たとえばこんなSchneewittchen






 むかしむかし。
 幻想郷のあるところに、ゆうかりんこと風見幽香という女性がいました。
 ゆうかりん……彼女は稀代の美女と謳われ、幻想郷最強といって差し支えない比類なき能力と、誰もを惹きつけてやまない美貌とを兼ね備えていました。
 ある日のこと。ゆうかりんは思い立ったように傍らに控えるイワカガミの花に訊ねます。
「カガミよカガミよイワカガミ。この幻想郷で一番いい女は誰かしら?」
 すると、真実を映し出す程度の能力を持つイワカガミの花は淀みなくこう答えました。
「それは霧雨魔理沙です」
 ぴき。
 イワカガミの答えを聞くが先か。ネガポジ反転の要領よろしく、世界が一瞬だけ凍りついたような音があたり一面に響きます。
 おそらくは幻想郷の最果てにある博麗大結界の一部に亀裂が入った音に違いありません。
 なんという一大事でしょう。
 ……ですが、そんな事は、これから起こる問題に比べればまったく些細なこと。ゆうかりんにとって『これ』は、女として沽券にかかわる由々しき問題です。
 その花言葉は『忠実』。イワカガミは忠実なまでに嘘をつきません。
 しかし自分の意思に忠実な従者とは果たして。
 花の答えにどうしても納得の行かないゆうかりんは、無理矢理にでも自分の名前を吐かせようとします……が、そもそもが『忠実』の花言葉を持つイワカガミの花、たとえそれがご主人様直々の命令であっても、自分の意思を頑として曲げようとはしませんでした。
 ここでイワカガミが自分の意思を曲げ、ゆうかりんの納得のいく答えを返していたのなら、或いは違った結末が待っていたかもしれません。
 まあ、そうはなりませんでしたが。
 ゆうかりんが幻想郷髄一の美貌の持ち主と仮定すれば、その従者たるイワカガミの先天的な頑固さ融通の利かなさ加減ったら幻想郷随一といって過言ではありません。
 だってイワカガミの花ですもの。
 ……。
 ゆうかりんがその握力で何度締めあげても、その類まれな腕力で揺さぶっても、彼女が誇る花を操る能力を用いようとも、ついには堪忍袋の緒が切れて弾幕ごっこに発展しようとも、花はついに自らの答えを曲げることはありませんでした。
「……あんたのそういう所を、私は信頼しているのだけれど」
 それこそがゆうかりんをして、全幅の信頼を置くことのできる由縁。
 しかし融通が効かなすぎるのも考えもの。
 説得が通じないと受け入れるや、激情の捌け口を失って煮えたぎるその胸の裡は、瞬く間に嫉妬の感情へと塗り替えられていきます。
 そもそもがSっ娘体質であり、幻想郷最強の称号を恣にしてきた彼女なだけに、自分よりいい女が存在する事実が許せないのでした。
 ……。

 ゆうかりんは、自分よりいい女といわれた霧雨魔理沙のもとへと向かいます。
 理由は魔理沙の私生活を探るため。
 そうしてやってきた魔理沙の工房。
 ゆうかりんは窓からコッソリ覗き見ます。するとそこには。
「おーおー。やっぱりあいつが持ってる魔法書はすごいぜ」
 そこには事ある毎に大図書館から拝借してきた魔法書に囲まれ、躊躇いもなく中身を吟味する魔理沙の姿がありました。彼女はボサボサになった頭をかきながらパラパラと頁をめくっていきます。
 部屋中あちこちに散乱する本の山は、とても借り物に対する扱い方ではありません。
「そろそろお腹が減ってきたな。ひょいっ、ぱくっ」
 魔理沙は思い出したように、エプロンのポケットから碌に調理もしていない生のキノコを取り出すと、真上にひょいっと投げて口の中に放ります。
「んぐんぐ……うん。やっぱキノコはこうじゃないとなー」
 そうしてキノコを何個か放り込んだところで、満腹になったようです。
「よーし。腹ごしらえもすんだ所でぐっすり寝るかー」
 その間コンマ数秒。
「Zzz……Zzz……」
 なんということでしょう。
 読書に疲れた頃、大きく口を開けてあくびをすると、そのまま布団でもないところで雑魚寝を始めるのです。イワカガミが幻想郷で一番いい女と呼んだ娘、霧雨魔理沙の私生活は不養生そのものでした。
「きーっ。なんであんな娘が私を差し置いて幻想郷で一番いい女なのよ。納得いかないわ!」
 同感ですよゆうかりん。
「なんとか。なんとかして、ギャフン(死語)と言わせてあげたい。イワカガミから受けた鬱憤も含めて、思いっきり思い知らせてやりたい。どうすれば……そうだわ」
 そうこう考えるうち、ゆうかりんの頭上で豆電球が発光し、妙案を閃きます。
「イワカガミがそこまで認める女なら、その霧雨魔理沙に真の上下関係を教えこむ必要がある。こうなったらとっておきのお仕置きで懲らしめてあげるわ!」
 なにやらよからぬことを考えついた様子。
 ほーっほっほっほっほっほ。
 ゆうかりんの笑い声が辺り一面の隅から隅へと万遍なく、風に乗って高らかに響き渡るのでした。
 ……。

「メディはいるかしら?」
 無縁塚に戻ると、ゆうかりんは一声呼びかけます。
 呼びかけに応えるように、スズランの精を享けて生まれた人形メディことメディスン・メランコリーが、妖精のスーさんを伴ってふうわりと風に舞う花びらとともに姿を現します。
 現れるやメディはスカートの端をつまみあげ、優雅に会釈を交わします。
「私のことをお呼びかしら。ゆうかりんさま」
「貴女を呼んだのは他でもないわ。貴女自慢の毒を使って、やっつけてほしい女がいるのよ」
「なんだか物騒な話よね……まぁいいわ。とりあえず話を聞かせて」
 ……。
 ゆうかりんとメディはしばらくの間、なにやらよからぬ密談を交わしていました。

     ◇ ◇ ◇

「霧雨魔理沙がよく通る場所はこのあたりね」
 ここは魔理沙の工房からしばらく離れた森林の遊歩道。
 妖精のスーさんを伴って、メディはそこに降りたちます。
「まったくあの脳みそお花畑。けど無下に断ったらワガママが暴走して鈴蘭畑を根こそぎ枯らされちゃう」
 メランコリーの名に恥じない彼女は、どこか厭そうに溜息を吐くと、エプロンドレスのポッケからひとつの大きな木の実を取り出します。
「コンパロ、コンパロ〜」
 メディがその呪文を唱えると、木の実が紫色の光に包まれていきます。
「毒なる蜜よ。我が手にするこの果実の裡に、それなりに集まれ集まれ〜」
 木洩れ日に照り照りと輝きを返す木の実は、メディの唱えるその呪文とともにどこか耽美な風合いをまとっていきます。ギリシアの黄金の実を髣髴させる聖性と醇風美俗なアニマを匂わす淫靡を兼ね備えた二律背反。
 神でなければ創造し得ない何か。それを容易く成し得てしまうのはメディの持つ毒性ゆえか。
 存在そのものが高文明の遺物たるアーティファクト、深遠を探るオーパーツたる木の実の周囲に毒の弾幕を展開させています。木の実が毒々しい色を充分に帯びますと、再び元の赤い色に戻っていくのでした。
 そうしてできあがった毒の実を、道端にポンと置きます。
「こんなもんかしら。疲れたから帰って休むわよ。スーさん」
 メディは自らの半身も同然の妖精、スーさんを伴って棲み処へと帰っていくのでした。

 こうして起こった一連の揉めごとがすべての発端。
 それが今回の『異変』のはじまりはじまり――

     ◇ ◇ ◇

 ――場所はところ変わって魔法の森。
 魔理沙の周りではまさに大変なことが起ころうとしているのに、当の霧雨魔理沙はまったりとキノコの採集中。
 木漏れ日の差し込む森林の木蔭はとても居心地がよく、加えて地脈と霊脈が幾重にも折り重なり、生命のマナを集めやすい構造になっているのだそうです。そのためこの森林は魔法の森に喩えることができるほど、魔法使いにとって絶好の立地条件といえるでしょう。
 道に迷って然るべき森林において、工房を構える魔理沙にとっては庭のようなもの。
 勝手知ったるなんとやら。魔理沙は馴れた足取りで付近一帯を散策し、美味しそうなキノコを見つけては、ひょいひょいっと籠の中に放りこんでいきます。
「おっ。こんなところに木の実があるぜー☆」
 これみよがしに道ばたに置かれた木の実は、とても美味しそうに見えるではありませんか。木の実からは芳醇で濃厚な匂いがたちこめ、食べずには居られなくなるような食欲をそそります。
「へへ。こいつぁうまそうだぜー。ひとくち食べてみるかー。もぐもぐもぐ」
 あらあら。
 魔理沙は木の実をひょいっとつまみあげると、そのまま口の中に放って食べてしまいました。
「おおっ。こんなに美味い木の実を食ったのは生まれて初めてだぜ」
 それもそのはず。ゆうかりんが厳選に厳選を重ねた、幻想郷でも逸品中の逸品なのですから。味は絶品に決まっています。
 ああゆうかりん。
 それだけの執念とこだわりを自身の女を磨く努力に費やせばどれだけ……哀愁という名の物惜しさが脳裏をひとひら掠めていきますが、それはまぁ、物語の本筋とは関係ありませんので割愛。
 しかし。木の実を口にして暫くも経たないうちに。
「……うっ。や〜ら〜れ〜た〜……」
 ぱたり。
 まあ大変。なんということでしょう。魔理沙が食べた木の実には、メディ特製の毒が入っていたのです。
 そうとも知らずに木の実を口にしてしまった魔理沙は瞬く間にその場に倒れ、意識を失ってしまうのでした。
 ……。

     ◇ ◇ ◇

 ――いっぽう、処は紅魔館。
 今夜は幻想郷の住人達を巻き込んでのパーティが催されていました。ホールには人間、魔法使い、亡霊、半獣、半霊、妖精、蓬莱人、兎、天狗、死神、閻魔、神族など、様々な種族の方々が一堂に詰めかけています。
 ここはそんな彼女たち全員を収容してもまったく問題ないほどの敷地を有する広い館です。騒霊達の大合唱。三月精達のトークショー。呑めや唄えと。みな思い思いにパーティを楽しんでいました。
「楽しんでくれているみたいで何よりだわ」
 言って、テラスよりゆっくりと階段を降りてくる姿。館の広さを象徴するかのごとく颯爽と現れたのは、この紅魔館の主にして本パーティの主宰、レミリア・スカーレットお嬢様でした。
 お嬢様は登場と同時、メイド妖精たちから紙吹雪を散らされています。
 ……。
 主賓による挨拶の言葉を終えると、彼女は右手を軽く翳します。
 するとホールの奥にある豪奢な扉がゆっくりと開き、そこから紅魔館の侍従長こと十六夜咲夜が姿を見せます。
 彼女はどこからともなくトランプのデッキを取り出すと、それらを慣れた手つきでテーブルの方へと投げいれます。
 このカード捌きこそ、紅魔館の主のちょっぴり自慢の、完璧で瀟洒たるメイド長ならではの技。
 ゆうべ徹夜で練習を重ねたそうです。
 実は彼女、目の下に隈ができているのですが、そこは瀟洒なメイクで見事に隠しています。
 ジョーカーを除いた52枚のカードをすべてテーブルに投げ終えると、メイド長はぱちんと指を鳴らします。
 するとあら不思議。
 次々にカードが色取り取りのご馳走へと姿を変えていくではありませんか。それは紅魔館に仕えるメイド達が腕によりをかけて作ったご馳走の数々。
 一枚、また一枚と姿を変えるカードたち。
 タネを明かせば咲夜さんが時間を止めつつカードとご馳走のお皿を入れ替えていました。参加者の誰もがそのタネに気づいている(ただしHを除く)のですが、その場のノリ的に拍手喝采を鳴らします(ただしHは本気で)。
 咲夜さん本人は趣味でやってきた手品が純粋に成功したと思っているので、それはもう満足げに喝采を受け入れるのです。
 パーティの主宰レミリアの妹フランドールの姿もありました。彼女もこの日ばかりは私室の外に出ることを許されています。
 彼女の着こなすドレスは、今日この日のため、姉のレミリアが特注で誂えたもの。レミリアの好みと趣味がふんだんに盛り込まれた幻想郷に二つとない特別の品です。
 妹の晴れ姿に頬を緩ませる姉。そんな主の姿に心の中で萌え転がっている侍従長。そんな上司の悶える様子に黄色い声をあげる妖精メイド達。そんな仲間達の姿にやる気を漲らせる門番長の構図は、傍から見ても微笑ましいものです。
 しかしこのパーティ。いまひとつ盛り上がりに欠けているようです。どうしたというのでしょう。
 ……。
 そういえば霧雨魔理沙の姿がありません。
 普段は着の身着のままに現れては、キッチンのお菓子や大図書館の書物を浚っていく天下御免の白黒。色気より食い気。『タダより安いものはない』を地で行く少女。そうしてついた渾名が黒白雪姫。
 白玉楼の主、幽々子さまにこそ敵わないものの、タダで食べられるご馳走に彼女が飛びつかない理由などありえないはず。
 念のため咲夜は時間を停止させ館内を調べるのですが、魔理沙の姿はないようです。
 ――こんなパーティに姿を見せないなんて、何かあったに違いないわ。
 どよめきは次第に会場全体へと広がっていきます。
(ほほほ。いい気味だわ)
 ゆうかりん。メディに命じておいた毒入り木の実を食べさせることに成功したと見ると、慌てふためく少女達の姿を清々した面持ちで眺めます。
 Hと煙は高いところが好き。とは昔の人はうまいことを言ったものです。
「魔理沙がいないとつまんないよぉ」
 フランは指を咥えて魔理沙のことを心配しています。
 門番長はスティック飴を使ってあやそうとしますが、フランの気持ちは一向におさまりません。
 そんな哀しそうにする妹の姿を見て、姉としては抱きしめたい気持ちで一杯なのですが、パーティの主催としての立場上、取り乱すわけにもいきません。
 そこでレミリアはフランに笑顔でいてほしい姉心と、この騒動を収めるためにと一計を案じます。
「みんな落ち着きなさい」
 さすがは紅魔館きってのカリスマお嬢様。その一言には威厳と説得力があります。
「行方不明になった魔理沙を探し出した者に、褒賞と、魔理沙を一日だけお嫁さんにする権利を与えるわ!」
 響き渡ると同時、ホール中がシンと静まりかえりました。
 褒賞と、魔理沙のことを一日だけお嫁さんにできる権利。魅力的な申し出に、参加者の大多数が色めきだっています。
 さすがは紅魔館のカリスマおぜうさまことレミリア・スカーレット。その幼い容姿とは裏腹に中身は太っ腹の女性なのです。
 ……。
 王様ゲームにおいて王様の言葉こそ唯一絶対であるように。
 今夜のパーティの主催はレミリアお嬢様。その意思決定は絶対。ならば参加する誰も異を挟む者はおりませんでした。
 魔理沙を一日だけお嫁さんにできると聞き、あらぬ妄想に心旅立つ者、魔理沙など眼中になく褒賞めあての者、反応は様々です。
 レミリアの提案に、皆、我先にと館を飛び出していきました。
 いの一番に飛び出したのは天狗たちでした。持ち前の素早さを生かし、館の窓を無造作に開け放つと、黒々とした翼をはためかせて飛び出していきます。
 開いた窓からは突風が吹き荒れます。風にあおられた妖怪達は黄色い声とともに一斉にスカートの裾を押さえています。
 続いて他の妖怪達も皆、我先にとホールの外へと飛び出していきます。
 途中、門番長さんが妖怪達から踏まれて蹴られてくちゃくちゃにされているようですが、そこは彼女の鍛え上げた身体と気功の賜物。まったく問題はありません。
(ふふ。これで妹も少しは機嫌を良くしてくれるかしら)
 レミリアはフランのいる方向をちらと一瞥します。頭の中では愛しのフランから「姉様好き好き大好きー♪」と胸に飛び込まれ、そんな妹の身体を優しく受け止め、睦みあう姉という構図が目に浮かんて幸せ気分。
 しかし運命とは残酷でした。
 フランはドレスを脱ぎ捨て普段着に着替えた後、我先にと館を飛びだしていったあとでした。
 ……。

 そうしてレミリア達以外ほぼ誰もいなくなったホール。用意したご馳走やパーティの催し物そっちのけで飛び出していった参加者達。
「フラン。ちょっとくらいお姉ちゃんに感謝してくれても良いじゃない……」
 レミリアの心は、パーティの惨状よりも妹のフランに向けられていました。哀しみの想いに、心が塗りつぶされそうになります。
 けど、なにがあっても決して泣かない。
 このレミリア・スカーレットこそ、永遠に幼い紅い月の二つ名で呼ばれ、紅魔館を背負って立つお姉ちゃんなのですから。
「お嬢さま……ご立派ですわ」
 カリスマ故の孤独。人前では見せられない弱さ。
 その数少ない理解者である咲夜侍従長は、そんな主の幼い背中を見て、ホロリと涙を流しておりました。

     ◇ ◇ ◇

「魔理沙のやつ、本当にどこ行ったのかしら」
 アリスは頭を抱えながら単身魔理沙を探していました。
 木を隠すなら森の中、とは言いますけれど。ある程度は地の利のあるアリスでしたが、この広大な森の中、どこをどう探せばお目当ての魔理沙の居場所にたどり着けるのか、皆目見当もつきませんでした。
「上海、蓬莱、あんた達もそう思うわよね」
 こくこく。
 アリスの人形である上海と蓬莱に問いかけると、アリスの魔力で動く人形達はうんうんと頷きます。
「そうね。とりあえず身近な場所から探すのがセオリーよね」
 アリスはそう考え、簡単に思いつく手がかりとして足を運んだのは、魔理沙の工房でした。
 ……。

 ごっちゃりとした工房内。
 そこは読みかけの書物やら巻物やら魔法の触媒やら生活雑貨やら食べ残しなどが無造作に散乱した、混沌の坩堝と化していました。
 寝食すら忘れ、研究に没頭する魔法使いの工房としては正しい在り方なのでしょうけれど、女の子の部屋として見ればどうなのでしょう。
 イワカガミの花が『幻想郷で一番いい女』と言った霧雨魔理沙の性格を、知らない者が見れば卒倒しかねないほどの、それはもう無惨な有様でした。
「もう……魔理沙ったら仕方ないわね。こんなに散らかして」
 きれい好きのアリスにとって、工房のそんな有様には到底耐えられるモノではありません。そこでアリスは時間すら忘れて、工房を片っ端から後片付けすることにしたのです。
 上海と蓬莱達はそんなアリスのお手伝い。
 ……。
 ある程度片づけをしていると、工房の奥からガサゴソと物音が聞こえます。
 その音はどうやら隣の部屋から聞こえてくるようです。
 一瞬、アリスの表情が明るくなります。
「魔理沙ったら、こんなところにいたの? みんな探していたわよ……って」
 しかし部屋にいたのは魔理沙ではありませんでした。
「誰!?」
 そうだと知るや、とっさに上海と蓬莱に武具を取らせ、弾幕の構えを取ります。
「……はへ?」
 そこにいたのは魔理沙ではなく……。
 アリスより先に魔理沙の工房を訪れ、魔理沙の部屋を絶賛物色中の、幻想郷きっての助平河童もとい、河城にとりでした。

     ◇ ◇ ◇

「ふん。姉様の馬鹿。魔理沙を懸賞にかけるなんて、どうかしてるわ」
 姉に対する不満をもらしつつ、七色の羽根をはためかせながら館を飛び出したフランがやってきたのは魔理沙の工房でした。
 この場所を探そうと思い当たったことに特に理由なんてなくて。気がついたらここに立ち寄っていました。
 フランにとって魔理沙とは大切な遊び友達です。
 『あらゆるモノを破壊する能力』。
 生来秘めたこの能力のために、館の門番長、侍従長、図書館長、召使い。実の姉からすらも距離を置かれている気がして、常に心に疎外感を覚えていた彼女にとって、自らの能力を前にしても退かず、恐れず、自然体で接してくれる魔理沙の存在は、ある意味家族以上に大きなものでした。
「……お邪魔するね?」
 誰にともなくそう呟くと、フランは気恥ずかしげにゆっくりと扉を開け、工房の中にそろりと足を踏み入れます。
 そこには先客がふたりいたのです。
 ……。
「魔理沙ったら、ドロワーズしか穿いてないと思ってたら、こんな派手な下着なんて持ってるのね」
「わ。こっちにはポエムがあったよ」
 ……アリスは工房の大掃除。
 ……にとりは魔理沙の手がかり探し。
 それらを建前にして、その蔵書の半数以上を大図書館の魔道書で占める書架に始まり、タンスの中、日記帳、人前には見せられない恥ずかしいポエムなどを発見しては、逐一チェックを入れていきます。
 魔理沙の思わぬ一面を発見するたび、二人は世紀の大発見のように驚きの声をあげます。
 そんな彼女達からは時折ハァハァと荒い吐息が洩れ聞こえてくるのですが、その意味を495歳とはいえ、まだまだ幼いフランには理解できません。
「?? なにやってるの、お姉さん達?」
 彼女達の様子にたじたじになりながら、フランは二人と合流するのでした。 
 ……。

     ◇ ◇ ◇

 いっぽう。パチュリーは大図書館に籠もり、書物を読み漁っていました。
 彼女の書斎机の上には、心理学や風水学やら、様々な分野の専門書が積み上げられています。
 自らのテリトリーたる室内に居ながらにして、自らの知識と書物の力によって、あらゆる問題を解決へと導く。
 これぞパチュリー流・アームチェアディテクティブ。
「本人の性格、心理状態、当時の天候、居住環境、行動予測、これらをもって、魔理沙の現在に至るまでの因果関係を探ってみせる!」
 想像しうる限りの要素を加味し、吟味し、検証する。そうして対象の行動パターンを絞り込み、現在状況を特定する。
 それはプロファイリングの基本中の基本。活動時間の大半を書物とともに過ごす彼女は、書物を使った調べ物などお手の物。使い魔の小悪魔に命じては次々と書物を運ばせています。
 プロファイリングにより当時の魔理沙の行動をある程度まで絞り込み、分析した結果……。
 パチュリーがやってきたのは、紅魔館3階にある来客用トイレの左から3番目の扉の奥でした。
「……あら?」
 もちろん、そこには誰もいません。
 ……。
「おかしい……ありえないわ。この条件下において魔理沙の性格を鑑みれば、おのずとこの場所に行き着くはずなのに」
 予測が完全に外れていたと知り、自信満々だっただけにパチュリーはたじたじになっています。
 3階の来客用トイレの一角に座り込み、常人では想像もつかない速度で脳を高速回転させています。
 意識がすっかり別世界に向かっておりますので、妖精メイド達の視線も声も、なんら気になるところではありません。
「……設定条件が不足しているのかしら? ……それともどこかで想定外のイレギュラーが」
 大真面目な表情で考え込むマスターを前に、彼女の使い魔にして大図書館の司書を務める小悪魔は、いろいろとつっこみたくてうずうずしています。
「唯物論と精神論の両側面からアプローチをかけた画期的な分析方法だったはずよ! それなのに、どうして!」
 豊富な知識を有するパチュリーは、自分の足で行動するという概念がいまいちアレです。知識と実際の関係性を窺い知ることに対して、今の彼女の経験値では些か若すぎるのでした。
 ……。

     ◇ ◇ ◇

「お嬢様」
「どうしたの妖夢?」
 ふと、妖夢は自らの主である幽々子に訊ねます。
「果たして魔理沙はどこにいるんでしょうかね」
「昔から、木を隠すなら森の中って言うじゃない?」
 トレーに盛りつけられたご馳走を小皿に取り分け、舌鼓を打ちながら幽々子はそう言います。
 なるほどさすがは幽々子さま。のっけから確信めいたことをおっしゃいます。
「そこまで分かっていながら、我々はこんな所で一体なにをしているのでしょうか」
 彼女達がいるのは紅魔館のパーティホール。
 妖夢は神妙な顔でそこに佇み、幽々子は悠々自適に食事を楽しんでいました。
「魔理沙をつかまえた褒賞に、ご馳走をお腹一杯食べさせてもらう予定だったから。私には妖夢という可愛い部下がいるから、他の娘なんていらないし」
 さりげなくカミングアウトする幽々子さま。これは妖夢でなくとも赤面ものです。
「私達はただ、目の前のご馳走を食べていれば当初の目的は達成されるわけ。つまり、わざわざあの子を探し当てる必要はないということ」
「……そういうものなのでしょうか」
「ええそうよ。よく覚えておきなさい」
「はぁ」
「さぁて。これからごちそうの時間。はりきって食べるわよ〜〜」
 ああ、問いたい。小一時間問い詰めたい。
 このマイペースお嬢様についてそれはもう色々と。
(師匠……私はまだまだ未熟なようです。ここにきて、従者としての気苦労がようやく垣間見えた気がします)
 妖夢は自らの師にして祖父である妖忌を想いながら、自分の人生について色々と見つめなおしていたのです。

     ◇ ◇ ◇

 そこには慧音と妹紅の歩く姿がありました。
「なあ慧音。あいつのことは本当に探さなくていいのか?」
「構わない。それより早く帰って食事にしよう。騒ぎのために折角のパーティの料理を食べ損ねてしまったからな」
 彼女達、どうやら魔理沙の捜索には興味がないみたい。
「確かに今回の異変を手っ取り早く解決したいだけなら、私の『歴史を食べる能力』を使って霧雨魔理沙が行方不明になった事実を『なかったこと』にすればいい。しかし」
「それだけではダメだって言うのか?」
「ああ。それではあいつのためにもならん」
 けれどそんな中、本気で魔理沙を探している者達もいるのです。
 人間である魔理沙には、ひとかたならぬ情もある彼女達。今回の異変を起こしたのが何者かまでは分からないけれど、迂闊にすべてを『なかったこと』にするよりも、魔理沙を必死で探す者達の意思を尊重し、彼女達自身で魔理沙を探し出してもらった方が後々いろいろと都合が良いはず。
 そう考えた慧音は指先を頭上高くに掲げ、大きくパチンと鳴らします。
 瞬間。妹紅は周囲の空気が変化したような感覚を覚えます。
「いま、能力で何をいじったんだ?」
「ふふっ……」
 不敵に笑みを洩らす慧音と、そんな彼女の様子に驚く妹紅。
「あの手癖の悪い娘には、これくらいしてやっても問題ないだろう」
 慧音がそう言うと、二人は何事もなかったかのようにその場を後にするのでした。

     ◇ ◇ ◇

「!」
 慧音が能力を使ったのとほぼ同時。
 図書館で調べ物に奔走するパチュリーの脳裏に、突如なにかが閃いたのです。
「すこし外に出かけてくるわ。小悪魔、本の後始末をお願い」
 言って指さすのは、机上に散乱する御伽草子の粋を集めた蔵書の数々。
 紅魔館が誇る大図書館。基本的にどのような類の書物でも取り扱っているので、知識を得るという目的によるならば、大図書館ほどその機能に優れた施設はありません。
 ですが、百聞は一見にしかず。
 百のプロファイリングをもってしても、一の捜査がなければ、効率がいまいちアレなことに彼女は気づいたのです。
「いってらっしゃいませ、ご主人様〜♪」
 自分の足で調査に出かけることを覚えた彼女の後姿を見送りながら、小悪魔は心の中で拍手のエールを送ります。
「さぁて。マスターが読まれた本のお片づけお片づけ」
 小悪魔はこれまでにない嬉々とした表情で、散らかった資料の後片付けを始めるのでした。
 ……。

「私としたことが。あのキノコマニアがパーティに姿を見せないなんて、キノコ関係で何かあったに決まってるじゃない」
 木を隠すなら森の中。魔理沙と近しい関係にある森近霖之助と魅魔の姿はパーティで見かけたし、二人とも魔理沙の居場所は知らないと言っていた。自分の目の届く範囲に現れるなら、随所に仕掛けた魔力センサーが反応するはず。そもそも簡単に見つかる場所にいるのなら、機動力に定評のある天狗達がとっくに発見している。ならば天狗達ですら探索の及ばない場所……森の木陰の中にいると彼女は踏むのでした。
 魔理沙の工房を訪れ、窓の外から中の様子をチラ見しますが中はもぬけの殻。
 実際にはアリス達がいたのですが、彼女たちは工房の奥の奥で人には言えない作業を展開中でしたのでその姿を確認することができませんでした。

 人捜しに使えるかどうかわからないダウジングロッドを手に、パチュリーは魔理沙の位置を探ります。
 そうして半刻ほど後。パチュリーの足による探索がようやく功を奏するのです。工房から離れた散歩道の一角に、彼女はいるのでした。
「ちょ」
 そこには背筋をピンとのばし、仰向けで両手をお腹の上で組んでいる、彼女の寝相の悪さを考えればありえないほど美しい姿勢で。静かに横たわる魔理沙の姿があったのです。
 ……。
「いちおう脈はあるわね」
 呼吸を確認し、脈を取ります。どうやら生きてはいるようで、パチュリーはほっと一息をつきます。
「おーい」
 一応、パチュリーが第一発見者ということになるわけです。一瞬、「魔理沙を一日お嫁さんにできる」という言葉が彼女の脳裏を掠めます。
「……じーっ」
 魔理沙の寝顔に無言で視線を向け、数十秒間そのまま凝視します。これで寝たふりをしているならば、次第に空気に耐えられなくなって飛び起きるはずですが。いっこうに起きる様子がありません。本当に眠っていると見て間違いなさそうです。
「おーい」
 そういえば何やら声が聞こえています。魔理沙の事ばかりに意識が向かっていたので気づきませんでした。パチュリーは耳を澄まし、声のする方に目を凝らしてみると。
「パチュリーじゃないか。あんたもここで一献やるかー?」
 そこにはミニマムサイズに分裂した萃香達がいました。
 彼女達はなんと、眠れる魔理沙の寝顔を見ながら、籠に採集してあったキノコを肴に酒盛りをしていたのです。
 
     ◇ ◇ ◇

 いびきすらかきながら眠る霧雨魔理沙でした。
 日向ぼっこしながら昼寝中といわれれば『魔理沙だからさ』とそのまま信じてしまうくらい。
 この場に集う一部を除いたパーティの参加者達に見守られながら、一向に目を覚ます気配のない魔理沙を医者の永琳が診察しています。
「命に別状はないわ。ただ、このまま意識が戻るかどうかはわからない」
 彼女を起こすためには、ある方法が必要だといいます。しかしその方法は永琳が誇る医術をもってしても分からない。そう、まるで宝塚女優のような流暢な言い回しで診察結果を言葉にします。
 月の頭脳と呼ばれる永琳先生の診察なのですから間違いなどありません。お医者様の言うことですもの。この場に集う誰もがそう信じてました。
(言われた通りにやったわよ。これで例の約束は……)
(いいわよ。大図書館の蔵書でも庭園の薬草でも、好きな物を使って頂戴)
(さすがは紅魔館のカリスマお嬢様ね。話が早くて助かるわ)
 あらあら……なにやら口裏合わせをしていたようです。
 得意気にニヤニヤしているてゐが、ばれたらどうしようと顔を真っ青にしている鈴仙の耳と口をむんずと引っ掴むと、永琳達は先ほどまでの深刻な表情とは打って変わって、嬉々とした笑顔で大図書館へと向かっていくのでした。
 魔理沙の居場所を一番最初に見つけ出した萃香たちに対し、レミリアは約束通り褒賞を与えようとしますが、ちび萃香たちはあっさりと辞退します。ちび萃香たちは褒賞にはまるで興味が無い様子。あえて望むならお酒のおかわりが欲しいというくらい。
 そこで魔理沙をお嫁さんにできるという話は振り出しに戻ります。

 肝心の魔理沙といえば気持ちよさそうに眠ったまま、起こそうとしても云とも寸とも言いません。皆、困り果てます。
 そこでおぜうさま。
「そうね。では眠れる魔理沙を起こした者に、同様の褒賞と魔理沙を一日お嫁さんにできる権利を与えることにするわ」
 その提案に、この場にいる誰もが頷くと、魔理沙を起こす方法を求めて解散するのでした。
 ……。
 あとはどうやってフランに魔理沙を起こさせ、魔理沙とフランをくっつけるか。
 レミリアは幼い頭脳でうんうんと考えます。
 咲夜は最上の策を言いたくて言いたくてうずうずしていますが、それはできません。レミリアお嬢様もはやいもので500歳。充分にお姉ちゃんといえるお年頃なのですから。自分の考えは、自分の言葉で言えるようでなくてはいけないのです。
 そうです。挫けないで。
 がんばれお嬢様。まけるなお嬢様。
 従者という立場上なにも言うことが許されない咲夜は、せめて心の中で主にエールを送ります。
「フランのために……えぐっ、お姉ちゃんだから……がんばってフランのことをえぐっ」
 涙目になって、ぐじぐじと目元を拭います。人前には決して見せないレミリアのそんな一面。妹想いなお姉ちゃんは、今日もがんばっています。
 そうです。ご立派です。お嬢様。
 そんながんばるお嬢様にアドバイスしたい。けれどできない。そんなジレンマの中、助け舟が出されました。
「あの兎連中……いくらレミィが許可したからって、図書館の蔵書を片っ端から抜いていくんだもの」
 パチュリー・ノーレッジ。二番乗りで魔理沙を発見したお嬢様の友人にして紅魔館の図書館長。従者と主の関係では言えない事でも、懇意にしている友人同士であれば容易い。妹のために苦悩する友の涙の意味を一瞬で察すると、パチュリーは言います。
「眠れるお姫様を起こす方法なんて、昔から決まってるじゃない」
「……ふぇ?」
 目に隈ができ、今にも倒れそう。あれからパチュリーは調べ物を続けていたようで一睡もしていないのです。
 それでも掛け替えのない友のために、彼女は言いました。
「お姫様を起こすには、王子様のキスが一番だと相場が決まっているわ」

     ◇ ◇ ◇

「ああ、魔理沙……私の魔理沙……」
 うっとりした眼差しで、アリスはひとり呟きます。
 魔理沙が目覚めない事を知っていの一番、鴉天狗にも勝る速度で自分の工房へと戻りますと、なにやらせっせと作業をしていました。
 七色の人形遣いの名を恣にする彼女にとって人形制作などお手の物。過去の経験から中々本気になれない彼女でも、この時ばかりは神懸かっていました。
「もう、自分に嘘をつくのは……やめたわ!」
 その意気や良し。でもこのアリス。なんだか目が飛んでいます。
「私のこの気持ち。どうか受けとってほしい」
 アリスは完成させたばかりの人形を手に取り、ぎゅうっと力を籠め、思うさま引き絞るように抱きしめます。
 それは霧雨魔理沙の姿を模して作られた精巧な人形でした。
「ねえ上海、蓬莱。あなた達に新しいお友達を紹介するわ。霧雨魔理沙っていうの。ボーイッシュな物腰が可愛らしい魔法使いの女の子でね……」
 ……。
 滔々と紡がれるアリスの妄想の声は留まることを知りません。
 目の焦点が合わず虚空を見つめるかのような瞳。ぐるぐるうずまき? どう表現すればいいのでしょう。理解困難な宇宙理論を呟くアリスの様子に、上海と蓬莱は互いに身を寄せ合いながらブルブルふるえています。
「たとえ魔理沙が二度と目を覚まさなくても構わない。そのためにこの人形があるんだから」
 怖い。とても怖いです。
「私は人形が好きなの。好きで好きで好きで好きでたまらないの!」
 禁止コードに引っかかってもおかしくないあれやこれや。要するにネクロフィリアというあれです。
 原因は分からないけれど、魔理沙が目覚めなくなったショックと、他の誰かに取られるかもしれないという不安が相まって、何かがキレてしまったようですね。
 この種族・魔法使いの娘は、魂の根っこから魔女っ娘そのものだったのです。
「そう……魔理沙は私の腕の中で、人形となって永遠に生き続けるの。ふふふふふふふふふ」
 地底の竪穴や永遠亭の無限回廊よりも深淵な笑いが、アリスの工房にいつまでも木霊していました。

     ◇ ◇ ◇

 河城にとりは、自分の住処でうんうんと唸っていました。
 魔理沙が無事に見つかったのは良いものの、今度はどうすれば眠れる魔理沙を起こすことができるのか。
 魔理沙を狙うライバル達は多いです。こうしている間にも、予想もつかない方法で彼女のことを奪い取られるかもしれない。そう思うだけで焦りは募ります。
 そこで一計を講じたにとりは、リュックの中身をごそごそと漁ります。
 リュックから取り出した一冊の書物。独特の装丁は、外の世界から漂流した魔道書と呼ばれる本。これほどの本は、パチュリーの管理する大図書館の蔵書にも存在しません。
「こういう事もあろうかと、香霖堂の店主から買い付けた一冊。これこそ古代文明の集大成! いまこそ蘇り、その姿をあらわせ! ふんぐるい・むぐるうなふ・くとぅるふ・るるいえ・うがふなぐる・ふたぐん……」
 なにやら怪しげな呪文を唱えはじめました。
 その文言とともに、禍々しい気がにとりの周囲に集まっていきます。
(この古代の遺産があれば、私は絶対に勝てる!)
 にとりの表情が、なにやらよくないものに取りつかれたようになっていきます。
「いあ、いあ!」
 ひととおり呪文を唱え終わると、書物からは異様な輝きが放たれていました。

     ◇ ◇ ◇

「あの魔理沙がこんな風になっちゃうなんてね」
 レミリアは、眠れる魔理沙の寝顔を見てつぶやきます。
 彼女にはここから愛する妹フランのためになるよう、うまくお膳立てする必要があるのですが……。
 つんつん。
 ふと思い立ち、魔理沙の頬を指先でつっついてみます。
「惜しいぜキノコ。私の口はそこじゃない」
 ……。
 なんだか反応が面白いので、レミリアは頬つんつんを繰り返しています。
 つんつん。つんつん。
 途端、魔理沙の両手が伸び、レミリアの身体を思いっきり抱き寄せました。思わぬ不意打ちにレミリアは体勢を崩し、弾みで魔理沙の身体の上へと倒れこんでしまいます。互いの息遣いの音が聞こえるほど至近距離にある魔理沙の顔。あと10cmくらい横にずれてたら、問答無用のキスに発展していたでしょう。
 あぶないあぶない。
 もし唇同士が触れ合っていたら、黒白雪姫は木陰の裏に潜むメイドさんの銀ナイフで串刺しにされていたに違いありません。 
「むにゃむにゃ……へへ、お前はいけないキノコだな」
 じたばた暴れるおぜうさま。そんな彼女を抱き枕のように捕える魔理沙。幼い身体の彼女では、魔理沙のホールドを自力で解くことできません。
「こ、この、離れなさい魔理沙。この私を誰だと思ってるのっ」
 おぜうさまとしての威厳を保ちつつ魔理沙を振りほどこうとしますが、なかなかうまくいきません。
「いいか。キスってのはな、こうやるんだよ」
「!?」
 突然、レミリアに向かって魔理沙の唇がのびてきます。首から下を両腕でがっちりホールドされている彼女は、首だけを動かしてなんとか回避します。
 しかし躱せど躱せど、魔理沙の口撃は収まる気配を見せません。五月雨のように迫りくる怒涛のキスラッシュ。魔理沙と唇が触れ合えばその瞬間に目覚めてしまう。愛する妹フランのため、それだけは避けなければいけません。
 時折ぐぅぐぅと寝息が聞こえてくる辺り、確かに眠ってはいるようですが。
 でもなんという寝相の悪さでしょう。紅のお嬢様をして、この黒白雪姫が相手では手も足も出ないのです。
 スペルカードを使って懲らしめてもいいけれど、そうすればこれまでのお膳立てが台無しになってしまう。
 すべては最愛の妹フランドールのため。レミリアは必死でした。
 ……。
 だからこそ。彼女達のそばに近づくその気配に、レミリアはこの時気づくことができなかったのです。
「何やってんのよ……姉様」
 間の悪いことに、そこにはフランの姿がありました。
「な……フラン、いつから見ていたの?」
 レミリアは魔理沙の腕をやっとのことで振りほどくと、妹に対して恐る恐る訊ねます。
「姉様がキスを奪おうとしてたとこから」
 あちゃー。とレミリアは顔を手のひらで覆います。
 フランの肩はわなわなとふるえ、いまにも飛びかかってきそうな勢いでした。

     ◇ ◇ ◇

「魔理沙を懲らしめるはずだったのに、どうしてこんなことになってしまってるわけ?」
 ゆうかりんは臍をかんでいました。
 しかも参加者の誰もが魔理沙の容態を心配し、自分には誰一人振り向いてくれない。
 最初からずっと株を奪われっぱなし。プライドの高い彼女はどうしても納得がいきません。
「きーっ。メディの毒の仕込みは完璧だったはず。なのにどうしてこんなコトになってしまってるわけ?」
 いいえ。メディはなにひとつ失敗などしていません。『メディの毒を使って魔理沙を懲らしめてやって頂戴』彼女は、わがままなゆうかりんの命令を一字一句違わず、正確に実行したに過ぎません。
「いまからでも遅くないわ。もう一度メディに命令して魔理沙にとどめの一撃を……」
 そんな彼女こそ、常に視線の中心に立たなければ気のすまない自称女王さま、ゆうかりんでした。
「……へぇ。その話、もう少し詳しく聞かせてもらえないかしら?」
 声が聞こえたのは、ゆうかりんの立つちょうど真後ろ。
 慌てて振り向くと……八雲一家と博麗霊夢がそこにいました。彼女達はなにやら怒っている様子。ゆうかりんの独り言を聞かれていたに違いありません。
 見つかったのが中級程度の妖怪だったら、即座に証拠隠滅を図ることもできたかもしれません。ですが。
 かたや境界を司る大妖怪。
 かたや結界を司る博麗の巫女。
 幻想郷の中核を担う二人が揃いも揃ってそこにいるのです。さしものゆうかりんとて、一人で彼女達を相手にするには荷が勝ちすぎていました。
 紫と霊夢は表情を変えずそこにいましたが、紫の僕たる式、その式の式が既に臨戦態勢に入っています。
 たじたじになるゆうかりん。しかしどこにも逃げ場はなさそうです。
 ゆうかりんは絶体絶命のピンチでした。

 ……結果。
 ゆかれいむ+式神二柱を相手にして、流石のゆうかりんとて敵う道理はありません。
 ほぼ瞬殺。
 弾幕の抵抗むなしく、あっさりその勝敗は決しました。
「これに懲りたら二度とあんな真似はしないことね」
 ああゆうかりん。
 かつては幻想郷でも随一の権勢を誇っていたのでしょうけど、今回ばかりは相手が悪すぎました。
 文字通りのこてんぱん。
 しばらくは痕が残るでしょうね。

 意識を失って倒れているゆうかりんを見下ろして、霊夢と紫。
「結局、こいつが今回の異変の元凶だったのね」
「そんな所かしら。予想以上に呆気なかったけれど、ラスボスなんて割とこんなものだし」
「まったく。魔理沙と何があったのか知らないけど、どいつもこいつもロクなことを考えないんだから」
 むーとしている霊夢に、紫はにやりと口元を緩ませて。
「……なぁに? 霊夢まで『魔理沙をお嫁さんにしたいですぅ』なんて言い出すつもり?」
「ば、そんなコトあるわけ無いじゃない!」
「霊夢。顔を真っ赤にしながら言っても説得力がないわよ」
「な……!」
 言われて霊夢は慌てふためきます。予想通りの霊夢の反応を見、紫はくすくす笑っていました。
「簡単な誘導尋問よ。弾幕ごっこを始めたら私にさえ迫る腕を持ってるクセに、こんな時の霊夢はからかい甲斐があって楽しいわあ」
 転がるように笑う紫につられて笑みを零す式たち。そこに至って霊夢は初めて、自分がからかわれていたことに気づくのです。
 彼女は護符を散らし、陰陽玉を放ち、手持ちに残ったスペルカードを展開させて紫に飛び込みます……が、案の定、軽くあしらわれている様子。
 霊夢の照れ隠しの弾幕を飄々と避けながら、紫はどことも知れない虚空を見あげ、
「普段から自分の力に酔ってる奴ほど、追いつめられると弱いもの……貴女もそう思うでしょ、幽々子?」
 ふと、そんなことを呟いていました。

     ◇ ◇ ◇

「……そうね。好きこそ物の上手なれ。緊張感、愛情、好奇心、向上心。そういう気持ちを失くした時点で衰退は訪れるものなの」
 誰にともなくそう答えると、幽々子さまはぱたぱたと扇子をあおいでいました。
「いったい誰に向かって仰っているのですか」
「喩えるならそうね。これが以心伝心ということよ」
「まったく意味が分かりません」
 相変わらずの主の物言いに、妖夢は思わず本音を洩らします。
 真面目な性格の彼女は「幽々子さまは、今、とても大切なことを仰っているんだ」と心の中で必死に言い聞かせるだけで精一杯でした。
「しかし幽々子さま」
「うん? どうしたの妖夢」
 けれど幽々子さまの一の従者は気を取りなおし、言いました。
「そんなに食べ過ぎると太りますよ?」
 妖夢さん。冷静で的確なつっこみです。
 幽々子達(厳密には幽々子ばかり)は、魔理沙が見つかってなおホールで食事を続けていました。他の者達は魔理沙を起こす方法を探しに向かっているので、パーティのご馳走は彼女たちの独占状態です。
「大丈夫よ。私は幽霊だからいくら食べても太らないの。妖夢こそしっかり食べなさい。そうじゃないと、将来いろいろと大きくならないんだから」
「はぁ」
 対して半分人間である妖夢は体型が気になるお年頃。しかし主の言いつけには従わなければいけません。ダイエット中の彼女は、最近流行のバナナダイエットに挑戦することにします。フルーツの盛り合わせからバナナを一本抜き取り、そろそろと皮を剥きます。
「あー……んっ」
 ゆっくり咥えこむように口に含ませようとすると、うっかり手を滑らせ、喉奥にバナナをつっこんでむせてしまったり、口元についた筋を指で引っ張って取ってみたり。上品に食べてるつもりなのに、たどたどしい手つきは傍から見てかなりえろちかるな雰囲気を漂わせています。
 本人はまったく気がついていないのだから余計に性質が悪い。狙ってこういう食べ方をしているとしか思えませんが、本人は至って真剣な面持ち。
 そんな妖夢の食べる姿をうっとりした眼差しで眺める幽々子。
「ななな、なんですか幽々子様」
「妖夢ったらいつになく可愛いと思ったのよ」
 幽々子さまの言葉に、妖夢は堪らず赤面します。
「な、なな。可愛いなどと、それは剣士たる私に対する評価ではございません!」
「あら。剣士として以前に妖忌の孫である貴女は、私にとっては娘も同然なのよ」
「な……!」
 むーっとふくれる従者に対する主の唐突な告白に、妖夢は思わず言葉を失いました。
「さあ物は試しよ。せっかくの機会だから、このお母さんに思いっきり甘えてみなさい」
「いえ、謹んで遠慮させていただきます」
 しかし妖夢は掌で静止のポーズをとり、全力で拒絶の意を示しました。

     ◇ ◇ ◇

「姉様の馬鹿……遠回しに魔理沙との仲を応援してくれてると思ってた。でも、やっぱりこういうことだったのね」
「だからこれは誤解なのよ。フラン」
 姉の説得の言葉を聞かず、ぶるぶると頭をふってフランは言葉を継ぎます。
「私にこんな嫌がらせをして、何が楽しいって言うのよ!」
 叩きつけるように、普段から胸中に蟠っていた気持ちを爆発させるように、フランは言葉を吐き出します。
「……ククククク。壊し尽くしてなお壊す! お前が姉とて容赦するものか。死してなお、原型を留めておけると思うな!」
 完全にスイッチが入ってしまったフラン。
 姉の目論見が完全に裏目に出てしまっています。
「……ふ、ふふふふふ」
 なんだかレミリアの様子までおかしいです。
「あはははは! 所詮私達は吸血鬼と吸血鬼。血飛沫と決闘の中でしか互いを分かり合えない運命なのね」
 あらあら、レミリアおぜうさまったら。ついに堪忍袋の緒が切れたようです。
「運命を司る能力を持つ私は、結局運命によって弄ばれる! 運命の綾なす檻の裡に絡めとられることこそが私の辿るべき運命というのなら。いいわ、受けてたとう」
 寝る間も惜しんで用意したパーティだというのに、誰一人分かってくれない。最愛の妹にすらこの体たらく。カリスマおぜうさまの二つ名で通る彼女とて、さすがに我慢の限界というものはありました。
「不幸で凄惨で暗澹で理不尽で一方的で。私の都合なんてこれっぽっちも考えない。そんなものが運命というのなら。いっそ私の手で終止符を打ってやる! 我が真紅の名に懸けて誓おう!」
 人知れず、童話の世界に憧れを抱いていた少女。レミリア・スカーレット。童話に書かれているような、普通の仲良し姉妹でいたかっただけなのに。そんなささやかな幸せだけで充分だったのに。
「運命を司る能力と、あらゆる物を壊す能力。かみ合わない二つの歯車は、それさえ叶えてはくれないというのね。いいわ。フランじゃないけど、それが私達の運命だというのなら、私はその運命さえ壊してみせる」
「……なんだか解んないけど、姉様もその気になったってことだよね」
 その一瞬だけフランは正気に返りますが、時はすでに遅しでした。
「妹だからと容赦はしない。死してなお、我が名をその魂に刻め。永遠に」
 童話とは幸福の物語。けれど光あれば影があるように。世の中とは決して綺麗な物事ばかりじゃない、ということを示す警告でもある。
 そう、運命とは童話ですらかなわない残酷な物語。
 真紅と深紅。
 二つの膨大な魔力が、付近一帯に荒れ狂っています。
「フランの、馬鹿――――ッッ!!」
「姉様の、馬鹿―――――ッッ!!」
 幻想郷で最もミゼラブルな姉妹ゲンカはこうして勃発するのでした。

     ◇ ◇ ◇

 ……そう。
 魔理沙をめぐる競争において、彼女達の対決は必然にして不可避でした。
「真実はいつも残酷。ついさっきまで同じタンスの下着を漁った仲間でも、次の瞬間には敵になるって事もあるよね」
「ええそうね。強い心でありたいと求めても、運命の真実には抗えない哀しさがあるわ」
「「だからこそ!!」」
 二人は対峙し、魔理沙に対する想いをぶつけあいます。
「これは魔理沙をお嫁さんにできるチャンス……一日でもあれば充分。その間に既成事実を作ってしまえば!」
「それをいうなら私だって! 魔理沙とムフフな一日を過ごすチャンスを今まで虎視眈々と狙っていたのよ!」
 まさに同類相憐れむ。
 みなさんはこういうオトナになってはいけません。
 そして、これ以上言葉を交わす意味はないと悟った二人は弾幕勝負に訴えるのです。
「人形召喚! 上海蓬莱仏蘭西和蘭西蔵京都倫敦露西亜おるれあん!」
 アリスがそう叫ぶと、彼女のスカートの中から何体もの人形達が飛び出します。
「あたし自慢の人形達の布陣に、貴女はどこまで耐えられるかしら?」
「なんの私だって。じゃん!」
 にとりの合図とともに顕れたのは、巨大な大王烏賊を思わせる謎の生物。
「いけっ。私の可愛い烏賊さん。憎たらしいあいつを懲らしめちゃえ!」
 しゅるるるっ!
 先制攻撃でした。にとりが命じると、巨大烏賊はアリスを倒そうと無数の足をのばし、それらが瞬く間にアリスの身体にからみつき、身動きを封じます。
「くっ……!?」
「へへん。ざまぁないわね……って!?」
 あっさりとアリスの動きを封じ、勝ち誇るにとりでしたが――しかし。巨大烏賊の触手めいた無数の足がにとりの身体をも締め上げ、拘束をはじめました。
「い〜や〜。なんで私まで〜っ。ぎゃ、そんなトコに入ってくるな〜!」
「……自分の召喚した使い魔にやられるなんて、とんだ大マヌケね」
「うるさいっ。うるさいうるさーいっ!!」
 自分の心配よりも先に、心底呆れた様子でにとりの無惨な姿を見やるアリスでした。
 にとりはそれでもなんとか優位を取り戻そうと足掻きますが、手足を動かすたび、無数の足が表現上よろしくない部分にまでまとわりついていきます。
 うねうねです。べとべとです。
 すでに存在自体が出版禁止用語です。アリスの人形達が思い思いの武器でガシガシと叩いたり突っついたりしますが、小さな人形サイズの彼女達ではこの巨大烏賊に敵う道理がありません。
 二人は絶体絶命のピンチでした。
 ……。

 突如、空から紅色の弾幕が雨のように降りそそぎました。直撃を受けた巨大烏賊が断末魔の悲鳴をあげ、たちどころに消滅します。
 ようやく解放されたにとり達。
 古代技術の秘法。召喚術のためには触媒や月齢などの要素を考慮しなければならなかったのですが、にとりはその事実を失念していたため、不完全な状態のまま召還された巨大烏賊。そのため紅の弾幕を前にあっさり消滅し、結果として彼女たちは事なきを得たのですが。二人はとうに疲労困憊。アリスもにとりも、指一本動かすことすら困難な様子でした。

 そんな彼女達をさておいて、遠くから紅の流れ弾を放ったのは、スカーレットの名を冠する姉妹です。
 アリスたちとは遠い場所で繰り広げられる弾幕戦。
 一難去ってまた一難。
 同じ根源から生まれた二つの紅……幻想郷最大の姉妹ゲンカは、なおも続いていました。

     ◇ ◇ ◇

「きゃあぁあああ!!」
 怒りの総量では一枚上手だったフランに撃墜されたレミリアは、浮力を失ってそのまま地面へと落下していきます。
「……ふんっだ。なにも分かってくれない姉様がイケないんだからっ!」
 そんな姉の姿を一瞥すると、フランは魔理沙を起こす方法を求めて飛び去っていきました。
 スペルカードルールに則った喧嘩のため、レミリアの身体に対するダメージは無きに等しいのですが、精神的な意味でダメージは甚大でした。
 その幼い身体を傍らに控えていた女性が瀟洒に受け止めます。間一髪、その幼い身体を発止と受け止めたのは他でもない、十六夜咲夜侍従長。
 レミリアの身体から漂う甘い芳香が、ふうわりと鼻腔を擽っています。
「お嬢様、お怪我はありませんか?!」
 慌てて容態を確認します……が。
「はらほろひれはれぇぇ」
 まぁお嬢様ったらはしたない。縄文人がマンモスに踏み潰されたようなうめき声をあげるなんて。
 疲労の蓄積と妹から被弾した弾幕のショックが大きく、どうやら意識を失ってしまっているようです。
「……」
 咲夜の、息を殺して生唾を嚥下する音が聞こえます。
 最愛の主の無防備な姿を目の当たりにすれば、完璧で瀟洒なメイドとてどうして正気を保っていられましょうか。咲夜メイド長の表情は、あたかも獲物を捕らえた肉食獣のそれでした。今宵は満月。夜空に浮かぶ月は、紛うことなき真円を描いていました。
 お嬢様の無防備なお姿を見るにつれ、その蒼い双眸がじわじわと紅みを帯びていきます。頭からは耳、スカートからは尻尾がにょきにょきと生えていました。
 まあ大変。お嬢様の身柄はオオカミと化した咲夜にお持ち帰りされてしまいました。
 お嬢様にとっては一難去ってまた一難。『運命を司る能力』を持つだけに、自分自身もその運命に弄ばれるレミリアお嬢様の運命やいかに。
 それはまた別のお話ということで。

     ◇ ◇ ◇

 ゆうかりんは仰向けに倒れたまま、ただ中空を見上げていました。ボロボロになった日傘を差す気力もなく、日の光が燦々と降り注いでいます。
 実力の上では彼女達に遅れを取ることはないと思い込んでいました。その自負が呆気なく崩れ去る瞬間だったのです。
 紫と霊夢。確かにあの二人は、幻想郷の要といえる大結界を守護する者達。しかし自分も幻想郷最強と謳われた大妖怪。二人がかりとはいえ、そんな自分が瞬殺されてしまったというのですから、そのショックもひとしおでしょう。
 ……。
 ふと、空を飛んでいる黒い羽根が目に留まります。
「!」
 ゆうかりんと目が合うと、その鴉天狗は慌てたようにバサバサと飛び去っていきました。
「かつては幻想郷で隆盛を誇った私も、あんな鴉の一匹にさえ見放されるなんて無様ね……」
 いつもの強気な態度はどこに行ったのでしょう。ゆうかりんは自嘲気味に笑います。その頬には、彼女が滅多に見せることのない滴が零れていたのです。
 ……。
 ゆうかりんが気がついた頃。
「こんにちは! 文々。新聞です」
 目の前に、射命丸文をはじめとする鴉天狗たち報道陣がぞろぞろと、まるで死肉を啄ばむ鳥葬のように集まっていました。それに続いて哨戒天狗たちが他の妖怪達を通さないように、ゆうかりんを外に出さないようにとバリケードを敷いています。
 フラッシュの雨が焚かれ、口元に無数のマイクが向けられています。
「ゆうかりんさん。境界と結界チームに破れたいまの心境はいかがですか!」
 それが突撃インタビュー開始の合図でした。
「あ、あぁ……ああぁぁ……」
 満身創痍のゆうかりんに、もはや逃げ場はありませんでした。

     ◇ ◇ ◇

「そろそろ最終局面かしら」
 紅魔館の主も出立し、幽々子と妖夢ふたりっきりの忽然としたホール内で、ぽんと掌を合わせながら幽々子は唐突に呟きます。
「また、随分といきなりな戦況予測ですね」
「なんとなくそう思っただけよ」
 かちゃ、と最後の一皿がテーブルの上に置かれる音。
 結局テーブルの上の料理を粗方平らげてしまった幽々子さま。これほどの食べっぷりを見せつければシェフも本望でしょう。
「味は最高だったけれど、もう少しボリュームがあっても良かったわね」
 さすがは白玉楼が誇る幽々子お嬢様。これだけ食べてもまだまだ食べたりない様子でした。
 結局、妖夢。
 剣士としての自制心より、甘い甘い匂いをまとわせるスイーツを食べたいという乙女心が勝ってしまい、「では少しだけ、少しだけ」という誘惑の言葉に負け続け、結局お腹一杯になるまで食べてしまいました。そのためか、お腹に少しだけふくらみができています。
 これは後でメニュー増し増しで稽古を重ねてカロリーを燃焼する必要がありそうです。

     ◇ ◇ ◇

「萃香からの報告はまだか!」
 鬼の族長の苛立ちの混じった声が辺りに響きます。
 ここは幻想郷の地の果てにあるとされる鬼族の棲み処。かつて、江戸と呼ばれた古代都市の風靡と様相とを備えた集落です。彼らも魔理沙の一件を知り、鬼族や地霊族の各員に伝令を飛ばし、組織ぐるみで魔理沙の捜索に当たっていました。
 しかし、その伝令があたかも伝言ゲームのようになってしまい、萃香に伝令が伝わった頃には『発見した魔理沙をどうしろ』という部分まで伝わらなかった様子で。
 当の萃香は、先ほど語った通りに魔理沙を見つけることができたものの、そのまま酒盛りをしている有様。加えてレミリアからの褒賞を要らないと辞退し、いまもなお魔理沙の傍らで酒盛りをしています。
 その事実を、鬼族と地霊族の誰もが知りません。
「我等鬼族と地霊族の積年の悲願。これを紅魔の小娘に伝える千載一遇のチャンスなのだ」
「は……御意にございます」
「萃香にもしっかり伝達したのであろうな」
「勿論です。あやつが現存する鬼族の中で最も地上に精通しておりますゆえ」
「うむ。今回の件、萃香だけが我等の頼みの綱じゃ」
「しかし彼奴の場合、その魔理沙とやらを見つけたとしても酒に酔いつぶれ、そのまま寝転がっている可能性もありまする」
「……」
 その言葉に、一族の誰もが沈黙してしまいます。
 萃香の豪放な性格を知っている者であれば、その可能性を否定できる者はどこにもいません。
 鬼族は皆その例に漏れずプライドが高く、嘘をつくことは決してありません。『魔理沙を捕らえよ』という伝令に頷いた以上、魔理沙を発見した場合に彼女が魔理沙を匿う可能性はゼロに等しいのですが、萃香はそもそも大のお酒好き。話をしっかり聞いているかどうかまでは誰にも保証できないのです。
「それでもあやつだけが頼りじゃ。報告がくるその時を信じて待とう……」
「そうですな……」
 鬼の族長からの力ない言葉に、一族の者はみな落胆の表情で俯くのでした。

     ◇ ◇ ◇

 いっぽう、パチュリーとフラン。
「昼の12時間は私が、夜の12時間はフランが、魔理沙のことを好きにして構わない」
「OK。その条件、飲んだわ」
 そして、アリスとにとりは。
「魔理沙はあたし達で公平に分け合う。三人一緒に一日を過ごす。抜け駆けは一切なし」
「仕方ないわね。向こうは二人。こっちは一人づつじゃ埒が明かないものね」
「話が早くて助かるわ。これで交渉成立ね」
 こうしてフラン&パチェ。アリス&にとりのタッグが出来上がりました。
 二対四者四様の対決。
 それぞれの思惑を胸中に秘め、初撃となるカードを取り出し、問答無用の弾幕ごっこを開始します。
「むにゃむにゃ……おぃおぃいけないぜキノコ達。私の口はたったひとつしかないんだからな」
 当の魔理沙は暢気なもので、いたって快適に眠っているようです。

 彼女達はそれぞれ得意のスペルカードを取り出して、2対2の大規模な弾幕ごっこの火蓋が切って落とされるのでした。
 ……。

     ◇ ◇ ◇

 ゆうかりんを瞬殺した霊夢&紫は、あれから慧音達と合流しました。
 神社の外では大変な事態になりつつあるのに、四人は博麗神社の縁側でまったりとお茶をしていました。
「きれいな花火ね」
 どこか幼さの残る紅く苛烈な弾幕はレミリアかフラン。色取り取りのカラーをまとった弾幕はパチュリー。統率の取れた光弾の射線はアリス。ミサイルは多分にとりの物。流れ弾をフォローするかのように弾幕を吸い込むブラックホールは萃香。
 弾幕から煌めく光の粒子が、あたかも夜空に打ち上げられた花火のようで。
「たーまやー」
 とは、紫の言。
 交錯する弾幕を花火模様に喩える彼女の言葉は、言いえて妙な風靡を醸し出していました。
「確かに、きれいな花火だな」
「そうだな」
「楽しいお祭りだと思えば、こういうのもオツなものよ」
 幻想郷を永く在り続けている彼女たちにとって弾幕ごっこなど日常茶飯事。ふとした思いつきで子供が悪戯をしてしまうような、そんな感覚。
「さあさあ。お茶を入れてきたわよ」
 ややあって霊夢が緑茶と煎餅を運んできました。
 ……。
 霊夢、紫、慧音、妹紅。退屈な時間をもてあますことに関しては卓越した四人です。博麗神社の縁側に腰かけ、弾幕の行き交う空を見上げます。
「あれから結局、魔理沙はどうなったと思う?」
 元々は同じ人間であり、気質も近いものがある妹紅です。魔理沙について少々気になるところがあったのでしょう。彼女は三人に向かってふと訊ねます。
「だって魔理沙は……ねぇ?」
「魔理沙なんだし」
「ひょっこり起きてきて、何事もなかったように顔を出してくると思うわよ」
「それもそうか。魔理沙だもんな」
「「「「あははははっ!」」」」
 いつもの事いつもの事。妹紅の杞憂もあっさり解決したみたいで。四人は魔理沙のことを格段心配する様子もなく、お茶の肴にでもするかのような談笑が沸き起こっていました。

     ◇ ◇ ◇

 上空では四人の少女妖怪達による大規模な弾幕戦が繰り広げられています。
 五行魔術、破壊の波動。人形操術、科学兵器。四者四様の苛烈な弾幕が交錯します。彼女たちを逸れた弾幕は相次いで地表めがけて降りそそぐのですが、しかしそれらを小さな萃香達はガシガシと器用にかき消していきます。その技は、呑めば呑むほどに、酔えば酔うほどに冴え渡る動きを見せる萃香ならでは。
 しかしそれでも取り逃がしてしまう弾丸があるのです。
 その弾は地表に一撃激突しました。
 着弾と同時、震度五弱規模の揺れが起こりますが、スキマ妖怪さんに静と動の境界を弄られることで揺れは一瞬にして収まります。
「んぁ?!」
 その振動の弾みで、魔理沙の喉に支えていた木の実が吐き出されます。
「あー……よく眠ったぜ」
 なんと、魔理沙が目を覚ましたのです。かの八意永琳先生をして、治療は難しいと言われていたにも関わらず。
 魔理沙は意識を取り戻すと、気持ちのいい朝を迎えたかのように思いっきり伸びをします。
「気持ち良く昼寝できたところでそろそろ帰るかー? おっ。萃香じゃないか。お前達も来るかー? 今夜はキノコ鍋パーティだぜ」
 毒入りリンゴを食べてしまったことを覚えていないのでしょうか。魔理沙はほくほく顔で自分の工房へと戻っていきます。ちび萃香たちは「鍋で宴会の続きだー楽しみだー♪」と言いながら魔理沙の後ろをてくてくと歩いていくのでした。
 ……一方。
 魔理沙を助けるという目的がすっかり別のものに入れ替わってしまった彼女たちは、終わらない弾幕戦を繰り広げていました。なんて浅ましい姿。
 『幻想郷で一番いい女は、霧雨魔理沙です』。
 あのときイワカガミの花が言った言葉は、結果として見事に的中したようです。
 そうして魔理沙を巡る四人の少女達による弾幕ごっこは、数日後、魔理沙がけろっとした表情で姿を見せるまで延々と続いていましたとさ。

 どっとはらい。