【投稿】

在日韓国人にとって祖国の分断とは?

許智栄(在日韓国青年同盟大阪府本部)

 

 私は祖国を知りません。祖国の大地をこの両足で踏みしめた事がありません。多くの自然を残し、この上も無く美しいといわれる祖国の情景をこの目で見た事がありません。祖国のすんだ空気をこの肌で感じた事がありません。数々の受難にみまわれながらも、5千年の歴史を力強く切り開いてきた民族に包まれた瞬間におぼえるであろう感情がどんなものであるかを、私はまだ知りません。

 しかし、こんな自分が不幸であるとは思いません。むしろ幸せではないかと思えます。過去の自分は、祖国や民族の事をこんな風にとらえることはできませんでした。

 日本社会に生まれた在日韓国人3世が韓国人として生きるという事は、一体どれだけの苦難を乗り越える事を意味するのでしょうか?物心つく頃から差別や偏見という人間社会の暗い現実をまざまざと見せ付けられて育つ事を余儀なくされる私たち在日韓国人は、日本社会に同化する道をえらび、祖国・民族を忌み嫌うようになる。祖国や民族はいつもいつもついて回る厄介なものとなる。挙句の果てには、自分とはまったく関係の無いものとしてしかとらえられなくなっていく。そして、個人主義という孤独の壁を築き、どこか意固地になって生きていく事を選んでゆき、祖国の自然、情景、人々に思いを馳せることすらできなくなってしまう。

 これが、私たち在日韓国人の厳しい現実です。自分のルーツである祖国や民族について思いを馳せるという感情すらもてない、考えてみると、とてもいびつな状況で私たちは今を生きています。

 私も、例外に漏れず、そんな人間の一人でした。しかし、私は、韓青同(在日韓国青年同盟)に出会う事ができました。韓青同ではウリマルや歴史、文化の学習を通して自分の存在について深く考える機会を得ました。民族としての自分をはじめてあるがままに受け入れる事ができるようになりました。その過程で、過去さまざまな侵略を受けてはそれを跳ね除けてきた我が民族が今、大国のエゴによって分断され、苦痛にあえいでいる現実を知りました。

 日本人への同化の波に襲われている私たち在日韓国人が、「民族的に生きる」ということは何を意味するのか?祖国に行った経験も無い私が言えば、青臭く、背伸びしているように思われるかもしれませんが、それは、民族の歴史をともに切り開いていく事であり、現在の祖国・民族が分断という時代的制約の中で苦痛を強いられている限り、民族の念願である統一を成し遂げる一員となる事を抜きにしては語れないと確信しています。

 私はこんな想いから、今回の「汎民族統一大祝典」に参加するために北部祖国に行こうと決心しました。北部祖国の地に立ち南・北・海外の同民族としての絆を確認する人間が一人でも増える事が、反北感情が強まるばかりのこの日本の地においてなすべき統一への意義深い道であると思いました。しかし、そんな自分を待っていたのは、家族・親類の愛情であり反北感情でした。

 「この“アカ”が何言うとんねん。」「完全に洗脳されとる。」、一番信頼していた家族からこのような言葉を受けた時、自分は何がなんだかわけがわからなくなりました。北に行くと言ったとたんに、私への家族からの信頼は無くなり、私の考え・人格のすべてが否定され、まるで気が狂ったかのようにしか見てくれなくなりました。

 叔父は今回の件で民団・領事館にも連絡を取ったそうです。分断時代を生き、分断意識で固められてしまったオモニや叔父にとって、私が北部祖国に行くということは不安でたまらないことであり、唯一頼れるのは民団・領事館であったのかもしれません。彼らはなんと言ったか?“韓青同は反国家団体であり、統一という奇麗事を言って若者を洗脳していく。”、“北に行かせるのはなんとしてもやめさせたほうが良い”と言ったそうです。

 「行くねんやったら殺してから行け!おまえが北に言ってしもたらお母さんには何も残らんから、死んだも同じなんじゃ。はよ殺せ!」、「行ったら金正日に拉致されて、ええように扱われるだけや。帰ってこられへんようになる。」、「韓青同は反国家団体やと領事館がはっきり言うとるやないか。要するに北朝鮮系の団体や。おまえはだまされとる。」

 これらの言葉は私にはあまりにも重過ぎました。領事館という権力の存在も自分の予想を越えるものでした。在日同胞の現状、私たち民族の現状、その中で民族の一員として自分に何ができるのかを真剣に考えただけの自分に、あまりにも大きな現実の壁が急に立ちふさがったかのようでした。これらの言葉は、私たち在日同胞も分断という歴史を生きてきたし、今も生き続けているという現実を示しています。

 私は今回、この現実の壁を乗り越えることができませんでした。自分の考え方を変えるつもりの無いことや韓青同での運動を続けたいという意思を示すのが精一杯でした。こんな状況で私はこの夏の闘争を迎える事になりました。日本の地で、今、自分のできる事をやろうと思いましたが、なんとも言えない重苦しい思いがあったのも事実でした。北部祖国の地での私たち韓青同代表団の活躍やファン・へロさんをはじめとして、南の代表団がさまざまな困難を乗り越え北に渡っていったことを耳にするたびに、うれしさと共にどうする事もできない思いが自分の胸の中でこみ上げてくることが何度もありました。それと同時に、いつまでもこんな自分ではいけないと思いました。今回自分の前に、家族という形をとって立ちふさがった分断という現実は、私が北部祖国に行かなかった事で解消されたわけではもちろんありません。今現在も私を取り巻いています。

 私と家族の間の葛藤もそのひとつです。日常の何でも無い言葉がある種の重みを持って家族内で響くのです。ある日、私とオモニは昼食をとりながらテレビを見ていました。テレビで放映される日本の芸能人ののんきな会話を見ながら、オモニは一言「日本は平和やなぁ。」と言いました。何気ない日常なのかもしれませんが、自分には“こんな平和な日本におるねんから何をそこまでして祖国のことをおまえが考えなあかんねん”と言っているようでした。

 毎日の生活の中でも緊張感を持っておらねばならなくなった事は運動をする自分にとって良い面もありますが、なかなか疲れるものです。汎民族大会がテレビで放映されたのをビデオに録画してオモニに見せたり、代表団が無事に帰ってきたことを伝えたりして自分の意思を示す小さな抵抗をしていますが、そんな事ぐらいではどうすることもできない問題が起こりました。ある日、ほとんど話もしてこなかったアボジが電話をかけてきて、韓国に行こうと言うのです。アボジは先祖を大事にする人で、北に行く前にまず先祖に会いに行かなければならないとアボジが言うのは理解できます。私もアボジが純粋にそんな事を考えていると思いました。何か裏があったとしても、アボジと叔父が手を組んで私を韓国に行かそうとしているぐらいであると思いました。しかし、もっと大きな問題があったのです。それは、領事館という権力の存在でした。

 もし、領事館からアボジに何らかの指示(“連れて来い”という強いものでなくて、“行かして見たら”というものでも)があったとしたら、自分は韓国に行ったとたん権力の公安弾圧に利用されてしまうかもしれない。そうなれば、自分のことももちろんですが、韓国で運動する人たちに不利になってしまう。そのような指示が無かったとしても、国家保安法がある限り、自分は“共和国への脱出未遂”という罪を犯している事になり何らかの危険がある。

 これらの事は推測であるけれども、他の同志も今回、北部祖国に行ったために領事館からの圧力で韓国に行かされそうになっている現実があり、まったく可能性の無いこととは言えない。ただ自分の民族のために役立とうとしただけで、自分の祖国に墓参りに行くのにここまで考えなければならなくなる私たちの状況とは、一体何なのでしょうか? 

 分断や、その分断を維持しようとする勢力は私たち在日韓国人の生活にも入り込み、民族のことを考えただけでその人生をもてあそび、民族に対する希望を奪い去ろうとしているのが現実です。日本から差別され自分の民族に誇りを持てなくなっていた私たちが、歴史や言葉を必死に学び少しづつ奪い返してきた希望を、今度は自分の祖国に奪われなければならない。これが分断であり、私たち民族がその分断の中で互いの思想を守るために繰り広げてきた歴史の虚しい答えではないでしょうか?

 このような状況を私は許すことができません。今回の件に関して自分の中ですべてに整理がついたと言えば嘘になります。しかし、私はすべてをしっかりと受け止めようと思う。「殺してから行け」と言った時のオモニの表情、行きたいと言い張ったときのオモニのすべてを失ったような背中、現実を乗り越えられなかった自分への悔しさや情けなさを受け止めようと思う。韓国領事館という権力を持った分断勢力が日本にも存在するのであり、いつでも私たちの邪魔をするべく待ち構えていることを忘れてはならないと思う。その上で、前に進んでいこうと思う。

 自分は今回分断がどんなものであるかを知りました。その痛みがどんなものであるかを痛切に感じることができました。そして、分断は私たち在日同胞の意識をも蝕み、とりこにしている現実を知りました。こんな自分であるからこそ、この現実に立ち向かっていかなければなりません。単に統一を夢見るだけでなく、地に足をつけて地道な努力をしていかなければなりません。そうしなければ、54年という歳月の中で私たちの心の中に否応無しに入り込み、がんじがらめにしている分断意識を克服する事はできません。克服できなければ、私たち民族の歴史は止まることになり、それはとりもなおさず、在日同胞が現在のいびつな状況から解放されないことを意味します。

 私は人間らしく生きたい。自分の民族を隠して生きることはもうしたくないし、自分の子供にも同じような思いはさせたくない。在日同胞の誰一人にもこのような思いはさせたくない。そして何よりも、大国の利益に振り回されて自民族の生きる道を誤るような祖国であってほしくない。そんな民族を誰が誇れると言うのでしょうか?私は自分の民族を大切にしたい。そして、自分の民族に希望をもって生きたい。そのために私のできる事は何なのか?それは、分断の苦痛を少しでも知った私が、統一へと向かう道を仲間とともに一歩でも着実に前に進んでいくことであると信じています。