死神少女ネクロマティック・プリンセスOP
夜の帳には凛とした空気がたれこめていた。
見あげるだけで吸い込まれてしまいそうな、月の綺麗な夜だった。
上空には、夜の闇に溶け込むような黒をまとった影がひとつ。
それがいかなる理か、影はそれが自然な現象であるかのようにふわふわと浮かんでいた。
月明りに照らされ、夜気に黒衣をなびかせて立つそれは、人の姿に極めて酷似した容姿を持ちながらその実、人ならざる存在である少女だ。
それは死期の訪れた人間に対して『死という名のひとつの終わり』を平等に与えることを生業とする存在。
すなわち、死神である。
「見つけた……あのひとがターゲットかな」
言って屈託のない眼差しを向け、今回の目標である人の姿を認める。
脈拍が上がる、昂ぶる気持ちを抑え、ひぃふぅと息を整える。少女はこれから行うことへの期待と緊張に胸躍らせていた。
行動目標は、たったいま視界に捉えた人間の『殺害』。とはいえ、やはり彼女もまた死神に連なる正統な眷属である。緊張を感じつつも、その双眸には罪悪や怯えといった色はない。
彼女達は元々"そういう"存在なのだ。人間達とは存在意義の根底から違う。死神とは人ならざる世界の住人であれば、人の世とは異なる理で存在しているということ。ならば、"それ"もいたって自然な道理であろう。
少女が今、目の前にいる罪のない人間を襲う理由。
それはとても単純明瞭。間もなく寿命の尽きる人間の魂と人間の世界とを繋ぎとめる糸を断ち切ることこそが、いま、彼女に与えられている使命だからだ―――!
彼女は一度大きく息を吸い込むと、死神の世界、すなわち冥界に由緒正しく伝わる祝詞をあげはじめる。
「――――Raincarnation(リンカーネイション)!
我、冥府の影より出でて普遍の理を為すもの。我、汝に常夜の眠り、天壌無窮の安らぎを運ぶもの。我、始まりのための終わりを与えるもの。我、終わりのための始まりへと導くもの」
たどたどしい発音ではあるものの、祝詞の詠唱に応じるように少女の周囲には少しづつ気が集い、やがて期が満ちていく。
(……よし!)
その手応えを死神特有の直感力で感じ取りながら、少女は詠唱を続けていく。
「人の世より出でて、めぐりゆく円環の狭間に在りし汝。我は輪廻の階(きざはし)―――クロト・ラケシス・アトロポス。運命を司る三柱、モイライの名において汝を新たな郷里へといざなわん。すなわち我、死と再生の担い手なり。
紡がれるは安息。最果ての空。
開かれるは冥府の門。約束の地平。
汝よ、恐れることはない。まっとうした生をこそ誇りにもて、次なる命芽吹くその時まで、いまはただ安らかに眠るがいい。
魂を運ぶ水先案内人、死神ネクロマティックにして冥界の王ハ・デスの娘たる、このリコリスがキミの魂をいただき……いただき……えーと、なんだっけ」
そこで詠唱を中断して首をかしげると、スカートのポケットをごそごそとあさっていた。取り出したのは一枚の紙切れ。自筆で書かれた丸文字の羅列が紙切れのそこかしこにびっしりと敷き詰められている。
それはいわゆるカンニングペーパーと呼ばれる物だった。
「えっとえっと、詠唱の続きは……と」
リコリスはカンニングペーパーをひらいて、紙と睨めっこをしていた。紙に穴があく勢いで視線を這わせるも、目当ての記述がなかなか見つからない。それが一層の焦りを生み、次々と焦りがつのらせていく悪循環。しどろもどろ。張りつめた空気は、いまやその面影もなく霧散しきっていた。
「ええい、とにかく……サモンサーバント! いでよっ。死神の鎌……あたしの冥斧(タナトス)――――レディクレセント!!」
もやもやを払うような声でその名を唱えると、何の変哲もなかった空間がぐにゃりとゆがみ、そこからひとふりの鎌が姿を現した。
現れたのは文字通り死神の鎌――冥斧(タナトス)。
鎌の姿を取るそれは、死神、ネクロマティックの力を顕現させる魔器にして象徴である。ネクロマティックの持つ能力と性質によって、その姿と在り方は様々だ。大小、形状、装飾、意匠、属性、etc。無論、鎌としての形状を取らない場合もある。だが死神としての力の顕現であるそれらを総称して、冥斧と呼ぶ。
リコリスが召還した冥斧。レディクレセントを添銘に戴くその鎌は、代々王家に連なる女性に対してのみ受け継がれる、紛れもない王家の証。その刀身は、ひとめ目にするだけで魂が吸い込まれてしまいそうな異彩を放ち、これまでに数多の魂を裁断し、蒐集してきたであろう年季が見て取れる。
ネクロマティックの見習いとしての初舞台を迎えた前夜、リコリスは母よりこの鎌を譲り受けることになった。
……こうしてひとり人間界に訪れること。
心地よい夜風を浴び、身も心も躍らせること。
寿命の訪れた人間の魂を刈り取る役割を任されること。
リコリスにとって、ここ人間の世界で起こる出来事はすべて初めての経験だ。
「あたしの『初めて』、うーんとガンバっちゃおうかな」
言ってリコリスはたどたどしく両手を差しだし、その指先を鎌に触れる。するとリコリスを新たな主と認めたのか、まるでリコリスが長い間連れそってきた相棒であるかのように、鎌の柄が彼女の手にぴったりと吸いついた。
「思ったより軽かったんだ、これ」
身の丈ほどもある大鎌が見た目の重厚感に反してまったく重さを感じさせない。それに何か不思議なチカラが湧いてくるような気がする……それが、リコリスが自ら振るう鎌に抱いた最初の印象だった。
「お前とならきっと何でもできるような気がする。これからよろしくね。レディクレセント」
新たな所有者の言葉に、冥斧は鈍色の照り返しをもって静かに応える。
――これが私の初仕事。とりあえずがんばる。お母様、あたしの初舞台を見てて!
リコリスは意を決し、ごくりとのどを鳴らすと、改めて今回のターゲットと目される人物を見おろした。
夜闇の中にあってなお、その存在を誇示するように月明かりに煌めく黒金の切っ先が、リコリスの最初の標的を厳然と捉えた。あとはこの冥斧を振り下ろし、標的の命運を断ち切るだけでいい。
あとは実行するだけ。それはなにより簡単なこと。
それが少女リコリスの、死神見習いとしての初仕事だ。
「じゃあいくよ。キミの魂を、かりとってあげる! ……えいやぁあああぁあっっ!!」