤ顔で眺めながら手帳にメモしてる。

「やっぱり、おしゃれっていうのはね……」
 しばらくの間をおいて。おしゃれについてほのかさんは語りだす。
「服を作った人が服に籠めた想いや気持ち。そういったものが作り手の手元を離れ、誰かの目に留めてもらったとき、それは言葉だけでは伝えきれないメッセージの交流が起こるとあたしは思うの。なんていうかさ。こういう服を着た人を見てかわいい! とか綺麗! だとか色んな感想があるじゃない?」
「うん」
 どこか真剣の眼差しを帯びたほのかさんの目に、思わず息を呑む……それは過去、僕がどこかに置き忘れてきたものだ。遥か遠くに置き"忘れてきた"ために、再び見つけ出すことが困難な――本気とか情熱とか呼ばれる何か――それを今なお持ち続け、言葉という形で伝えるほのかさん。
「センス次第でどんなイメージにも自分を表現し、コーディネイトできる。おしゃれっていうのは衣装、つまり意匠を身にまとう行為だってあたしは思うの」
 次第に熱を灯す彼女の言葉ひとつひとつに、いつの間にか聴き入ってしまっていた。
「なにより本人の魅力を引き出す側面もあると思うから」
 おしゃれに無頓着な僕でさえ、彼女の紡ぐ言葉には納得させられる何かがある。そこまでおしゃれへの思い入れがあるのなら、ほのかさんは将来きっといいファッションデザイナーになれるんじゃないかな? 着る人と見る人の心に何かを伝える衣の芸術家。そうしてクリエイトされるもの。それは何かを伝え、または受け取る本人にとって、とてもやり甲斐に満ちた日々に違いない。そんなほのかさんを羨ましいと思いながら、ちょっぴり応援したい気持ちにもさせられるのだった。
「そうよ。こことかこの辺に星飾りを散りばめて、ネオンライトでキラキラ輝かせるの! 夜も灯りに困らないし最高よね!」
 しかし肝心のセンスは皆無のようだった。



「ありがとうございましたー」
 ほのかさんは選んだ服に着替えたまま、僕は支払いを終えて店を出る。
「……」
 どうしてこういうヒラヒラの洋服が13万円もするんだろう。現金で支払いを済ませると、アルバイトでコツコツ貯めてきた貯金が底をつきそうだった。でもお金をかけた甲斐あってか、ほのかさんのことが出かける前に比べて一段と可愛く見えた。着ている服がほのかさんの明るいイメージを引き出してるって感じがして。ほのかさんが言ってたように、これが意匠に対してお金を払うってことなのかな。
「……ねえねえ?」
「わわっ!?」
 見惚れていると、ほのかさんが顔を覗きこみながらぶんぶん手を振っていた。
 慌てて飛び退く僕。
「あたし達は友達同士だけど、知り合ったばかりの相手にこんな買い物してくれる十郎クンって……実はいい人?」
「……え?」
「だって、お店を出てからずっと憂鬱そうな顔してるから」
 あ……。仮にも二人っきりで街を歩いている時に、相手にそんな顔を見せてたなんてエスコート失格だ。情けなくてほのかさんに合わる顔がなかった。
「ほら。またそんな顔をする!」
 ほのかさんの一喝。
「地球のことわざで無くて七癖ってあるけど、十郎クンにはそういう顔をしちゃう癖があるみたいね」
 言いながらほのかさんはメモを取っていた。
「十郎クンの悪い癖が治るようにあたしがお手伝いしてあげる。友達だもんね? あたし達」
 友達という部分でキミとあたし、みたいに人差し指を動かすほのかさん。
 そんなほのかさんに僕はすっかりまいってしまった。

「おい」
 街を歩いていると、突然後ろから野太い声がかかる。声に振り向くと、四人くらいの大男達に取り囲まれていた。
「いったい何のご用ですか……?」
「その娘に用がある」
 有無を言わさず黒服の一人に取り押さえられて、残る三人がほのかさんに向かって襲いかかる。
「なによ貴方た……むぐっ!?」
 口を塞がれ、ほのかさんは路地裏の方に連れて行かれてしまった。僕は男から解放され、男はそれに続くように路地裏に入っていった。
 どうしよう。そうだ警察。警察を呼ばないと。ふるえる手で携帯を取り出そうとして、何度も手から落としそうになりながらダイヤルしようとする。
 あたおたしているうちに、ほのかさんが路地裏から出てくるのが見えた。
「大丈夫? ケガとかしてない?」
「うん。あたしは大丈夫だよ」
 ケロリ顔で答える。よくわからないけど、話し合いで解決できたってことなのかな。
「ああいう連中ってたまにいるの。記憶を消してきたからしばらくは問題ないと思う」
 けれど、ほのかさんの言葉のどこかに違和感を感じた。
「その……ごめん」
「どうして十郎クンが謝るの?」
「だって大変なことになりそうだったのに、ほのかさんに何もできなかった」
「なんで? だって、あたし個人の問題でしょ? 友達の十郎クンを巻き込むわけにはいかないよ」
 そういう問題なんだろうか。友達だからこそ、ピンチの時は助けたいって思うものじゃないだろうか。友達だから巻き込みたくない、って、それはなんか……。
「よーし。でーとの続きをがんばろー」
「あのね。デートはがんばるんじゃなくて楽しむものだから」
「そうなんだ? じゃあ言い直し。でーとをがっつり楽しもー」
 がっつり……。

 午後からは目いっぱい楽しい一日を過ごした。気がつけば陽も落ちる頃。照り返す夕陽が眩しくて。それに負けないくらい、ほのかさんの笑顔が眩しくて。
「十郎クン。今日は楽しかったねー」
「うん。楽しかったね」
 素敵な一日だった。楽しんでもらえて本当によかった。
「そうだ。でーと終了の前に……」
「うん?」
 ほのかさんは一歩前に踊り出るとそこで足を止めて、振り返る。
「キスしよ?」
「えぇっ!?」
 いきなりとんでもない申し出だった。
「え? だって、でーとって最後はキスで締めくくるんでしょ? 身体をぎゅーって抱きしめて体温を確かめあったり。これが親交の証だぞーって」
「どど、どこから仕入れてくるのそんな知識っ!」
「ん? 衛星経由のネットワークで」
 どういうネットワークだよそれは。
「あー、顔が真っ赤になってる。十郎クンの悪い癖発見。メモしとこっーと」
 顔が赤くなることって悪い癖なんだろうか。って、またメモられてるし……。

「じゃあまた明日ね。ばいばーい」
 僕達は手を振って別れた。これからほのかさんと一緒に過ごす日々が始まると思うと、わくわくして夜も眠れなかった。



 ――――ドンドン。ドンドン。
 翌朝。乱暴に叩きつけられるドアのノックに起こされた。外が何だか騒がしい。
 玄関を開けると外は雨だった。雨脚の向こうに大勢の人だかりがある。それは僕もよく知る街の人達だ。
「管理局の者だ。民間の捜査協力に感謝する」
 昨日も見た黒服の男がそこにいた。そして本物か偽物かどうかも見分けがつかない手帳を見せられる。
 違和感を感じた。黒服の男がいるのはもちろん、ここにいる誰もが、ある一点に向かって等しく敵意の視線を向けていたからだ。視線の先を追う。そこに立っていたのは……ほのかさんだった。

『異星人って言うだけで変な目で見たり、実力行使に出ようとするひどいヒトがいるものなの』

 ほのかさんから聞かされた言葉を思い出す……この時やっと状況を理解した。地球人ではないほのかさんの違いに気づいた誰かが、この黒服の男達に通報したんだ。
 ほのかさんの星の技術(対認識ジャミング?)も完璧じゃなく、いわゆる例外――バグがあったってことだ。そう、この僕のように。ただしその誰かは、ほのかさんの存在を受け容れることができなかった。それが僕とは決定的に違う点。
 野次馬となった群衆。ほのかさんを捉える視線達の中にその誰かがいるんだ。でもここでその誰かを探すことに意味はない。ユングの集合無意識だっけ? と呼ばれる集団心理の法則に従い、この場を囲む誰もが疑念というひとつの枠組みに感化されているからだ。起こりえない違和感は心理的な歪みとなって形に顕れる。だからこそその誰かは、管理局への通報という非常手段に訴えたんだろう。
 心に孕んだ違和感を直接的な言葉として唱えても周囲に受け入れてもらえない。だからこそ人はこういう状況の岐路に立たされた時、周囲を感化/システマチックさせる手段に訴える。
 だけど、こんなやり方はきっと卑怯だと思うし、なにより理不尽だ。
「っ……やめて。あたし何も危害なんて加えていないでしょ!」
 そうだ。ほのかさんが何をしたっていうんだ。それなのに。
 好奇、羨望、恐れ、怒り、入り混じる様々な負の感情。群衆の視線と言葉の針によって、彼女は身体中を串刺しにされていた。
 僕は身を乗り出す。けれど街の人達によって阻まれてしまう。
 ちくしょう!
「これは誤解なんだ。ほのかさんは悪い人なんかじゃない! みんな聞いてよ!」
 頭の中がいっぱいいっぱいで、状況をひとつひとつ説明する言葉が浮かばない。くそう、こんな僕にもテレパシーみたいな力があればいいのに!

「約束……やぶったんだね……」
 僕の姿を認めたほのかさんの声。それは昨日までのほのかさんからは考えられない、暗く、沈んだ声で。
「……ウソつき」
 それは僕の心臓をひと突きにする言葉だった。
「ひどいよ。十郎クンのこと、地球で初めてできた友達だと思ってたんだよ」
「違うよ! 僕は約束を破ってなんか!」
「友達だと思ってたのに……」
 消えいりそうな声でつぶやく。彼女にはもう僕の声が届いていないのだろうか。
「じゃあその機械で僕の心を覗いてみたら良いじゃないか! それでウソをついてるかハッキリするから」
 そうだ、ほのかさんは宇宙人。僕達地球人が想像もつかない技術を持ってるんだ。最後の望みに賭け、僕はほのかさんの腕輪を指さす。頼む。僕の言葉を信じてくれ……。
「っ!」
 けれど返ってきたのは彼女の平手打ちだった。じんじん腫れた頬の痛みとショックに、目の前が一瞬揺らいだ。
「……あたしの星にもそんな技術なんてない……だから言葉で伝え合おうとしたんだ。もしできたとしても、それで友達の心を覗けるワケないじゃない……それをあたしにやれって言うんだ?」
「う……」
 自分が言ったことの軽率さに言葉を失う。
「あはは……そっか。あたし達ってお互い立派なウソつきじゃない。とんだお似合いさんだね」
「違う。違うんだ。お願いだから話を聞いて!」
 言葉を選ぶ余裕なんてなくて、叫び声をあげるだけで精一杯だった。
「もう十郎クンの顔なんて見たくない! 十郎クンのコトを見損なった! 絶交だよ!」
 両目から流れるのは、とまらない涙。
 空から降り注ぐのは、涙に負けないくらいひどい雨だ。
 身体中がずぶ濡れになっていく。
 身体中が涙を流しているようだった。
 ……それは、僕も同じだ。
 心の中を支配するのは、抑えようもない哀しみと失意の感情。
 ……それは、彼女も同じはずだった。

 暴れるほのかさんが黒服達に取り押さえられる。彼女は拘束から逃れようともがき、あがき続けていた。一方街の人達に阻まれ、助けに入ることすらできない僕は、果たして彼女と同じだったのか……。けれどその時に見せた彼女の泣き腫らした顔はきっと、一生忘れることはできないと思う。
「……」
 彼女はついに諦めたのか、抵抗することをやめた。
「さようなら。十郎クン」
 彼女の瞳から、流れ星が落ちるような大粒の涙の雫。
 それは彼女がかけてくれた最後の言葉だった。
 ……。
 黒塗りの車に連れられるその後姿をただ見ていることしかできなかった。
 落胆の僕にかけられたのは、
「これでよかったんだよ」「やあねえ。うちゅうじんっていうのはこれだから」「これでこのまちもへいわになるのかねえ」「じゅうろうくん。あのうちゅうじんからなにかされなかったかい?」「ゆうぼうなおとこのこをだますなんて、とんだひとさらいだ」「やくにんのおえらいさん。ちきゅうのへいわいじを、これからもおうえんさせていただきますぞ!」
 拍手喝采。
 違う。違う。そんな言葉を聞きたいわけじゃないのに……! みんなどうして僕をほのかさんから遠ざけようとするんだ。そんなコトを言うな! ほのかさんを悪く言うな! やめろ! やめろ!
 普段は優しい街の人達なのに、今はすごく悪い人のように見えてくる。
 ほのかさんが最後に言った言葉が、街の人達の感化の言葉によって、別の意味の何かに塗り替えられそうになる。失意の心の奥底に浸みこむ感化の言葉。けっして感化されないよう、流れこむ言葉の奔流をせき止めるだけで精一杯だった。
 ……。
 気力を取り戻した頃には、黒塗りの車が視界の向こうに消えた後だった。雨に霞んで視界の向こうに溶けていく輪郭。なにもかもが、遅かった。手遅れだった。やがて僕も何事もなかったかのように日常に感化されていくのだろうか。



 ……ほのかさんの家は撤去されていた。正確には家の形に変形してた巡視艇が。
 後になって、あの人達は地球平和維持管理局といって、宇宙人の研究を行う専門機関だと聞かされた。当然その構成員は選りすぐりのプロばかり。あれくらいの船の回収なんて造作もないのだろう。あの巡視艇は彼女と同様、宇宙人の研究のために使われてしまうことになるのだろうか。
 なによりこれで、彼女と僕を繋ぐ最後の手がかりを完全に失ってしまったことになる。
 すっかり空き地へと元の姿を取り戻した/僕にとっては取り返しようのない過ちの姿のその場所に膝をつき、あの瞬間に涸れたはずの涙が再びあふれ出そうとしていた。

“ならないんだよ”
「え……?」

“二度と取り戻せないなんて、そんなことはないんだよ”
 声が聞こえるのは、空き地に唯ひとつ残っていた巡視艇の欠片だ。ぼう、と淡い光を洩らしていた。

“そう……キミが心の底からほのかを求めるのなら”
“身を切りさく絶望の風だって、空を羽ばたく希望の翼に変わる”
“失くしたからって、そこで終わりじゃない”
“求めることを忘れた時点で、それは終わるんだよ”
“あんなことが起きた後だけれど、君の心には、なにが残ってる?”

「短い間だったけど、ほのかと一緒に過ごした時間。……楽しかった思い出」

“――"思い出"で終わりにしちゃって、いいの?”

「終わりにしたくない! いいわけないんだ!」

“だったらまだ終わりなんかじゃない。キミはそうは思わない?”
“だってキミの星の言葉でも言うじゃない?”
“『すべては、心の持ち方しだい』だって”

 ……そうだ。理由なんて関係ない。それは動機だから。ただのきっかけに過ぎないから。そんなモノは明確な事実の前にもろくも崩れ去る。事実に勝る根拠は存在しない。だから。あえて理由を口にするのなら。それは。
「だって僕は、ほのかに恋してるから。心から大好きだから――――!!」
 確かな意志で、僕は叫んだ。

“よくできました”
 思いの丈を籠めた叫びを聞き届けてくれたのか。欠片は役目を果たしたように光の粒へと姿を変え、僕を祝福するように宙を舞い、やがて僕の中に溶け込むように消えた。

“君は、あの子のはじめての――――だから”
 最後の方の言葉はうまく聞き取れなかったけれど。

「……よくできました」
 気を失う直前。よく見知った誰かがぼんやりと映っていた。その誰かの、懐かしくて、柔らかい、そんな膝に抱かれて、その誰かは前髪をゆっくりと梳いてくれた。



「……」
 目を開けると涼凪がいた。僕が気を失っている間ずっと膝枕してくれてたみたいで。
「充分に眠れた?」
 学校の朝、まだ眠っている僕を起こしてくれるような声で涼凪は言う。だから条件反射でうんと頷いた。
「そう、ならよかった」
 僕の答えに頷く涼凪は、普段通りの涼凪だった。

「これから十郎には、少し勇気を振り絞ってもらわないといけない処だし」
 突然、涼凪の表情が引き締まったものに変わる。
「十郎に、あの子を助けるだけの覚悟はある?」
「覚悟?」
「勘違いしないで。十郎のためになるなら一肌脱いであげてもいいかなって思ってるだけ」
 言ってる意味がわからない。涼凪の顔が赤い意味も。問い返そうとすると、涼凪は心底あきれたように溜め息をつきながら。
「で、どうなの? 十郎の答え」
 答えに迷っていると、むんずと顔を寄せられて、そのまま右手でデコピンされた。
「痛っ!」
「さっき十郎は何て言った? あの子のことが大好きなんでしょ?」
 叱るように問い詰められる。確かにそれはさっき僕が言った言葉だけど。あれ、なんでそれを涼凪が知ってるんだ?
「細かいことは気にしない! シンプルな質問。十郎はあの子の所にいきたいの? いかないの?」
 僕は、涼凪のその問いかけにハッキリと答えることができた。
「いくよ。僕はそう決めたんだ」
「なら私も協力してあげる。あいつらには個人的な借りもあるし」



 涼凪に連れてこられた場所は、私有地の森林に囲まれた、存在感のある白い塀に囲まれた施設。傍目には何かの研究施設にしか見えない。僕達は茂みに隠れ、息を潜めて入口の様子を窺っていた。
「本当にここにほのかがいるの?」
「うん」
 涼凪は確信をもって答える。
「だとしても、入口には警備員がいるよ。もし見つかったら……」
「いい。あの程度の警備なら特に問題なく突破できるわ」
 違和感っていうか、いつもの涼凪とはどこか違う感じがする。涼凪とは結構つきあいが長いけど、こんな感じの涼凪を見るのはいつ以来だっけ。
「私が隙を作るからその間に中に侵入して。十郎はただ走るだけでいい」
「う、うん」
「まぁ敵に塩を送るみたいで癪だけど、十郎の哀しむ顔はもっと見たくないし。がんばって」
 涼凪が背中をポンと押してくれる。思わずよろめいて、茂みの外に飛び出してしまう。
「?」
 警備員達に見つかってしまった。二人の警備員は僕を不審そうな目で睨みながら近づいてくる。
「君。ここから先は部外者は立入禁止だ。子供は早く家に帰りなさい」
「あ、あの、その」
 訝しげな目つきと威圧的な言い方に何も言えなくなる。進むことも逃げることもできない。
『あの子を助けたいんでしょ? 助けるって決めたんでしょ?』
 戦々恐々としている僕の後ろで涼凪に叱咤された気がした。声の方を振り向く。けれどそこに涼凪の姿はない。
「何をきょろきょろしてるんだ? ……念のため詰め所まで来てもらおうか」
 途端。警備員達の目つきが不審者を見る目に変わり、肩をつかまれそうになった時だった。

 ――どおおぉん。
 研究所の建物内で大きな爆発がした。音と共に煙があがっている。
 ――どおおぉん。どおおぉん。どおおぉん。
 それが二発。三発。四発。いたる所で立て続けに爆発し続けている。
「なんだどうした? 施設内でなにが起こっている?」
 警備員達は無線機を取り出し、連絡を取っているようだ。
「君、とにかく危険だから今すぐ家に帰りたまえ!」
 言い残すと、二人の警備員は慌てたように建物の中に入ってしまった。そうして入口には僕以外誰もいなくなる。
『チャンスよ。走って』
 これが建物に入るチャンスだと思い、力いっぱいダッシュした。
「♪」
 ――敷地内を走る僕の後ろで楽しそうに微笑む誰かの視線を感じたけど、きっと気のせいだろう。
 建物内の通路は迷路のようになっていた。だけど迷うことなく先を急ぐ。僕の走る先にほのかがいるという確信があったから。ロックされていない扉を探し、走り抜ける……どれくらい走り続けただろう。僕はほのかを見つけ出すことができた。

 けれど、僕が見た彼女の姿は、
 ……血に染まっていた。
 滴り落ちていく、鮮やかな紅色の液体。
 それは確かに、人間の血で。
 彼女の血ではなかった。

「……誰? まだ無事なヤツがいたんだ」
 凍るような視線。目が合った瞬間、心臓を射抜かれてしまうかと思った。ほんのさっき、ほのかを助けるって強く心に決めたばかりなのに、どうしてこんな簡単に決意が揺らいでしまうんだろう。
 それは目の前にいる彼女が、僕が期待していた彼女じゃなかったから?
 違う! 違う! 違う! そうじゃない。ほのかは、ほのかだ。そう僕自身に言い聞かせた。そんな僕のがんばりを否定するみたいに。
「"おひさしぶり"だね、十郎クン。どうしてここまで追いかけてきたの?」
 その言い方……。あんな最悪の別れ方をしたばかりで怒ってるのはわかるけれど。それだけじゃなくて。言葉だけじゃ説明がつかない、彼女の言葉はどこか違った響きを伴っていて。
「大丈夫。今度は対認識ジャミングも完璧だし、警備システムも簡単に誤魔化せた。構造が幼稚すぎだし。あとは因子を改竄してガス爆発か何かってコトにしとけば問題ないし」
 ってコトにしとけば、って……どうしてそんなことを簡単に言えてしまうんだ。
「……そうそう。十郎クンは約束を破ってなんかいなかった。こいつらが網を張ってただけなのに、朝は酷いことを言っちゃった。ごめんね」
 倒れている白衣の男達を睨みつけながら、言った。
「こいつらはあたしを狭い部屋に閉じ込めたあと、実験のモルモットにしようとしたの。無理やり薬を飲まされて、意識を消されて、空っぽの人形みたいになったあたしの耳許で事務的な命令を繰り返したり、調査のためって言って身体や心をまさぐったり。データを取り出せるだけ取り出したら、洗脳して従順にするか解体して本当の意味で最後までデータをむさぼる。それが連中のやり方……あたし達の心や命と引き換えにね。こいつらにとってあたし達――地球外生命体はそういう興味対象に過ぎないんだもの」
「だからって、命まで奪うのは何か間違ってる!」
「って十郎クン、勘違いしてない?」
 え……?
「なぁに? このヒト達に死んでほしかったの?」
 言われて気づいた。この人達、相当ダメージを受けてるようだけど、まだ息があるみたいだ。
「コレを助けることもできれば致命傷に変えることもできる。構成因子を書き換えるだけだもの。十郎クンがそういうなら死んだことにしちゃう? こいつらの命はあたしが握ってるわけだし」
 違う。違う。ちがう……。そんなことを普通に話すほのかの言葉に、強烈な違和感を隠せなかった。
「この感じ。へぇ、あの巡視艇に認められたんだ。ジャミングが効かない所とか……やっぱり十郎クンにはその素質が充分に備わっていたんだね」
 ほのかは小さな声で――あたしの目は確かだったと、言葉を付け加える。
「幻滅しちゃった? あたしはキミが思っているような女の子じゃない……ひどい女なの」
 そんな自傷行為にも似た物言いに、僕は。
「だったら、どうしてそんなに涙を流しているんだよ」
「え?」
「キミが自分で言うような女の子なら、いまこうして泣いてるわけ、ない」
「あ、これは目にホコリが入って……」
「研究所の衛生室で目にホコリが入るわけがないじゃないか」
「あ……」
 ほのかがとっさについた言葉のウソを暴く。言い返す言葉を失ったほのかはうつむいてしまった。
「……きっとあたし、地球人の心に感化されちゃってるんだね」
 ……。
「十郎クンのせいだよ? 十郎クンがあたしをこんなに感化させちゃったんだ」
「……感化されるのって、いけないことかな?」
「え……」
 感化されること自体が悪いんじゃない。感化されることで、より自分らしくあれるのなら、より幸せになることができるのなら、それはきっと。
「それに感化されてるのは君だけじゃない。僕だって君にすっかり感化されてしまったんだ」
「あ……」
 どうしてだろう。どこか達成感。心臓がトクトクと波打って。それが心地よくて。彼女の反応で、彼女も僕と同じ気持ちだったって思えて。
 感化は、互いがそれを受け容れあうことで絆になるから。なのかな。

 手のひらを重ねる。どちらが先かは、わからない。
 けれど辿り着いた想いは、きっと同時で。

 それが僕達の、初めてのキスの味だった。

「……やっぱりキミの記憶、消しちゃうね?」
「え……」
「だって苦しいもの。こんな感じ初めてだよ。十郎クンにはこれで責任をチャラにしてもらうんだから」
「責任ってなんだよ」
「あたしをこんな風に変えちゃった責任」
 そうしてほのかは腕輪を填めた手を僕の額にあてて、
「ほのか。そんな、やめ……」
 ホワイトアウトする視界の中で、ひときわ大きな光が弾けた――――





 ――――ペルセウス座流星群から一ヶ月。
 夏休みも終わって二学期が始まった。時間なんて過ぎればあっという間。ここ一ヶ月は学校とアルバイトに追われる日々だった。
 そんな中、自宅の隣の空き地を通るたび、感慨めいた想いに惹かれることがある。感慨を心に抱くほど、この場所には特別な思い入れがあったんだと思う。それ以上は思い出せない。ひょっとしたらその記憶は、忘れた方がいい記憶かもしれない。思い出せないということは、きっとそういうこと。本当に大切なことなら、それが何であれ、必ず思い出せるはずなんだ。
 なにか夢を見てたような、そんな気さえする。けど醒めた夢の内容をいちいち憶えている人などいないように。感慨に到った理由でさえ過ぎ去る月日と共に風化していくのだろう。
 見上げる空は、どこまでも青かった。
 だけど、胸に残るこの感じ。この心の渇きはなんだろう……僕は空き地に足を踏み入れてみた。



「そろそろ星に帰ろっかな」
 十郎クンの記憶を消してから、あたしはひと気のない公園の森の中で巡視艇を修理していた。もちろんあたしが故郷の星に帰るために。修理にもめどが立ち、巡視艇の通信機能だけは回復できた。
「母艦ラグランジュ応答願います――現時刻をもって地球の調査を終了。これより帰還要請を求めます。現在位置はポイント――――」
 よし。母艦に連絡を取れた。あと数時間で地球とお別れ。
 あたしはまだ、あの日十郎クンに買ってもらった地球人の服を着ている。とても短い間だったけど、本当に楽しかった。彼と一緒に過ごした最後の証。彼との思い出。
 思い出……そっか、あんなに楽しかった時間も、いまではただの思い出になっちゃったんだ。……ダメだなぁあたし。十郎クンの記憶を消したあの日にもう絶対泣くもんかって決めたのに。涙がとまんない。すっかり地球人に感化されちゃってるよ。まいったなあ。

 がさっ、と音がした。
 管理局の連中が嗅ぎつけた? すぐに迎撃しないと……って違うみたい。あの見覚えのある人影。彼はあたしにとってとても大切な……。
 ……どうして本当、キミには色々と驚かされるのかな。



「君は、ほのか……ほのかでしょ?」
「あはは。見つかっちゃったね。あの時記憶をキレイに消したと思ったのに」
「……忘れられるわけ、ないじゃないか」
 思い出したんだ。ほのかと初めて出逢った夜のこと。ふたりきりで街を歩いたあの日のこと。雨が降り注いだ哀しい朝のこと。最後にほのかと交わしたあの時のこと。ほのかに対する本当の気持ちを全部。だからこそ。
「しつこい男の子は嫌われちゃうぞ?」
「ごめんね。でも僕が本当に求めているものが何なのか分かってしまったから。それに」
「それに……?」
「ほのかは僕のことが嫌いなの?」
「……ばか」
 ほのかは頬を膨らせながら巡視艇に乗り込む。スイッチを入れ、マイクに向かって言った。
「母艦ラグランジュ――先程の報告を訂正。今後も地球での調査を続行します。帰還の予定は……未定です」
 言ってほのかは通信機のスイッチを切った。
「……ふう。これでいいのよね。そういうコトになったから、これからもよろしくね」
「うん。これからもよろしく」

「そういえば十郎クン?」
「うん?」
「十郎クンが本当に求めているものって、なに?」
「それは決まっているよ」
 僕達の距離はこの時、ゼロ光年の距離に重なった。
「……ねえ、十郎クン?」
「うん? どうしたのほのか」
「あたし達、これからもずっと……」
「うん」
 手と手をしっかりつないで、心の距離をゼロにつないだ。僕達は手をつないだまま、空を見上げる。
 流れ星はきっと、恋のはじまりで――――



“しずくさん”
「ん? どうしたの?」
 それは十郎の幼馴染である涼凪しずくと、ほのかが乗ってきた巡視艇の欠片。十郎たちの様子を遠くで窺いながら、しずくは欠片を左手の掌に収めるように会話をしていた。
“本当によろしかったのですか?”
「……ま、よかったんじゃないかしら? 十郎もあれで幸せみたいだし」
“老婆心ながらしずくさん。初恋は実らずとも、きっとすぐに次の恋が見つかりますよ”
「は、何を言ってるの?」
 呆れたような顔で訊きかえす。左手に欠片を握り潰すくらいの握力がこもる。
“え? ですから十郎少年のことが……ギブギブ”
「誰が諦めた、なんて言ったかしら?」
“はい?”
「あいにく十郎といた期間なら私の方がずっと上よ。それにあの子、まだ自分の気持ちに気づいてないみたいだし。チャンスはあるわ」
“はは。それはそれでなんというか……”
「このまま二人をからかって遊ぶのも悪くないかもしれないわね」
 しずくは悪戯な笑みを浮かべながら、空を見上げた。



「これからもずっと友達でいようね!」
 青い空を見上げながらほのかが満面の笑顔で言った。しっかり繋ぎとめたはずの手から力が抜け落ちる。
「?? なんかあたし変なコト言ったっけ?」
 きょとんとした目で訊ねてくる。その質問にどう返せばいいのか。
「え? え? だってだって友達は友達って意味でしょ?」
 それはそうなんだけど。どう説明したら……ああっもう!
「友達って言葉にはもっと深い意味があるのかしら? 考えてもわかんないよ。メモ帳に書いてあったかしら……どこにも書いてないよー。あーんまた十郎クンが凹んでるよどうしよう〜〜」
 ――――そして、まだ先の見えない道のりのはじまりだった。