ヨダログ

囲碁棋士 依田紀基のブログ

身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ

2010-03-18 19:51:02 | 日記
僕は、日本のトップに立つ、あるいは、トップを伺うような人間は、

生き様が格好良くなければならないと思うのである。

今から5年以上前に、社会現象になった話である。

人物や背景など詳しく書くと、削除される可能性が高いと思われるので、

話の筋だけ説明する。

ある人物が、自分の所属する組織を批判し、全国民に向かって啖呵を切ったのである。

僕はその後のドラマをテレビの生放送で見ていた。

全国民に啖呵を切った以上、是非もない。突撃する以外の他に道はない。

ところが驚いたことにその人物はそこで退いてしまったのである。

僕はテレビに向かってこう叫んだ。

「ここで退いたらお仕舞いじゃないか!今まで打った手(今までの言動や行いの事)が全部
悪手になるじゃないか!もう浮かび上がれないじゃないか!どうしてそんなことがわからないんだ!身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれということを知らないのか!」

僕は深く失望した。

これじゃあ外国に侮られるだろうし、子供が大人に対して失望するだろうなと思った。

勿論、日本のトップに立つ人で格好の良い人は沢山いると思う。

でも、トップに立つ人で格好の悪い人も昔の日本より多いような気がする。

一国のトップに立つような人が格好が悪いのは罪悪だと僕は思う。
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才能とは?

2010-03-17 10:01:50 | 日記
碁においての才能とはなんであろうか?

センスということもあるだろうが、

一番大きな要因は繰り返し練習することが出来る能力だと僕は思っている。

最近、僕は小学4年生くらいの子を指導した。その子は4級だと言っていた。

僕はその子が何がわかって、何がわかっていないのか調べるために、

基本の死活を問題として出した。

僕はその後に、その子にこういう話をした。

「君はご飯を食べるときにどっちの手で箸を持つ?」

「右手です」とその子が答える。

僕が、「じゃあ左手で箸を持ってご飯を食べることが出来るかい?」と聞いた。

その子は「出来ません」と答える。

「それが知っている事と出来ることの違いなんだよ。

右手では出来るのだから、

どうすれば左でも箸を持つことが出来るのか知ってはいるはずだよね。

でも出来ない。どうしてこういう違いがあるのか?といえば、

右手は毎日やっているのに、左手は使っていないからだよ。

だから、知っていることを出来るようになるためには、

何も考えなくても(無意識で)出来るようになるまで繰り返し練習しなくてはならない。

何も考えなくても出来るようにならなくては、実戦で役に立たない。

そういうことが本当の力だよ」と教えた。

プロの棋譜を並べて練習するときも同じである。

ここで大事なことは、「感動」である。

良い手を見たときは速やかに感動しなくてはならない。

そして自分もこういう手を打てるようになりたいと念じながら、

繰り返し10回でも100回でも並べるのである。僕の経験上これが効くのである。

人間の性質として、

信念を持ってそのように練習すれば、必ずその人間に近づいていくものだと思う。


このように練習すれば、誰でも、かなりのレベルまで行くはずである。


ただし、この作業は好きでなくては、あるいは好きにならなくては、続けるのは難しい。


だから、才能というのは、結局のところ、昔からよく言われる、


「好きこそ物の上手なれ」というのが正体なのではないかと思う。
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クローズアップ現代

2010-03-16 08:36:20 | 日記
昨日はNHKのクローズアップ現代を見ていた。

テーマは我が子を虐待したり餓死させる鬼畜のような親から、どうすれば、児童相談所が子供を救い出すことが出来るのか?ということである。

そういうことも大事なのだろうが、そんな鬼畜が親として毎日一緒にいるということは、

それが子供にとって、生命の危機だろうと思う。

親がいなくとも、今の日本で子供が餓死するとは思えない。

鬼畜の親がいたから餓死したのである。

最近になって、こういうことが急増した原因はなんなのだろう?

色々あるのだろうが、教育や価値観の違いということだけではないと僕は思う。

なぜなら、我が子の命は自分の命を引き換えにしてでも守ろうとするのは本能とか、

遺伝子が記憶しているようなことだと思うからである。

そういう本能がなければ人類は滅びてしまうだろう。

だから、鬼畜のような親は、ダイオキシンかなにかの影響で、

遺伝子になにか影響があったのではないか?と僕は推測するのである。

だから、鬼畜のような親はどういうものを主に食べているのか?

どういう環境で生活しているのか?

どういう環境で、どういう教育を受けて育ってきたのか?

ということ統計を取って調べたらどうか?と思っている。
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上を向いて歩こう

2010-03-15 14:52:26 | 日記
思い出すと楽しくなることがある。

以前、棋院の一階からエレベーターに乗ったら、小学の低学年と思われる、

二人組の男の子が乗っていた。

その内の一人の子が、僕に、「ねえ、碁が強い?」と聞いてきた。

この質問にどう答えるのかは難しい。

強弱とは比較の問題だからである。

たとえ世界チャンピオンであっても、碁の神様と比べたら弱い。

僕は「どうかなー」と答えた。

その子はなかなか碁に勝てなくて悩んでいる様子だった。

次に、「ねえ、級?それとも段?」と聞いてきた。

2階に着いてエレベーターが開いた瞬間に、もう一人の子が、

「馬鹿だな。段だよ!」と言って、二人は走っていった。


半年ほど前にある程度強い子供たちを集めて指導碁を打っていたことがある。

手合割は先の逆込30目くらいである。

置石に直すと3子と4子の間くらいだろうか。

そのうちの一人に僕が負かされるのを見ていた、小学2年生の男の子が、

僕に「ねえ、悔しくて今日は寝れないでしょ?」と言ってきた。

子供の感覚は面白い。

そう言えば、僕も碁を始めた小学4年生の頃は負けると目から涙があふれてくるので、

「上を向いて歩こう」という歌ではないけど、上を向いていたものである。

それで、僕はどうして大人は負けても涙が出ないのだろう?

と下からのぞきこんで観察していたものである。

どうして大人になると子供のころのそういう感覚がなくなるのであろうか?
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日中囲碁決戦の思い出

2010-03-14 11:04:31 | 日記
僕が初めて中国へ行ったのは、秀行先生の訪中団で、15歳の時である。

今から30年近く前のことである。

秀行先生が中国の囲碁界の発展に力を尽くしたので、

中国での秀行先生の人気は絶大である。

勿論僕等日本の若手棋士たちも、切磋琢磨していた。

それ以来、僕は公式戦も含めて、中国へ行った回数は50回前後と思われる。

あのころから考えると中国は大変な変わりようである。

前回の投稿で、僕が21歳の時に中国へ行った時の話をしたが、

このときが二週間以上の一番長い中国旅行であった。

旅行といっても、公式戦である。ほとんど観光などはした憶えはない。

囲碁年鑑を見ると、5月20日から24日まで、北京で3局打っている。

北京では「天壇賓館」というところに泊まった。

ここは秀行訪中団でもよく泊まっていた。

別に僕は気にならなかったが、

あのころの天壇賓館は、とても、賓館と言えるようなランクではなかったと思われる。

運動員の家よりはやや上という感じである。

それが、ネットで探索すると、高級ホテルに生まれ変わっている感じなのである。

5月26日には重慶で打っている。重慶のホテルは良いホテルだった。

その前が運動員の家だったから、天国のようであった。

特に重慶は美人が多いと、選手のみんなで話していた。

5月28日からは、「西陵号」という船に乗って、揚子江の川下りをした。

その中で、31日まで2局打っている。このときは中国選手も同じ船に乗っている。

親睦を深めていた。良い思い出である。

最後は6月3日に武漢で一局打っている。長い旅だった。

僕は日本に帰ったら、まず寿司屋に行った。

2週間毎日中華料理ばかり食べていたので、生ものに餓えていたからである。

アワビの肝が美味しかったので、ドンブリで頼んだ憶えがある。

寿司屋の親父と話していて、「僕も内弟子だったんですよ」と言ったら、

「どこの部屋だったんですか?」と寿司屋の親父に言われた記憶がある。
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