サイキックが終わる
大阪朝日放送ラジオの日曜深夜「誠のサイキック青年団」が3月29日の放送を持って終了するとのこと。放送開始から20年とのこと。(ナニワの“長寿ラジオ番組”『誠のサイキック青年団』20年の歴史に幕をおろす – ORICON STYLE)
先日のエントリにも書きましたが、あらためて数字で見ると、主要な広告手段の中では、ラジオはネットの半分以下、テレビの10分の1以下で、ラジオにお金がまわっていないのがよくわかります。マス4媒体と言われますが、今だにプロモーションとしてカテゴライズされる交通広告にさえ及びません。
そういう意味では、今まで持ちこたえられたのが不思議なくらいで、大阪の朝日放送や毎日放送、東京のTBSなどのテレビ・ラジオの両方を運営している局はまだしも、ラジオ単体局はますます厳しいのではないでしょうか。存立自体が危うくなってくるような気がします。
このサイキックが終わるというニュースには、2つのことを象徴しているような気がします。ひとつは、深夜ラジオらしいラジオ番組がまたひとつ消えるということ。私の個人的な意見になるけれど、今、深夜ラジオらしいラジオ番組は、東京の「伊集院光 深夜の馬鹿力」と大阪の「誠のサイキック青年団」だけで(最も、私がフォローできるのは東阪だけですが)、そのひとつの深夜ラジオの雄が終わるということは、いよいよ、長く続いて来たラジオ文化のある部分が終わるということなんだな、と思います。
もうひとつは、ああ、20年なのか、ということ。私は大阪のラジオしかわかりませんが、もともと日曜深夜はラジオにとっては解放区でした。つまり、誰も聞かない時間。その時間を文字通り開放したのが、ラジオ大阪「鶴瓶・新野のぬかるみの世界」です。始めの頃は、スポンサーもなく、民放にもかかわらずコマーシャルなしで放送をしていて、放送終了時間も定まっていませんでした。
当時若手芸人だった鶴瓶さんと、年輩の売れっ子放送作家だった新野新さんが、ただただうだ話をするだけのその番組は、受験生などを中心に密かな人気を得て、私なんかもそうですが、ぬかるみを聴く人を「ぬかる民」と呼んだりしていました。サイキックを聴く人を、サイキッカーと呼ぶのと同じです。全国にリスナーがいるのも、サイキックと似ています。
年代的には、ちょうど「ぬかるみ」と入れ替わり「サイキック」が始まり、日曜深夜の定番番組になっていきました。あれから20年。その後が続かなかったんだな、という感慨も少しあります。「ぬかるみ」はその後、長いブランクを経てネットラジオで有料の「nukarumi.com」を始めましたが、聴いた感想では、それはすでにノスタルジーでした。新野さんの健康上の理由ですぐに終わってしまいましたが、収益的に苦しかったのもあったのでしょう。
少しいい話。今、東京の深夜枠はTBSジャンクの一人勝ち。ポッドキャストも人気があるとのこと。伊集院光、爆笑問題、雨上がりなどラジオトーク向きのパーソナリティを揃えていて、収益的にはわかりませんが、番組的には好調。一方のかつての雄だったニッポン放送の「オールナイトニッポン」は人気が低迷。かつては鶴光などのラジオ向きパーソナリティが勢揃いしていたのですが、一時期、人気アーチストばかりがパーソナリティを担当するようになり、リスナーとしては、そのアーチストのファンでもないわけですから、ラジオ番組としては、非常につまらなかった覚えがあります。
オールナイトは、短期的にリスナーが見込める人気アーチスト起用に走り、まさか揺るがないだろうと思われていた深夜枠の主役をTBSに譲ることになってしまいました。オールナイトの熱心なリスナーだった私からみると、この逆転劇は、少し驚きがあります。まさか、なんですよね。
東京の昼枠では、「大竹まこと ゴールデンラジオ」が好調。文化放送は、吉田照美さんを朝に持ってくるなど、朝から昼の枠の編成を大改変をしましたが、大成功しています。こういう話を聞くと、ラジオファンとしてはすごくうれしくなります。
ポッドキャストは、番組中に流れる楽曲とCMの著作権の問題がクリアになれば、まだまだ成長する余地はありそうです。TBSジャンクのポッドキャストの人気がそれを示していますし、やはりトークのプロフェッショナルのコンテンツ力はあなどれないものがあります。それと、ラジオ局各社は、Appleに働きかけて、iPodにAM受信機能をつけてもらったりすればいいんじゃないか、と思うんですよね。AMならアンテナの問題もチープにクリアできそうだし、防災上もいいでしょうし。
TBSと言えば「聞けば見えてくる」という広告コピーが素晴らしかったのですが、でも、やっぱり広告だけでは解決できない問題もたくさんあるように思うんですよね。このコピーは、テレビよりもラジオの方が想像力が働く分、コンテンツとしては豊かですよとメッセージしていますが、それよりも、その素晴らしさをわかっていただくためには、ポッドキャストの著作権問題をクリアしたり、受信できる環境を増やしたりするほうが有効な気がします。良くも悪くも、今はそういう時代なんでしょうね。でも、こういう広告は大事だとも思いますが。
ラジオについて書くときは、私の場合、少し愛の成分が多めになってしまいますね。どう考えてもどん詰まりなんですけど、それでもなんとか踏ん張ってほしいというか。そろそろ新横浜に着きそうです。降車の準備をはじめなきゃですので、本日はこのへんで。
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コメント
おはようございます。乱入者です。
時間帯は朝ですが、毎日放送
「ありがとう浜村純です」
これだけは、彼がなくなるまで
、続けていてほしいです。
なくなる直前まで喋ってほしいなあ。
何せ、この番組、ここ愛媛の
とある町で聞こえるんですよ。
ホンマに。
ではでは。
投稿: 乱入者 | 2009年2月26日 (木) 06:21
こんにちは
ラジオCM制作に携わる身として
今日の話、楽しく読ませて頂きました
確かに年々ラジオCMの制作の本数が減ってきてます
ネットの拡大とこの不況がさらに追い打ちをかけてるようで
マスコミ4媒体の1つと言うのがはばかれるほどの惨状です
これほどCM作るのが楽しい媒体はないんですけどね
セリフと効果音、音楽があれば宇宙にも行けるし、原始時代や未来にも行ける
テレビCMだったらセットだけで莫大な予算が必要です
低予算で大きな世界を作れるんですが・・・、
先日も愛川欽也さんの「キンキンのサンデー・ラジオ」が
メーンスポンサー撤退により突如打ち切りが話題になっていました
でも、このままラジオが終わるようなことになったら
それこそ困る人続出だと思うんですが・・・
タクシーや営業車のドラバー、大工さん、商店主さん、理髪店
小さいオフィスで働く人、目の不自由な方、受験、農業をされてる方
ラジオを楽しみにしてる人はきっと多いはず(私もですが)
ネットと違ってなかなか聞いてる人の数字がはっきりしないのが
残念です・・・
出来ることなら電波法や通信事業法など難しいことが絡むのでしょうが
通常のAMやFMのラジオ放送がネットで聞けたらいいですね
あと、もうちょっとクリアな音声で聞けたら
音質は昭和の時代とまったく変わっていないのも、ちょっとな・・・です。
今、書店で並んでるマガジンハウスのBRUTUSで
「なにしろラジオが好きなもので」と言うラジオの特集してました。
とりとめのないコメントですいません。
投稿: UMESUGI | 2009年2月26日 (木) 13:08
私も一際の思い入れがラジオにはあります。それは、ほとんど受験期に因るものなのですが、当時のお気に入りは菊地成孔さんと大谷能生さんがパーソナリティをなさっていた深夜2時からのTOKYO FMの水曜WANTEDです。実にディープでフリーダムな放送だったのを覚えています。口伝で伝わる隠れキリシタンの御詠歌という貴重な資料音源とEXILEをマッシュアップしてみたり、マイルスの40分くらいの曲を延々と流し、その理由がクリスマスケーキを食べる時間が欲しいから!
ラジオの価値とは、「なんとなく無くなって欲しくないと思う人がいる」というところにあるのではないでしょうか。
今月号のBRUTASでも糸井さんが「なんとなく応援したくなる」と語っています。そういえば、ラジオ局に入りたいという後輩がいて、その理由を聞けば、「ラジオってなんとなくいいじゃないですか」と言っていたこともありました。
この「なんとなく」という所をうまく捉えてノスタルジーでは無く、現代の放送として創ることができれば、ラジオから離れてしまった人の回帰と新しいリスナーの獲得と他媒体との差別化が可能になるのではないでしょうか。
私個人の経験からの「なんとなく」の要素は、「孤独」と「苦悩」と「発見」ですね。
投稿: beardbear | 2009年2月26日 (木) 22:30
>乱入者さん
浜村淳さんは、私の高校時代はOBCの「サタデーバチョン」ですね。ちょっと真面目で青春な感じの深夜番組でした。アシスタントのひさやん、懐かしいです。「ありがとう」は大阪に帰ったとき、今もときどき聞きます。
愛媛は大阪湾のせいか分かりませんが、関西のAMはよく聴こえるようですね。
>UMESUGIさん
ラジオCMは確かに減ってきていますね。特にスポット。で、スポットが減ると長尺も減るという悪循環。おっしゃるように、表現として、ラジオ媒体は魅力的なんですけどね。コピーライターはラジオで育つ、と言いますし。
私自身もラジオCMは思い入れのある仕事が多く、私の「いびき」を使ったこともあったし、どうしても日本語的なフラットな英語がほしくて、私のナレーションを使ったこともありました。そういうお得意も広告代理店もディレクターもごちゃっとしながらひとつのものを作っていく雰囲気は、ラジオCMの現場ならではですよね。
キンキンもそうですし、コサキンも終わるそうですね。広告にかかわるラジオファンとしてはなんとかしたいな、とは思うんですが。BRUTUSの特集は、雨上がりのお二方が熱く語っていました。一広告人でブロガーですが、良くなる方法を探したいです。
>beardbearさん
「なんとなく」というのは、ラジオの本質かもですね。WANTEDの話もそうですが、ラジオにはチープメディアならではの自由がありますよね。だからこそ、そこに人間が見えるというか。マイルスの話、いい話ですね。テレビではあり得ないエピソードですものね。
TBSの安住アナは、どうしてもラジオがやりたかったそうです。そういう若い世代がラジオをやりたいということろにラジオのこれからがあるのかもしれません。マーケティング的には通販や商店街生中継など、いろいろあるのですが、そういう領域ではなく、なんか今のラジオは「なんとなく」という本質に根ざした差別化が必要なような気がします。広告屋なんですけど、それこそ「なんとなく」、これ以上ラジオをマーケティングの道具にすると大変なことになりそうな予感があります。
投稿: mb101bold | 2009年2月26日 (木) 23:36
あ、浜村淳「バチョン」、聴いてました。「想い出は映画とともに」・・・とかいってストーリーほぼ全部しゃべってしまうあれは、映画ブロガーとして反面教師であり究極の許しですね。
ラジオCMは思い入れないですけど、やると面白いです。音の喚起力は素敵です。本気で取り組むチャンスが少ないのが残念です。
ところで私は「サイキック」って言葉が大好きでそれで反応してしまいました。「サイコパス」も好きだな。
投稿: denkihanabi | 2009年2月28日 (土) 03:01
>「想い出は映画とともに」・・・とかいってストーリーほぼ全部しゃべってしまうあれ
そうでしたね。記憶が蘇ってきました。ラジオを聴くと、観た気になってしまいました。まあ、ある意味で「浜村さん映画好きなんだなあ」というのがすごく伝わるコーナーでした。
ラジオ的手法は、テレビで使うと面白いですよ。音をつくりこんで、絵はコピーだけにしてしまうやつ。究極の低予算。今の時代にぴったり(笑)。こんどやりましょ。それとラジオもね。よろしくです。
投稿: mb101bold | 2009年2月28日 (土) 12:17