毎週 木曜日発行!!  平成13年 11月1日創刊
週刊
 上原直彦
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2003年 9月11日
連載 エッセイ
      「浮世真ん中」(98)

*<いい顔・点描>

老婆は<いい顔>をして、野菜畑にいた。
立ったり、しゃがんだりするたびに、やけによく似合う、ちょっと、縁がむしれた麦わら帽子が風と遊んでいる。カメラマンはシャッターを切る前に、カメラを指して「いいですか」と、声をかけた。老婆は一度、首をかしげてから「いいヨ」と答え、間をおいて言った。
「顔を洗って、髪をなおしてからネ。着替えもしなくちゃ・・・」
カメラマンは慌てる。畑の中の老婆の<いい顔>が撮りたいのだ。そのことを告げると老婆は「そりゃあダメよっ」と、きっぱりと拒み、姿勢をもとに戻した。そして、ひとり言のように話した。
「先に行っているオジーは、きれい好きでネ。残した写真は全部が全部、さっぱりした服装と顔で写しているんだよ。写真はいつまでも残るものだから、いい身なり、いい顔で写さなければいけないッ。これが口癖でネ。ワタシがユグリ・カーハイ<垢じみて汚れた格好。その状態>して写真をヌグ<撮る。写す>と、怒るから・・・。あっちから、見ているから」
と、辺りを見回した。

沖縄には「後生や雨だいぬ下=ぐそうや あまだいぬ しちゃ=あの世は、天のように遠い所にあるのではなく、家の軒下にある」とする考え方があり、諺としても残っている。近親者の魂は常に身近にあって、子孫を見守っていると信じているのである。したがって、魂は、家人の日常の言動をすべて見聞している。

老婆は、言葉をつづける。
「ほら。ワタシの小鼻の横に大きめのホクロがあるでしょう。娘や孫たちがネ。いまは、美容整形の技術も進んでいて、そんなホクロなどすぐにとれるヨ。取ろうかオバー。きれいになるよって、言ってくれるんだけどネ。取らないよワタシー。なぜってアンタ。うちのオジーは、ワタシのこのホクロに惚れてニービチ<結婚>したと、言っていたもの。いまさら、ホクロを取ったら、ワタシがオジーの所に行ったとき、トゥヌーマーヌー<戸惑い>して、怒るよきっと。ワシが死んだらホクロを取って、若い男に<いい顔>するつもりかッって、ヤチ<やきもち>すると思うよ。男は、自分はグンボ−<浮気>するくせに、ヤチさぁだからね」
老婆はまた、辺りを見回して少女のように笑った。
カメラマンは、一度もシャッターを押すこともなく話し込んで、夕闇に溶けた畑の中に身を置いていた。

琉球王府時代。
第二尚氏14代尚穆<ぼく>、15代尚温、16代尚哲に仕え、粋人として歴史に名を刻んだ渡嘉敷親雲上兼副<とかしき ぺーちん けんぷく。親雲上は位名>は、徳川家康、秀忠、家光三代に仕えた天下のご意見番大久保彦左衛門に例えられる人物。政治に手腕をふるい、和文、漢文に通じて書家としても高名。1743年、首里赤田村に生れ、1838年没とある。享年95才。人生50年とされた時代の95才は超人的長命である。
60才で自ら要職を退いて、現在の北谷町桑江に隠居するが、90才の正月、彼の人生観をうかがわせる歌を詠んでいる。
“むしか閻魔王ぬ 御用どぅんやらば
  九十九までぃや 留守とぅ返事り”
<むしか ゐんまおうぬ ぐゆうどぅんやらば くんじゅうくう までぃや るすとぅ いれり>
歌意=もしも今年、あの世の閻魔王がお迎えの御用で来たならば、
     渡嘉敷兼副は多忙外出中。九十九才までは家を留守に
     していると返事をしておけッ。
狂歌風にも受け取れるが、その粋さはなかなかである。
先に逝ったオジーの誇りと愛のために<いい顔>を守り抜くオバーといい、閻魔王を相手に一歩も退かない渡嘉敷兼副といい、沖縄の爺婆は命の哲学をもっている。これが、長寿の源かもしれない。

敬老の日。ホテルのレストランで子や孫と食事をするという先輩。テレながらのひと言。
「子は親孝行のつもり。厚意を受けてやるのは、ワシに言わせれば、子孝行サ」

筆者も老いと真剣に向き合う年ごろになった。今週は永六輔著書の文を引用して締めよう。筆者の心情でもある。
「長生きはしたいが、年寄りとは呼ばれたくない」

 次号は2003年9月18日発刊です!

2003年9月分
週刊上原直彦(100)<こだわって100>
週刊上原直彦(99)<罰金>
週刊上原直彦(98)<いい顔・点描>
週刊上原直彦(97)<とり憑かれる>

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