永遠亭フルメタルLOVERS
#0
最後に後悔したあの日から、私は強くありたいと願った。
あんな想いは、もうたくさんだから。
けれど……背負った過去はあまりに重い。
懺悔の祈りを繰りかえしても、その声は決して届かない、響かない……。
ぽたりと流れ落ちる、赤い涙……忘れえぬ罪の記憶。
罪を犯したあの空の向こう。あの時間。
戻りたいと願った。帰りたいと願った。
涙の意味を忘れても、あの日から降り続ける雨はいっこうに降りやまない。
狂気を操ることのできる能力。そんなもの、望んでなんかいなかった。
私が望んでいたことは、なんだったのだろう。
そんなことさえ、いまではもうわからない。
課せられたこの運命は、きっとその代償。
私はいま雨やどりをしている。永い永い、雨やどり。
そこには仲間達がいる。
新しく出逢った仲間達。姫、師匠、てゐ、地上の兎達。
やっぱり思い出すのだ。
私が逃げ出したあの空の月にも、かつての私の仲間達がいたことを。
ああ、いっそ、許されるのなら。教えてほしい。
私が居ていいその場所。それはどこにあるの?
知りたい。私は知りたい。心に抱いたすべての意味を。
その日はきっと訪れる。私の願いとは関係なく。
だから私は逃げない。向かい合いたい。
それはきっと私の意思。
ここにきてやっと初めて、私は何かを望むということを知ったのかもしれない。
なのに永遠亭のみんなって、どうしてこんな……こんなっ!!
#1
今日も今日とて、永遠亭はまさにうどんげであった。
「鈴仙ったら、ここをもうこんなにコリコリさせてる」
「こ、コリコリって。それは師匠に何日もお預けさせられてたから。そんなになってても仕方ないっ」
「あっ、そう」
鈴仙が返したその言葉に、てゐは冷たい視線を返す。
さっきまで優しかったその指使いとはうって変わって、少し乱暴な調子でクニクニと指を動かす。つつっ……とてゐの指先が鈴仙の地肌を伝っていって、みるみるうちにその部分までくいこんでいく。
「ひゃう……あっ」
たまらず声をあげる鈴仙。
「相手がいくらお師匠さまとはいえ、他の女のことを考えるなんて、鈴仙ったらイケない子」
「ごっ、ごめんなさいごめんなさいっ。そんなにされたら壊れちゃ……っ」
「だぁめ。許してあげない」
懇願する声をあえて無視し、てゐは小悪魔っぽい笑みを鈴仙に向け、行為を続ける。
「いやぁ。もうやめてぇ。私、そんなこと……私が悪かったから……あっ、やぁん、くふう!」
「すぐにやめたら、おしおきにならないじゃない……」
開始からそれほど時間も経っていないにも関わらず、ビクビクと身体をふるわせる鈴仙の姿をてゐはあきれた顔で見やる。相変わらずしょうがないわね、と小さく溜め息をつくと、てゐは押し込んでいた指先の加減をさらに強めていく。
「はっ、あっ、やぁっ、は……! やだ、やだぁ。これ以上ぐりぐりってされたら。お願い許してぇ、てゐぃぃぃぃぃ!」
赤い瞳からはダラダラと涙を零し、すっかり息も絶え絶えだった。
そんな彼女の姿にてゐはようやく怒りが収まったように指を解放する。
「まぁいいわ。第一ラウンドはコレくらいで許してあげる」
「はぁっ、はぁっ、はぁ……」
身体がようやく解放されたというのに指一本満足に動かせない。脱力感に苛まれたまま、鈴仙はぜぇぜぇと息を荒げていた。どこか物足りないという目でてゐを見上げながら。
――SMという言葉が存在する。これはサディスト&マゾヒストという意味で伝えられることは周知だが、このほかにスレイブ&マスターという意味が隠されている。つまり支配者と従者の関係。言葉の意味によって役割を明確化することで、互いの立場を再教育するという意味だ。Sとは責め手であり奴隷。Mとは受け手であり主人。鈴仙とてゐは、このSとMの役割を互いに交換しあいながら、この時この瞬間を過ごしているのだった。
「溜まったものはちゃんと発散しないと身体に毒よ? お・姉・さ・ま?」
状況に応じて呼称を変えつつ、てゐは巧みな手管と言葉責めとで鈴仙を翻弄している。永遠亭の兎であれば、知識はなくても過去に経験してきた自分の身体がハッキリと覚えている。先輩の兎たちによって身体という身体にいやというほど刻まれるのだ。故に、どこをどうすればより効果的にできるかくらいはお茶の子歳々。それが、永遠亭の永い歴史に連綿と続いてきたある種の伝統といえるわけで。
「溜まった時って、ひとりでしてないの?」
てゐはなにか思いついた、といった風に悪戯っぽく訊ねる。
「し、してないし、するわけない……」
それをおどおどした調子で答える鈴仙。予想通りの返事を聞き、かかったという顔をしながらてゐは質問責めを続ける。
「そっかぁ。してないんだぁ。鈴仙のことだから、毎日でもしてると思ってたんだけどぉ?」
「ちょ。てゐったら、私のことをそんな目で見てたの?」
「うん見てた」
「な……!?」
部屋の外に聞こえよがしな喋り方をしつつ、舌をちろっと出すてゐ。もちろんてゐは冗談で口にしているに過ぎないのだが、絶え間ない責めを受け続けてすっかり余裕をなくしている鈴仙には、とても冗談で言っているようには聞こえない。
「ふふっ、じゃあ今までしてくれる相手がいなくて寂しかったでしょ? うさぎって寂しくなると死んでしまう生き物だものね」
「……!!」
「いいのよガマンしないで。私の指で、いっぱい声を出してもいいのよ」
かぁっ、とそんな擬音が聞こえてくるくらい。耳もとで囁かれる甘い言葉の数々に鈴仙はすっかり上気してしまっている。
「この上ない最高の返事ね。じゃあこれから何度でも何度でも、身体中がほぐれるまで相手をしてあげるわ。お姉さま……ちゅっ」
「きゃう!」
その声が第二ラウンド開始の合図だった」
「あん……やぁん。そこ、気持ちいいのぉ」
「くす。鈴仙ったら可愛い声。その声をもっと聞かせて?」
あれからどれくらいの時間が経ったのだろう。卓越したテクニックにすっかりとやられ、瞳を潤ませながらその行為を受け入れている。
てゐはそんな鈴仙の反応を楽しみつつ、優しさと悪戯心を交互に織り交ぜた言葉責めをしながら、ツンと立った耳を噛み噛みしている。
「やだやだ。耳をそんなにされたら蕩けちゃう。おかしくなっちゃうのぉ!」
「大丈夫よお姉さま。そうなったら、てゐがずっと面倒を見てあげる」
「いやぁ。そんなこと言っちゃやなのぉ」
それは鈴仙の女としての感情を揺さぶり、羞恥心を誘うための手管だ。相手の感情を手玉に取って自分の意のままに操るのは、詐欺師の二つ名を持つ彼女にとっては朝飯前の行為。
「お姉さまの耳。ぶるぶるってふるえてる……大変ね。すぐにさすってあげなきゃ」
言って耳を乱暴にひっつかむと、サワサワと上下に撫でさする。
「ひゃあああああ!?」
「わ。触っただけでこんなに敏感に感じて、ぴくぴく暴れてる。いけない耳ね……こら、おとなしくしなさい。かぷ」
聞き分けのない耳にはおしおきと言いたげに、てゐはひっつかんだ耳を甘く噛む。
「はうっ。耳は、耳はっらめなのぉぉおおお!!」
「あらあらそんなに大声を出しちゃって。部屋の外に聞こえちゃうよ。お姉さまったら意外とはしたないのね」
「だって、だってぇ」
頭からツンとのびた二本の耳。すっかりと硬くなったその片方を右掌で握って上下に扱きながら、もう片方を舌先を這わせながら丹念にねぶる。鈴仙の耳から四肢の爪先に至るまで、電気が突き抜けるような衝撃が走っていく。
「兎にとって一番の急所だものね耳って。舌先でチロチロされながら手で上下に扱かれるともうたまらないでしょ? こうするとね。血行が良くなって身体に良いのよ。ぴちゃ、ちゅる、れろ、あむっ」
「ああぁ、あぁああ……っ!」
「気持ち良すぎてもう何も考えられなくなっちゃった? お姉さま……鈴仙ったら、本当に感じやすいんだね」
私の時はこんなものじゃ済まなかったのに。と呟いたてゐの言葉に、果たして鈴仙は気づけただろうか。
「仕方ないね。お姉さまが思った以上にハヤすぎるから、そろそろ第二ラウンドもフィニッシュかな」
呆れたように溜め息をつくと、親指を人差し指と中指の間に挟んだ手で、鈴仙のウエストの辺りをぐいぐいと押し込んだ。
「……あれ? あれ? なんだか身体がフワフワ浮かんでる感じ……」
「快楽神経を突いたからね。痛いことが全部快感に変わっちゃうツボ。これからちょっと痛いことを始めるから、ガマンしやすいように……ねっ!」
「ひゃあ!?」
ぐいっぐいっぐいっ。てゐの押し込む手がリズミカルに動き、次第にその速度をあげていった。どうやらフィニッシュに向けてスパートをかけているようだ。
「さぁこれでラスト。思いきって飛んじゃえ!」
「あ――――――!!」
甲高い絶叫とともに、鈴仙は昇天した。
☆
……まぁ、要はマッサージをしていたわけであるが。
「もう、またこんなところを固くして。柔らかくなるまでコリコリをほぐしてあげる。ぐいぐいっ」
「あっあふっ。そこ、気持ちいい……」
只今、マッサージ後のアフターサービスの真っ最中。兎族に伝わるマッサージは、ここ永遠亭において古くから伝来する秘術中の秘術なのだ。その効能たるや、血行促進、ホルモン増進、恋わずらい、食欲不振、肩こり、冷え性、頭痛生理痛、肌がツルツルになる、などなど至れり尽せりなのである。
「気持ち良くなれて、身体にもいいんだから最高でしょ?」
「うん」
「じゃあ鈴仙お姉さま、いまから仰向けになって。私が膝枕してあげるから」
鈴仙は言われるままにゴロンと寝転がると、その発展途上のふとももの上に頭を置いた。ちょうどてゐの顔を見上げる体勢だ。てゐは鈴仙の頬のあたりを指先で撫でさするようにぐにぐに刺激している。
「こうするとね、顔の老廃物をリンパ腺を通して流すことができるの。顔やせには持ってこいのマッサージなんだから」
「それはわかったけど、あえて膝枕する必要はあるの?」
「だってこの方が正中線を捉えやすいし、鈴仙の顔を直接見ることができるし。鈴仙だって気持ちいいでしょ?」
「うん。すごく気持ちいい」
「よし。今度はうつ伏せになって寝転がって」
「うんわかった。ふふふ」
てゐの言うとおりに鈴仙はいったん身体を起こし、体勢を入れ替えるふりをする。そしててゐがよそ見をしたその一瞬の隙をついて、がばっと押し倒す。
「ひゃあっ!?」
「へへへぇ。やっとつかまえたっ」
待ってました!とニヤケ顔でてゐの胴の上に跨り、その小柄な身体をがっちりとホールドしている。てゐ必死に逃れようとジタバタ暴れるものの、鈴仙とてゐでは体格差があるためちょっとやそっとでは振りほどけない。
「さっきのマッサージのお礼。しっかり返さないとね。ふふふ……」
よこしまな目つきをしながら、両手をわきわきとさせる鈴仙。
「ちょっとお姉さま。目つきがこわいわ」
「お姉ちゃんに意地悪をする妹にはおしおきです。覚悟してくださーい……ってむぎゅうっ?!」
ぐきぐきばきぼきっ。
鈴仙がてゐに仕返ししようと手を伸ばしたその時。
糊の効いたワイシャツ越しに、華奢な背骨が小気味よく鳴り響く音がした。
☆
「あら。こんなところにイナバがいるわ」
そこには携帯ゲームを弄りながら立つ輝夜の姿があった。只今鈴仙の背中を大絶賛踏みつけ中であるにも関わらず、悪びれずに言った。
「その、あの、輝夜様。足。背中、踏んでます」
いつも通りの言い様にむぎゅーとなりながらも、鈴仙は輝夜をおそるおそる見あげて言った。
「まあ。そうやって私のスカートを覗く気ね? いやらしい」
だがそんな鈴仙の懇願を意に介さず、イヤそうな目で見下ろしながらロングスカートをぎゅっと押さえた。
女同士でそんなことしませんってば! と反射的に言いたくもなるが、言いたくなる口をとっさに引っこめる。
相手は仮にもこの永遠亭で最高の地位を持つお姉さま。加えて性格は超のつく性悪。迂闊な発言ひとつでどんな目に遭わされるかわからない。下手なことを言おうものなら「あなた、イナバの癖に生意気よ」だとか「この永遠亭で最高のお姉さまである私に楯突く気?」などと小一時間問いつめられる羽目になる。
「まぁ貴女はえーりんの一番弟子なのだし、妹分のよしみで大目に見てあげなくもないわ。姉には妹を可愛がる責務があるのだし、ね?」
「は、はぁ……ありがとうございます」
鈴仙と輝夜の会話はどこかかみ合わない。主君と家臣という身分の違いがそうさせるのかもしれないが、果たして理由はそれだけではないだろう。
蓬莱山輝夜。蓬莱の薬を飲み、不老不死の身となった彼女。永遠亭の名の由来でもある永遠にも等しい時間を過ごしてきた彼女。長きに渡る幻想郷の歴史を見、あらゆる世代交代を目の当たりにしてきた。その背中の意味を窺い知るには、鈴仙やてゐが生きてきた歳月ではあまりにも短すぎる。
彼女に関しては、また別の機会に語ることもあるだろう。
「そういえばイナバ一号と二号。えーりんが貴女達のことを探していたわよ?」
鈴仙のことをイナバの一号、てゐを二号と呼ぶ。あんまりにもあんまりな物言いではある。
「えっ師匠がですか?」「お師匠さまが私にも?」
「ええ。なんでも二人に頼みごとがあるみたいよ。いつもの部屋にいるはずだから、行ってみてごらんなさいな」
せいぜい師匠の言いつけを守って精進することね。と言い残して輝夜は、気だるそうに左手を振りながら立ち去っていった。
「師匠が私達に頼み事……なんだろう」
「とにかく行ってみないとわからないわ」
尊敬する師からの直々の頼み事。だが相手が相手だけに心配になったりもする。
そんな期待と不安とを胸に抱えながら、鈴仙とてゐはえーりん先生のいる私室へと向かった。
☆
「師匠、お呼びでしょうか」
「待っていたわよ二人とも。そこに座りなさい」
ここはえーりん先生の私室。ほどなくして鈴仙とてゐが姿を見せる。
「用というのは他でもないの」
一枚のメモが手渡された。
「ウドンゲ、てゐ。これから貴方達には、とある材料を取ってきてもらいたいの。詳細はメモに書いてあるわ」
受け取ったメモを二人はしげしげと見つめる。メモには、おそらく薬の材料に使われるであろう様々な物の名前と、それがある場所のおおまかな座標が書かれていた。
「入手には多少の困難があると思うわ。けれど貴方達には一層の期待をしているの。つらい道のりだけど、引き受けてくれるわね?」
「「わかりました」」
鈴仙をてゐは声をそろえて返事を返した。
「ふふ。いい返事をするようになったわね。うんうん。それじゃあ頼んだわよ」
えーりん先生の笑顔に見送られながら、鈴仙とてゐは先生の部屋をあとにした。
☆
「……話は聞いていたわね? あの二人の事をよろしく頼んだわよ」
二人を見送った直後。えーりん先生は背後にいる誰かに語りかけると、ひとつの影がすっと踊り出る。
「まずはこの度は格別のお引き立てを賜り、永遠亭の取材許可を戴ける名誉に与れましたこと、光栄に存じます。この射命丸文の名にかけて、輝夜様および永琳様のご期待に添えるよう、お二人のシャッターチャンスを余さずフィルムに収めてご覧に入れましょう」
影の正体は文であった。
「あらあらそんなに畏まらなくても、貴女の普段通りのスタイルで構わないのよ。文さん」
「はっ! 一瞬のシャッターチャンスも逃さない。我が弾幕の妙技をいまこそ見せる時。この情報社会。情報を求める声がある限り。不肖この射命丸文が旋風を巻き起こしてみせます!」
「さすがは『風を起こす能力』の使い手ね。頼もしい限りだわ」
「はい。写真・調査に関する事ならすべて私にお任せください……では後日の永遠亭に関する独占取材の件、よろしくお願いしますね」
「ええ構わないわ。まずはその手腕を存分に発揮して頂戴。それが貴女の"仕事ぶり"に対する正当な対価ですものね」
「さすがは永遠亭に名高いえーりん先生。話が早くて助かります……それでは調査の間、これをお持ちください」
文はいったん言葉を切ると、懐から取り出した団栗大の小さな塊をえーりん先生に手渡す。
「……これは?」
「いかなる遠隔地からでも容易に会話できるようになる宝具です」
「じゃあ、今後の指示や定時連絡は、これを使えばいいのね?」
「はいそのように。それではひとまず失礼いたします」
文は大きなカエデ状の扇子をひと仰ぎすると、そこから小さな竜巻が巻き起こった。ヒラヒラと衣服をはためかせながら、彼女の姿は風のように消えていった。
「まさに神出鬼没ね」
ことの一部始終を立ち聞きしていた輝夜が率直な感想を述べる。もちろん携帯ゲームの片手間にである。
「思わせぶりな去り方をするのはいいけど、黒い羽が廊下中に散らかってしまいました。どうしましょう」
「散らかった物はその辺をうろついてるイナバ達に片付けさせればいいわ。けれどえーりん。永遠亭に外部の者を呼び寄せるなんて、少々問題ではなくて?」
「大丈夫。多少クセはあるものの、彼女の腕は確かです」
「そう? ならいいけど」
そこまで聞くと、輝夜はもう興味がないとでも言いたげに、次の瞬間には携帯ゲームにすっかり没頭していた。
亭主である輝夜に代わって、永遠亭の組織運営や諸事に関する全権を掌握しているえーりん先生である。ほどなくやってくるであろう調査報告を思うと、そのニヤニヤも止まらないというものだ。
「……さてさて。あの子達が持ってくる結果が楽しみね」
#2
「ねえ、てゐ」
「ん?」
彼女達は永遠亭の離れ、密集した竹林の中を飛行していた。
「師匠からの依頼。がんばろうね!」
何の脈絡もなくガッツポーズを決められて、てゐは思わずきょとんとしてしまう。
「……鈴仙は、何のためにがんばっているの?」
「えっ?」
てゐの唐突な質問。不意に出た言葉ではあるけれど、たぶんそれは鈴仙にとっては当たり前すぎることで、きっと言葉では答えにくい類の質問。だけどあえて質問する。鈴仙の出す『答え』を訊くために。
「んーそうだねぇ。がんばっている理由、かあ」
「……」
案の定、鈴仙はアゴに手をあててうーんうーんと唸っていた。しばらくそうした後。
「ごめんよくわかんない」
てへっと舌を出して返事を返した。
「…………」
それは嘘。鈴仙なりに色々考えて、何かに向かって必死に結論を出そうとしていたことを私は知っている。てゐは心の中でそう呟く。
「でも、あえて言うなら……」
空を見あげながら、鈴仙は質問の答えを続けた。
「師匠の元でいっぱい修行して、私自身の過去の罪を清算したい。そのための強さがほしいから……なんていうのはどう?」
鈴仙の、決意に満ちた純粋でまっすぐな瞳。それはきっと、てゐが過去どこかに置き去りにしてきたもので。
「……なんてね。まだまだ未熟者な私が言うのも変だけど」
てへへ。と舌を出しながら笑う鈴仙。
(鈴仙……あんたはもう十分に強いわよ。人間を幸運にする能力を持ちながら、その能力を持て余し、心がねじくれてしまった私なんかと比べたら)
てゐは自分の生まれ持ったこの能力が嫌いだった。人間を幸運にすることで感謝される。しかしその『ありがとう』の言葉の後ろで下心を見え隠れさせる人間達の醜さを嫌というほど見てきたからだ。
いつの日からか、そんな浅ましい人間に悪戯をすることで気を紛らわせていた。幸運をもらった気になって道化師のように踊る人間の姿を見て、沸々とわいてくる昏い歓びに自分を酔わせていた。そんな自分と、目の前にいる鈴仙の姿を重ねる。あまりに釣りあわない対比に思わず苦笑いしてしまう。
「まったく。とんだお姉さまなんだから」
てゐは鈴仙に聞こえないように小さくごちた。
「じゃあてゐは、何のためにがんばっているの?」
鈴仙は自分が質問に答えたんだからーとキャッチボールのように質問を返す。
「わっ私はいいのよ。鈴仙ががんばる理由を知りたかっただけだから!」
ぶっきらぼうな答えを返すが、そもそも結論自体を導き出せていない彼女が、がんばる理由という質問に答えられる道理がない。
「そっかー……残念」
唇に人差し指をあて、むーっとする。それこそ駄々っ子の仕草のように、本当に残念そうな表情をする鈴仙。
「じゃあ、いつかその答えを聞かせてね。約束だから」
「う、うん」
竹林を抜けて、空へと駆けあがる。
「それじゃあ、師匠からの依頼をがんばろー!」
そうして、鈴仙とてゐは目的地のある空の向こうへと飛び立っていった。
Ex・1
「ふんふん♪ これはこれは特ダネの匂いがするわ」
そんな鈴仙達の様子を千里眼で眺めていた文。
「かの永夜事変が起こる以前は閉鎖社会そのものだった永遠亭。その内情をスクープするには、あの二人を追いかけるのが一番手っ取り早い手段よ。このチャンスは絶対モノにしないと」
文は、幻想郷の住人達には幻想郷のありとあらゆる情報を知る権利があるのだと主張する。
「そうよ。私には、この幻想郷全土にあらゆるニュースを提供する崇高な使命がある! 恋人の浮気調査から衝撃スクープ映像までなんでもござれ。この射命丸文の名にかけて、シャッターチャンスは逃さない! それこそが私のジャーナリズム。私の矜持! えーりん先生。さすがに永遠亭のえらいひとにもなると理解があって助かるわ。そんな先生からの期待には二割増(当社比)で応えなければウソってものよ。そう。ゆくゆくは私は……」
「文々。新聞、号外〜。号外〜」
そこでは文がエコロジーの理論を完全に無視しまくった部数の新聞をばら蒔いては飛び回っている。
号外を求めてあれよあれよと伸びる手。
新聞を手にするや、彼女達は思い思いの読み方で新聞の欄を読んでは耽っている。
「文お姉さまの記事は、いつ読んでも豊かな彩りと気品に満ちあふれていますわ」
「お姉さまのような方を才色兼備というのね。憧れますわ」
「春〜♪ 文お姉さまに春一番〜♪」
「くっ……完敗よ。悔しいけど、あたいの最強の座はお姉さまに譲ることにするわ」
「ほーっほっほっほっほっほ! それほどでもあるわね!」
新聞を手にする彼女達のあふれんばかりの歓声に、文の甲高い高笑いが止まらない。
「好きですっ。私と結婚してくださいっ!」
「あっずるい私も!」「私も!」「私も!」
「私の可愛い妹たち。こんな大勢の前で告白なんて大胆ね。残念だけれどそれはできない相談よ。私達は女の子同士……それは禁断の恋」
「愛があれば、そんな壁なんて関係ありません!」
「あらあらいけない妹たちね。そんな妹たちにはおしおきをしなくちゃいけないわ」
「「「あ〜〜れ〜〜〜」」」
…………。
…………。
「……はっ?!」
あれからどれくらいの時間が経過したのか。ようやくして現実に戻ってきた文。
「妄想の世界に入り浸ってしまって、あの子達の姿をすっかり見失ってしまったわ」
キョロキョロと辺りを見渡しても誰ひとり姿はなく、気配すら感じない。
「あの二人をしっかり激写しないと、えーりん先生からの報酬が〜〜〜。因幡の兎達はど〜こ〜?」
その黒い羽をバタバタとはためかせ、文は慌てて飛び立っていった。
#3
「最初の材料のある場所はっと……位置的にこの辺で合っているはずなんだけど」
えーりん先生から受け取った地図を開き、鈴仙はメモに書かれた材料と現在位置を確認する。
「うん。でも肝心の材料の場所が――」
「どう見てもあのお屋敷の中だよねえ」
視線を向ける先には、紅魔館と呼ばれる中世欧州を思わせるゴシックな風靡に彩られた建築物がそびえ立っている。
それは永夜事変の折、なりゆきで面識のできた者達の根城であり、文字通り紅き魔と呼ばれる吸血鬼とその従者達の住まう場所。特にあの紅の吸血鬼とメイドの二人は、かなり手強い相手だったことを憶えている。
お誂え向きといった処か。館の門構えには中華風の装いに身を包んだ女性が立っていた。
その姿はどうみても館の門番そのものである。
「師匠は、私達にいったい何をさせるつもりなのかな」
「ま、話せばわかってくれるわよきっと」
館と門番を見比べて、互いに対照的な反応を見せる鈴仙とてゐ。この館にいる者達がどういう存在なのか、想像できないわけではないだろうに。
「とりあえずあそこまで降りてみようよ」
てゐの提案だった。
☆
「今日も飽きずに門番をやってるわね。たまには違うことをして気分転換すればいいのに」
「あっこんにちは。今日もいい天気ですねえ」
紅魔館の門番を務める紅美鈴は、てゐの言葉の空気を読まず能天気に挨拶を返してくる。
「こんなに天気がいいと、心まですがすがしい気分になっちゃいます」
「……えぇと。私たちは世間話をしにきたんじゃなくて、奥に進みたいからここを通してもらえないかなぁと思って」
「ごめんなさい。許可のない方を紅魔館にお通しするワケにはいかないんです」
困った、とでも言うように紅鈴は挙動不審がちに答える。
「紅魔館に用があるわけじゃなくて。中にあるモノに用があるの」
「そ、そんな難しいコトを言われても、お嬢様から誰ひとりここを通すなと言われてるんです」
一見気の弱そうな物腰なのに、さすがは門番なのか、一歩も引く様子がない。
見た目に反して頑固そうな門番のようで、どうやら話し合いでは埒があきそうになかった。
「どうしても、ここを通してくれそうにないね」
「そこを通るのが私達の仕事、でしょ」
交渉の余地が無いと判断したてゐは、やや高圧的に歩み出る。
「どうしても、私たちを通してくれないの?」
「はい。それが私のお仕事ですから」
美鈴がゆっくりと構えを取る。先ほどまでののほほんとした印象とはうってかわって、辺りの気がズンと重くなったような気がした。
☆
「入り口には門番がいたはずだけれど?」
――紅魔館の大広間。正面玄関から入ってすぐの場所にある、大勢のメイド達に見守られる空間の中。そう冷たく告げるのはここ紅魔館の瀟洒なメイドにして主直属の侍従長を務める十六夜咲夜だ。
「あの拳法? を使う人ですか。あの人なら……」
かくかくじかじか。顛末はこうである。
鈴仙は『狂気を操る能力』を使い、紅鈴の脳波をθ波優位に換えて眠りに就かせたのだ。口もとからはよだれを垂らしながら、寝言まで呟いていた美鈴の横をいとも簡単に通過できたというわけだ。
「……あの役立たず、今月も給料カットね」
苛立たしげに頭を抱えながら呟く咲夜。紅魔館には紅魔館なりの苦労があるのね、と鈴仙とてゐは内心思った。
「お互いに大変ね」
「ありがとう。でも伊達に紅魔館のメイド長はやっていないわ。それにいざとなったら、最後のひとりになってもこの紅魔館を守りぬく覚悟だし……ね」
呆れ顔から一転、侵入者の少女達に向かって厳然とした視線を投げる。
「その目的はともかく。紅魔館に仕える者として、館の侵入者である貴女達をはいそうですかと言って通すワケにはいかない。けれどそれだと貴女達も納得がいかないことでしょう?」
だからこそ、と咲夜はエプロンドレスのポケットから一枚のスペルカードを取り出した。
「ひとつ決闘というのはいかがかしら。貴女たち二人と私の二対一。得物は自由。部下のメイド達には一切手を出させない」
それは提案だった。互いの目的・条件を明らかにし、勝者に対し円滑にメリットをもたらすための契約。
「勿論そこにいる妹様にも手を出させません」
「ぎくっ」
咲夜がチラリと視線を動かすと、その先――廊下の角でこっそりと覗き見している少女がいた。
「暇だから美鈴に会いに行ってみたら勝手にぐーぐー寝てるし。代わりに侵入者を壊して遊ぼうと思ってたのに」
「侵入者の排除は我々メイドの務めです。それに妹様を一切危険にさらすなとお嬢様直々のご命令ですので」
「ちぇー。レミリアお姉さまの命令なら仕方ないわね」
「さすがは妹様。ご理解が早くて助かります」
通路の陰からギラギラと魔性の視線を向ける少女を咲夜は優しく諭し、絶対に手を出させないことを誓約させた。彼女は指をくわえてむーとしているものの、咲夜の言葉をしぶしぶ聞き入れたようだ。
それもそのはず。咲夜にとって鈴仙たち二人は、ただの侵入者といった存在ではないのだ。
かの永夜事変の折にあの人物と出遭ってからというもの。咲夜は事ある毎に頭痛に苛まれるようになっていた。これは頭痛の正体を突き止めるチャンスでもある。それをフランの能力で易々と破壊されては堪らない。
「万が一、私に勝つことができれば大人しくここを通してあげる。負ければ貴女達の所にいるえーりん先生についての情報を洗いざらい話してもらった上にご退場。文句はない?」
こくこく。ここでメイド達や妹様と呼ばれた少女を含めた全員を相手にするのは得策ではない。二人は咲夜の提案に首を縦に振った。
「あのえーりん先生の愛弟子達と再戦できるなんて、腕が鳴るわ」
彼女にとってはようやく、あの人物につながる手掛かりに巡り合えたのだ。鈴仙達が勝てば、薬の材料を手に入れることができる。咲夜が勝てば、失くした記憶の断片の手がかりが得られる。勝利した者に相応のメリットが訪れる決闘。双方にとってこれを断る理由はない。
双方しばらくの間の沈黙。
それを肯定の意味と取ったのか、戦いの火蓋は静かに切って落とされた。
☆
先手を取ったのは咲夜だ。一瞬の風切り音とともに無数の銀ナイフが殺到する。それを鈴仙達は兎族の特質である聴覚をもって聞きわけ、攻撃を回避する。
咲夜が使用する銀のナイフ。これは紅魔館の主の腹心にして、同館のメイド長をあずかる十六夜咲夜が仕事の合間に材料を蒐集し、一本一本を丹念に磨き上げた逸級品である。
投擲による牽制、フェイントをかけつつ斬撃による銀閃が舞う。冥界の幼女侍ほどではないにしろ、メイド長のその突進力には迷いがない。
彼女の弾幕にはまさに蝶のように舞い、蜂のように刺すという言葉こそ似合うだろう。そのことに果たして本人は気づいているのか。魔族の眷属にあらざる従者、この若きメイド長は、戦陣において最も輝きを魅せるのかもしれない。
咲夜の戦い方は、それほどまでに完璧で隙がない。しかし咲夜にとってすれば、相手は永遠亭きっての理論派えーりん先生に師事し、スペルカードと弾幕の使用法を学んだであろう兎族のナンバー1とナンバー2である。一見オドオドしているように見えるものの、狂気の赤眼、狂気の月の兎などの二つ名で恐れられる鈴仙。そして、その鈴仙のパートナーを務めあげるてゐだ。
いわば永遠亭に属する精鋭達。その実力のほどは、先の永夜異変の際に味わっている。本気で挑まなければ倒されるであろう危機感は双方共に変わらない。
いまだ免許皆伝ではないであろうにしろ、半人前をふたつ足せば立派に一人前。えーりん先生ひとりに匹敵する実力を有しているだろうことは想像に難くない。我ながら不利な条件を出した……一瞬だけごちたが、勝利を引き換えに手に入る情報を思えば、割に合った交換条件でもある。
かつて彼女たちと弾幕を交えた経験があるからこそわかる。彼女達は隠し玉を持っている。ならば所有するスペルカードをすべて使い切らせることなく、一息に片をつけてみせる。弾道予測させるなどといった、一切の隙を与えることなく決着をつけようという腹のようだ。
二対一における三者の実力は拮抗。ならば明暗を分けるのは、一瞬の運気をつかめるか否かに懸かる。
世に『運も実力の内』と云う言葉があるが、このレベルに到れば、その言葉の真意は人の想像とは異なる意味で語られることは云うまでもない。
「ぱんつ&ふともも勝負なら双方ともに互角といったところかしら」
戦闘開始から幾度となく翻るスカート。見え隠れする布と生足。てゐはこの戦況について別の意味で冷静に分析していた。
「……何の勝負がしたいのよ」
咲夜はあきれ顔になりながら、それでもペースを乱すことなく弾幕を張り続ける。
いっぽう文はというと、戦場から少し離れた安全な場所から、いまこそチャンスとばかりにカメラを切りまくっていた。神速に喩えるべき指使いでシャッターを切りまくり、目にも留まらぬ速さでフィルムを交換する。戦闘が開始してからというもの、鈴仙達は両手が塞がっているため、ひらりひらりと舞うスカートをおさえる術はない。いわばチラリズムに対して無防備である状態から一瞬のベストショットを導きだすことなど、写真を生業とする者にとっては造作もない行為なのだ。
あらゆる意味で一瞬の油断も許されない中。彼女達それぞれの弾幕が加速しあう。
だがここは本来メイド達の仕事場。彼女達が毎日のように通過している往路である。紅魔館のメイドであれば全体の間取り、調度品の配置、すべてを感覚で記憶しているのは当然。よってこの戦い、地の利は咲夜にある。
だがなぜだろうか。相手に押されている気がするのだ。短刀をふるう感覚が重い。普段ならばこの程度のこと……。そこで咲夜は気づく。
「! そうか、その事を失念していたわ」
鈴仙のいる場所から威圧的な視線が注がれていることを。
☆
「その眼の能力は確かに厄介ね。驚異的だわ」
言って咲夜はどこからともなく数十本の銀のナイフを取り出し、それらをまとめて宙に放る。
「パチュリー様からの聞きかじりだけど、これで貴女の勝ち目はなくなったわ」
――傷魂『ソウルスカルプチュア』!!
続けざま、目にも留まらぬ速さで抜き放たれる銀閃の奔流。ソウルスカルプチュアの魔力を解放すると、手にしたナイフを閃回させ瞬く間にバラバラに砕いた。
細かく裁断された銀破片は、斬撃の勢いに乗ったままフロア一面に向かってシャワーのように飛散する。
「なんのっ!」
キィン――――!
鈴仙は持ち前の華麗な身のこなしで銀破片のシャワーをかわし、ガードがガラ空きになった咲夜に向かって赤眼の魔力を解放しようとする……が、しかし。
「赤眼の能力が……発動しない??」
狂気の視線を直接受けているはずの咲夜が、何事もない様子で豪奢なカーペットの敷かれた床の上を優雅な足取りで歩いてくる。おかしい。この能力に捕われた者は例外なくその精神の波長を狂わされ、身体機能の低下を余儀なくされる。最悪戦闘不能に陥ってもおかしくない、はずなのだ。
気がつけば、足元がやたらと眩しい……見ると、シャンデリアの光が銀片に乱反射し、壁や天井の至るところをキラキラと照らしていた。
「貴女のその厄介な能力を封じるために簡単な結界を張らせてもらったわ」
言われて改めて床に視線を落とすと、散らばった銀の破片がシャンデリアの光を乱反射させ、一種の結界を形成しているようだった。
これは単にガラス片を砕いてばら撒くのとは明らかに意味合いが違う。直接的な魔の眷属ではない、それぞれ玉兎と妖怪兎の出自である鈴仙とてゐ自身≠ノいかほどの効果があるのかは知れないが、鈴仙が使う赤眼の効力を抑えこむ意味において、この即席の銀結界は絶大な効果を誇っていた。
銀とはそもそも古来より悪霊祓い、ミスリル、魔神殺し、バンパイアキラー、などの二つ名で呼ばれてきた金属である。幻想郷の外の世界においても、その呼び名にこそ違いはあれど、様々な逸話で語り継がれていることは数多くの文献にも記されている通りだ。
そうした数多の伝説や逸話が銀という存在自体に一層のチカラを与えている。逸話における共通項。『魔を祓う』ことにおいて絶大な効力を持つことは疑いようもない事実なのだ。
銀にはもちろん魔属性の者に対する脅威および牽制の意味合いもある。通常勤務の合間、咲夜は時を停止させては幻想郷中に点在する銀を回収しており、吸血鬼である主人の弱点を一手に蒐集することにより、主が凶刃に倒される危険性を抑制する狙いがあった。また吸血鬼であるレミリア・スカーレット及びその妹フランドール・スカーレットが予期せぬ暴走を起こした際、これを食い止めるための手段およびチカラでもある。
ゆえに吸血鬼にとっては致命的な弱点でもあるこの銀のナイフは、その最も信頼できる腹心に対してのみ携帯および使用を許されている。
紅魔館の従者にとって銀器とは即ち、主人との相互信頼の証である。
その信頼の象徴である銀製のナイフを躊躇いもなく粉々に砕き、狂気の赤眼に対するチャフとして転用する。そんな彼女がまさか『時を止める能力者』という理由だけでメイド長の地位に任命されるはずもない。
場合と状況に応じて、信頼の『証』さえも迷わず砕くことができる度量……。これが紅魔館の若きメイド長、十六夜咲夜たる所以なのである。
「砕けたナイフはあとでいくらでも作り直せばいい。いまは侵入者を排除し、お嬢様の身の安全を確保することが最優先だから」
乱反射する銀光が幾重にも重なり、狂気を司る赤眼がその効力を失っていく。つまり周波数のチューニングを旨とする鈴仙の能力が、ほぼ完全に封じ込まれた形となる。
「だからといって、鈴仙お姉さまをやらせはしないわ!」
てゐが鈴仙をかばうように前に躍り出る。そうして両手にチャージしていた魔力を咲夜に向け、一斉に放とうとする。
「ごめんなさい。そろそろ決着をつけさせてもらうわね」
魔力を放散する刹那――――咲夜はポケットから取り出した銀時計のスイッチを押した。
瞬間、目の前が大きくぶれた。なにが起こったのかわからない。そして気がついた頃には鈴仙をかばっていたてゐの姿は消えていて。
代わりに立ちのぼる噴煙の中心に横たわるてゐの影。彼女は床に打ち付けられたままピクリとも動かなかった。
「え、え……」
「これが私の切り札『時を止める能力』……ごきげんよう、小さな兎さん」
「てゐ――――――――っっ!!」
「これで、残る障害はあとひとつ」
「くっ……!」
その弾幕の大半を赤眼の能力に頼りきっていた鈴仙は、銀結界という制約の枷をはめられた事で防戦一方に陥っていた。
これだったのだ。先ほどから決闘を見守るメイド達が浮かべていた笑みの正体は。ほぼ唯一といえる切り札をあっさり封じられ、鈴仙には弾幕を避ける以外の術が届かない。
目の前にいる、てゐの仇をとりたいのに、基本性能の差に手も足も出せないなんて。
「肝心の能力を封じられただけで、貴女の弾幕はまるでザル同然」
「あうっ。そん、な。うぁっ、……!」
そのナイフの投擲精度に鈴仙は避けるだけでやっとだ。その動きを予測しているかのように次々とナイフを投擲する咲夜。
「これでチェックメイトね」
「ひうっ!?」
館の壁面に思いっきり背中を打ちつけてしまった鈴仙。その顔のすぐ横で一本のナイフが突き立つ。
「赤眼に関する予備知識。私が持つ銀のナイフ。勝つための要素、勝利のための機運はすべてそろっていた」
「そ、んな……私はまだ……」
フェイントに次ぐフェイントに、とうとう壁際に追い込まれてしまう。これでは咲夜の放つ次の弾幕を回避する手立てがない。
「覚えておきなさい……運も実力のうち。勝機をつかむ運の要素も、戦いに勝利するための条件なのよ」
「……そうね。運も実力のうちよ」
「!?」
てゐだった。咲夜は慌てて周囲を見回すが、その姿はどこにも見あたらない。
それもそのはず。いつの間に懐に回られていたのか、お互いの顔が触れてしまいそうなほど近いそこに彼女はいた。『時を止める能力』で完全に戦闘不能にもちこんだはずなのに。何故……いや、この超至近距離では懐中時計を、いやナイフを取り出す余裕すらあるかどうか。
「メイドのお姉さん。私が使う能力についてはご存じ?」
「……?」
そんな状況で、てゐがそんな話を振ってくる真意が読めない。そうして戸惑う咲夜をまるでほくそ笑むように、てゐは言葉を継いだ。
「『人間』に幸運を与える能力。幸運を手にした人間の行動は割と単純。それを予測するなんて私にとっては造作もないわ。貴女の能力にやられたふりをして、このチャンスを狙っていたの」
小悪魔のような笑みでちろりと舌を出す。その手にはボロボロに破れたスペルカード。先ほどのダメージを受ける身代わりにしたのだ。
完全な死角だった。勝敗を決める機運そのものを操作されていたなんて。
見事な予想の外をいったてゐの戦術に、咲夜は一瞬思考停止に陥る。その絶好の隙を、てゐが見逃すはずもなく。
「私にとって。貴女が『人間』である時点で、すでに勝敗は決していたの」
てゐは容赦のないスペルカードの一撃を見舞う。超至近距離からの強力な魔力射撃。
完全なクリーンヒットだった。
「銀を使って鈴仙の赤眼を封じたまではよかったけど、何事にも常に完璧さにこだわる、最善手で攻め切ることに囚われた、貴女の負けよ」
「そ、そんな……」
「それではごきげんよう。瀟洒なメイド長さん」
気を失って吹き飛ばされる咲夜の身体を部下のメイド達があわてて受け止める。その場を後にする二人の後ろから、お姉さま、お姉さまぁと駆け寄っていくメイド達の声が聞こえていた。
彼女達のその様子を眺めながら、涼しい顔でてゐは言った。
「じゃあ先にいこっか。鈴仙お姉さま」
☆
「いよいよ紅魔館の主とのご対面ね。鈴仙お姉さま」
主の部屋に相応しい扉の前へと立つ。見るだけで圧倒される威圧感をもった扉。紅魔の名に相応しく禍々しい気配を感じる。奥には確かにこの館の主、レミリア・スカーレットはいるのだろう。
「それじゃあ、いくよ?」
鈴仙がドアのノブに手をかけ、扉を開けようとした瞬間だった。
突如、赤い閃光とともに深紅の魔槍が扉を突き破るように生えた。魔槍はその勢いで鈴仙達の服の襟もとを貫通し、二人は瞬く間に真後の壁に縫いつけられた。じたばた暴れても抜けない槍にあたおたしていると、
半開きの扉がゆっくりと開かれ、紅魔館の主を務める少女がゆっくりと姿を現した。
「私に許可なく館に入りこむような不埒な闖入者を、真っ向からもてなす義理は無いのよ」
レミリアはそう言ってふんと鼻を鳴らすと、愛用のチェアに腰をかけ、咲夜が淹れた香りの良い紅茶を淹れたティーカップを優雅に傾けていた。
「お嬢様。もう一人侵入者がいました」
ほどなくして、さきほどの戦闘のダメージを残したままの咲夜が、館内の陰でコソコソと撮影していた文を発見し、その首根っこを猫のように引っ掴んでレミリアの部屋へと招いた。
「たはは……見つかっちゃった」
「迷い兎の次は迷い天狗? おかしな取り合わせもあるものね」
レミリアはやれやれと息をつくと、文が所持している通信機をさっと奪い取った。
「そこで聞いている貴方。これはいったいどういうことなのかしら?」
「…………」
「あらそう。ふむ、ふむ、そういうことなの」
「…………」
「――へぇ。それはなかなか面白そうね」
しばらくの後。なんらかの話がついたのか、レミリアが浮かべたのは、魔族の名にふさわしい小悪魔めいた笑みの表情だった。
「咲夜。キッチンからあれを持ってきて頂戴」
「は? ですがあれは……」
「戯れにこの子達の話に乗ってみることにしたのよ」
☆
かくしてレミリアから材料を受け取った二人は、大勢のメイド達に見送られながら紅魔館を後にした。
二人が気を失っていた間、レミリア達の間で何か事情が変わったことは明白だ。
完全な不意打ちだった。魔槍グングニルに吹き飛ばされたあたりからの記憶が曖昧なのだ。その間に起きた出来事については何一つ知らされないまま。気がつけば、えーりん先生から頼まれていた材料のひとつを快く分けてもらう話になっていた。
頭上にクエスチョンマークが明滅する中、二人は咲夜から一本の瓶を受け取ることになる。おそらくこの瓶の中に目的の材料は入っているのだろう。
館を離れる間際、咲夜から近いうちにえーりん先生に会わせてほしいと申し出をされた。てゐは少々渋ったものの、鈴仙が茶菓子を用意して待ってますーと応えると、咲夜はとびっきりの茶葉をお土産に用意すると約束し、笑顔で見送ってくれた。
ややあって時間差で文が現れて紅魔館をそそくさと離れると、鈴仙達に見つからないよう距離を取りながら追跡を再開した。
#4
「次の材料は、すきま草って名前の植物らしいけど」
「……すきま草??」
スキマの近辺でなければ生育しない草。故にすきま草と呼ばれる。そんな辺鄙な薬草。薬効のほどはこの幻想郷広しといえど、薬の専門家であるえーりん先生以外に知る者がいるのであろうか。
「なんでも、スキマの近くで生える草のことらしいけど」
「スキマの傍にしか生えない草って……いったい何に使うの?」
「私はわからない。師匠のことだからきっとなにか意味があるのは間違いなさそうだけど」
紅魔館を離れほどなくして、次の材料を捜索していた二人。メモに記されている場所は新緑が生い茂った森の中だ。木々の合間を抜けながら、目的のすきま草とやらを探す。
メモの座標に従ってしばらく進んでいると、そこには魔法使いの工房があった。
「魔理沙お姉さま……お願い。私の愛の弾幕をうけとめて」
「ばか。今日はアリスがお姉さまの日だろ」
「やだやだ。魔理沙がお姉さまじゃないと私が甘えられないじゃない」
「本当にお前はわがままだな……そこが堪らなくいいんだけど。わかった、いいぜ。きなよ」
「お姉さま……ぁん」
屋敷の窓から洩れ聞こえる二人の魔法使いたちの声。
そこでは魔法使いである魔理沙とアリスが互いに身体を寄せ合いながら睦みあっていた。唇と唇を重ね、互いの口中をくちゅくちゅとむさぼりあっている。
完全なふたりきりの世界。
それを囲むように立ち並ぶアリスお手製の人形達。彼女達はそんな主人の姿を見て、どんな想いを馳せているのだろうか。
「……わ〜、あのふたりも思い思いの姉妹生活をエンジョイしているんだね……」
ごくりと喉を鳴らし、屋敷の窓からそんな二人の様子を眺める鈴仙たち。
睦み合う魔理沙達を見て鈴仙は顔中を真っ赤に染め、内股をすりあわせながらもじもじしている。
「なにをそんなに真っ赤になっているのよ鈴仙?」
対しててゐは鈴仙の頬をうりうりあうあうと指先でつつきながら、悪戯めいた顔で冷やかしていた。
「じゃあ、私たちもここで……する?」
「……えっ?」
「姉妹ごっこ」
「えぇぇっ?!」
「ね、『お姉さま』。私達だって立派に仲の良い姉妹でしょ?」
よほど意外な申し出だったのだろう。いや、ある意味で望み通りの提案だったからか。
「私達もエンジョイしちゃえばいいのよ。お師匠さまの言いつけも今だけは忘却の彼方に追いやって、ね?」
その容姿からは想像できないほどの誘惑の言葉。そういうこと≠ノまだ慣れきっていない鈴仙の心は瞬く間に沸点に達し。
「わわわあわあわあわわ。そのあのあのっ、てってゐ。そ、それはお薬の材料を集めて永遠亭に戻ってからにしよ、ね?」
「えー……そっかぁ」
すっかり慌てふためいて、全身をぶんぶんと振りながら鈴仙はその申し出を拒んだ。この時てゐの表情にわずかばかりの翳りがあったことに、果たして彼女は気づくことができただろうか。
てゐから逃れるように後ずさっていると、何かがちょこんとお尻に当たる感触がした。
「あれ? すきま草」
鈴仙のお尻に潰されるようにスキマ草が生えていた。メモに書いてあるとおりの図柄である。これが本物であることを裏付けるように、草のすぐ近くにはスキマをリボンで縫った跡。
「なんだ、こんなにあっさりと見つかるなんて」
と、言うことは、ここにはスキマを使った誰かがいたということになるわけだけど。
「ああ……いい……お姉さま。あたし、いまとっても幸せですぅ」
「へへ。アリス。私もこの瞬間が最高に幸せだぜ」
そのスキマを使った誰かも、さっきまで窓の奥の光景に釘付けになっていた鈴仙たちのように魔法使い姉妹のあられもない姿を不意に目にしていたことだろうか。
あるいは故意に?
……まぁ、そこは人それぞれ。
この広大な幻想郷、深くは考えないほうが結果的にいいこともある。
#5
「次はここね」
やってきたのは幻想郷のはずれにある、人間達の住む鄙びた山村である。村に降り立つと、鈴仙達の姿をみとめた村人達が続々と集まって盛大に出迎えてくれた。
「これはこれは永遠亭の方々。いつも我々に良薬を届けていただいてありがとうございます」
「あはは。師匠が聞いたらきっと喜びますよ。えっと、今日はお薬を届けに来たんじゃなくて、村の皆さんにお願いがあって……」
「ふむ。なんですかな?」
鈴仙は、村の村長にえーりん先生に渡されたメモを見せると、お安い御用とばかりに若い村人に何事か命じる。しばらくしてその村人が持ってきたのはたくさんの小豆が入った小袋だった。
「これのことでございますかな?」
袋はシャリシャリと音を立てている。これがえーりん先生が言っていた薬の材料になるのだろうか。
「あ、はい。多分これです。ありがとうございます」
…………。
その一方。
「てゐ様のおかげで今年も稲が豊作でした」
「てゐ様。我々人間に幸運を授けてくだすってありがとうございます」
「……まーそれほどでもあるわね。このてゐお姉さまをもっともっと崇め奉りなさい。おーほっほ!」
「ありがたやありがたや……」
その隣ではてゐを取り囲んで崇拝する人間たちと、その姿を見ながら甲高いお姉さま笑いをしているてゐがいた。
なんたるフィーバーぶりか。まさにてゐ様万歳といわんばかりの様相である。
「あ、あははは……てゐったら、まるで神様みたい」
鈴仙は思わず苦笑いしてしまった。
「てゐ。相変わらずすごい人気だね」
それから人里を離れた上空。
村長から受け取った材料を鞄に入れて二人は次の目的地を目指して滑空していた。
「私の持つ能力のせいよ。確かにコレほど人間にとって都合の良い能力はないし」
人間を幸運にする能力。それはてゐに生来備わっている能力だ。実際この能力を買われ、えーりん先生から地上の兎達のまとめ役を任されているほどである。それは確かに名誉なことには違いない、だが。
「……鈴仙。これだけは言っておくわ」
おーおーと脳天気に感心している鈴仙を見て、てゐは立ち止まって何事か呼び止める。それこそてゐを注視していなければ聞き取れたかどうか。うん? と鈴仙もその場に立ち止まっててゐを振り返った。
「誰かを幸運にする能力が、必ずしも誰もを幸せにできるとは限らないの」
ぼそりと。自分自身にも聞こえるかどうかのか細い声で呟いた。その声は上空の風にかき消えて、誰の耳にも届くことはなく。
「えっ、なになに? 聞こえないよ」
「なんでもないわ。さ、そろそろ行くわよ」
「わわ、待ってよてゐ〜!」
それだけを告げて言葉を切り、てゐはいつものような笑顔に戻るとそのまま飛び立っていった。
#6
そうして訪れたのは博麗神社の離れであった。えーりん先生のメモには『博麗神社の離れにある蔵の中』と記されている。なにゆえ蔵の中に薬の材料があるのだと明記されているのだろうか。
「……そういえば鈴仙は知ってる? この神社に棲まう巫女の話」
「うん? 巫女?」
「そう、その名を博麗霊夢。巫女とは世を忍ぶ仮の姿。その正体は、妖怪も裸足で逃げ出す二大悪魔のひとりと噂されているわ。妖怪と戦えば絶対無敵の負け知らず。もちろん私たちのえーりん先生には敵わないものの、今の私達だとひとたまりもないでしょうね」
もちろんこの話の半分以上てゐの作り話なのだが。
その話を完全に真に受けてしまい、ぶるぶると小刻みに身体をふるわせる鈴仙の反応を見て、くすくすとほくそ笑んでいた。
「あっ見つかった。たぶんこれね」
メモに書いてあった特徴とも一致している。材料の袋を見つけ出した。
材料にしてはズシリと重量感があって、運ぶのに少々苦労しそうだ。
「妖怪にとっての脅威なのは間違いないわ。彼女がその気になれば、幻想郷を丸ごと滅ぼすことだって容易い。とんでもない化け物よ」
「そんなにこわい化け物なら、見つからないうちにここを離れないと」
「……誰が化け物ですって?」
背後から酷くトーンの落ちた声がしたことに、兎の耳がぴくんと反応する。おそるおそる、声がする方を振り向いてみると……。
「こらーっ。貴女たちーっ!」
怒鳴り声とともに、くだんの巫女が竹箒を持って現れていた。
「ひゃ!? にげるわよ鈴仙!!」
「う、うんっ!」
霊夢に見つかるや否や、てゐは鈴仙の手を引っ張るように一目散に逃げ出した。袋の中身がパラパラとこぼれていることも気にしない。
「あっ、こら待ちなさいっ!!」
霊夢の静止を振り切って蔵を抜け出す。それこそ鈴仙にとっては命からがらであった。
「まったく。あの永遠亭の悪戯兎達は……うん?」
霊夢はさっきまで彼女達がなにかを物色していた場所。そこにあったはずの袋がひとつなくなっていることに気づく。
「あの袋。昨日えーりん先生が置いていった餅米が入ってたんだけど……あれを取りにやって来たのかしら。挨拶してくれれば、お茶くらい用意してあげたのに、ぶつぶつ」
竹ほうきを置いて肩をトントンと叩きながらため息をひとつ。博麗神社の巫女、博麗霊夢は今日も退屈な日常をもてあましていた。
Ex・2
「……くっくっくっくっく」
えーりん先生こと、八意永琳はいつにも増して壊れていた。
彼女の眼前には、今日一日における二人の行動の一部始終が文書という形で綴られていた。これらは文が蒐集した情報をもとに、密偵に放った兎たちを通じて送られてきたネタの数々。あとは文がフィルムに収めた写真があれば、今回の目的の大半は完遂する。
「すばらしいわ! あの子達がいる限り、この永遠亭は安泰ねっっっ」
現在までに集まった調査結果だけでも向こう数ヶ月はえっちネタに困らない。
自分で使用するもよし、二人を脅して服従させるもよし、飽きた頃には編集して売り捌いて金に換えるもよし。いくらでも使いようはあるものだ。
「ウドンゲのことなら私は何でも知っているわ。趣味、好きな食べ物、最近読んだ百合小説。ひとりえっちの頻度。今日はいている下着の色。弟子のことを把握しているのは師匠として当然の責務ですものね。今宵も月が煌々と輝いているわ。そう、この私の次に気高く、美しく!」
永遠亭の空に浮かぶ月を眺めながら、えーりん先生は恍惚とした表情を浮かべる。
「あぁえーりん。貴女はどうしてそんなにも天才なのかしら? それがこの私、えーりん先生だからよ。まぁ私ったらなんて罪作りな女なのかしら。おーっほっほっほっほっほ!!」
永遠亭の一角に、えーりん先生の高らかな笑い声がいつまでも木霊していた。
「…………」
そのあふれんばかりの暗黒エナジーの奔流に、地上の兎たちはもちろん、さしもの輝夜すら一歩二歩とあとずさっている。自重しない笑いはどこまでもどこまでも。
えーりん先生は、いつにもまして魔王街道を突っ走っていた。
#7
「これでメモに書かれてる材料は全部そろったわけね」
「うん。あとはこれを持って師匠のもとへ帰るだけ。意外とハードな仕事だったわ」
竹林を駆け、向かい風を浴びながら鈴仙は言う。鞄の中にはメモに書かれた通りの薬の材料。
師匠のえーりん先生から頼まれた仕事も一段落してほくほく顔だった。
不意にてゐが立ち止まった。
「ふぅ――どうやらここまでかしらね」
竹林が妖しくざわめく音。
「え……?」
てゐの掌には一枚のスペルカードが握られていた。その魔力がみるみるカードに収束されていき、魔力の塊を小さな魔法弾に換えて放つ。
「ひゃう!」
鈴仙の頬を掠めて抜けていった弾はそのまま地面に当たり、小さく弾けて消えた。
「え、え、どうしたのてゐ?」
「外したか……次は当てるっ!」
二発、三発と続けざまにショットを放つ。その一発一発が――鈴仙に命中させることを念頭に置いた――殺意の籠もった弾丸。その波長をピリピリと感じて、鈴仙はここで初めててゐが本気で魔法弾を撃っているのだと知る。
「なにをするのてゐ。私は仲間だよ!」
「鈴仙のことは無二の仲間。ううん。いままで生きてきた中で最高のパートナー、そして姉妹だと思っていた」
「……てゐ?」
てゐの様子が明らかにおかしい。鈴仙は無意識のうちに構えをとる。
「気の置けないお姉さまであり、ドジだけど可愛い妹……互いに似た境遇に晒され生きてきた者同士。だからこそ、ほかの誰にも言えない事でも話せる。最小限の言葉を交わすだけで、心の奥で想っていることを深く察することができる」
「だったら、どうしてこんなことをするの?」
そこまで言うと、てゐの口から信じられない答えが返ってきた。
「鈴仙を始末しろ――そういう命令を受けたから。えーりん先生の勅命には逆らえないから」
「そんな……嘘……」
てゐの言葉に鈴仙はショックを受け、目の前が真っ暗になる。
「師匠が私に、そんな命令を出すなんて……」
守ってくれるって言ってくれたのに。私に居場所をくれるって言ってくれたのに。
新しい居場所。第二の故郷。永遠亭。
ずっと居ていいんだと思ってた。師匠……えーりん先生は、私のもうひとりのお母さんだと思っていたのに。
「材料集めなんて鈴仙を疲れさせるための嘘。危険すぎる鈴仙の能力、そろそろ潮時だって言われたわ」
「!!」
潮時……その言葉の意味。それはつまり。
捨てられた。裏切られた。私はいらない子。兎なのに兎ですらない。月からも地上からも弾かれたイレギュラー。そんな思考が頭の中を駆けめぐっていく。
「お姉さま……ううん。鈴仙のことは好きだったけど、お師匠さまの言葉には逆らえないの。ごめんなさい」
会話で時間稼ぎしていた間、後ろ手にチャージしていた魔力を放ち、弾幕を展開させる。
「こんなっ、こんなのって!」
「それにこれは、私にとってチャンスでもあるの」
てゐの個性に相応しいフェイントを交えた悪辣な弾幕。それらを平然と放ちながら。
「私はかつて永遠亭の兎ナンバー1だった……そう、貴女が来るまでは」
波長を周囲に放散させ、その反射波をうさぎの耳で受信することで、例え目を閉じていても周囲の構造や弾道くらいは手に取るようにわかる。だがてゐの弾幕を前に、鈴仙は一歩も動かない。
「月から降りてきた貴女のせいで私は常に日陰の存在。いつだって2番目だった。2番目の立場がどれほどつらいか、いままでずっとナンバー1でいた貴女にはわからないでしょうね」
2番目? ナンバー1? そんなこと考えたこともなかった。自分自身を探すことで精一杯だったから。罪を背負った自らの過去。罪は精算される必要がある。だからこそ、精算のための解答がほしかった。
「すべてあんたの弱さのせいよ」
「!!」
弱さ……。
「正直あんたのそういうとこにむかついていたわ。鈴仙……いえ、レーセン」
それは彼女が月にいた頃の名。優曇華院でもイナバでもない、誰からも疎まれ、兵器としてのみ利用される無垢で孤独な兎人形だった頃の名だ。
どうして今になってその名で自分のことを呼ぶのだろう。その答えは予想できていた。でもそれをてゐの口からは聞きたくなかった。
「かつて狂気の赤眼、狂気の月の兎と怖れられた貴女と合間見える日を!!」
…………。あの頃の記憶が呼び起こされる。過去の古傷。信じていたからこそ語り明かした過去もあった。その想いを、目の前にいる少女の悪意の籠もった言葉の刃によって容易く裏切られている。
心の深い部分まで打ち解けたはずの相手だからこそ、その痛みも大きい。他の誰でもないパートナーに、姉妹と呼び合った仲の相手に、自分の傷を抉られているのだ。
「てゐ……ひとつだけ聞かせて」
それでも鈴仙は、ひとつの事実を確かめようとする。
「てゐは、いままでずっと私のことを騙していたの?」
それはてゐの本心なの? と言う意味にてゐの耳には聞こえた。てゐは思わず苦笑いをする。
「……私は地上に棲む邪悪な兎。嘘をついて騙すなんてお茶の子さいさい」
「そう。そっか……よくわかった」
その言葉を聞き終えて、鈴仙の中の何かが振り切れた。いや……壊れた。
「ようやくその気になったみたいね。けどいまの疲れきった鈴仙なら、えーりん先生の手を煩わせる必要も無い」
てゐはスペルカードの能力を解放する。弾幕が容赦なく襲う。対して鈴仙も一枚のスペルカードを取り出し、己の弾幕を展開した。
「ここで一気に決着をつけさせてもらうわ!」
声の波長を読めば、てゐの言葉が真実か偽りか程度のことは瞬時にわかるというのに。それだけの余裕すらない。
精神的なショックで波長をうまく読み取ることができないのだ。その代償として、波長を『乱す』ことに関してはその性能を倍化させている。
狂気をもたらす弾幕と、幸運をもたらす弾幕。その性質は互いにねじれの関係にある。それはつまり無差別に波長を乱す能力、人間限定で幸運をもたらす能力のこと。
単に能力の性質だけで言うなら、互いの想いは届かない。すれ違う。交わらない。鈴仙はそもそも人間ではないのだし、精神の波長を狂わされることで得られる幸せなど起こりえないのだから。
なのに、いままではうまくやってきた。姉として、妹として。それなのに、どうして。
「無駄よ。レーセンの弱点は知り尽くしているから」
『狂気を操る能力』の使い手、鈴仙が持つ能力の本質。それは"波長を変換すること"にある……つまり、波長への干渉の余地さえ与えなければ勝機は十分に在るのだ。人間ではない鈴仙に対し、てゐの持つ『人間を幸運にする能力』はまったく意味を為さない。
だがそれで充分なのだ。てゐの狡猾な知性が、鈴仙の持つ弱点を把握しきっているのだから。
「これが致命的な弱点! これを抑えれば、レーセンは私の弾幕を避けきれない」
「きゃあああああっ!?」
てゐの弾幕の直撃を受ける。続けざまに一撃。また一撃。無抵抗になぶられる鈴仙に、追い打ちのようにてゐの弾幕が襲いくる。
「レーセン。お姉さまのよしみでその綺麗な顔だけは傷つけないでおいてあげる。ただし、残ったスペルカードをすべて破壊して行動不能にさせてもらうわ」
「てゐ……姉妹として一緒に過ごしてきた私達が、どうして戦わなければいけないの? 永遠亭で過ごしてきた思い出は、本当に嘘だったの?」
涙しながら懇願する。あの時のてゐの笑顔が、仲良く過ごしてきた記憶がそうさせる。
否定して欲しかった。いまのは全部冗談だったって。今からでも笑い話にしてくれるなら、私の心の一番大切な部分はきっと壊れないで済む。
私の思っている通りのてゐならきっと笑い話で済ませてくれるのだ。と、心のどこかで一抹の希望を抱かせていた。だがその期待はあっさりと裏切られた。
「ごめんね。えーりん先生の命令というよりも、これは私の本心でもあるの」
鈴仙のそんな心情を知ってか、てゐの表情が酷く曇った。その表情は鈴仙も知っている。かつての彼女もしていた、目の前の敵を排除するために自分の心を殺しきった者の眼。
鈴仙は確信した。自分が妹だと信じていたこの子はたったいま、本気で自分を排除しようとしているのだと。
「…………そっか」
鈴仙の眼が光を灯すことをやめた。鈴仙は月にいた頃のあのレーセンの姿に戻ってしまった。
「ようやくその気になったみたいねレーセン」
「……てゐ。本気……なんだね?」
「本気も本気よ。全力を出しきった貴女を倒すことで、私は兎のナンバー1になれるんだから」
「……わかったよ。てゐ」
その言葉を最後に、二人はそれ以上を口にすることはなかった。言葉にしても無駄だから。わかりあえないと悟ったから。その行為に意味は無いのだと心に刻んでしまったから。
すべてが、ウソだった。
心の奥底から絶望するためには、その事実を知っているだけで充分なのだ。
だから、言葉も、記憶も、祈りも、想いも。そう、自分さえも、必要ない。そう考えるだけで、いや、考えることをやめるだけでよかった。
この苦しみから逃れるためには、苦しみを感じる心自体を壊せばよかったんだ。
無意識下に押さえ込んでいた赤眼の能力があますとこをなく解放されていく。あふれ出る、赤い狂気。
狂気がこんなに心地の良いものだったなんて。心が壊れかけていく今の『レーセン』だからこそ、その事実を改めて実感することができる。
レーセンの放つ波長を浴びて竹林がざわめく。静謐めいた空気がその波長を狂わされ、禍々しい空気へと変貌していくのだ。
「うっ……さすがにこれはやりすぎたかも……」
もう、どこまでも壊れてしまいたかった。姉妹だと信じていた少女が自分に向かって襲い掛かってくるという悪夢。
絶望感。ああ、いっそ、この魂まで壊れてしまうことができるなら……!!
「あああぁぁあぁあああ!!」
レーセンは、スペルカードに籠めた魔力を一斉解放し、手加減のない弾幕を見舞う。
「言ったでしょう? レーセンの弾幕なんて避けるなんてなんでもないって! ……え!?」
余裕めいた表情のてゐが、その表情を崩していく瞬間だった。
暴走に喩えても差し支えない今の彼女の、狂気の赤眼そのものの影響は確かに受けていない。だがレーセン自身……彼女の弾幕のキレが普段の比ではない。直撃ではないものの、てゐの身体を掠めては確実にダメージを蓄積させていく。
「お師匠さまが、鈴仙を一番弟子としてお認めになった理由がわかる気がするわ……たはは」
平時においては詐欺師の異名を持つてゐは、戦闘時においては心理戦と攪乱を得意とし、正面からの戦いに決して向いているわけではない。だからこそ鈴仙の心を揺さぶり、精神的に動揺させることができれば勝機は充分にあると踏んでいた。その計算こそが計算外だったのだ。
月面きっての戦闘兵器。その実力は推して知るべきであった。すべては罪の意識に起因する、普段の消極的な性格が消え去ったレーセン。その弾幕の厚みや反応速度、すべてが鈴仙からは想像もつかないレベルのものであった。
『それ』はもう、てゐの手に負える相手ではなかった。
こうなったら残されたチカラすべてを叩き込んで、鈴仙を無力化するしか――その考えにいたった時、どこからともなく巨大な風が巻き起こった。
――ブオオォォ!!
弾幕すらまとめて吹き飛ばす強力な一陣の風。不意に壊れかけていた鈴仙の眼に光が戻る。
瞬間、視界にとびこんだのは。
「…………てゐ!?」
限界を超えたダメージについに力尽き、浮力を失って地面に激突するてゐの姿だった。
☆
「はぁはぁ……さすがは鈴仙、やるわね……」
てゐは生きていた。身代わりとなって粉々に砕け散った最後のスペルカードが、本来てゐが受けるはずだったダメージの甚大さをなにより雄弁に物語っていた。
「……てゐ。一緒に永遠亭を出よう? 私達二人でなら、きっと生きていける場所は見つかるから。私、てゐとだけは離れ離れになりたくないよ」
その相貌からは涙。おそらく傷ついたてゐの姿を見て正気を取り戻したのだろう。脇腹を痛々しくおさえ、竹に苦しそうにもたれかかるてゐに向かって鈴仙はそっと手を伸ばした。
(あーあ、とうとう鈴仙を泣かせちゃったか……悪い子だ、私)
やっちゃったという風にして、てゐは顔を覆う。覆った手の隙間からはどこか自嘲の笑みをのぞかせて。そんな自分を悟られまいと、てゐは鈴仙を怒鳴りつけるように言う。
「あんたは利用されていたのよ! 騙されていたのよ! 利用して利用して、ボロ雑巾のように捨ててやろうと思ってたんだから!」
「……それでも、いいよ」
「え?」
「私ね……幸せなんだ。師匠に出遭えて、てゐと一緒にいられることが。感謝してる。レーセンという、からっぽの人形だった私に笑顔を教えてくれたから。それが喩えウソだったとしても、私の中で生まれたこの気持ちだけは絶対に真実」
えへへ。と舌を出して笑顔を見せる鈴仙。
『感謝してる』
人間達から嫌と言うほど聞かされた白々しい響き。
そんな言葉を鈴仙から聞かされて、胸の奥がじんじんと熱くなっていくこの感じはなんだろう。
「この幸せは、てゐが能力を使って幸運をわけてくれてるからかもね?」
てゐの目じりに涙がこみあげてくる。けれど強がることは止めない。
「…………馬鹿よ。あんたは大馬鹿よ!」
「うん。馬鹿だよ私。だって私はうどんげだよ?」
えーりん先生につけられた名。優曇華院の名を、鈴仙は誇らしげに語る。
「私が永遠亭にやってきたあの日、師匠がつけてくれた名前。生まれ変わった私の新しい名前。だからたとえ師匠に裏切られても、私はこの名前と一緒に生きていく」
鈴仙のそんな純粋なところが、てゐには眩しかったのだ。
「てゐ。そんなお馬鹿さんな私と一緒にいてくれて、ありがとう」
「う……、うぅ……っっ」
てゐの身体を鈴仙はぎゅっと抱きしめる。
もうこらえきれなかった。
てゐは涙をポロポロ流して、声をあげて泣いた。
胸いっぱいの気持ちを。言葉として、伝えることができた。受けとることができた。たったそれだけのことなのに、たまらなく嬉しい。それがきっと、流れる涙の意味。
血の繋がらない二人の姉妹。血縁よりなお強い絆を得ることで、彼女たちはこの瞬間、本当の意味での姉妹になれたのだろう。
……。
そんな中、さっきの戦いで鈴仙の弾が掠った箇所、てゐの服の破れたところから一冊の冊子が落ちた。
「……はい?」
☆
「はぁ……」
それならそうと早く言ってよね。と鈴仙は心底呆れ顔だった。てゐに事情を問いただすこと小一時間。
冊子の内容は台本だった。中身を開くと、永遠亭を出てから材料を集めきってここに至るまでの一部始終が詳細に書き込まれている。最後のページの奥付にはえーりん先生直筆のサインが書かれていた……つまり、はめられた。
「師匠に捨てられて、てゐにまで襲われて、生きる意味を否定されて、どこにも居場所がなくなったって本気で思ったじゃない」
「最初から本当のことを話すと今回の意味がなくなるからって、お師匠さまに口止めされてたんだから。あそこまで本気でやるなんて思ってなかったし」
「う……だってそれは、本当に怖かったんだもん。私の居場所がなくなるのが」
「……鈴仙。これだけは言っておくわ」
てゐは、びしっと人差し指を立てて一喝する。
「あんたはね。罪だとか居場所だとか、ちょっと気を張りすぎ。肩の力を抜いたくらいでいいのよ鈴仙は! 貴女は鈴仙であって、うどんげであって、イナバなの。みっつ足して割ったくらいの貴女でちょうどいいのよ。わかった?」
まくしたてるようなてゐの言葉に、ぽかーんと口をパクパクさせている鈴仙。
「……え、私、何かヘンなことでも言ったっけ?」
「ううん。普通に驚いているの。てゐって私のこと、ちゃんと見てくれているんだなって」
「当たり前よそれくらい。だって私、鈴仙のお姉さまで妹なんだもの」
「うん。そうだね」
姉妹。その絆を確認しあった後で、この言葉ほど安心できて、心あたたかくしてくれる言葉はない。
「あのね……その……本当はね、あんたをやっつけたいって気持ち……むぐ!?」
だからこそやっぱり本当のことを言おう。決意し、それでも言いづらそうに視線を向けるてゐの口を、鈴仙はキスで塞いだ。
「えへへ、それ以上は言いっこなし。私達はパートナーで姉妹だもの。仲が良すぎて、たまにはケンカしちゃうことだってあるわよ」
あ、なんだ、そういうこと……。
自分の気持ちの正体が、なんとなくわかった気がする。本当にお馬鹿。あんな目に遭ったのに、羨ましいくらいに純粋。そんなあんただから私はきっと。
「……鈴仙っ!」
「わわ?!」
てゐは鈴仙の胸もとにがばっと抱きついた。
「そういえばてゐ。あの時は本気で狂気の赤眼をかけてたのに、なんともないの?」
そう。スペルカードの加護があったとはいえ、鈴仙の弾幕最大の切り札『狂気を操る能力』を最大限にまで解放したのだ。まともな者ならものの数分も保たずに錯乱し、意識を失ってしまうことだろう。
「うんあの眼はね。けど本気になったあの弾幕は効いたわ。相手が私じゃなかったら絶対に無事じゃなかったはず。痛たたた……」
むしろ身体のダメージの方がひどい、というように弾幕を受けた部分を右手でおさえる。
「……赤い眼が効かなかった?」
そこが気になるのは当然である。忌み嫌う能力とはいえ、自分の能力の弱点を知ることは、ひいては自分自身が強くなることにつながるのだから。
「そ。言ったでしょ。あの眼をくらわないための秘訣があるのよ」
「秘訣?」
「うん。あのとき見てたのは鈴仙の眼じゃなくて、風でひらひらと舞って見え隠れするスカートの中身」
「え」
ピシリ、という音とともに時が止まった。これはもちろん咲夜の能力によるものではない。
「ぴったりと張りついて、しっとり汗ばんだ布地は最高の眺めだったわ。シワの形までくっきりと目に焼きついてる。ぱんつも弾幕の内だって言うなら、鈴仙の弾幕はえーりん先生にだって負けてない。お姉さまとしては寂しくて、妹としては鼻が高いって所かしらね。ほほほほ……」
「…………」
ぶるぶるぶる。鈴仙は拳を握り締めてわなわなと震わせていた。
「ええと……なにか変なこと言った? ね?」
「うん言った。それはもう充分すぎるくらい」
「眼が全開になってるし。さっきのことだって許してくれたじゃない。だから話せばわかるよ。ね?」
「それとこれとは別だと思うな、てゐ……」
鈴仙は目がすわっていた。これは完全に怒っている。こうなってしまった鈴仙を止める手段がどこにもないことは、先程の一戦で証明済みである。さらには満身創痍のてゐにこれを逃れる術はない。これは鈴仙の、スペルカードに全身全霊をこめた一撃だった。
――――散符・栄華の夢(ルナメガロポリス)!!
#8
「――――師匠」
永遠亭にて。
えーりん先生の私室。鈴仙はメモに書かれた材料と、戦闘不能状態に陥ったてゐを連れてそこに戻ってきた。ひどくトーンを落とした声で、えーりん先生の名を呼ぶ。
「あらあらおかえりなさい。まぁウドンゲったら、そんなに怖い顔をしてどうしたの?」
「今日のこと全部……師匠のワナだったんですよね。そのせいで、てゐがこんなボロボロの姿に」
「……とどめを刺したのはウドンゲだったと思うんだけど」
「何かおっしゃいました?」
「いえ、何も」
鈴仙は完全に眼が据わっていた。あれほどの目に遭わされたのだ。無理もない話である。彼女は涙を手の甲で拭いながらえーりん先生をじりじりと追い詰めていく。
「どうしてこんなことをしたのか、説明していただけますね?」
「あらあら……まあまあ……」
本気で怒っている鈴仙を前にして、さすがの魔王えーりん先生もたじたじである。
「そう! すべて修行の一環だったのよ」
ポンと手のひらを打ち、たったいま思いついたように言った。
「最近の貴女はどうも落ち込んでいる様子だったから。てゐに協力してもらって、貴女のありのままの感情を引き出すように仕向けたの。やり方は少々荒っぽかったけれど」
「だからって……だからって……あんまりです!」
言い訳でもなんでもよかった。最終的にえーりん先生の口から誠意ある謝罪の言葉が聞けたのなら。
けれど、けれど、えーりん先生の言い草はあんまりすぎる。
ついに鈴仙の怒りが爆発した。
「お嫁にいけなくなったらどう責任をとってくれるんですかあ!」
「ほほほ。そうなった時は、永遠亭にいる好きな子と結婚させてあげます」
「好きな子って……永遠亭には女の子しかいないじゃないですかあ!」
「そうねぇ。そこはこの、先生が作ったお薬を使えばバッチリよ」
あぁ……そうだった。この人は。このえーりん先生は元々こういう人なんだ。ある種の諦念を悟った鈴仙は、右人差し指にありったけの魔力を集中させて。
「結局、結局……私のことを玩具にして遊んでたんですね――――!!!」
「ほほほほほ。だから貴女は半人前なのよ」
ありったけの力をこめて弾幕を散らす。しかし涙目で放つ弾幕に命中精度などあってないようなもの。鈴仙の座薬を易々と回避するえーりん先生。
「ししょーの馬鹿ーっ! 私の純情をかえせーっ!」
弾幕に加えて鈴仙の能力、狂気の赤眼を思いっきり解放させた。手加減などいっさいなし。だがそれでも。
「ほほほほほ」
案の定、効かなかった。
鈴仙の持つ能力の特質はつまるところ『波長の変換』にある。周波数が偏移する先の先が読めてしまえば、弾幕を避け切ることなど造作も無いことだ。
基本的に身に余るほどの能力に頼りきていたため、単調な弾道しか放てない鈴仙。そこが現在の彼女の限界であり、致命的な弱点でもあった。その弱点のすべてをとっくの昔に見抜いていた天才師匠に彼女の弾幕が一切通じる道理はなく。
「ほほほほ。ウドンゲの弾幕なんて目隠ししたままでもかわせるわよ」
「……このぉーっ!」
涙目で必死に追いかけながら弾幕を張る鈴仙と、それをひょいひょいとかわすえーりん先生。
しばらくの攻防の後、鈴仙の放った弾丸がえーりん先生に命中……したはずだった。弾のあたった部分からヒビが走り、甲高い音を立てて、一枚の大きな鏡が割れた。
「……鏡っっ!?」
「相手の波長を狂わせる能力に恵まれた貴女は、自分のペースを崩されることにはまだまだ慣れていないようね。自分自身の弱さをカバーできるよう、もっともっと精進なさい――――」
ほーっほっほっほっほっほ。
永遠亭ナンバー2のお姉さま。
八意えーりん先生の高らかな笑い声が回廊中にいつまでも木霊していた…………。
Ex・3
「撮影してきた写真を見せてもらったわ」
間接照明に照らされる黒の色彩の映えるその空間は特別応接室とは名ばかりの、えーりん先生が独断で作った隠し部屋。その存在は亭主である輝夜ですら知らされていない、完全なプライベート空間である。
文が現像させた写真の数々は、そのどれもが別の意味でベストショットな逸品ばかりだった。
「……パンチラ写真ばかりじゃない」
「ぎくっ」
「これはどういうことかしら? 納得の行く説明をしてくださる?」
「うぅ、あの……はい」
えーりん先生はとても怒った顔で文を見下ろしている。
「あの子達が間違いを犯しかけていたのを風を起こして阻止してくれたことには感謝してるけど、それはそれ、これはこれよね」
文はというと、バツが悪いといった風に部屋の畳の上で正座しつつ、上目遣いでえーりん先生を見上げている。そんな二人の姿はさながら教師に叱られる生徒の構図だ。
「だって、あんな状況に立たされたら誰だってこういう写真を撮ってしまいますよ。そもそもカメラマン精神とはですね、その一瞬を逃さぬようにとたゆまぬ研鑽を」
両手をバタバタさせつつ、必死に弁解する文。
「ともあれ、ミッションコンプリートというわけにはいかなかったわけね」
「あうぅ……」
そんな懸命な努力をわずか一言で論破され、文は何も言えなくなってしまう。
「……まぁいいわ。ある意味先生の依頼に応えてくれたわけだから。今回は特別に高値で買い取ってあげる」
「わ、やった!」
「ただし」
「はい!」
「今後もあの子達の特ダネを見つけたら、逐次写真を持ってくるように、ね」
「わ、それってつまり……?」
「貴女が考えている通りよ。以降、調査結果を私に報告することを条件に永遠亭の独占取材の件についても許可します」
「やったー! ありがとうございます」
文は両手を挙げてばんざーいと大喜びしている。
永遠亭の兎たち。彼女たちのベストショットを公然と撮影しても構わない。文は胸の裡に宿る昂奮が高まることを隠しきれなかった。
えーりん先生はえーりん先生で、最高の『眼』が見つかったと魔王の笑みを浮かべつつ、ニヤケが収まらない。
「くすくすくす……文さんと言ったわね。これから先生と貴女は同じ写真を共有する姉妹同士よ。いいわね?」
「はいっ。永琳お姉さま!」
志を同じくするふたりの握手がここに交わされる。
今日この永遠亭の密室で、魔王と天狗の、えもいわれぬ契約が交わされることになった。
#ちなみに鈴仙達が集めてきた材料(黒蜜、すきま草、小豆、もち米)は、牡丹餅にしておいしく召し上がりましたとさ。