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きょうのコラム「時鐘」 2010年3月18日
青木新門さんが本紙「いのちの旅」で飛行機の着陸に例えて、ゆっくりと迎える死の大切さを説いていた。ぽっくり死ねたらいいなどという考えの愚かさを教えられた
「ぽっくり寺」と呼ばれる寺があったという。バスでお年寄りが団体参拝するほどの人気だった。ある時、帰りのバスで一人がぽっくり逝った。願いがかなったというべきだが、寺はたちまち参拝客が減った。中には企画者を責める者までいたという(富山新聞・野辺の送り) 確固とした死生観を持つことは難しい。きょうは彼岸の入り。春めく墓地に足を向ける家族も多いだろう。暮らしの中から季節感が消えている。彼岸とともにあった死生観の影も薄くなった。子どもたちに「命」を教えることが難しくなった 核家族化に加えて高齢者医療の発達もある。子どもたちが肉親の死に触れることが少なくなっている。せめてお彼岸には、子どもたちを墓参に連れて行きたい。無理に死を語る必要はない。大人でも身につかない死生観を子どもに教えられるわけがない ゆっくりと流れる人生の「春夏秋冬」を感じてもらえばいい。 |