行政・くらし
大きな大きな額に入った単色の写真を掲げ、目を輝かせる。「ここが広電の線路で、こっちが2号線。埋め立てはまだですね」と、広島市西区草津新町の会社員・中田晴規さん(45)。言葉に熱がこもる。額の裏には、「昭和46年、草津病院から」。いまと違い、三角屋根の民家が多い。
実はこの写真。水産業を営んでいた父親(74)が持っていた。事務所に飾っていたという。ほかには、特に飾ってなかった。海の恩恵を受ける者として広く草津の海を写した一枚だけに、特別だったのかもしれない。「父は特に写真が趣味ではなかった」と晴規さん。知人から譲り受けたものらしい。
「きっと灯台公園(西部埋立第7公園の愛称)の灯台もあるはず」と写真の中を探す。ここの店はいまもある、この辺りはアルパーク北棟など楽しそうだ。「事務所に飾っていた時は、ありがたみに気付かなかった」と。それでも、「貸してほしい」と言う人もいた。父からは写真について何も聞かされていなかったが、いま、大切に、抱える。