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知事への提案

【回答日】 2007年7月11日
名護屋城博物館の説明文についての要望
【県民の声】
 名護屋城博物館での説明について、ご説明願います。

1蒙古襲来について
文永・弘安の役
 文永11年(1274)と弘安4年(1281)に、蒙古は高麗を従えて九州北部を襲った。〈後略〉
三別抄と日本
 三別抄と日本1270年高麗王朝が蒙古に屈したのを不満として、王朝の守備軍であった三別抄が反乱を起こした。三別抄軍は海島に拠って蒙古に対し徹底抗戦を続ける一方、日本へも救援を求めた。
 結局共同戦線は成立せず、三別抄勢力は3年ほどで滅亡したが、このような果敢な抵抗活動が結果的に蒙古の侵攻による日本の被害を最小限にとどめたといわれている。

 上記の説明文は、史実に基づいての記述でしょうが、甚だ公平性を欠いたものと思われます。

2文禄の役(壬辰倭乱)について
 文禄の役(壬辰倭乱)
 東アジア全域の支配を意図した豊臣秀吉は、朝鮮に対し、服属して明征服を先導するよう求めた。対馬の宗氏は「仮途入明(明に入るのに道を借りる)」にすり替えて交渉したが、朝鮮側はこの無法な要求を拒否した。 文禄元年(1592)4月、小西行長・加藤清正ら西日本の大名を主力とする軍が朝鮮に侵攻、文禄の役(壬辰倭乱)が始まった。

 上記の説明も疑問です。

3ナレーションについて
 国内統一を成し遂げた豊臣秀吉は東アジア全域の征服を妄想し1592年朝鮮半島へ侵略を開始しました。〈中略〉一方、李舜臣将軍の率いる水軍は、亀甲船を開発し目覚しい活躍をしました。〈中略〉日本軍は相手の鼻や耳をそぎ落とし、戦功の証としました。〈中略〉朝鮮全土に被害をおよぼし、計り知れない傷跡を残しました。

 李舜臣はそんなに凄い将軍でしょうか?これもご説明できないのであれば、ナレーションの変更をお願いします。

4朝鮮併合について
 近・現代の日本列島と朝鮮半島というコーナーの説明文
 明治維新以降、日本は朝鮮に不平等条約を強要し、1910年には朝鮮半島を植民地とした。朝鮮半島の人々は三一運動など大規模な独立運動を展開し、激しく抵抗した。日本はこれを徹底的に弾圧し、皇民化政策や強制連行などを行った。
 36年に及ぶ日本の植民地支配は朝鮮半島の人々に深い傷跡を残した。
 その後起こった朝鮮戦争は朝鮮半島に破壊と分断の固定化をもたらしたが、人々は目覚しい復興を果たし、統一にむけて動き出している。日本も世界の国々とともにアジアの平和のために新たな努力を始めている。

 本当にそうでしょうか?文中に強制連行とありますが、その証明をお願いいたします。もしできないのであれば説明文の変更をお願いいたします。


【知事の回答】
 博物館を所管する県教育委員会に、さっそくいただいたご意見を伝えました。まずは、その回答をご覧ください。

(県教育委員会の回答)
 名護屋城博物館は、文禄・慶長の役という過去の不幸な戦争の反省に立ち、名護屋城跡を日本列島と朝鮮半島との長い交流の中でとらえ、その歴史的位置付けを明らかにすることによって、今後の日韓双方の交流・友好の推進拠点となることを目指しています。
 当館は、この基本的な認識に立ち、展示活動を行っています。

〇元寇における高麗の関与について
 モンゴル帝国は1231年から高麗を侵略し1270年に服属させましたが、その後も三別抄軍は抵抗を続けました。1271年にモンゴル帝国のフビライは国号を「元」とし、1274年・1281年に高麗軍を従えて日本に侵略しました。
 名護屋城博物館の常設展示では、メインテーマ「日本列島と朝鮮半島と交流史」の中で、単に元による日本侵略のみでなく、モンゴル帝国の高麗侵略も含めて展示することにより、世界史的な動きの理解や、日本と高麗との関係の理解を深められるようにしています。

〇文禄の役(壬辰の役)について
 文禄の役は明だけでなく朝鮮の支配をも意図した侵略戦争であり、民衆をも含めた朝鮮軍の激しい抵抗により失敗しました。抵抗があったことを理由に、武力を手段とした侵略が決して正当化されるものではないと考えています。

〇ナレーション「李舜臣」について
 朝鮮水軍との海戦は文禄・慶長の役の帰趨に大きな影響を及ぼしたことから、その経過を詳しく紹介しています。李舜臣は朝鮮側の中心人物として活躍しました。

〇韓国併合について
 明治以降の朝鮮に対する日本の圧力、とりわけ1910年から36年間に渡る植民地支配は、朝鮮半島の人々に深い傷跡を残しました。それらは過去の歴史的事実ではありますが、行為そのものはいかなる理由によっても正当化できるものではないと考えています。

 以上が県教育委員会からの回答です。
 歴史に対する認識は国、あるいは人によっても異なると思います。名護屋城博物館の場合は、日韓交流史に関わるデリケートな問題を扱っており、さまざまな解釈があることも十分理解しています。
 今回のご意見であらためてその思いをいたし、今後ともさらに深く考えていきたいと思います。

【関係課】
 佐賀県教育委員会 名護屋城博物館
  TEL: 0955-82-4905
  E-mail: nagoyajouhakubutsukan@Pref.saga.lg.jp

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