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ようやく自称ジャーナリストであって維新政党・新風元副代表瀬戸弘幸氏がジャーナリスト宇留嶋瑞郎氏と右翼団体主権回復を目指す会代表西村修平氏との裁判について触れることとなった。少なくとも宿題をこなした瀬戸弘幸氏の言動を称えたい。
ただ、問題は瀬戸弘幸氏のブログ運営方針である。瀬戸弘幸氏は拙稿のエントリーの内容をそのままコピペしてエントリーを構成しているのである。
論拠1
拙稿においては、判決書の「,」を「、」として記載している。瀬戸弘幸氏の判決書においてはこの特徴をそのまま利用している。
論拠2
説稿においては鍵括弧を二重鍵括弧として記載している。瀬戸弘幸氏のエントリーにおいても拙稿の特徴がそのまま利用されている。
論拠3
説稿においては、「(2)ア」などの記載の後は全角スペースを挿入して表題を記載している。瀬戸弘幸氏はなぜか拙稿の特徴をそのまま利用している。
論拠4
拙稿においては括弧はすべて全角で記載している。瀬戸弘幸氏のエントリーにおいても拙稿の特徴がそのまま利用されている。
東京地裁立川支部で「セクハラ市議」名誉毀損裁判の判決文を起案した市川正巳裁判官と比べ、さいたま地裁川越支部の柴崎哲夫裁判官の判決文は非常に読みやすく、論旨も明快である。そして第2次「御用ライター」裁判の判決にも同様の趣旨の記載が見られたが、私がこの判決文において最も印象に残っている部分はここである。自称ジャーナリストの瀬戸弘幸氏が心すべきではないか。
「ジャーナリストの執筆したものは、他のジャーナリストや一般の読者から評価される運命にあるというべきであって、結果的に、執筆者の意向とは関係なく、対立する複数勢力のうちの特定の側を支持する傾向にある執筆内容であると評価されてしまうことも珍しくなく、また、そのような事態が生じてしまうことは、ジャーナリストという職種にとっていわゆる『宿命』ともいうべきものである。そして執筆者が、自己の執筆内容について、自己の意に反する評価を受けた際にそれを改めたいと思えば、新たな執筆活動によって他のジャーナリストや一般の読者に働き掛け、自己に対する評価を変えていくよう勤めるべきである。」
ブログのエントリーに対する批判に切れ、過去の執筆活動に対するワールドワイドウェブ氏の批判に対してろくに説明責任を果たさない自称ジャーナリストの瀬戸弘幸氏は、今こそ「新たな執筆活動」により「自己に対する評価」を変えていくよう努めるべきではないか。
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