Evangelion Remember14

Act.28 GAMBARE!


 

 

 エヴァンゲリオン五号機を乗っ取った、使徒『バルディエル』は、エヴァ壱号機によって殲滅。

 戦闘終了後、弐号機専属パイロット、惣流アスカの発狂が確認される。

 同日、セカンド・チルドレンの登録抹消。

 エヴァンゲリオン弐号機、無期限凍結処分。

 

***

 

 翌日。ネルフ中央病院。

 

 「う、うーーん……」

 霧島マナは、気だるげに目を開けた。

 マナの目に、白い天井が映る。

 「ここは……?」

 まだ、頭がはっきりしない。でも、何かおかしい。

 「えっと……」

 ゆっくりとベッドから起き上がり、額を押さえる。

 ザラッ!

 「あっ……」

 マナは違和感の正体に気づいた。左眼に包帯が巻かれているのだ。

 「何で……?」

 首を振って、ようやくマナの意識はハッキリしてくる。

 「ここ、病院よね……。どうして、私、ここに……?」

 と、呟いた瞬間、急激にマナの記憶は覚醒した。

 エヴァ五号機によって左眼を貫かれた時の衝撃を思い出したのだ。

 「くうううううううう!!」

 それを思い出した瞬間、急激に左眼に激痛が走った。

 ――しかし、それは、生きている証でもあるのだ。

 

 病室は、モニターされていたのだろう。

 マナが意識を取り戻してから5分とたたないうちに、医師と看護婦が病室にやってくる。

 検査を受け、ようやく落ち着いた頃を見計らったように、保護者である加持リョウジが顔を見せた。

 

 「――マナちゃん、気がついたようだな」

 と、笑いかける加持を見て、マナは心からホッとした。

 「ウン」

 「よかったよ……」

 頷く加持の目は潤んでいるようにも見える加持の優しさが胸に染みて、マナは視線を落とした。

 「ウン……」

 ――しばしの沈黙。

 ややあって、マナは、思い出したように口を開いた。

 「ねぇ、リョウジさん。使徒はどうなったの? 倒したの?」

 「――ああ」

 「そうか……。アスカが倒したのね……」

 「いや、違う」

 「違うの? じゃあまさか、鈴原君が……」

 「倒したのは、シンジ君だ」

 「シンジ君? え、でも、シンジ君は出撃していなかったはずよ」

 表情を暗くした加持を見て、マナは不安になった。

 「何かあったの!」

 「今は、傷に触るから、後にしよう」

 「何もわからないほうが、悪いわよ! ねぇ、話してよ、リョウジさん」

 「マナちゃん……」

 「レイちゃんの時だって、何も話してくれなかったじゃない!

 隠し事はやめてよ! 私達、家族でしょ! リョウジさん!!」

 

 ――加持が立ち去った後、マナは、シーツをギュッと握り締めていた。

 「……そんな事って。そんなはずない……そんなはず……。

 アスカが……」

 

***

 

 翌日の早朝。第三新東京市のとあるマンションの駐車場。

 

 「さてと……」

 エリカは、重い足取りで愛車MR2のところに向かった。

 学校に出てこないエヴァ・パイロット。そんな彼らに対する生徒達の反発。排除の論理。

 未だ、エリカはその問題を解決出来ないでいる。

 無論、アスカの机の落書きやらカッターで切り刻まれていた事に関して、エリカは生徒達に詰問した。が、当然の事ながら、犯人が名乗り出るはずもない。

 

 「ふう……」

 エリカは、傷つけられたMR2のフロントボンネットを見てため息を漏らした。

 これは、エリカが生徒達に詰問した日の放課後にやられたものだ。エリカがアスカ達を贔屓しているとの反発からだろう。

 14才。微妙な年頃の生徒達にどう接したらいいのか、22才のエリカにはわからなかった。

 「結局、問題を先送りしてるだけなのね……。私って、教師に向いてないのかな……」

 

 同僚教師に相談しても、鼻でバカにされるだけ。

 エリカは、ネルフに務めている大学の同級生達に、携帯で愚痴をこぼす毎日であった。

 以前、葛城ミサトに、愚痴をこぼす相手くらいしてあげるわよと言われたが、あまり親しい相手でもないし、なんと言っても受け持ちの生徒の保護者なのだから、簡単に出来るものではない。

 ただ、エリカが彼女達に電話をかけるのは、愚痴の相手をしてもらうためだけではなく、アスカ以下の学校に出て来ない子供達の様子を尋ねるためでもあったのだ。

 一昨日、昨日の2日間、第三新東京市に避難勧告が出された。当然、使徒と呼ばれる怪獣が襲来して、アスカら子供達がエヴァンゲリオンでこれを迎撃したのだろう。

 避難勧告が解かれた事で、使徒が殲滅されたであろう事はわかる。

 エリカは、そろそろ後始末が一段落した頃と思い、昨晩、電話をかけてみたのだが……。

 

 「どういう事なんだろうな……」

 MR2に乗り込んで、キーを差し込んだまま、エリカは考え込んだ。

 子供達に怪我はなかったのかと尋ねるエリカに、彼女達は要領を得る答えをしてくれなかった。

 ネルフの上層部から、緘口令がひかれているのかとも思ったが、それも少し違うような気がする。

 彼女達の口調は、何か、泣き出したいのをこらえて話しているようにも思えた。

 「胸がもやもやするわ……」

 エリカは、ふと携帯電話に目をむけた。

 「思い切って、葛城さんに聞いてみようかな……。いつでも、携帯に電話していいって言ったし」

 携帯を取ると同時に、着メロが鳴り出したので、エリカは驚いて落としそうになる。

 「キャッ!?

 だ、誰かしら? もしもし……」

 <……>

 「ん……。もしもーし!」

 <……>

 (これって、無言電話ぁ!)

 「ちょっと、悪戯なら……」

 エリカは、顔を強張らせて言いかけたが、

 <……エリカ先生……>

 との、暗い女性の呼びかけを聞いて、片眉をピクンっとあげた。

 (この声は、確か……)

 「あ、あの、もしかして葛城さん……ですか……?」

 <……そうよ……>

 (な、何。随分暗い雰囲気……。どうしたのよ、一体……?)

 「ど、どうしたんですか?」

 <アスカが……>

 「惣流さん……? 惣流さんが、どうしたんですか?」

 <アスカが……。アスカがぁーー!!>

 「ちょ、ちょっと、葛城さん!」

 いきなり泣き叫び始めたミサトに、エリカは困惑してしまった。

 (こ、これって、どういう事よ? あの子達といい葛城さんといい……。

 ま、まさか!)

 「あ、あの……まさか、アスカさんが……」

 そこまで言ってエリカは口篭もる。これ以上は言いたくない。だが、聞かなくてはいけないとエリカは自分自身を奮い立たせて口を開いた。

 「アスカさんが、エヴァの戦いで……。せ、戦死……?」

 <戦死ぃーー!! 何て事を言うのよアンタはぁーー!! アスカが死ぬはずないじゃない!!>

 「キャッ!」

 ミサトの怒声に、エリカは悲鳴をあげて、耳から携帯を離す。

 「か、考えすぎだったか……」

 尚もミサトが意味不明の事を叫んでいるので、落ち着くまで待とうと、エリカは携帯を耳から遠ざけたままにした。

 ――どうやら言いたい事を言って、ミサトは少し落ち着いたようだ。

 改めてエリカは、携帯に口を寄せた。

 「――あ、あの、葛城さん。アスカさんはどうしたんですか?」

 <アスカ……。アスカは……>

 

 ――エリカは携帯を見つめたまま、呆然と呟いた。

 「……そんな事って。

 最悪じゃないけど……。最悪の結果じゃないけど……」

 MR2のシートにもたれて、エリカは上を見上げる。

 「……私、今まで、何をやっていたんだろう……」

 

***

 

 ピッ。

 ミサトは、携帯を切ると、無造作に放り投げた。

 「……フフフ。愚痴の相手をしてあげるって言った私が、あの子に愚痴を言ってるようじゃ仕方ないわよね……」

 ミサトは自虐的な笑みを浮かべ、辺りを見回す。

 ビールの空き缶とウイスキーの空き瓶に大きなごみ袋。

 それが、山のように積まれ、足の踏み場もない部屋の中。

 アスカもシンジもいなくなった、今の葛城家リビング。

 体育座りをしたミサトは、膝に顔を埋めた。

 「……一人になっちゃった……」

 「クワ……」

 そんなミサトの様子を、ペンペンが冷蔵庫の隅から覗いている。

 「ん……。ペンペーン、おいで……」

 と、ミサトが右手を差し出した瞬間、ペンペンは慌てて冷蔵庫の中に入ってしまう。

 「ペンペンにも、見捨てられたか……。無理もないわよねぇ……。あの子、私より、アスカになついていたもんねぇ……。

 そのアスカを……」

 

 『ミサトさん、シンジを追い出したじゃない!! シンジを捨てたじゃない!! アタシは嫌!! 捨てられるのは嫌ぁーー!!』

 『あ、ああ!!

 痛いよ痛いよ痛いよ痛いよ痛いよ痛いよ痛いよ痛いよ痛いよ痛いよ痛いよ痛いよ痛いよ痛いよ痛いよ痛いよ!!』

 『助けて、助けて!

 お父さぁーーん!!』

 

 「クゥゥゥゥゥ……」

 あの時のアスカの言葉が、ミサトの脳裏から離れない。

 アスカが助けを求めたのは、自分ではなくゲンドウ。

 「結局、アスカの母親にはなれなかった……」

 ミサトはわかってしまった。最後の最後に、自分はアスカに拒絶されたのだ……と。

 

 「――いい加減、本部に行かなくちゃマズイかな……。

 フフフ……。もういいかぁ……ネルフなんて……」

 

 ミサトがネルフにいる理由の根本には、セカンド・インパクトで命を落とした父のあだ討ちという気持ちがあった。

 ミサトから大事なもの。家族を奪った使徒への復讐である。

 しかし……。

 ミサトは自分自身の手で、新たな家族、アスカとシンジを見捨ててしまった。

 いや、見捨てられたのはミサトかもしれない……。

 

 プルルルルルルルルルルル!!

 

 先程から、何回も電話が鳴っているが、ミサトは取るつもりはなかった。

 「どうせ、リツコでしょ……。

 もう、どうなったっていい……。ネルフも私も……」

 

 プルルルルルルルルルルル!!

 

***

 

 ネルフ本部内、赤木リツコの研究室。

 

 カチャッ!

 受話器を下ろしながら、リツコはため息混じりに口を開いた。

 「ミサト、やっぱり出ないわね……。

 無理もないわね……。アスカちゃんが、あんな事になっちゃえば……」

 

***

 

 同時刻。本部の中にある自動販売機のコーナーでは、青葉シゲルと日向マコトと伊吹マヤの3人が、缶ジュースを手持ち無沙汰に弄びながら、押し黙っていた。

 「なんか、だれているな……」

 「ああ。出勤してきている職員も、心ここにあらずというか……」

 「アスカちゃん……」

 

 「――マコト。葛城さん、出て来てないみたいだな……」

 「無理もないさ……。アスカちゃんがあんな事になったんだ……」

 瞬間、マヤが叫んだ。

 「シンジ君が、もっと早く出撃していたら!」

 「よせ! それを言うなら俺達は、傷ついていくアスカちゃんを何もしないで黙って見ていただけなんだぞ!!」

 青葉の叱責に、マヤは身体を震わせて視線を膝元に落とした。

 「誰もせいでもない……」

 「ああ。僕たち、みんなの責任さ……」

 「……何で、こんな事になるまで、私達は……」

 

***

 

 弐号機ケイジでは、整備班の人間が呆然と、弐号機の姿を見つめていた。

 彼らの誇りであった、エヴァンゲリオン弐号機。

 今は、装甲のあちこちがもぎ取られ、腹部からは腸のようなものがはみ出しているといった無残な姿を晒している。

 

 「――これが、エヴァ弐号機……」

 整備班長が、言葉少なげに呟いた。

 「セカンドのお嬢ちゃん……。何でこんなになるまで……」

 

 ここにいる整備班の人間は、戦闘終了後に、エントリープラグから引きずり出されたアスカを目撃している。

 いつも笑顔で整備班の人間に挨拶をする、元気な赤毛のお嬢ちゃん、惣流アスカ。

 そんなアスカは、整備班の誰からも愛されていた。

 だが、エントリープラグから出された時のアスカは……。

 

 「俺達、何のためにここにいるんだ……?」

 

***

 

 そう。今、ネルフ本部全体が、虚脱状態に陥っている。

 確かに、エヴァ五号機を乗っ取った使徒は殲滅した。しかし、その代償があまりにも大きすぎたのだ。

 

 元気な惣流アスカを失ってしまった……。

 

***

 

 同日、お昼近く。

 マナと鈴原トウジは、ネルフ中央病院の廊下を肩を並べて歩いていた。

 アスカに会うために……。

 

 「――鈴原君、具合はどう?」

 マナは、松葉杖をついたトウジを見やりながら問い掛けた。するとトウジは、微笑を浮かべ、

 「どうって事あらへん。一時的なものやさかい。すぐ、ようなるわ」

 と、無造作に答えた。

 「そういう霧島こそ、どうなんや、その左眼は?」

 トウジが、左眼に包帯を巻いたマナの顔を見て、心配そうに問い掛けてくる。

 マナは、先程のトウジ同様、

 「大丈夫よ。すぐによくなるわ」

 と、微笑しながら答えた。

 

 バルディエル戦に置いて、エヴァ3号機の左足が切断された時の衝撃がフィードバックした事により、現在、トウジの左足は一時的な麻痺状態にある。

 また、マナも、左眼を貫かれた時の衝撃がフィードバックした事によって、一時的な失明状態に陥っていた。

 だが、シンクロ率が低かった事が幸いし、それは、時間がたてば治るだろう。

 しかし、アスカは……。

 

 「惣流は、どないなったんや……?」

 「ウン……」

 マナは答えられない。確かに、加持からアスカの事は聞かされた。

 しかし、信じたくなかった。

 信じたくなかったのだが……。

 

 その時、マナとトウジの脳裏に、シンジに会った時の事が浮かぶ。

 出撃していなかったはずのシンジが使徒を倒した事を聞かされて、トウジは疑問と不安を感じ、マナと共に、つい先程、シンジに会ったのだ。

 しかし……。

 

 「シンジ、目が死んどった……」

 「ウン……。使徒を倒した英雄のはずなのに……」

 シンジの様子は、アスカに起こった事を証明している。

 

 それでも、最後の希望を持って、マナとトウジは、アスカの病室に向かった。

 しかし……。

 

 ――303病室。患者「惣流アスカ」――。

 

 アスカはいた。

 白いベッドに上半身を起こして、窓を見ている。

 

 「アスカ……」

 「惣流……」

 

 「――ふわ」

 アスカが振り向く。

 

 「あぁ……!」

 「ア、ス、カ……?」

 マナとトウジは、信じられなかった。

 あれが、アスカ。惣流アスカ……。

 聡明な瞳は白く濁り、引き締まった口元はだらしなく緩み涎を垂らしている。

 「フニャ……」

 「アスカ……。アスカァーー!!」

 マナは、アスカの膝に縋って号泣した。

 マナの脳裏に浮かぶのは、深い悔恨の想い。シンジとの事で、口を聞かなかった事の後悔。

 更衣室で鉢合わせになった時、何も言わずに別れた事が悔やまれてならない。

 「ふわぁ……」

 アスカはマナの事など興味なげに、再び窓に視線を向ける。

 そんな2人の様子を見て、トウジは、一回右拳を握り締めて、再び開き、手の平を見つめた。

 「わしら、惣流の盾にもなれへんかったんか……」

 無力感――。

 

 病室から一歩出た瞬間、マナはトウジの背中に顔を押し付けて嗚咽する。

 「何でよぉ……。

 何で、私たちばっかり、こんな目に……」

 「……」

 トウジは無言のまま、天井を見上げていた。

 

 ややあって、マナはトウジから身体を離し、口を開いた。

 「鈴原君。学校に行こう……」

 「何やて……」

 「許せない……。許せないのよ!

 アスカや私達をこんな目に合わせてのうのうとしてる学校のみんなが!!」

 「……」

 マナの言っている事は、冷静に考えれば、八つ当たり以外の何物でもないとトウジは思う。

 しかし……。

 「せやな……。一言でも言ってやらにゃ、気が済まへんしな……」

 トウジは拳を握り締めた。

 

***

 

 再び葛城家リビング。

 「――?」

 人の気配を感じ、ミサトは気だるげに顔を上げた。

 「誰……?」

 「ひどいもんだな……」

 「加持……」

 葛城家リビングを見渡して、呆れたように呟く加持から、ミサトは視線を外す。

 「加持。勝手に入って来ないでよ」

 「だったら、鍵くらいかけとけ、葛城」

 「フン……。何しに来たの?」

 「本部に来るんだ、葛城……」

 「……」

 「お前は、作戦部長なんだぞ」

 「そんなもん、なんだってぇのよ……。

 子供を……アスカを犠牲にしたような組織の作戦部長なんか……」

 「葛城!」

 怒声を発すると、加持はミサトを強引に立ち上がらせた。

 「痛いじゃない……」

 「いい加減にしろ! お前は、アスカちゃんとシンジ君の保護者でもあるんだぞ!!

 あの2人を放っておくつもりか!!」

 「……わ、私は、保護者失格だから」

 「勝手に決め付けるな! そうやって、アスカちゃんからもシンジ君からも逃げ出すつもりか!!」

 「加持……」

 「今、アスカちゃんとシンジ君はボロボロなんだぞ!

 彼らを救えるのは、お前しかいないんだ!!」

 「で、でも……」

 「アスカちゃんとシンジ君を、独りぼっちにしてもいいのか!!

 「わ、私は……」

 「まだまにあうんだ! あきらめたらお終いなんだ! 行くんだ、葛城――!!」

 

 「やれやれ……。世話の焼ける奴だな……」

 本部へと向かったミサトを見送って、加持はやや頬を赤くしながら呟く。

 「ま、俺も、青っ白いガキじゃあるまいし、らしくない事ばっかり言っちまったがな……」

 

***

 

 壱中、2−A教室。

 今日の授業も終わり、後はホームルームを残すのみである。

 ヒカリは、学校に出て来ないアスカとレイとシンジ。そしてマナとトウジの机を見回した。

 (みんな……。どうしているんだろう……)

 アスカ達が学校に来なくなってから、2度、避難勧告が出された。

 それは、アスカ達が、2回の戦闘を行った事を証明している。

 以前なら、避難勧告が解除された翌日に、アスカ達の元気な姿を見る事が出来た。

 だが、クラスメートとのトラブルでアスカ達が不登校するようになった結果、彼女達の安否はわからない。

 心配だ……。

 だが、ヒカリには、彼女達の家に行く勇気も電話をかける勇気もなかった。

 このまま、アスカ達との関係が終わってしまうのかと思うと、やり切れなくなる。

 一歩踏み出せればとも思う。

 しかし、その一歩が難しいのだ。

 (臆病なだけかもしれない……。私は……)

 と、自嘲気味にヒカリは思った。

 

 そんなヒカリを、ケンスケは、痛々しげに見つめていた。

 (委員長、元気がないな……。

 ――いや、委員長だけじゃないか)

 と、ケンスケは、クラスの中を見回し、ため息を漏らした。

 

 アスカ達が学校に来なくなって、2年A組からは、活気というものが失われていた。

 今、アスカの机の上には、菊の花が生けられた花瓶が置いてある。

 アスカが学校に来なくなった翌日、誰かが、冗談半分で置いたものだ。

 しかし……。

 その後の2度の避難勧告は、アスカ達が使徒と2度戦ったという事の証明。

 それは、アスカ達がいつも死と隣り合わせだという事実を、クラスメート達に突きつけた。

 死者に捧げる菊の花は、あまりにも現実味がありすぎたのだ。

 

 いまだ、アスカを始めとするエヴァ・パイロット達は登校して来ない。

 果たして、登校しないだけなのか? それとも、登校したくても出来ないのか?

 

***

 

 ガラッ!

 唐突に、教室の扉が開かれた。

 担任のエリカかと視線を向けた生徒達の目に映ったのは……。

 松葉杖をついたトウジと、左眼に包帯を巻いたマナの姿であった。

 

 「――トウジ。霧島」

 「マナ。鈴原君」

 

 静まり返る、2−A教室。

 

 構わずに、マナとトウジは、つかつかと、アスカの机の前に行った。

 そして、アスカの机の上に菊の花瓶が置いてあるのを見るなり、

 「何なのよ、これは!」

 と、マナは、荒々しく花瓶を蹴り飛ばす。

 

 「きゃあ!」

 女子生徒の悲鳴に構わず、マナは教室中を睨みまわした。

 「どうして、アスカの机に菊の花瓶なんか置くのよ!!

 どうして、誰も片付けようとはしないのよ!!」

 

 返事は無い……。

 

 「よさんか、霧島……」

 と、マナの肩を、トウジが叩いた。

 「言ってわかるような連中ちゃうわ……。綾波やシンジ……。それに惣流がどうなったかも知らんと……」

 

 「「――!!」」

 トウジの呟きを聞いた瞬間、クラス中に声にならない衝撃が走った。

 

 「ほんま、しょうもない……」

 刹那、トウジは近くにいた男子生徒に、鉄拳を見舞う。

 「ガッ!!」

 鼻を押さえて蹲る男子生徒に構わず、トウジは拳を突き上げながら、独り言のように呟いた。

 「せやから、こいつで思い知ってもらうほか、あらへんな……」

 「そうよね」

 マナとトウジは、据わった目つきで、教室中を見渡す。

 教室に居合わせた生徒達は、硬直したように動かない。

 

 松葉杖をついたトウジと、左眼に包帯を巻いているマナに、異様な威圧感を感じているのだが、それだけではない。

 先ほどの、『綾波やシンジ……。それに惣流がどうなったかも知らんと……』と、いうトウジのセリフ。

 このセリフによって、2−Aにい合わせた生徒たちの全員が、最悪の結果を感じ取ったのだ。

 

 「ほな……」

 「ウン……」

 

 トウジとマナは、ゆっくりと歩き出した。

 そして、事前に決めたわけではないが、トウジは男子生徒に鉄拳を。マナは女子生徒に平手打ちを見舞い始める。

 

***

 

 「はぁ……」

 エリカはため息を漏らしながら、廊下を歩いていた。

 朝、ミサトから知らされた、アスカに起こった事を、生徒達に話すべきか否か、エリカは迷っていたのだ。

 「今更かなぁ……」

 考え込むうちに、いつのまにかエリカは、教室の近くに来ていた。

 すると、教室の方から、何やら妙な音が聞こえてくる。

 何かを叩いているような音。

 「何、この音?」

 と、エリカは顔を顰めた。

 (でも、おかしいわね……。生徒達の声がしないのはどういう事なの……?)

 胸騒ぎを感じながら、エリカは教室の扉を開く。

 そして、教室の中で繰り広げられている光景に絶句した。

 

 それは奇妙な光景であった――。

 黙ってクラスメート達を殴っていく、マナとトウジ。

 そして、抵抗もしなければ叫び声もあげず逃げようともしない生徒達。

 

 「こ、これって……?」

 エリカは呆然とした。

 

 止めなくてはいけない事に気づくのに、エリカはしばしの時を要したが、それでも、ゆっくりとマナの背後に歩み寄って、平手打ちをしようとする彼女の右手首を掴む。

 「やめなさい……」

 と、エリカは静かにマナに語りかけた。

 「……」

 無言で振り向くマナの表情は、狂気に歪んでいる。

 「今更……」

 「霧島さん……」

 「今更、何にもしなかったくせに偉そうな事言わないでよ!!」

 叫ぶなりマナは、まったく力を加減せず、エリカに強烈な平手打ちをした。

 それを何回も何回も繰り返す。

 エリカの頬は腫れ上がり、口から血が滲む。

 だが、エリカは恐怖も痛みも感じていなかった。

 ただ、マナが痛ましいと思っただけだ。何が彼女をここまで追い詰めたのか。それに対して、今まで自分は何をしてきたのか。

 その想いからエリカは、マナの平手打ちを黙って受けているのだ。

 

 「霧島……。エリカ先生……」

 トウジは、男子生徒を殴るのをやめて、呆然とその光景に見入っていた。

 トウジだけではない。教室中の全員が、言葉を失っている。

 

 「あ、ああ……」

 ヒカリは顔面を蒼白にして、呆然としていたが、

 「や、やめてぇーー!!」

 と、発作的にマナの背中に抱きついた。

 そんなヒカリに、エリカは黙って首を振ってみせる。

 「エ、エリカ先生……」

 「洞木さん……。いいのよ……」

 「で、でも!」

 と、ヒカリが尚も言い募ろうとした瞬間、マナがゆっくりと口を開いた。

 「ヒカリ……。私と一緒に来て」

 「えっ?」

 マナの言葉に、ヒカリは驚いたように目を丸くする。

 「マナ……?」

 「アスカに会わせてあげるわ……」

 「アスカ!」

 「そうよ……。逃げるなんて事は許さない……」

 淡々と、抑揚のない口調で言うマナに、ヒカリは恐怖を覚えるものの、アスカには会いたかった。

 「逃げたりなんかしないわ。アスカに謝りたいし……」

 「何を今更……」

 と、マナは言いかけたが、何を考えたか、そのまま口を噤む。

 「じゃあ、来て」

 マナは、強いくらいにヒカリの右手を掴むと、引きずり出すように教室から出て行こうとした。が、

 「待て、霧島! 俺も行くぞ!」

 というケンスケの言葉を聞いて、一瞬、立ち止まる。

 「……」

 「構わないだろう、霧島」

 「好きにすれば……」

 マナは興味なさそうに応じると、振り向きもせずに、ヒカリを連れて教室から出た。

 その後に、松葉杖をついたトウジが続き、更に、ケンスケが続く。

 

 ――マナとヒカリの後ろに続きながら、ケンスケはトウジに視線を向けた。

 「トウジ……。お前と霧島に、何があったんだ……?」

 「……」

 「惣流はどうしたんだ?」

 「行けばわかるで……。ワシ自身、頭ン中ごちゃごちゃして、わけがわからへんのや……」

 「そうか……。ところで、その左足は……」

 「ああ。麻痺してるんやが、しばらくすれば、ようなるって事や……」

 「そうか……。よかったよ……」

 「おおきに……」

 「ところで、トウジ。俺の事はまだ殴ってないだろ」

 「せやったか……?」

 「ああ。殴りたければ殴れよ」

 「もうええねん……」

 「そうか……」

 

***

 

 その頃、エリカはと言えば、

 「アタタ……」

 と、涙目になりながら両頬を押さえていた。

 (霧島さんったら……。ホントに遠慮なく打ってくれたものね……)

 「あ、あの、エ、エリカ先生……」

 恐る恐る問い掛ける女子生徒に、大丈夫だというように、エリカは微笑んで見せる。

 「大丈夫よ」

 「で、でも……」 

 「まぁ、確かに、殴られたら痛いのは当たり前よね。

 でも、殴る方だって痛いのよ。身体も、そして、心もね……」

 「あ……」

 「私から、みんなに質問するわ。

 どうして、霧島さんと鈴原君に何の抵抗もしないで殴られたの?」

 途惑ったような空気に包まれる、2−A教室。

 「霧島さんと鈴原君が怖かったから? それだけなの?」

 ――沈黙。

 「それだけじゃないわよね。みんなは、霧島さんと鈴原君の怒りを当然だと思った」

 そう言ってエリカは、胸に手を当てる。

 「みんな心の奥底では、惣流さんや霧島さんや鈴原君に、悪い事をしたんだって思っている。

 そして、学校に出て来ない、碇君と綾波さんの事を心配している。

 ――違うかしら?

 ほら、こうして、胸に手を当てて考えてみて。

 ――私はね、何もかも無条件で許す許さないなんて事を言うつもりはないわ。

 ただね。ほんの少しだけ、他人に対して、優しい気持ちになって欲しいのよ」

 

 ――生徒たちの反応はない。

 だが、それでもいい。少しでも、考えてくれたら、それでいい。

 そうエリカは思った。

 

***

 

 ネルフ中央病院。

 足早にミサトは、303病室に向かっていた。

 アスカに会うために……。

 

 ミサトは、アスカの状態をリツコなどから聞かされていたが、まだ本人とは会っていなかったのだ。

 間違いだったという微かな希望が、本人に会う事で消し去られてしまう事に怯えていたのかもしれない。

 しかし、加持にも言われた通り、これ以上、逃げ回る事は出来ないと腹を括り、アスカに会う事を決意した。

 

 そして303病室の扉を開けた瞬間、ミサトは、現実を思い知らされる事になる。

 

 「アスカ……」

 「ふわ……」

 目の前にいるアスカは、ミサトの知っているアスカではない。

 白痴的な微笑を浮かべる、狂った少女。

 それが今の、惣流アスカであった。

 

 「あ、ああ……」

 ミサトは、絶望の淵に叩き落とされる。

 「そんな。これがアスカ……?」

 その時、ミサトの脳裏に、出撃前に交わした、アスカとの会話が浮かんだ。

 

 『――アスカ、知ってるとは思うけど、今回、シンちゃんは出撃しないわ』

 『ウン……』

 『だから、あなただけが頼りなのよ……』

 『アタシだけが頼り……』

 『――アスカ……?』

 『ミサトさん、アタシ……』

 『何、アスカ?』

 『……』

 『――出撃、いいわね』

 『……ハイ……』

 

 (――あの時のアスカはいつものアスカじゃなかった……。わかっていたのに……。

 でも、私は……。ネルフの作戦部長としての立場を重視して、アスカをエヴァに乗せてしまった。

 その結果がこれだっていうの!)

 後悔とも悔恨ともつかない感情が身体中を駆け巡り、ミサトは、両手で顔を覆って、床に崩れ落ちる。

 「おお、おうおうおうおおおおおーー!!」

 ミサトは、獣のような泣き声をあげた。

 

 どれくらい泣き続けたであろうか……。

 ミサトはゆっくりと顔を上げ、アスカを見やる。

 「ふみ……」

 やはり、変わってない。アスカは、口元からよだれをたらしながら、焦点の結ばない視線をミサトに向けていた。

 「アスカ……」

 ミサトは、何もかも諦めきったような微笑を浮かべる。

 「ゴメンね……。今、楽にしてあげるから……」

 「ほぇ……」

 立ち上がったミサトは、ゆっくりと両手をアスカの細い首筋に伸ばす。

 「こんな状態で生きていたって……。生かされていたって仕方ないわよ。ねぇ、アスカ……。

 もう、私があなたに出来る事はこれしかないのよ……。

 私もすぐに後を追うから……」

 

 ――アスカの首筋に伸ばされたミサトの両手が、直前でピタッと止まった。

 

 「にゃはぁ……」

 「あ……」

 

 アスカはミサトを見て無邪気に笑っていた。

 そう、無邪気に笑っていたのだ。

 

 その笑顔を目の当たりにして、ミサトは我に返った。

 自分が何をしようとしたのか気づき、自身の両手を見て身体中に震えが走った。

 「わ、私は何て事を……」

 そんなミサトに、アスカは無邪気な笑顔を向けつづけている。

 「くう……」

 ミサトはアスカに背を向けた。もう自分にはここにいる資格はない。そう思ったのだ。

 

 ――ドアノブに手をかける。

 

 ”……もう行っちゃうの?”

 「え……?」

 ”さみしいな……”

 「……アスカ?」

 

***

 

 「――あ、もしもし、エリカ先生……。

 ――そ。葛城ミサトよ。今朝はあんな電話しちゃってゴメンね。

 ――え? 何?」

 「――そう、マナちゃんが向かっているのね……」

 「――ウン、心配しないで。こっちで引き受けるから……」

 「――大丈夫だってぇ……」

 「――ウン、じゃあねぇ……」

 

***

 

 再び、303病室。

 マナとトウジに伴われ、ヒカリとケンスケは、白痴的な微笑を浮かべている、別人としか思えないアスカと再会した。

 

 「アスカ……」

 「惣流……」

 

 フラフラっと、ヒカリはアスカに歩み寄り、彼女の両肩に手を置く。

 「アスカ……」

 「ふわ……」

 「アスカ! ヒカリよ! わからないの!!」

 「ふみぃ……」

 「アスカァー!!」

 ヒカリはアスカに抱きついて号泣する。しかし、アスカは何も感じないがごとく、視線を泳がせるだけ……。

 

 「霧島……」

 ケンスケは、声を震わせながら、マナを睨みつけた。

 「お前、こうなる事を望んで、委員長と惣流を会わせたのか……?」

 「……違う、わ……。ヒカリ、と、会えば、アスカ、元に戻る、かも、しれない、って、思った、のよ……」

 「「霧島……」」

 声を上ずらせるマナを、ケンスケとトウジは、呆然と見つめていた。

 「でも、やっぱり、ダメだった……。奇跡なんて、起こるものじゃない……」

 

 「ああああああーー!!」

 突然、ヒカリが絶叫して、床に額を擦りつける。

 「みんな私が悪い! 私が悪いのよぉーー!!」

 「ヒカリ、やめて!!」

 慌ててマナは、ヒカリを起き上がらせようとするが、彼女は床に額を押し付けたまま、起き上がるのを拒否した。

 「私が私が私がぁーー!!」

 

 ”ねぇ、泣かないでよ、ヒカリ……”

 

 (――?)

 ヒカリは呆然と顔を上げる。

 (アスカの声が……。幻聴……?)

 

 ”――お願いだから、ね……”

 

 (――アスカ!)

 ヒカリは見た。優しい微笑を浮かべるアスカの顔を……。

 これは、ヒカリの想いが産んだ幻なのだろうか……。

 

 ヒカリは、後ろを振り返り、マナの表情を伺った。

 

 「――アスカ……。アスカの声が……」

 マナは目を大きく見開きながら、言葉を搾り出している。

 更に、ヒカリは、トウジとケンスケを見た。

 「――み、見たか、トウジ……?」

 「お、おう……。惣流、微笑んどる……」

 「お前にも見えたって事は、幻じゃないって事だよな……」

 呆然と語らうトウジとケンスケの2人。

 

 「――ああ……」

 (みんなにも聞こえている! 見えている! 私だけじゃない! 幻じゃない!!)

 ヒカリは、アスカの膝に縋って号泣する。

 これは、先程の涙とは違う、しあわせの涙であった。

 

***

 

 ――カチャッ!

 

 扉が開かれた。

 ヒカリ達が振り向くと、そこには、慈愛に満ちた微笑を浮かべているミサトが立っている。

 

 「「葛城(ミサト)さん……」」

 ――ミサトは、ゆっくりと口を開いた。

 「……ねぇ。アスカの声、聞こえた?」

 

 ――言葉はいらなかった……。

 

 


Act.28 End Asuka will return.