日本人の99%は病院で生まれ、83%は病院で亡くなる(06年度、診療所を含む)。
「病院生まれ」は誕生日まで激変させた。12月31日~1月3日、8月14~17日生まれは絶滅に近い。お正月やお盆には産ませてくれないからだ。
1951年、「自宅死」は総死亡者数の83%を占めたが、半世紀余で「病院死」と完全に入れ替わった。自宅で肉親や知人に囲まれ、逝く光景も絶滅寸前にある。
お産はともかく、みとりを病院に押し付けたままではすまない。高齢化で年間の死亡者数は現在の110万人台から25年後には160万人台へ急増していく。「病院頼み」を続けるなら新築・増築するほかないが、むしろ病院とベッド数は削減されつつある。
それ以前に介護の場をいったい、どう確保するのか。寝たきりや認知症は20年後には約780万人に達する(厚生労働省推計)。この介護もまた「施設頼み」で、代表的な特別養護老人ホームは定員に匹敵する約42万人もが入所をひたすら待ち続ける。
この国の21世紀前半は、少子化と長命化があいまって進む超高齢化に対峙(たいじ)する、世界史上初の「実験の場」となる。
もう一度、近未来図を確認しておこう。
05年(国勢調査時)を起点に35年へ、今から25年後に総人口は約1700万人減の1億1068万人にやせ細る。
年齢構成の変形もすさまじい。現役世代(15~64歳)は約2150万人減り、引退世代(65歳以上)は約1150万人増える(国立社会保障・人口問題研究所の中位推計、以下も同じ)。
市町村ごとに細見すると、5000人未満の自治体が総数(1805)の12.6%から20.4%へ。内陸部にも人口数百人の“極小自治体”が点在していく。65歳以上の人口割合を示す高齢化率が40%超の自治体は51(総数の2.8%)から753(同41.7%)に跳ね上がる。高齢化率50%超になると「限界集落」と呼ばれるが、町村ぐるみ50%以上の「限界自治体」も全国132を数えるに至る。
社会保障制度の危機どころか、社会と地域の命運が問われる事態だ。しかし、悲観も絶望も無用である。何よりも世界最高レベルの長命は誇らしい。ただし、長生きをことほげる「長寿」でありたい。
過度に病院や施設に頼らない介護とみとりの多彩なメニューを用意したい。自宅または自宅に近い環境の高齢者仕様の共同住宅、ケア付き住宅、グループホーム等に地域から介護と医療を出前サービスすればよい。引退世代が集中する市町村運営の国民健康保険は県単位に、介護保険も市町村間で広域連合化してリスク分散を図る。逆に医療、介護のサービスは小、中学校区単位できめ細かなネットワークを作る。北欧諸国はすでにその体制を確立しつつある。
当然ながら人手がいる。高齢者が望めば働き続けられ、女性たちが子育てしながら働ける社会づくりを急ごう。
ほとんど知られていないが、年金制度は、将来的に60~64歳の男子労働力率を96.6%、30~34歳の女子労働力率も78.7%と見込み、制度安定の条件の一つにする。
60歳代前半では病人以外は働け、子育て世代の女性たちも大半は働け、というに等しい。腹を立てるより、その実現を政府、行政、企業に迫る方が建設的だ。
もちろん最大の解決策は、出生率の向上である。「少子化対策」などというケチな発想ではなく、子どもを産み・育てたい、と思える環境や条件を整えることだ。
その意味で鳩山政権の「子ども手当」は画期的ではある。介護と同様に子育ても社会で支える。それも高校・職業訓練校・大学まで広げたい。
フランスでは子どもが3人生まれると生活が楽になるほど各種の手当をばらまき、文房具費まで支給する。スウェーデンは保育園から大学まで無料化している。いずれも出生率の回復はめざましい。
彼我の違いは何か。
極論すれば、安心できる社会、納得できるサービスのため、それに応じて国民・企業・団体が負担をするかどうかの違いだ。
税という字のノギ偏は稲が実ってこうべを垂れる象形文字で、旁(つくり)は引き抜く意味という。「ピンはね」される恨みがこもる。英語で税金はTAXだが、会費という意味もある。公的な保険制度の負担も英語ではCONTRIBUTION(貢献)と表記され、それに応じBENEFIT(給付)を得る。
4億円をタンス預金していた、12億円余を仕送りされながら知らなかった、という“政治”にはあきれ果てる。不祥事・無駄遣いの相次ぐ“行政”にもウンザリする。
しかし、世直しのカギは、「会費」や「貢献」によって暮らしと人生を支える国と国民の、自治体と住民の関係をつくれるかどうかだ。(元論説室、目白大学教授、NPO「福祉フォーラム・ジャパン」会長)
毎日新聞 2010年3月17日 0時07分