2010年03月18日
遺骨収集 Part4
昨日は鼓動館が定休日だったんですが、体調がほんまに悪くなってしまいました。
発熱までしたので、病院へ行き、薬をもらってきたので、もう大丈夫です。
先ほども今回の遺骨収集に参加されたくどみさんから連絡がいただいたんですが、彼も同じようにお腹の調子が最悪だと言うことでした。
昨日も山際先生からも連絡をいただき、私が「体調、大丈夫?」と聞くと
「君たちは柔なんだよ。私は全く問題なし
」
との事でした。ちょっと安心しましたが、でも私は柔なんかなあ
本当にフィリピンの遺骨収集は体力的にも精神的にもハードな旅なんですよ。
前置きはさておき、つづきです。
その日の夜の厚生労働省の梅原室長から連絡があり、
「本庁から今、連絡があり、明日の週刊文春に空援隊への批判記事が4ページに渡り載るそうです。詳しい詳細はわかりません。」
それから全員の空気が一変してしまいました。
まず、明日発売と言うことで、しかもスクープ記事なので現地では情報が全くなく、インターネットで調べても掴めない状態でした。タイトルのみ判っただけです。
私は3度の遺骨収集へ参加させていただいているので、フィリピン人の骨が混じる事をどれだけ注意しながら空援隊の倉田隊長が配慮しているか、また遺骨を買うという行為も全くなく、それ以上に、「遺骨を買う」行為と現地の方々が勘違いしない様に最大限の配慮をしているのを、毎回そばで見てきたので、ただのゴシップ記事なんだとそんなに心配はしていませんでした。実際には人件費と言うことでジャングルに一緒に入り、手伝ってくれた現地の方々への報酬は払っています。これは現場にいて、ごく当たり前の事だという認識です。
しかし、倉田さんの憤りはかなりのものでしたし、そばにいると悔しさと腹立だしさが伝わってきます。
倉田さんは、この遺骨収集を通してお金儲けなんてめっそもない話で、厚生労働省から予算が付いたと言えども、今までの出費が帰ってくる訳でもなく、予算内で出来る遺骨収集でもありません。ビジネス的に言うと収支は絶対にどうやっても赤字です。
しかし、そばにいると彼の「本気」がどれだけか?
毎回、遺骨収集という大義の為に真剣に命を掛けるってどういう事かを背中で見せ付けられています。
野口健さんは、怒りもありますが、何故?という疑問と週刊文集に裏切られたというショックといままで講演活動で多くの方々へ訴えてきた責任があると言うのです。
まとめると下記の通りです。
1.週刊文集は非常にまじめな雑誌社でエベレスト初登頂の学生時代からのお付き合いだったにも関わらず、野口健さん自身に全く取材をしていない点が納得がいかない。
それよりも今まで文集との信頼関係を裏切られたショック。
2.現在、野口健さんの講演内容は環境問題と遺骨収集の話題と常にセットで訴えてきた。今まで様々な方々からのご支援やご寄付をいただいている。
その多く方々がその記事を読むと動揺するのではないか?
3.遺族会や戦友会は全く思いは同じなのに、何故日本国内で足を引っ張り合わなければいけないのか?それ以上に現場のフィリピン国内では、解決しないといけない問題が山積しているのに、遺骨収集はもう限られた時間しかないのに、お互いに他団体と批判している場合ではない。
4.上記の問題点に対する対処を1日も早く手を打ちたい。しかし、今のこの小さな島のホテルでは全く動けないもどかしさ。
今回、遺骨収集へ参加した全員に動揺が走り、今まで体力的に疲れたというだけだったんですが、不必要なエネルギーを全員が使っているのが、本当は無駄とは判っていても対応しなければいけないもどかしさ、そのやるせない空気が蔓延しました。
このときの画像が、夕食の集合時間に現れた健さんに倉田さんが「週刊文集」の第一報を入れた瞬間です。それと必死で対応策を練る野口健さん


私は「出る杭は打たれる」というたとえ通りで、こちらに全く非がないので、問題は余り無いと、私はこのときは思っておりました。
ただ具体的に何を書かれているかという不安は全員にありました。
特に厚生労働省の梅原外事室長は「私が遺骨収集の責任者にも関わらず、現場にいる時に何故、発売日なのか?この対応で帰国したら数日徹夜が続く。また私のコメントも出ているようなので早く確認したい。」
野口健さんは必死で対応策を練っていました。
現在考えらうる、あらゆるパターンを想定して対策をみんなで考えていました。

いよいよマニラへ出発です。
このときに倉田さんが週刊誌ネタの冗談で「健さんは空援隊に巻き込まれた被害者やからなあ
」と言っているシーンです。
勿論、みんな大笑いでした。
結局、翌日マニラに渡り、ホテルに着くやいなや、週刊文集の記事を入手して、確認しました。
私の感想は「どれもこれも推測の域を脱していない、くだらない記事内容だ
」という印象でした。
現場で実際に見て来た内容とは、全く違う記事内容がそこにはありました。
でもこれは今まで私は3回参加したから言える事であって、実際に初めてこの記事を読んだ方々がどのような感想を持たれるかという不安はありました。
マニラに着いて「アメリカ墓地」を見てきました。


そこは余りにも広大な敷地に管理が完璧に行き届いた芝生があり、何万という米兵の墓地がありました。
本当に敗戦国の日本兵の英霊の遺骨の現状と勝戦国のアメリカの英雄として各墓地に名前が掘り込んでいる現状を見て、違いをまざまざと見せ付けられました。
今回の遺骨収集は80体程でしたが、また1体も日本へ帰ることが出来ませんでした。
今回はフィリピン政府と行政の問題です。しかし、現地で倉田さんが許可書を取れるように手配してくださり、一応の解決は見たものの、その80体は現地へ置いていかなくてはなりませんでした。
全員非常に悔しい思いは同じでした。しかし、少しの明かりが見えたのは幸いでした。でもまだまだ遺骨収集へのハードルは沢山あります。微力でしが、私も今後も遺骨収集への活動は続けていく覚悟です。
帰りのジャンボ機内で問題のご自分の載っている週刊文集を倉田さんが見つけました。
でもこのときは笑顔です。
やっと成田に到着しました。参加者全員がやっと日本に帰ってきた喜びと手ぶらで帰ってきた悔しさが込み上げてきました。


成田へジャンボ機がタッチダウンして降りるのを待っていたときでした。
ジャンボ機なので、倉田さん、私、野口健さん、鳥羽さんという順番で座っていました。健さんはフライト中、殆どブログをずっと書き込んでいました。
倉田さんが携帯の留守電を確認した時です、我々にも聞けと言わんばかりに無言で携帯を回してもらったんですが、
西村真吾先生からの独特の声でメッセージがそこにはあり、
「くじけるな
マスコミって奴は逃げればいつまでも追いかけて来よる
あいつらは堂々と対峙すれば尻尾を巻いて逃げて行きやがる
決して負けるんじゃないぞ
」
その短いメッセージには西村真吾先生のやさしさと思いやりとマスコミに対する怒りがたっぷりと込められていていました。
そのメッセージを聞いた4人とも涙が溢れて止まりませんでした。
今でも思い出すと涙が込み上げてきます。
こういう時って人にやさしさが本当に身にしみるもんです。
しかもあれだけマスコミに叩かれたご経験のある西村真吾先生の言葉は余りにも重く受け止めてしまいました。


小西理事長も成田までわざわざ迎えに来てくれました。
翌日、東京の空援隊事務所で今回の遺骨収集の報告会を行いました。
本当に沢山の参加者が来ていただいておりました。
今回はここまで、次回はエピソード編でアップします。
乞うご期待。
発熱までしたので、病院へ行き、薬をもらってきたので、もう大丈夫です。
先ほども今回の遺骨収集に参加されたくどみさんから連絡がいただいたんですが、彼も同じようにお腹の調子が最悪だと言うことでした。
昨日も山際先生からも連絡をいただき、私が「体調、大丈夫?」と聞くと
「君たちは柔なんだよ。私は全く問題なし
との事でした。ちょっと安心しましたが、でも私は柔なんかなあ
本当にフィリピンの遺骨収集は体力的にも精神的にもハードな旅なんですよ。
前置きはさておき、つづきです。
その日の夜の厚生労働省の梅原室長から連絡があり、
「本庁から今、連絡があり、明日の週刊文春に空援隊への批判記事が4ページに渡り載るそうです。詳しい詳細はわかりません。」
それから全員の空気が一変してしまいました。
まず、明日発売と言うことで、しかもスクープ記事なので現地では情報が全くなく、インターネットで調べても掴めない状態でした。タイトルのみ判っただけです。
私は3度の遺骨収集へ参加させていただいているので、フィリピン人の骨が混じる事をどれだけ注意しながら空援隊の倉田隊長が配慮しているか、また遺骨を買うという行為も全くなく、それ以上に、「遺骨を買う」行為と現地の方々が勘違いしない様に最大限の配慮をしているのを、毎回そばで見てきたので、ただのゴシップ記事なんだとそんなに心配はしていませんでした。実際には人件費と言うことでジャングルに一緒に入り、手伝ってくれた現地の方々への報酬は払っています。これは現場にいて、ごく当たり前の事だという認識です。
しかし、倉田さんの憤りはかなりのものでしたし、そばにいると悔しさと腹立だしさが伝わってきます。
倉田さんは、この遺骨収集を通してお金儲けなんてめっそもない話で、厚生労働省から予算が付いたと言えども、今までの出費が帰ってくる訳でもなく、予算内で出来る遺骨収集でもありません。ビジネス的に言うと収支は絶対にどうやっても赤字です。
しかし、そばにいると彼の「本気」がどれだけか?
毎回、遺骨収集という大義の為に真剣に命を掛けるってどういう事かを背中で見せ付けられています。
野口健さんは、怒りもありますが、何故?という疑問と週刊文集に裏切られたというショックといままで講演活動で多くの方々へ訴えてきた責任があると言うのです。
まとめると下記の通りです。
1.週刊文集は非常にまじめな雑誌社でエベレスト初登頂の学生時代からのお付き合いだったにも関わらず、野口健さん自身に全く取材をしていない点が納得がいかない。
それよりも今まで文集との信頼関係を裏切られたショック。
2.現在、野口健さんの講演内容は環境問題と遺骨収集の話題と常にセットで訴えてきた。今まで様々な方々からのご支援やご寄付をいただいている。
その多く方々がその記事を読むと動揺するのではないか?
3.遺族会や戦友会は全く思いは同じなのに、何故日本国内で足を引っ張り合わなければいけないのか?それ以上に現場のフィリピン国内では、解決しないといけない問題が山積しているのに、遺骨収集はもう限られた時間しかないのに、お互いに他団体と批判している場合ではない。
4.上記の問題点に対する対処を1日も早く手を打ちたい。しかし、今のこの小さな島のホテルでは全く動けないもどかしさ。
今回、遺骨収集へ参加した全員に動揺が走り、今まで体力的に疲れたというだけだったんですが、不必要なエネルギーを全員が使っているのが、本当は無駄とは判っていても対応しなければいけないもどかしさ、そのやるせない空気が蔓延しました。
このときの画像が、夕食の集合時間に現れた健さんに倉田さんが「週刊文集」の第一報を入れた瞬間です。それと必死で対応策を練る野口健さん
私は「出る杭は打たれる」というたとえ通りで、こちらに全く非がないので、問題は余り無いと、私はこのときは思っておりました。
ただ具体的に何を書かれているかという不安は全員にありました。
特に厚生労働省の梅原外事室長は「私が遺骨収集の責任者にも関わらず、現場にいる時に何故、発売日なのか?この対応で帰国したら数日徹夜が続く。また私のコメントも出ているようなので早く確認したい。」
野口健さんは必死で対応策を練っていました。
現在考えらうる、あらゆるパターンを想定して対策をみんなで考えていました。
いよいよマニラへ出発です。
このときに倉田さんが週刊誌ネタの冗談で「健さんは空援隊に巻き込まれた被害者やからなあ
勿論、みんな大笑いでした。
結局、翌日マニラに渡り、ホテルに着くやいなや、週刊文集の記事を入手して、確認しました。
私の感想は「どれもこれも推測の域を脱していない、くだらない記事内容だ
現場で実際に見て来た内容とは、全く違う記事内容がそこにはありました。
でもこれは今まで私は3回参加したから言える事であって、実際に初めてこの記事を読んだ方々がどのような感想を持たれるかという不安はありました。
マニラに着いて「アメリカ墓地」を見てきました。
本当に敗戦国の日本兵の英霊の遺骨の現状と勝戦国のアメリカの英雄として各墓地に名前が掘り込んでいる現状を見て、違いをまざまざと見せ付けられました。
今回の遺骨収集は80体程でしたが、また1体も日本へ帰ることが出来ませんでした。
今回はフィリピン政府と行政の問題です。しかし、現地で倉田さんが許可書を取れるように手配してくださり、一応の解決は見たものの、その80体は現地へ置いていかなくてはなりませんでした。
全員非常に悔しい思いは同じでした。しかし、少しの明かりが見えたのは幸いでした。でもまだまだ遺骨収集へのハードルは沢山あります。微力でしが、私も今後も遺骨収集への活動は続けていく覚悟です。
帰りのジャンボ機内で問題のご自分の載っている週刊文集を倉田さんが見つけました。
でもこのときは笑顔です。
やっと成田に到着しました。参加者全員がやっと日本に帰ってきた喜びと手ぶらで帰ってきた悔しさが込み上げてきました。
成田へジャンボ機がタッチダウンして降りるのを待っていたときでした。
ジャンボ機なので、倉田さん、私、野口健さん、鳥羽さんという順番で座っていました。健さんはフライト中、殆どブログをずっと書き込んでいました。
倉田さんが携帯の留守電を確認した時です、我々にも聞けと言わんばかりに無言で携帯を回してもらったんですが、
西村真吾先生からの独特の声でメッセージがそこにはあり、
「くじけるな
その短いメッセージには西村真吾先生のやさしさと思いやりとマスコミに対する怒りがたっぷりと込められていていました。
そのメッセージを聞いた4人とも涙が溢れて止まりませんでした。
今でも思い出すと涙が込み上げてきます。
こういう時って人にやさしさが本当に身にしみるもんです。
しかもあれだけマスコミに叩かれたご経験のある西村真吾先生の言葉は余りにも重く受け止めてしまいました。
小西理事長も成田までわざわざ迎えに来てくれました。
翌日、東京の空援隊事務所で今回の遺骨収集の報告会を行いました。
本当に沢山の参加者が来ていただいておりました。
今回はここまで、次回はエピソード編でアップします。
乞うご期待。
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コメント一覧
1. Posted by 野口剛 2010年03月19日 00:19
大変疲れている皆様に辛いニュースでしたね

しかし皆様の活動を知ってる方にしてみると、全然ただのゴシップにしか感じませんでしたよ
私財を投げ出して活動されてる皆様を心から尊敬しております
しかし皆様の活動を知ってる方にしてみると、全然ただのゴシップにしか感じませんでしたよ
私財を投げ出して活動されてる皆様を心から尊敬しております
2. Posted by 野口健 2010年03月20日 03:34
今日はお昼からさっきまでお疲れ様でした。
私たちは必死で遺骨収集にすべてを賭けてやってきましたよね。それは間違いではありません。しかし、こうして様々な今まで耳にしたことのない情報が集まってくる。その全てが正しいとも限りません。しかし、これほど批判が多数となってくれば、私たちはもう一度、空援隊の中身までをしっかりと把握しなければならない。少なくとも私にはその責任もあります。
私も何度も現場を訪れ洞窟の中の御遺骨に涙を流しました。遺留品も一緒でした。私にはあの御遺骨は日本兵の御遺骨と思えてなりません。あれだけの広範囲、仮に仕込まれたとすればそれだけでも物凄く多くのエネルギーを費やさなければならないし、空援隊のメンバーはそんな事はしません。
正直、フィリピンから帰国し様々な情報が津波のごとく一気に襲いかかり、混乱しています。何が本当で何が偽りなのか。
そして間違いなくこうしている間にも僕らが発見した遺骨がジャングルの中で僕たちが迎えに来るのを待っている。
私にはそのことが最も心配。今すぐフィリピンに戻って収集、祖国に帰したい。ただそれだけなんです。
悔しいやら空しいやら、先の展開が見えず辛いです。この騒動、早く終了してほしい。そう願っています。そして一日も早く真相が明らかにされることを心から願っています。
野口健
私たちは必死で遺骨収集にすべてを賭けてやってきましたよね。それは間違いではありません。しかし、こうして様々な今まで耳にしたことのない情報が集まってくる。その全てが正しいとも限りません。しかし、これほど批判が多数となってくれば、私たちはもう一度、空援隊の中身までをしっかりと把握しなければならない。少なくとも私にはその責任もあります。
私も何度も現場を訪れ洞窟の中の御遺骨に涙を流しました。遺留品も一緒でした。私にはあの御遺骨は日本兵の御遺骨と思えてなりません。あれだけの広範囲、仮に仕込まれたとすればそれだけでも物凄く多くのエネルギーを費やさなければならないし、空援隊のメンバーはそんな事はしません。
正直、フィリピンから帰国し様々な情報が津波のごとく一気に襲いかかり、混乱しています。何が本当で何が偽りなのか。
そして間違いなくこうしている間にも僕らが発見した遺骨がジャングルの中で僕たちが迎えに来るのを待っている。
私にはそのことが最も心配。今すぐフィリピンに戻って収集、祖国に帰したい。ただそれだけなんです。
悔しいやら空しいやら、先の展開が見えず辛いです。この騒動、早く終了してほしい。そう願っています。そして一日も早く真相が明らかにされることを心から願っています。
野口健
3. Posted by ハスユママ 2010年03月20日 07:30
はじめまして、ハスユママと申します。
野口健さんのブログのコメントを拝見して、こちらに参りました。
ご遺骨収集のことが、とても詳しく書いてあり、空援隊の皆様の愛国心と真摯な思いが伝わってきます。
息子と私には、わずかな寄付ばかりのお手伝いしかできませんが、応援しております。
健さんのブログに来る仲間達は、皆同じ思いです。頑張ってください。
最後になってしまいましたが、お身体の具合、
早くよくなりますよう願っております。
野口健さんのブログのコメントを拝見して、こちらに参りました。
ご遺骨収集のことが、とても詳しく書いてあり、空援隊の皆様の愛国心と真摯な思いが伝わってきます。
息子と私には、わずかな寄付ばかりのお手伝いしかできませんが、応援しております。
健さんのブログに来る仲間達は、皆同じ思いです。頑張ってください。
最後になってしまいましたが、お身体の具合、
早くよくなりますよう願っております。
4. Posted by kodohkan 2010年03月20日 12:19
剛くん
いつも本当に色々とご苦労さまです。昨夜も遅くまでありがとうね!
本当に剛くんの献身的な行動には感心されられっぱなしです。
私にも何でも言ってください。出来うる限りご支援しましょう。
いつも本当に色々とご苦労さまです。昨夜も遅くまでありがとうね!
本当に剛くんの献身的な行動には感心されられっぱなしです。
私にも何でも言ってください。出来うる限りご支援しましょう。
5. Posted by kodohkan 2010年03月20日 12:50
今、大阪へ帰って来た所です。昨日もご馳走様でした。
健さん、あれからこんなに遅くまで起きていたんですねえ!健さんがどれだけ悩ましているかが痛いほど判ります。
昨夜も話しましたが、少なくとも我々が実際に見て収集した遺骨が日本兵のものじゃないというのであれば、そんな凝った「ドッキリ」は無いと思います。あれだけの遺骨を集め、遺留品も集め、ジャングル奥地の洞窟へ埋めるというのは手間が掛かりすぎます。それに引き換えの人件費目当てなら、余りにも無理がある構図です。
この津波のような今回の問題は必ず解決できうるものと信じています。
健さん含め、実際に今まで行って来た事に対して、やましい点は一切ないと断言できるじゃないですか?初志貫徹!思いは同じです。
南方戦線で戦った英霊の方々の一日も早い帰国を実現するために今は辛い時期ですが、お互いに頑張りましょうよ。英霊の方々が食料も弾薬も無く、亡くなられた辛さ悔しさに比べればヘッチャらですやん。
健さん、あれからこんなに遅くまで起きていたんですねえ!健さんがどれだけ悩ましているかが痛いほど判ります。
昨夜も話しましたが、少なくとも我々が実際に見て収集した遺骨が日本兵のものじゃないというのであれば、そんな凝った「ドッキリ」は無いと思います。あれだけの遺骨を集め、遺留品も集め、ジャングル奥地の洞窟へ埋めるというのは手間が掛かりすぎます。それに引き換えの人件費目当てなら、余りにも無理がある構図です。
この津波のような今回の問題は必ず解決できうるものと信じています。
健さん含め、実際に今まで行って来た事に対して、やましい点は一切ないと断言できるじゃないですか?初志貫徹!思いは同じです。
南方戦線で戦った英霊の方々の一日も早い帰国を実現するために今は辛い時期ですが、お互いに頑張りましょうよ。英霊の方々が食料も弾薬も無く、亡くなられた辛さ悔しさに比べればヘッチャらですやん。
6. Posted by kodohkan 2010年03月20日 12:53
ハスユママさま
書き込みありがとうございます。現地でハスユママさまのコメントも毎日健さんと読ませていただいておりました。本当に心強かったですよ。
これからも野口健さんへ応援してしあげてね!
体もう治りしました。ありがとうございます。
書き込みありがとうございます。現地でハスユママさまのコメントも毎日健さんと読ませていただいておりました。本当に心強かったですよ。
これからも野口健さんへ応援してしあげてね!
体もう治りしました。ありがとうございます。