マタイ22章34節~46節

「真実な隣人」林東琥 牧師

 

 当時のユダヤの律法学者は沢山の律法を覚えていて一見すると守っているように見えたが、一番重要な愛がなく形式的になってしまった。何事も愛の心がなく形式的にやったら意味が薄れてしまいます。

ローマの信徒への手紙13章10節

 「愛は隣人に悪を行いません。だから愛は律法を全うします。」

真の隣人は日常生活ではわかりにくく、つらいことが起きるときにわかります。そんな苦しい状況でもその愛をもって接してくれる人が真の友です。私たちすべてを最もそのように愛している方は神様、イエス様です。私たちがそれに答えるために愛をもって礼拝することです。愛をもって礼拝しながら生きていくことで、私たちは形式的でなく愛によって楽しく、喜びに満ち溢れて生きていくことができます。

マタイによる福音書21章33節~41節

            「管理者」林東琥 牧師

33節「ある家の主人」とは神様を表していてぶどう園はイスラエルのことをいっている。神様は農夫(イスラエルの民)を使いぶどう園を豊かにして収穫を多くしようとした。これはイスラエルの民を通して救いを広めようとしたということです。しかし農夫達は僕を何人も迫害し収穫を納めなかった。(預言者を送ったが迫害し救いをないがしろにした)。主人の息子(イエス・キリスト)をも殺してしまった。終わりの日に神様は農夫を変えることが必要になります。

 今の時代は私たちが農夫の役割をしています。私たちは実を結ぶべきです。信仰の実や伝道の実などあらゆる実があります。

 良い実を結ぶには良い根である万能の主の知恵を基に生活していくことで実現できます。

           マルコ5章25節~34節

           「誰に導かれていますか?」林 東琥牧師

この世の中には悪い霊の働きがあります。悪霊の働きは人間の力では治らずイエス・キリストの神の力でないと治りません。本文でもイエス・キリストに頼ったら女の人が治りました。

 この女の人のように私たちもイエス・キリストに頼れば万事がうまくいきます。この世の中にある悪霊による悪い働きにもイエスの導きならば勝利できます。

YOUTH WINTER CAMP 2010

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  第11回 YOUTH WINTER CAMP 2010   3月1日(月)~3月4日(木)

      場所:御殿場市 国立中央青年「富士のさと」

   費用:学生11000円、社会人15000円 2月7日まで登録なら千円引き (仮登録4000円)

今年もやってきますYOUTH WINTER CAMP。富士山のふもとでゴスペル、バイブルスタディー、スポーツ、フェスティバル、おいしい食事などなど、若者が聖書を通してVISIONをもらうキャンプです。みなさんふるってご参加ください^^^^

昨年の様子

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マタイによる福音書7章17節~18節

       「良い実に良い木」

良い木には良い実が結ばれ、良い実から良い種が結ばれそこからまた良い木が結ばれます。同じように悪い木は悪い実を結びます。しかし悪い実は先端だけが違い見分けがつかないので人は分別がつかず悪いほうを好んでしまう。

私たち自身が良い実になるには行動を伴わせなければなりません。行動を伴わせなければ悪い実と同じになります。→私たちは倫理をただ追い求めるものではないがそれは守るべきです。またクリスチャンは心の底から相手のことを考え尊敬しなければなりません。

これらのことをたとえ苦難が来た時でもやり続けることです。真の神様を信じ、神様のためにやればそれが可能です。悪い実を結ぶものは自分のためにやっているので不可能です。

神様に繋がっていて良い実を結んでいきましょう。

2月14日旧正月

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    マタイによる福音書14章22節~23節

    「目をイエス・キリストに」林 東琥牧師

人間は他人を見ながら、他人と比べながら生活していては道を踏外したり、時には絶望するときがあります。私達は何があっても変わることのない神様の愛を見ながら生活していけば正しく筋が通った道に行き、また喜びに満ちあふれる生活を送ることができます。

そのためには神様を信じることです。本文ではイエスの力を100%信じていれば湖も歩けていて、疑ったら歩けなくなり湖に落ちました。アブラハムも神様を100%信じることで100歳で子供を授かりました。

私たちも神様を疑いなく信じれば神様が働かれます。

信仰とは目に見えないものを信じることです。神様を信じるとはそういうことですが神様は目に見えるイエス・キリストを送ってくださった。私達はそのイエス・キリストの言葉である聖書を聞くことにより信仰がはじまります。私たちが御言葉にまっすぐ従い歩むときに一人一人に道が与えられるという奇跡が起こります。

マルコによる福音書10章 43節~45

           「仕える者」

 45節、人の子とはイエス・キリストのことです。イエス・キリストは神様の身分でありながら人に仕えるために来ました。そのため馬小屋という貧しい所で生まれました。また生涯も貧しいものでした。イエスは人々に教えていましたが、同時に仕えていました。病気にかかり人々から遠ざけられてた人にも仕えました。弟子の足も洗いました。

ルカによる福音書22章24節~25節「また、使徒たちの間に、自分たちのうちでだれがいちばん偉いだろうか、という議論も起こった。そこで、イエスは言われた。「異邦人の間では、王が民を支配し、民の上に権力を振るう者が守護者と呼ばれている。」 この言葉のように、人は自分を高めようとするか、他人を非難するかのどちらかです。この自我から抜け出すためには、イエスのような愛が必要です。他人を愛するためには、まず神様に仕え、その人に関心を持ち、その人のことを考えてあげることです。そのようなクリスチャンが増えれば日本が変わります。

設立8周年礼拝

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ヨハン横浜キリスト教会8歳の誕生日です^^^^IMG_1173.JPG

恵みの証

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     恵みの賛美

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