水俣病和解案 救済の道は見えてきたが

 水俣病未認定患者を救済するための和解協議が大きなヤマ場を迎えた。
 熊本県の「水俣病不知火患者会」が国と熊本県、原因企業のチッソに損害賠償を求めている集団訴訟で、熊本地裁が和解案の大枠となる「所見」を提示した。
 和解案の焦点となっている被害者への一時金支給額は1人当たり210万円とした。熊本地裁は原告、被告双方に次回協議の29日に所見についての諾否を明らかにするよう求めている。
 国と原告は早期和解を目指して協議を重ねてきた。所見については、それぞれ評価を控えているが、受け入れる可能性が高いとされる。救済への道がようやく見えてきたといっていい。
 熊本の和解協議は他の被害者団体の救済策に直結する。新潟地裁に第4次訴訟を起こしている新潟水俣病阿賀野患者会は、熊本地裁の金額提示を評価し、月内にも国との和解協議入りを判断する意向だ。熊本と連携し、早期解決を探ってもらいたい。
 ただ、所見で提示された一時金と療養手当を合わせても、2004年の関西訴訟最高裁判決での賠償額より少ない。被害者からは不十分だとの不満も出ている。
 未認定患者の多くは高齢化しており、一日も早く解決する必要がある。国は地裁の提示額に上乗せした額を示すことを検討すべきだ。
 地裁の所見には、一時金のほかに、救済対象の地域を拡大するなど、国が既に示している新たな基準が盛り込まれている。これで合意がまとまれば、3万人以上とみられる被害者の多くが救済される見込みだ。
 だが、それでも救済認定から外れる人が出るのは間違いない。本県の第3次訴訟の原告は和解には応じず、裁判を続ける方針だ。
 全面解決、全員救済に至らないのは、国がこれまで基準の範囲を小刻みに広げ、早く幕引きを図ろうとしてきたからである。
 国がまず取り組むべきは、被害者が納得できる和解案を速やかに仕上げることである。二つ目は、水俣病の全体像を明確にするために、徹底した健康調査を実施することだ。
 1956年に水俣病が公式確認されて半世紀以上がたつ。公害の原点と言われながら、いまだに被害の全容が分からないというのは異常である。全面解決ができないのは、国が究明責任を果たしていないことに尽きる。
 鳩山由紀夫首相は所見の受け入れについて「全面解決に向けて努力するとの基本方針にのっとって検討したい」と話している。
 いまこそ「基本方針」を実行に移してもらいたい。

新潟日報2010年3月17日

都の性描写規制 あまりに短絡的な発想だ

 漫画やアニメでの子どもに関する性描写を規制しようと、東京都が議会に提出した青少年健全育成条例改正案に漫画家らが危機感を強めている。
 改正案は、漫画などに登場する18歳未満の子どもを「非実在青少年」と定義。この非実在青少年の性行為を描いた作品は青少年に販売しないよう業界に自主規制を求める。
 それだけでなく、性暴力など著しく反社会的な内容のものは不健全図書に指定し、青少年への販売・閲覧を禁ずると規定している。
 都内には多くの出版社が集中している。改正案が通れば、日本全体が縛られることになるのは確実である。見過ごすことはできない。都議会は、一自治体の条例という狭い視野に陥ることなく、全国に及ぼす影響を踏まえて慎重に審議を尽くすべきだ。
 性を描いた漫画やアニメの中には、確かに目を背けたくなるようなものもある。子どもへの悪影響を心配するのも分かる。しかし、有害な作品は囲い込んでしまおうといったやり方には危うさを感じる。
 第一に、憲法が定めている「表現の自由」との関係である。例えば、非実在青少年かどうかを判断する根拠はキャラクターの服装や学年などだが、これでは基準があいまいすぎる。恣意(しい)的な規制を許し、それがなし崩し的に拡大する不安がぬぐえない。
 漫画家や出版関係者の懸念もそこにある。条例改正に反対する記者会見で里中満智子さんは「個人の受け止めの問題。いかようにも解釈し、取り締まることが可能になる」と語っている。まっとうな指摘である。
 旧憲法下では国の方針に反する思想や言論の弾圧が横行した。多くの犠牲を出した先の大戦の遂行には、物言えぬ社会をつくり上げることが不可欠だったともいえる。一見もっともらしい規制が民主主義を脅かす合図になることがあることを忘れてはならない。
 自由で平和な社会の象徴である、多様な表現を条例で抑えつけようという都の手法も短絡的、強権的と言わざるを得ない。インターネットなども含めてさまざまな情報が流通する中で漫画やアニメを標的にすることに、どれほどの実効性があるのか。
 世の中の事象には「清」も「濁」もある。大切なのはそれを分かった上で「濁」に流されない人間を育てることだ。力を入れるべきは、はんらんする性の情報とどう向き合うかを子どもに教えることの方だろう。
 有害だからといって遠ざけ、「臭い物にふた」をすれば、一時的に効果は上がるかもしれない。しかし、そのことが子どもと性をめぐる問題の根本的な解決につながるとは思えない。

新潟日報2010年3月17日