おお、私の兄弟たちよ! いったい人間の未来にとっての最大の危険は、どういう者たちのもとにあるのか? それは善にして義なる者たちのもとにあるのではないか? すなわち「何が善にして義であるかを、われわれはすでに知っており、さらにそれを体得してもいる。このことで今なお探究する者たちに、わざわいあれ!」と口に出し、心に感じている者たちのもとにあるのではないか?(『ツァラトゥストラ』)
これまで人間をおおってきた災いは、苦悩することそのものではなく、苦悩することに意味がないことだった。――そして禁欲的な理想は人間に、ひとつの意味を提供したのである! これが人間の生のこれまでの唯一の意味だった。[・・・]禁欲の理想が人間にこれほど多くのことを意味するということのうちに、人間が意志するものだという根本的な事実が、人間の<真空への恐怖>があらわに示されている。人間の意志は、一つの目標を必要とするものだということ――何も意欲しないよりは虚無を意欲することを望む者だということである。(『道徳の系譜学』)
キリスト教はあらゆるできそこないの人間、暴動を起こしたくてうずうずしている連中、失敗した輩、人類の中の屑やがらくたを、この手で自分のほうに手なずけてきたのである。魂の救いとは、ありていにいえば、「世界は俺を中心にして回っている」ということなのだ。「万人の平等権」という教えのもつ害毒――この毒を徹底的にまき散らしてきたのもキリスト教である。(『反キリスト者』)
道徳はできそこないの者どもがニヒリズムに陥らないように防ぐが、それは道徳が各人に無限の価値を、形而上学的価値を与え、この世の権力や階層とはそぐわない秩序のうちに組み入れることによってである。(『力への意志』)
道徳とは、今日のヨーロッパでは畜群道徳である。(『善悪の彼岸』)ここでニーチェは、「何が善にして義であるかを知っている」と自称して人々を教え、<真空への恐怖>を埋めて救済するキリスト教の教説を、激しく攻撃している。ニーチェがポジティブな哲学者だというのは間違いではないが、それはプラトン以来の「ヨーロッパのニヒリズム」を全面的に否定した果てにたどりついた生の肯定であり、この本に書かれているようなお手軽な処世訓の対極にあるものだ。
人々に「生の意味」を与え、「あなたの年収は10倍になる」などという幻想を売り込む商売は、歴史上さまざまに形を変えて広く続いてきたし、これからも続くだろう。しかしそういう自己啓発を信じるのは無知な「畜群」だ、とニーチェは軽蔑し、彼らを飼い慣らして不幸に甘んじるように教えるキリスト教の欺瞞を攻撃した。それをつまみ食いして「人生を賢く生きる言葉」として紹介した本が売れる日本には、まだ絶望が足りないのだろう。
ニーチェの本質を知りたければ、こういう愚劣な本ではなく、ハイデガーの『ニーチェ』をおすすめする。これは講義録なので読みやすく、後期ハイデガーの代表作でもある。
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コメント一覧
絶望が足りないというご指摘、わたし?の意識?とか呼ばれている奴に、
とても優しく染み渡ったと思います。信じていいんですよね?
まだ混沌ではないのだと。
まだ混沌には先があって、だからこそまだ伝染病にも対抗できるのだと。
真の知識人たちが残してくれた言葉すら!必要ともされない世の中が、
まだ真の絶望ではないのだと。
科学者が科学者の言葉を知らず、歴史を知らず、
信徒が聖人の言葉を知らず、写像の教典の言葉しか知らず、
未だにあらゆる偶像崇拝から脱却できない今の世の中が、
まだ真の絶望ではないのだと。信じます。
>池田先生
について、「ムムッ、これは偽書に近い」なんておっしゃらなくてもいいんじゃないですか? 池田先生は心からニーチェがお好きなのだと思います。

こんなにエネルギーを使って実証しなくても、大体「超訳」なんてタイトルに入ってる本はキワモノに決まってるじゃないですか。超訳「論語」とか超訳「古事記」とか超訳「源氏物語」とか・・・
名翻訳家だった中村保男先生が、私が学生だった頃に「現代翻訳考―超訳・名訳・誤訳を読む」という本を出されました。その中で当時「超訳」とタイトルにつけて売り出していたシドニー・シェルドンの「真夜中は別の顔 (The Other Side of Midnight)」の翻訳本について、「超訳」は翻訳かということを論じて、こんな章立てで書いておられます。超訳の正体、誤訳と書き変え、歪められる原作、行き過ぎの意訳、超訳の難しさ・・・
良心的に「超訳」しても原本から離れてしまうのですから、まして、私の大好きなフーテンの寅さんが縁日で「サー持ってけドロボウ!」といいながら売っているような怪しげな本
秋
大学卒業旅行でウィーン大学のマッハの銅像に出会い涙しました僕は池田さんの大ファンです。
すいません、何べんも書き込んで。
というかキモい
というか・・・

)
↑juko_7さん、大体、マッハなんてPRIDEの桜井マッハだと思ってた私ですから、ウィーンまで行って涙するなんてすごい
先生のファンですなんて告白しないでもいいから、もっとメリハリつけてやりましょうね
日本人の男の子なんだから日本男児なんでしょ!(実はヤマトナデシコだったりして・・・
これだけキリスト教批判を行っても、社会的抹殺をうけすに未だに本が残っていることがすごいと思います。
この本を読む気にはなれませんが、どんな人が買ってるのか興味はありますな
所詮、私もニヒリストなので(笑)
偽りのビートルズ
”ノルウェーの森”は、ビートルズの有名な曲で、村上春樹の同名の小説は、彼の代表作のひとつとなっている。しかしながら、原曲の中には、森についてのコメントはなく、ノルウェー製の家具という訳が、正解らしい。この誤訳、あるいは意訳ないし超訳を心地よく受け入れていた我々は、長年の翻訳文化に浸かっていた己の文化に懐疑の目を向けるべきだろう。基本的に翻訳を生業としてきた、西洋文化に対するおべっか使いが、村上春樹の本質を形作っていると考えているが、21世紀の初頭に、この偏狭の地のくびきを、我々は乗り越えるべきであるし、乗り越えようとしている。
ホントにすいません、何度もでしゃばって・・・

>長年の翻訳文化に浸かっていた己の文化に懐疑の目を向けるべきだろう。
日本の文化の流れは翻訳文化が主流です。というのは日本が圧倒的に強いところが「同化力」だからです。中国の文学でも哲学でも漢字でも、プロイセン型の刑法でもマルクス・レーニン主義でも、スパゲティ・カルボナーラの作り方だって「日本式」に「翻案」して同化してしまう力があります。これは日本の極めてユニークな特徴です。人間も、これだけ何千年に渡って中国人、朝鮮人、南方のマレー系、北方のツングース系などが流れ込んでいながら、全部がいつの間にか『日本人』になってしまうのは日本の持つ不思議な力です。
従って翻訳文化に懐疑の目を向けるのは結構ですが、それがケチな「愛国心」や「大和魂」と結びついて、狭い意味の国粋主義に至るのでしたら、それは日本の持つ力を削いでしまうことに他なりません。「己の文化に懐疑の目を」という主張は、第二次大戦中に野球のバッターボックスを無理やり「打者箱」と言わせた「言葉狩り」と「低次元の愛国主義」に向かっていくものと危惧します。
秋
一応厳密の定義で行くと、ニーチェいわく「ルサンチマン」による価値転倒や弱者の復讐心によって生じた勝敗のルール変更こそ、キリスト教的道徳の根幹にあるのであって、でも自己啓発は一応価値変更・ルール変更によって自尊心を勝ち取るのではなく、現実の世界で成功を勝ち取ることによって自尊心を得ることを目指すどちらかといったら「貴族的精神」になります。まあ、あーいうの読んでる人がどれだけ実際に成功していくかか疑問ですけど。つまりニーチェが言ったキリスト教的奴隷的精神と今の自己啓発の人らが大事にしているものは違います。池田さんはかなり大雑把なところで共通と括ってしまっていると思います。
ニヒリズムを超越した、デュオニュソス的ペシミスト(超人思想)の重要性(シェイクスピアのマクベスにでてくるマクダフのような)を説いたのかなと捉えてます。
漢字文化と黄砂
漢字文化の恩恵は、計り知れないものがあるけれど、新しい文化の創造のとば口に立つと自覚できるなら、大和言葉と、大和心の復権を構想する気概を持てと言い放つのも自由だろう。過去に立ち返るのではなく、国境の厚い壁が打ち崩されつつある今日より、未来に抜けて、己の文化に対して、再考を加えるのも、必要だろう。今日の黄砂は、環境汚染物質をはるばると運んできて厄介だが、有史以前から、日本の土壌に、豊かさを運んできた恩恵を忘れてはならないだろう。
大和心を人問わば、晴れ日に漂う黄砂のみかな・・・・・・。