逮捕されたアイダホ州出身の米国人女性の家族は、彼女は子どもたちを助けようとしただけだと主張。一方、子どもたちの親族は子どもを米国人グループに引き渡した経緯を明らかにした。
ハイチ検察当局は4日、ローラ・シルズビー被告とその他9人の米国人を子ども33人を誘拐した罪で訴追した。子どもたちのほとんどは首都ポルトーフランス南部の山あいにあるカルバスという小さな村出身だ。
しかし、現地の子どもたちの家族や友人の一部は今回の逮捕に異議を唱えている。彼らは5日、自分たちが自ら子どもたちを引き渡しており、逮捕された米国人10人を釈放してほしいと述べた。またその米国人グループに今後も子どもたちをドミニカ共和国の孤児院に移り住まわせる計画を続けてもらいたいと語った。
現地カルバスの村人の話は、ハイチ検察当局が描くシルズビー氏らに対する印象と相違する。ハイチ当局は4日、教会関係者である米国人10人を児童誘拐及び謀略の罪で訴追。有罪となれば数年間の禁固刑となる。
連れ去られた33人の子どものうち20人が出身のカルバス村の住民の説明は、シルズビー氏の家族や友人の主張と一致している。同氏の母親であるアドンナ・サンダー氏は4日夜、娘のグループは子どもの親から子どもを連れ出すことの許可を書面で受け取っていたと語った。
しかし、地元住民がシルズビー氏らの取り組みを支持しているものの、住民の説明で明らかになった詳細には、同氏の試みが適切であったのか疑問も生じさせるものもある。
子どもを引き渡すことに同意していた地元住民のうち、少なくとも3人は生みの親ではなかった。ミリアン・ブルータス氏(28)は、9歳の弟を引き渡すことを承認し、マラニー・オーガスティン氏(57)は、幼児の頃に養子にした9歳の女の子を引き渡すことに同意していた。また、子どもがいない24歳の女性は、自分が後見人となっている子どもを送り出すことに署名をしていた。
アイダホ州の教会のメンバーである10人はカルバスの住民に対して、来年子どもたちを訪問しにドミニカ共和国へ連れて行くことも約束していた。
オーガスティン氏は「彼らは私たち全員をバスで一緒に連れて行ってくれると言った」と語った。また彼女は、ハイチのパスポートを取得するには米ドル換算で125ドル(約1万1000円)かかり、カルバスの住民の収入では不可能だと付け加えた。地元住民は、今回の事件についてハイチ当局からまだ誰も事情を聞きに来ていないと口をそろえて言った。
拘留されている米国人グループの家族は5日夜、引き続きメンバーの解放を求めていくとの声明を発表した。
今回の事件によって、貧しく、国の政府機関がほとんど機能していない上、また役人が腐敗しているなかで、養子縁組することの難しさが浮き彫りとなった。ハイチの孤児院の子どものほとんどが孤児ではなく、極度の貧困に悩む家族が子どもの食事と教育が改善することを願って預けた子どもたちだ。
他方で、ハイチでは強制労働や性的な目的のために子どもが人身売買される事件が数多くあり、ハイチ当局者はこうした状況をなくすために養子縁組に関して厳しい規制をかける必要があると語っている。今回の地震災害でこうした人身売買が増加することが懸念されている。
ハイチでは以前から子どもを里子に出すことは定着している。シルズビー氏を始めとするアイダホ州の教会グループが1月28日にカルバスに到着したとき、地元住民の中にはその訪問は「奇跡」であり、そして神からの祝福だと考えた、と語る人もいる。
5歳の息子を米国人グループに引き渡したジーン・アンチェロ・カンテーブ氏(36)は「息子にはまったく別の人間になってほしかった。息子に私のような人生を送ってほしくなかったのだ」と述べた。彼はもう1人の3歳の子どもも引き渡そうとしたという。
「でもその子が大泣きしたので連れ戻したんだ」とカンテーブ氏は語った。
白しっくいの自宅の裏にある小さな畑を指差しながら、カンテーブ氏は、自分の財産は季節ごとに畑から収穫できるにんじんやキャベツなどの作物しかなく、それらを近くの露天市で売るのだと説明した。同氏は3人の我が子のうち2人を学校に行かせてやれることができた今回のチャンスを宝くじに当たるのと勝るとも劣らない絶好のチャンスだと思ったという。
カンテーブ氏が「子どもに教育を受けさせてやれる機会は家族全体が繁栄するまたとないチャンスだ」と語ると、同じく子どもを米国人グループに預けた近所の住民たちの多くが同意してうなづいた。教育を受けた自分たちの子どもが将来どんな大人になるのか尋ねると、彼らはいっせいに「看護士」、「医者」、「パイロット」、「機械工」、「配管工」そして「事務職」と叫んだ。
アイダホ州に住むシルズビー氏の家族は、彼女は貧しい人を助けながら布教活動をするという一族が伝統的に続けている取り組みを受け継いでいると説明した。父親のジョン・サンダー氏は5日、「ローラも教会関係者の家で育ったので、布教活動の責任を果たそうとしただけだ」と語った。
シルズビー氏の父親は、自分の娘が困っているようにみえる人を助けるのは当然のことで、「もし住むところに困っている人がいれば彼女は必ずそうした人たちに優しく手を差し伸べてきた」と振り返った。
サンダー家の長年の友人であるスティーブ・マクマレン氏は、シルズビー氏がドミニカ共和国にいたときに電話で話したことを明らかにし、電話の最中に彼女はそのとき当局の事務所にいて、ハイチから彼女のグループが連れてきた子どもたちの名前を登録しているところだと話したという。
しかし、その計画は頓挫した。サンダー氏は「よくわからない。奇跡を願うばかりだ」と言って首を振った。