高木マニア堂

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098:ジャイアント馬場 Goes to Hollywood!

ノンセクション2010年03月16日 09:00 | フォルダ : マニア堂

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<2008年1月=東スポ・プロレス格闘技サイト「プロレスマニア堂」より>

 東京スポーツが創刊されたのは1960(昭和35)年の4月1日のこと。本紙独特の日付カウントからいくと「昭和35年4月2日付」の新聞が創刊号となる。

 記念すべき創刊号のプロレス面を飾るのは、もちろん力道山。だが野球面のトップ記事には何と巨人軍をクビになり、浪人中だった馬場正平元投手が登場している。この時点で、すでにプロレス転向は噂されており「巨人を呪う大男・馬場元投手~プロレス転向の噂さ(原文ママ)も」なる見出しがつく。

 内容は巨人軍の冷遇ぶりに腐りまくる馬場さんの怒り告発。昭和33年のイースタンリーグで11勝2敗という成績を挙げながら、なぜか一軍昇格はならず、それどころか巨人軍から解雇されてしまったのだから、そりゃグチの一つも言いたくもなるだろう。

「期待の新人だったが 巨人の冷遇にくさる」「もうスポーツは沢山と語る本人」「報いられない“熱意” 飲めなかった酒もあびるほど飲む」などの見出しが並ぶ。

 この時期、川崎市新丸子のアパートの四畳半でひっそりと過ごしていた馬場さんは「いろいろ世間じゃプロレスとか拳闘とか噂しているようですが、そんなの全然デマです。そりゃ誘いの話はありましたが…(中略)野球ですか? それはね、もちろん野球をやらせてくれるところがあったらいきますよ。でもいまのボクは野球に関することすべてがイヤになりました。だからスポーツに関する新聞もテレビもラジオもいっさい見もしなければ聞きもしない。また話したくもないんです」と語っている。

 この記事から、わずか10日後に馬場さんはプロレスに転向するのだが、この時点では、驚くべきことに芸能界進出への野望まで明かしている。

「二年ぐらい前ですが、日本でロケした日米合作映画“八月十五夜の茶屋”に出演の話があったんです。でもそのころはまだ野球というものに全心(原文ママ)をかたむけていたころですから“冗談いうな”とことわってしまったんです。でもいま考えると惜しいことしたと思っていますよ。それから歌も少しなら歌えるんですけど…」

 占領下の沖縄を舞台とした米国映画「八月十五夜の月」(ダニエル・マン監督=1956年・MGM)の主演はマーロン・ブランド。馬場さんと後のゴッドファーザーの共演、ぜひ見たかったモノだ。

 数年後「“東洋の巨人”ショーヘイ・ババ」として全米マットを席巻する馬場さんだが、もしかすると異色のハリウッド俳優に転身していた可能性もあったのだ。

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高木圭介のプロフィル 昭和44(1969)年6月4日、神奈川県川崎市生まれ。かつてジャイアント馬場さんも暮らした新丸子の街
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