魔法少女マジカルあやや 『あややは天狗で魔法少女』
思へばこの世は常の住み家にあらず
草葉に置く白露、水に宿る月よりなほあやし
金谷に花を詠じ、栄花は先立つて無常の風に誘はるる
南楼の月を弄ぶ輩も月に先立つて有為の雲にかくれり
人間五十年、化天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり
一度生を享け、滅せぬもののあるべきか
これを菩提の種と思ひ定めざらんは、口惜しかりき次第ぞ
幸若舞 −敦盛−
魔法少女マジカルあやや 『あややは天狗で魔法少女』
1.
いわく。
幻想郷には、天狗たちが棲まうとされる山が存在する。
その山の五合目ほどに位置する深奥。参道は獣道にて人の身には険しく踏みいれることの適わない道のりを向かった場所。
その一角において、今日も今日とて天狗族による号令が為されていた。
「あやや、椛よ。本日の指令だ」
開口一番。周囲一帯に重々しく響きわたる荘厳な声。
本日の指令と言って彼女達を鼻高々に見おろす影は、配下の天狗たちを遥かにしのぐ威容を誇る。
そこに鎮座するは、許多の天狗族を一手に束ねる御方、やんごとなき大天狗様である。
「は! 世のため人のため幻想郷のため。お茶の間の良い子たちのため!」
その名を呼ばれて天狗族の列の中から一歩あゆみでると、誰にともなく、セリフのたびに身体全体を使ってポージングを変えつつ大天狗様からの指令を受ける彼女。
そんな彼女を祝福するがごとく吹く風が、膝上5センチメートルという丈の短いスカートを優しく揺らしている。
これこそがこの手の絵巻におけるある種の伝統であり、普遍のお約束といえるだろう。
絶妙なさじ加減を伴ってそよぐ風を身にまとい、見えそうで見えないスカートのラインを保ち続けるこの少女こそ、大天狗様の配下にして鴉天狗族に連なる一、あややこと射命丸文であった。
「うむ」
今日も元気いっぱいのあややの姿を見やり、大天狗様はふんだんに髭を蓄えた顎に手を当てて納得したように頷く。
あややの健康的な姿態。肉つきの良い、均整の取れたプロポーション。丈の短いスカートからすらりと伸びた健康的な脚。加えて幻想郷最速の異名をほしいままにする彼女のたたずまいは、ただそこに在るだけで立派な一枚の絵画となりうるのであろう。
そんなあややは、しかし被写体の立場に回ることは決してない。
なぜならば彼女は幻想郷の風景を収める側の者……すなわち文々。新聞の記者にして、ひとりの魔法少女なのだから。
「さきほど下界にて異変が発生した。まっこと由々しき事態である。これを可及的速やかに解決へと導き、我が元にその一切の見聞を報告せよ」
「博麗の腋巫女や怪盗黒白に先を越されないうちに、我々天狗族が異変の根源を成敗するのですね!」
「然り」
「承知いたしました。この魔法少女マジカルあややの名に懸けて。新聞の第一面を見事飾って御覧に入れましょう」
「うむ。頼もしい限りである」
そんなあややの横に控える、犬チックな容姿の少女。彼女は魔法少女あややの妹分にして白狼天狗族の犬走椛だ。
椛はノリノリのあややについていけず、気恥ずかしそうに俯いている。
「なぁにやってるのよ椛。こういうときはその場の空気が大事だっていつも言ってるでしょ?」
「わわわ。射命丸先輩。いくら私の名前が椛だからって、そんなにもみもみしないでくださいぃぃ」
「ここがええのかええのんか〜〜〜!!」
あややは椛の背中から手を回して執拗に絡んでいる。
椛も椛で、嫌々とするその口上とは裏腹に、本気でイヤそうにしているようには見えない。
「……じーっ」
「む、どうしたおぬし達」
そんなあやや達をおいて。
謁見の間に居並ぶ女天狗達が、その一点に視線を集中させている。
ごくりと喉が鳴り、生唾を嚥下する音。
大天狗様の威厳に満ち満ちたその御背中……のちょっと上のほう。
首筋の稜線をさらに超えて、登頂の半ばほど。
風にサラサラとそよぐ、一日たりともトリートメントを欠かしたのことのない艶やかな銀髪のさらに裏側。
それは、大天狗様のカリスマの象徴たるお鼻。天を突くように高く高くそびえ立つお鼻だ。
なんともご立派なお鼻を有する大天狗様の御姿は、配下の女天狗の視線を惹きつけずにはいられない。
陽光に冴え冴えと照り映えるその煌めきは、男女を問わず釘付けになることうけあいの逸級品である。
大天狗様の有するこの能力。いつしか『鼻が高い程度の能力』と呼称されるに至った。
絶大なる威力を秘めたこの能力を前に、さしもの稗田の編纂者をして「この史実だけは決して記録に残すまい」と堅く心に誓わせたほどである。
その当代にして九代目を拝命する裔――阿求においては、事あるごとに悪夢にうなされ、眠れぬ夜に悩まされているというのはここだけの話。
自らにないものに惹かれ、憧憬の念を抱くことはいたって自然の理。それは女天狗たちとて例外ではない。
大天狗様の誇るご立派なお鼻のなんたるかを知ってか知らずか。
まるで乙女の初恋であるように、忘我の視線で引き寄せられる不思議がそこにある。
奇しき哉。業は業を呼び寄せるがさだめ。
生きながらに業を背負い、業とともに歩み続けるその在り方は、本人すら知らず知らずに……である。
大天狗様のお鼻の井出達に魅せられ、幾人の女天狗が心を焦がれ夜な夜な悶々と枕を濡らしてきたのか。
その雄々しきお鼻の存在を『罪』と形容することは天地神明、幻想郷に棲まう八百万の神々の名において許されて然るべきなのだろう。
そうでなくては。彼女たち女天狗の果たされぬ想いが報われぬというもの。
「うぉっほん、お主達もうら若き乙女。そういう年頃なのはわかるが……そのようなえっちな妄想をするでない」
そんな彼女達の視線を浴び、大天狗様は照れ隠しのように咳払いをひとつ。
「……大天狗様。ひとつお願いがあるのですが」
「うむ。申してみよ」
女天狗のうちの一人が、意を決したように大天狗様の許へと歩みでた。
「大天狗様のご立派なそのお鼻。触ってもいいですか?」
「ならん」
即答で拒絶された女天狗は、それはもうショックを受けていた。
百年の恋に破れたかの如き絶望に項垂れる彼女は、傷心を埋めるように草むしりを始めている。
……。
……。
「さあ征くがよい。幻想郷の皆の平和のため!」
立ち上がり、扇を翳して大天狗様は鬨の声をあげた。逆光に映えるその御姿たるや、それはもう形容し難い雄々しさである。
特に鼻のあたり。
なんというご立派さ加減か。許多の天狗達を束ねる大天狗様のカリスマの象徴にして、その能力の源でもある高き高きそのお鼻。
大天狗様による大号令の最中。
配下の女天狗たちの視線は、やはりその一点に集められていたのだった。
2.
「くるくる〜っ。くるくる〜っ」
そうして天狗山を飛び立った魔法少女あややと、魔法少女見習いの椛であった。
二人の先陣を切るようにして、八百万の一端にして幻想郷の厄神様、ひなちんこと鍵山雛が同行している。
ひなちんは赤いリボンをくるくると靡かせ、自身もまたくるくると回っている。
異変ある処に多量の厄あり。
厄神様ゆえの『厄を蒐集する能力』を持つ彼女は、解決すべき異変の位置を探知するソナーの役割を担っているのだ。
「やくい。こっちがやくいわ!」
ひなちんが指先で示す方向に軌道修正しながら、あやや達は異変の起こった場所に向けて舵をとっていく。
「やくい方向はこっちね。急ぐわよ、椛」
「あっ、はわわ。わかりましたーっ」
ひなちんに導かれて降り立った場所は幻想郷の一角、人間達が住まう里だ。
「やくい、やくい」
ひなちんのリボンがより強い反応を示しているのは、異変の発生場所に近づいている何よりの証拠。
ソナーの指し示す方向を頼りに、あやや達は異変が発生している場所の捜索を開始する。
天狗山から派遣された魔法少女の仕事とはイメージこそ華やかに見えるものの、その基本は地道な作業の繰り返しなのだ。
……。しばらくの捜索の甲斐あって、彼女達は手懸かりを見つけ出す。
住宅街にたたずむ民家。頭からウサギの耳を生やした少女が二人、そこにいた。
「あれは……永遠亭の兎コンビじゃない。あんな所でなにをやっているのかしら?」
そのウサギとは、鈴仙・優曇華院・イナバと因幡てゐの二人組だった。
見張り役と思われる優曇華院が辺りをきょろきょろと見渡しながら、てゐが何か物体を手にし、里の住人に何事か話しかけている。
「このツボはいいツボですよ。持っているだけでハッピーになれる幸運のツボです。今回だけは特別にこれくらいの価格でいかがでしょう?」
「うーん。そういう物は間に合ってるから」
住人がやんわりと断っているにもかかわらず、てゐは何度も食い下がっている。
そうしてかれこれ何分経過しただろう。一向に話がまとまる様子がない。
「これじゃあ埒があかないわ。鈴仙、出番よ」
「う、うん」
てゐが、くいくいっと手を動かしてサインを送る。
その隣で挙動不審がちに見張りをしていた優曇華院が一枚のカードを取り出して、なにかを呟いている。
あやや達のいるところからはハッキリと確認できないが、彼女の身体からは薄桃色の光のようなものが出ているようだった。瞬く間に住人の目が渦巻き状になって、ふらふらとした様子でお金を手渡していた。
どうやら売買契約が成立? したようだ。
「まいどあり〜♪」
二人の少女がほくほく顔で立ち去ったしばらくの後。
はっと気がついたように、住人はいつの間にか手につかまされたツボを見てパニック状態に陥っていたのだ。
……。
「ひぃ、ふぅ、みぃ……人間なんてちょろいもんね。今日だけでこんなにお金が集まっちゃった」
リアカーに積み込まれているのは――どこからどう見てもガラクタの山だった。
先程売りつけたような奇妙な壷をはじめ、やかん、座布団、物干し竿。使わなくなった雑貨という風情の品物達がずらり敷き詰められている。
「この私が物を勧めているところに、鈴仙が横から狂気の瞳を使って一気に畳みかける。するとあら不思議。こんなに息の合う詐欺商法ってなかなかないわ」
「あーっ。てゐ、詐欺って言った。いまハッキリと詐欺って言った!」
「ちっちっち、相変わらず鈴仙は甘いわね。無理が通れば道理が引っ込むというわ。そのやり方が通用するって言うのなら、詐欺も立派な商売の手段なのよ」
腰に手を当ててキッパリと言い放つ。自信満々に悪を語るてゐの様子に、相方の優曇華院はますます不安を募らせていく。
「てゐ。やっぱりやめようよ、これは悪いことだよう」
「え〜〜? ここまできたら一蓮托生でしょ。あんたには最後までとことんつきあってもらうわよ」
「そんなぁ〜……」
優曇華院は涙目になるも、てゐはまったく意に介さない。
「さぁて、そろそろ次のカモを探しに……」
「――待ちなさいッ!!」
そんな彼女達の背後から突然呼び止める声があった。
「きゃああっ!?」
声とともに吹き荒れる一陣のそよ風が、二人のスカートを大きくめくり上げた。
垣間見えたのは、薄桃色のストライプと黒のレース。
「よっしゃ、パンチラげっとぉ!」
「射命丸先輩ってば、何やってるんですか。もぉ」
ガッツポーズするあややに、椛は心底あきれたように溜め息をついていた。
あややは今しがた振るったカエデ状の扇子を天高く掲げ、魔法少女でおなじみの決めポーズをとる。
「古今東西、世はすべて事もなし。幻想郷の平和を守るため、特ダネゲットのため!
天狗山の方からやってきましたあたし達。その名も魔法少女マジカルあややと、魔法少女見習い椛、ほか一名。ただいま参上よっ!」
「魔法少女見習い椛。ただいま参上……ですっ」
「やくい、やくい」
あややはどこで練習をしてきたのか。アクロバティックな動きを決めつつ、その豊かなボディラインをこれでもかというほどに見せつけている。そんな彼女を見、恥かしさからかうつむき加減に名乗りを上げる椛。相も変わらずくるくると回り続けているひなちん。
あややとしては充分に納得のいく登場シーンではあったものの……しかし肝心のウサギたちは既にいなくなっていた。
「ああっいつの間にっ! ……あたし達の華麗な登場シーンを目に焼きつけないなんて、それだけで人生の3分の1を損しているようなものよ。まったく」
……。
「あんな変な連中に、私達の美味しい商売を邪魔されてたまるもんですかっての!」
(詐欺商法による)商売の途中で現れたあやや達を前に、商売道具のガラクタの詰まれたリアカーを引きつつ逃走を図るてゐと優曇華院。
ことの成りゆき上、てゐがリアカーを引っぱり、優曇華院が後方を見ながらしんがりをつとめる形になっている。
「さっきのひと、スタイルよかったなぁ……羨ましい」
優曇華院は走りながら自分の胸元に手を当て、ほぅと溜め息をついていた。
「あんなのモノの数にも入らないわよっ! 永琳さまの容姿に敵うやつなんて、幻想郷のどこを探しても見つかるワケないんだからっ」
「そ、それはそうだけど……」
「こぉらー。待ちなさーいっ!!」
後方を振り向くと、あややと椛がくるくると回転運動するソナーを伴って、自分達を追いかけてくる姿がイヤでも視界に入ってくる。
「ちっ、これは厄介ね。鈴仙、ここはひとつあれをお願い」
「うんっ。いっけぇ――狂気の赤眼!!」
キィン――!
ひょろひょろ耳をしたブレザー姿のウサギ、鈴仙・優曇華院・イナバの赤の瞳が見開かれてひと際妖しい輝きを放つ……そこから赤い光弾が何発か発射される。
いきなりの不意打ちだった。あややは飛来する弾丸をすんでのところで躱してのける。
「あやややや!? なにすんのよ、危ないじゃないっ!」
「敵の事情をいちいち考えて攻撃する馬鹿がいると思ってんの?」
「このぉ……」
「鈴仙。やられる前にやっちゃいなさい!」
「う、うん」
あややに反撃の隙を与えないようにとてゐは指示を下す。指示に頷きを返すとともに放たれる優曇華院の射線第二波。
牽制の通じない相手と見たためか、さきほどまでとは明らかに精度の違う、あやや達の身体に命中させることを念頭に置いて狙い放たれる赤色光弾。さすがは幻想郷最速のスピードを誇る魔法少女マジカルあややといったところか。相手を優曇華院のみにしぼって意識を集中させれば、その弾幕を回避することなど造作もない。
しかし、躱した光弾がそのまま流れ弾となって里中のあちらこちらに直撃し、農地や家屋に甚大な被害をもたらしていることをあややは知らない。
「はわわっ。ごめんなさいごめんなさい。みなさまには大変ご迷惑をおかけしていますっ!」
そんな彼女達の通りすぎた後を、椛がフォローするように付近の住民達に頭を下げて回っている。
「やくい、やくい」
果たしてどちらがやくいのか……とでも言いたげに。そんな彼女達の様子を眺め、マイペースでくるくる回転運動を繰り返すひなちん。
「これは手強い相手ね。しかしながらこの程度の脅威。想像の範囲内です! 神様仏様大天狗様。いまこそこのスペルカードに御力を!!」
このままでは埒が開くまい。そう考えたあややは一枚のスペルカードを手に魔法の呪文を唱える。
「マジカルミラクル。風の神いまし、いまいまし。我こそは風象を司る鴉天狗、魔法少女マジカルあやや! 森羅万象、津々浦々の精霊の皆々様方! お願い。いまこそあやや達に力を貸して!」
言霊とともにスペルカードに封じられた魔力が解き放たれ、あややの持つ扇を中心に風の力が舞い込み始める。
風符――『風神一扇』!!
溜め込まれた風の魔力をあややの扇を大きくふるって撃ち放たれた風の一撃。
しかしそれを、てゐのリアカーにあっさりとかわされる。
「あやややや。なんでなんで? あたしのとっておきの魔法を、そんないとも簡単にかわされちゃうわけ!?」
本気で信じられない、といった目をするあやや。
そんなあややの様子に別の意味で信じられない、といった顔をして呆れるてゐ。
「……そんな教科書通りのっていうか、予備動作が大きすぎてタイミングまでバレバレな弾幕なんて、初見でも簡単に避けれるに決まってるじゃない。馬っ鹿じゃないの?」
てゐから余裕めいた表情であっかんべーされている。
それを見て、あややの怒りゲージが瞬く間に跳ね上がっていく。
「もーう許さないんだから! 徹底的にとっちめて、衣服をひん剥いて、身体中のあちこちを取材しつくしてやるわよ!」
「あはは……射命丸先輩。それって正義の味方のセリフじゃないです」
「甘いわ。この世の中、正義だから勝つわけじゃない。勝ったほうが正義なのよ!」
先輩はもうすっかりその気だ。普段の営業モードのあややからは想像もつかないだろう。
こうなってしまった時のあやや……彼女はもはや止めても無駄だ。
いまのあややの言葉が決して冗談ではないことを、椛は長年の経験からその身体で覚えこまされている。
事が終わったあと。
今夜もきっと彼女は自分のベッドの枕元で、あややを止められなかった不甲斐ない自分を振り返り、自己嫌悪に陥るのだろう。
恥も外聞もどこへやら。あややはカエデ上の扇子を無造作に振り回し、弾幕を放つ。放つ。放つ。
魔法少女あややの風の弾幕が、優曇華院の赤の弾幕を次々にかき消していく。
「ちょ。なにそれ。聞いてないわよっ!」
「敵さんの事情なんて知ったことじゃないって言い出したのはそっちじゃない。悪役はさっさとお縄につきなさい、それそれっ!!」
だんだんと勢いづいてきたのか、あややの手数が上がっていく。
瞬く間に襲いくる風の弾幕。
それに伴って優曇華院の赤の弾幕が防戦一方に陥っていく。
「くっそー。仕方ないわ。こうなったら商売道具を捨てていくしかないわねっ」
あやや達の追撃と優曇華院の赤の弾幕とが交錯しあう中。てゐは自棄になってリアカーに積まれたガラクタをぽいぽいと投げつけている。
「そんな攻撃が通用するわけないじゃない……って! 痛っ!」
ガラクタのうちのひとつが、あややの頭にヒットしてしまう。
ぷちっ。
瞬間、なにかが切れる音が聞こえた。
「ひぅっ!?」
その瞬間、椛は直感する。『これ』は破滅の予兆なのだと。
間もなくこの付近一帯に、アポカリプス級に未曾有の事態が起こってしまうのだと。
彼女を本気で怒らせるということ、それはイコール。これから起こる光景を目の当たりにする誰もが、幻想郷の異変のほうがむしろ平和だったのだと思い知ることになるだろうと。
魔法少女あややの1の後輩として、その隣を歩いてきた彼女の長年の経験が、白狼天狗としての研ぎ澄まされた嗅覚がその気配をなにより明瞭に感じ取っている。
「……うざい、うざいわ」
椛が感じた予兆は不幸にも見事に的中する。それは魔法少女あややの、堪忍袋の緒が切れる音だった。
あややのその表情を横目で目の当たりにして、椛は心の奥底から戦慄する。
「!! は、はわわわっ。わ、悪いことは言いません。いますぐ先輩に謝ってください。いまならきっと、まだ間に合うと思いますからっ!!」
椛は必死になって敵であるてゐ達に降伏を促す。だがあややにとってすれば、もはや敵味方など関係ない。
人前に顔を出すときのあややは、いわば営業スマイルと喩えれば理解しやすいかもしれない。
しかしその裏で彼女の別の一面を深層意識の深く深くにしまいこむことになる。
いわゆる、しこたま溜め込んだ鬱憤やストレスだ。
新聞記者としての、魔法少女としての、彼女の周りを取り巻く日常が、もうひとりの彼女を形成してしまった。
てゐは、極めて絶望的かつ致命的な過ちを犯してしまったのだ。……魔法少女あややを怒らせるという過ちを。
もはや悪ノリといって済まされる問題でなくなってしまった。
『彼女』を起こしてしまった。その意味を、天狗山に住まう天狗たちであればその誰もが知っているであろうに。
無知とは罪である。知らざることの不幸を、彼女達はこれから身をもって刻まれることになるのだろう。
椛はその恐怖に耐えられなくなり、ひなちんの胸に顔を埋めてわんわんと泣き晴らしている。彼女の声は、もはや伝えたい相手に届くことなどないことを知りつつも。
「もう遅いわ」
椛の必死の努力むなしく、あややが手に持つのは一束のスペルカードデッキ。
それは魔法少女必携のマジックアイテムである。デッキから一枚のカードを抜くと、おもむろに空に掲げる。
『猿田彦の先導』!
あややはスペルカードから開放された魔力で編まれた突風を身にまとい、その威力をもってウサギたちに突撃する。
音速にも等しいスピードで突進する一陣の風。てゐは咄嗟に優曇華院の身体を盾に攻撃をやり過ごそうとするが、
「きゃあああぁぁぁっ!!」
吹き飛ばす旋風の威力に加え、あやや自身の魔力が上乗せされた攻撃はてゐの想定外だったようで、肝心の盾もろとも彼女達を薙ぎ倒した。
「こんなもので終わりなんて露ほどにも思わないことね……」
誰が呼んだか彼女こそは魔法少女、マジカルあやや。
あややは腰にさげたポーチからスペルカードの束を無造作に取り出して、それを一枚づつ発動させる。封じられた魔力が余すところなく放散されるそれは、尽きることのない風の奔流となって周囲一帯を荒れ狂っている。
永遠亭の悪戯ウサギ達の、断末魔に等しい悲鳴がいつまでもいつまでも木霊していた。
……。
……。
ぱしゃぱしゃ。
懲らしめたウサギ達をうつ伏せに寝かせ、あややはカメラのシャッターを切っている。
些細な出来事であったとはいえ、異変は異変である。
悪い芽は根こそぎ摘み取らなくては。
またいつ同じような異変を起こしてしまうかわからない。これはそれを未然に防ぐための予防措置なのである。
懲らしめた妖怪の姿を写真に収めることで、二度と悪さをできないようにするための物だ。
動かぬ証拠である彼女達の顔と、ピンクのストライプと黒のレースの布地がカメラのフレームにぴたりと収まっている。
写真を撮っていくうち、彼女もようやく怒りが収まったようで、元の魔法少女モードに戻っているようだ。
「てゐならともかく、どうして私まで〜〜」と嘆く優曇華院であったが、あややの反応は涼しいもので「ダメダメ。あんたは共犯者なんだから連帯責任よ」と言って一切取り合わなかった。
一度こうなってしまったあややを止める手段が幻想郷全土を探してもどこにも存在しないことを、椛は長年の経験から知っている。
彼女とて白狼天狗の片割れにして忠義の者。あややの行動を見兼ねて止めようとしたこともあった。
だが、その時に嫌と言うほど味わうことになったその経験が、その身に刻み込まれた出来事が、いまのあややを止める手段がないことを何より雄弁に語ってくれているのだ。
「くるくる〜っ。くるくる〜っ」
ひなちんはといえば、辺りをくるくると回転し、異変の張本人たちやその周囲に漂う厄を回収してまわっていた。
どす黒い霧状のなにかが、彼女の身体に吸い込まれていくのがハッキリとわかる。
人里に起こった異変もこれで収束に向かっていくことだろう。
「これで任務完了ねっ」
すべて事が終わったあと。「覚えてなさいよ〜」と悪態をつく詐欺師ウサギと、「もうお嫁にいけない〜」と涙するひょろ耳ウサギ。
任務を無事に終えたあやや達が帰投する遠くから、彼女達のか細く啼くような声が聞こえていた。
3.
「うむ。此度の活躍、まことに大儀であった」
そうして天狗山に帰投した魔法少女達。
永遠亭のウサギたちが起こした異変も、彼女達の活躍によって平穏無事に解決した。
事の一部始終を千里眼の能力で逐一見ていた大天狗様はあっぱれ、とカエデ状の扇子を掲げ、魔法少女達にねぎらいの言葉をかけていた。
「おぬし達のような優秀な部下に恵まれ、わしも鼻が高いというものだ」
鼻高々に語る大天狗様は、報告書代わりに受け取ったフィルムを片手にそのご立派なお鼻をさすっている。
その手の動きに合わせるように、ご立派なお鼻がヒクヒクと鳴っている。
その蠕動にあわせるように、配下の女天狗達の視線もせわしなく踊っていた。
「魔法少女あやや、ならびに魔法少女見習い椛、ひなちんよ。今後とも精進に励むがよい」
「はい! あやや達は、これからもがんばります!」「私も目いっぱいがんばります。その……いろいろと」「くるくる!」
大天狗様のその言葉にあやや達は力いっぱい返事を返す。その姿を見て、大天狗様は納得したように大きく頷いた。
「よい返事だ。これからもおぬし達の活躍に期待しておるぞ」
あやや達は謁見の間を後にした。
――ひと払いの済んだ謁見の間にて。
大天狗様の机には、あややが撮影したフィルムから現像された写真達がところ狭しと並べられていた。
「うむ……これは竹林の妖獣達か。至極極楽なり」
事の一部始終が綴られた写真の隅から隅を。視線を這わせるように眺めながら、いたくご満悦の様子の大天狗様。
天狗山の頂から幻想郷の地上の様子を見守りつつ、容姿も見目麗しく、能力も優秀で申し分のない女天狗たちから集まった報告を目にして癒しのひとときを得る。
これぞまさしく大天狗様の面目約如。文字通り鼻が高いというもの。
呵々と笑うその声は、しばらく止みそうになかった。
――その頃。厄神様ことひなちんは、大きな厄=異変の前兆を察知していた。
リボン状のソナーが、ざわざわと波立つように揺れ動いているのがその何よりの証拠である。
異変到来の気配にいち早く気づいた彼女は、あやや達の談笑の中、その方向へと向けてひとり振り返る。
厄探知ソナーが指し示す先。
そこには先程まであやや達がいた、他ならぬ大天狗様の私室があったのだ。
「やくいわ!」