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[Green Light&Red Light 第17回]
「トヨタ問題」はどんな教訓を残したか
米戦略国際問題研究所(CSIS)日本部長 マイケル・グリーン Michael Green
>>本誌18ページ
マイケル・グリーン
Michael Green
1961年生れ。フルブライト留学生として東京大学大学院に留学。国会議員秘書や新聞記者などで5年間の滞日経験をもち、日本語に堪能。ジョンズ・ホプキンズ大学高等国際問題研究大学院(SAIS)より博士号取得。2001年、ホワイトハウスの国家安全保障会議(NSC)入りし、2004年から2005年まで上級アジア部長。2006年初めよりCSIS日本部長とジョージタウン大学教授を兼務している。
[東京発] この一カ月、アメリカのテレビや新聞は、連日、トヨタ車の急加速問題を大きく取り上げている。車が制御不能に陥ったとするドライバーからの緊急電話の録音を繰り返し流すなど(後にドライバーの証言に疑義も出たが)、報道の大半が否定的で警戒を呼ぶものだ。
一方、日本では、アメリカでトヨタ問題がヒステリックな扱われ方をしていることを、沖縄の米軍普天間基地の移設問題や、カタールで三月十三日から開催のワシントン条約締約国会議で議論される地中海・大西洋産クロマグロ(本マグロ)の輸出入禁止(日本は反対)にアメリカが賛成するのを決めたことと絡めて、新たな「ガイアツ」の兆しと受け取める報道がある。
もちろん、米日双方の評論家の間には、米議会がトヨタ車の安全問題を追及する背景には、これを機に米市場におけるシェアを奪い返そうと目論む米自動車メーカーと労働組合からの圧力があるとの見方もある。実際、経営破綻しかけたGMとクライスラーの救済に公的資金が投じられ、全米自動車労働組合(UAW)が議会に対して大きな影響力を持っていることは紛れもない事実であり、トヨタの信用に傷をつけようという政治的陰謀があるのではないかと疑う者がいても不思議はない。
トヨタ擁護に回った州知事ら
では、トヨタ危機は、米日関係の亀裂の核心なのだろうか?
私の答は、明白な「ノー」である。なぜかを説明する前に、ひとこと述べておきたいことがある。私たち夫婦は、所有する二〇〇八年型のプリウスにとても満足している。そして、私の所属する戦略国際問題研究所は長年、トヨタ自動車から資金提供を受けてきた。だが、トヨタ車を選んで良かったと思うのは多くのアメリカ人に共通することであるし、研究所が資金援助を受けたからといって、この問題に関する私の客観的な分析が何ら影響を受けることはない。そのことを確認したうえで、検証していこう。
事実その一。アメリカ人の対日観は非常に肯定的なものだ。ほとんどの世論調査で、日本はイギリス、カナダに次いで「信頼すべき同盟国」と見なされている。
〇八年にシンクタンク「シカゴ地球問題評議会」が自由貿易のメリットに関するアメリカ人の考えを調査した時、調査が始まって以来初めて、自由貿易を評価するよりも懐疑の念を抱く人の方が多くなった。にもかかわらず、アメリカ人の半数以上が日本との自由貿易には賛成だと答えたのだ。一九八〇年代や九〇年代にアメリカ人の多くが、日本を「不公平貿易」をする国だと考えていたのと比べると隔世の感がある。
ではアメリカ人が考えを変えた理由は何かといえば、トヨタをはじめとする日本企業がアメリカ全土に直接投資を行ない、良き企業市民として広く受け入れられる努力を積み重ねてきたからだ。米議会がトヨタ問題に関する調査を始めた時、ミシシッピ州のハーレー・バーバー知事をはじめ、多くの州知事や議員らがトヨタ擁護に回ったのも、そのためだ。
事実その二。日本では、米議会公聴会での豊田章男社長に対する質問が厳しかったように受け止められたが、〇八年十一月にアメリカの三大自動車メーカーの経営者たちが公聴会に呼ばれた時は、議員たちの追及ははるかに過酷なものだった。自らの会社の救済のために納税者の金をもらおうというのに、GMやフォードの首脳が自家用ジェットでワシントンに乗りつけたことに非難の嵐が巻き起こったことは記憶に新しい。議会もメディアも、傲慢で無神経な印象を与えた経営者らをこてんぱんに打ちのめした。
一方、豊田社長は偉ぶることなく、真摯に問題に取り組んでいる印象を与えた。議員の中には芝居がかった批判をしてみせる者もいないではなかったが、大きな声にはならなかった。議会と世論の非難が向けられたのは、トヨタよりも、むしろ職務を怠ったアメリカの国家運輸安全委員会に対してだ。言うまでもなく、議員の中でも米メディアでも、この問題で国としての日本を非難する声はまったく聞かれなかった。
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