Evangelion Remember14

Act.01 使徒、襲来


 

 

 時に、2015年。

 20世紀最後の年に起きたセカンド・インパクト。それによって海中に没した旧東京のビル街の中を、異形の巨大生物が進んでいる。

 一方陸地では、国連軍の湾岸戦車隊がその砲塔を海面に向けていた。

 そして巨大生物が海面にその怪異な姿を現わした瞬間、戦車隊は巨大生物に集中砲火を浴びせる。――しかし巨大生物は、その集中砲火をものともせず、戦車隊を一方的に蹴散らして上陸した。

 

***

 

 「――正体不明の物体を映像で確認!!」

 「メインモニターにまわします」

 ネルフ本部発令所はオペレーターの声が飛び交い、慌しい雰囲気に包まれていた。

 そんな喧騒の中、銀髪の老紳士と顎鬚を生やした40代後半のサングラスをかけた男が、落ち着いた様子で会話を交わしている。

 

 「――15年ぶりだな、六分儀」

 「ああ、間違いない……使徒だ」

 銀髪の冬月コウゾウの言葉に、サングラスの六分儀ゲンドウが応じた。

 「来るべき時がついに来たのだ。人類にとって避ける事の出来ない試練の時だ」

 ゲンドウは、顔の前で手を組んで言葉を継ぐ。

 「そして、私とあの子にとってもな――」

 

***

 

 <――緊急警報、緊急警報をお知らせします。

 本日12時30分、東海地方を中心とした関東中部全域に、特別非常事態宣言が発令されました。

 住民の方々は、速やかに指定のシェルターに避難してください。繰り返します――>

 

 緊急警報が鳴り響く第三新東京市の某駅構内。全線不通の文字で埋め尽くされている電光掲示板の下にある公衆電話の前で、一人の少女がイライラした様子で受話器を握っていた。

 「もお、公衆電話も駄目なわけ! 携帯は繋がらないし、電車もバスも止まっちゃったしぃ! 非常事態だか何だか知らないけど、こんなトコで足止めくってどーすんのよぉ!」

 閑散としている駅前を見て、少女は腹立たしげに公衆電話の受話器を元に戻した。

 「まったく、こんな時に待ち合わせなんて最悪! せっかく、お気に入りを気合入れて着てきたってのにぃー」

 と、駅の構内から駅前広場に出た瞬間、少女の赤みがかった金色の髪とレモン色のワンピースが風になびく。

 「はぁ……。待ち合わせは無理……か」

 ため息を漏らす少女の名は、惣流アスカ。今年14才になる中学2年生――。

 

***

 

 同時刻。人気のなくなった第三新東京市郊外を、一台の青い車が疾走していた。

 その車を運転しているのは、20代半ばの藍色がかった長い黒髪の美女、葛城ミサト。

 「――まいったわね。よりによって、アスカちゃんが来たのと同時に襲来するなんてね」

 ミサトは、険しい顔を浮かべて舌打ちした。

 ややあってミサトは、モニターの中の赤みがかった長い金髪の少女の映像を見て、少し表情を和らげる。

 「フフ……。あの六分儀司令にこんなに可愛い子供がいるなんてね」

 ともかくアスカが乗車したリニアは、待ち合わせに指定した駅から二駅手前で止まったのは確かだ。

 「お願いだから、そこから動かないでね、アスカちゃん」

 モニターの中のアスカに微笑みかけて、ミサトはアクセルを踏み込む。

 ミサトの愛車、アルピーヌ・ルノーは、矢のように加速した。

 

***

 

 駅から出たアスカは、辺りを見回して不安そうな表情を浮かべていた。

 「シェルターに避難って、今更、戦争でもないよねぇ」

 ため息を漏らしながら、アスカはハンドバックから手紙を取り出した。10年前に、母親のキョウコが亡くなった時、当時4才のアスカを伯父の元に預け、そのままほったらかしにした、父、六分儀ゲンドウからの手紙である。

 封筒に入っていたのは、「ネルフ」と刻まれたカードが一枚と、アスカのいる第二新東京市から、父の待つ第三新東京市までのリニアの切符。そして、「久しぶりに会いたいので、第三新東京市まで来て欲しい」といった内容の便箋が一枚。

 2、3年に一度は会っていても、会話らしい会話をした記憶はまったくない、父からの突然の手紙。

 「お父さん、今になって、どういうつもりなのかな?」

 大きな不安と少しだけの期待。憂いを帯びた表情を浮かべながら、アスカは父の手紙をハンドバックに戻した。

 「――それにしても、これは何なの?」 

 アスカは、もう一通の手紙に添えられていた写真を取り出して、眉を顰めた。

 この手紙の差出人の名は、アスカにとって未知の人である「葛城ミサト」。手紙の内容は、ゲンドウの代わりに自分がアスカを迎えに行くというものであった。

 気になったのは、手紙に同封されていた葛城ミサト本人らしき若い女性の写真である。写真には何の冗談か、鮮やかなキスマークに、屈み込んだ胸の谷間にマーカーで「ここに注目」と落書きされていたのだ。

 「まったく、この葛城さんとかいう人、どーゆーつもりで、アタシにこんな写真送ってきたのよ。まさか、お父さんの再婚相手とかじゃないでしょうねぇ……。

 ま、お父さんが誰と再婚しようと知った事じゃないけどさ!」

 と、口では言うものの、ミサトへの対抗意識もあり、アスカは一番のお気に入りのレモン色のワンピースを身に着けて、第三新東京市に趣いたのだが、まさか、こんなところで足止め食うとは思わなかった。

 「あーあ。この人、ここまで迎えに来てくれるのかなぁ?」

 と、しばし指を唇に当てて考え込むアスカであったが、待ち合わせの場所ではなく連絡も取れない状況では無理だという結論に達し、一人苦笑を浮かべた。

 「さあてと――」

 アスカが写真をハンドバックに戻した瞬間、轟音が響き地面が揺れた。

 「な、何っ!? 地震」

 見上げるアスカの目に映ったのは、超低空で飛ぶ数機の戦闘機――。

 「ひ、飛行機! どーいうつもりよ、こんな低空で飛ぶなんて!!」

 思わず耳を押さえてアスカが叫んだ瞬間、その頭上をある物体が通り過ぎていく。

 「ミ、ミサイル!?」

 無意識にミサイルの軌跡を追うと、山の向こうから2本の腕と足らしきものを持つ、見ようによってはヒト型に見える巨大な物体が現れた。

 「な、何なのあれ……?」

 ミサイルは、一直線に巨大物体に吸い込まれ、一瞬の間を置いて爆発音が響き渡る。

 「キャアー!!」

 アスカは、耳を抑えて蹲った。

 ややあって顔を上げて見ると、ミサイルの爆発で発生した煙で、その巨大な物体の姿はかき消されていた。

 「や、やったの……?」

 と、呟いた瞬間、街全体が振動する。

 「あっ!」

 アスカは、呆然と口を開けた。

 ミサイルの直撃を受けたにも関わらず、その物体は何事もなかったように再び動き始めている。

 まさに怪獣映画に出てくる怪獣そのものだ。

 再び、国連軍のVTOLが怪獣に攻撃をしかける。

 

 「――な、何なのよぉ!!」

 今、目の前で展開される国連軍のVTOLと怪獣の戦いを見て、アスカは絶叫した。

 (これは夢よ。悪い冗談よ。こんな事、現実にあるはずないわ……)

 「そ、そうよ。これは、映画の撮影なのよ! げ、現実に、こんな事あるわけ……」

 と、アスカが現実逃避しかけた時、怪獣に撃墜されたVTOLが目の前に落ちてきた。

 「キャアァーー!!」

 悲鳴を上げて蹲るアスカ。だが、アスカの予想に反して、爆風は襲ってこない――。

 恐る恐る顔を上げたアスカは、目の前に青いスポーツカーが止まっている事に気づいた。

 「車……?」

 

***

 

 (――間に合った!)

 あ然とした様子で顔を上げている赤みがかった長い金髪の少女を見やって、ミサトは微笑した。

 「お待たせ、アスカちゃん!!」

 蹴り飛ばすようにミサトは助手席のドアを開けた。ミサトの顔を見て、アスカは呆然と口を開ける。

 「か……葛城ミサトさんですか?」

 「挨拶は後! 早く乗りなさい!!」

 ミサトは返事も待たず、アスカの手を掴んで、強引に車の中に引きずり込んだ。

 「キャアー!」

 「しっかりつかまってんのよ!」

 と、ミサトが、ホイールスピンもけたたましく車を急発進させたので、アスカは後ろにひっくり返ってしまった。

 「アスカちゃん、遅れちゃって、ごめんねぇ」

 「い、いえ、アタシの方も、電話が不通になっちゃったから、連絡が出来なかったし……」

 アスカは、なんとか態勢を立て直しながら応じた。

 「そうね。何事もなくて本当によかったわ」

 「ええ」

 ふと振り向くと、怪獣にミサイルが何発も命中しているところが目に入ったが、アスカの目で見ても効果があるとは思えなかった。

 「――国連軍の湾岸戦車隊も全滅したわ。

 軍のミサイルじゃ何発撃ったって、あいつにダメージは与えられない」

 と、ミサトが独り言のように呟いた。アスカはミサトに顔を向け、疑問に思った事を尋ねてみる。

 「あの怪獣は、何なんですか?」

 「フフ、怪獣かぁ。状況の割には落ち着いているじゃない、アスカちゃん」

 感心したように、ミサトがアスカに言った。

 「落ち着いてなんか……」

 俯きながら言葉を濁らせるアスカを見て、ミサトは自分の頭を叩きたくなった。

 常識を疑うような信じられないない事の連続に、今のアスカは感覚が麻痺してるだけなのだ。

 (まだ中学生で、女の子だもんね……)

 ミサトはゆっくりと、アスカの掌に自分の手を重ねる。

 「えっ?」

 訝しげな表情を浮かべるアスカに向かって、ミサトは微笑してみせた。

 アスカは頬を赤らめて、ミサトから視線を背ける。

 (暖かいな……)

 そんな事をアスカは思った。

 「――アスカちゃん。私たちは、あの怪獣の事を『使徒』って呼んでるわ」

 「シト、ですか?」

 「そう、私たち人類の敵。今は詳しく説明してらんないけどねぇ」

 と、ミサトが答えた瞬間、使徒に当たらなかったミサイルが目の前に落ちてくる。

 「マッズゥ!!」

 ミサトの絶叫。そして爆発音。

 「「キャアアアー!!」」

 

 ――ミサトの車は、見事にぐるりとひっくり返って止まった。

 「クッ……」

 まずミサトが先に車から這い出て来た。

 「もー、どこ見て撃ってんのよ、あいつら。大丈夫、アスカちゃん?」

 「う、うん、なんとか」

 「さ、つかまって」

 「あ、ありがとう……」

 ミサトの手を借りて、アスカも車から這い出てきた。

 そして、お互いに自分の服をチェックして、顔を顰める。

 「「あぁー! この服、お気に入りなのに!!」」

 アスカとミサトの絶叫は、見事にユニゾンした。

 「「えっ!!」」

 再び、ユニゾン。アスカとミサトは、互いに苦笑いを浮かべた。

 「この汚れ。簡単には、落ちないわよねぇ」

 「そうですね――」

 と、アスカが答えた瞬間、辺りが急に暗くなる。

 「何?」

 頭上を見上げて、アスカは絶句した。

 使徒が、アスカ達の上に降りようとしているのだ。

 「イヤァーー!」

 「アスカちゃん伏せて!」

 叫ぶなりミサトが、庇うようにアスカに覆い被さった。

 「葛城さん! えっ――?」

 顔を上げたアスカの目に、使徒に体当たりをする赤い物体が映った。

 弾き飛ばされた使徒は、ビルに激突して動きを止める。

 使徒と同じ大きさの人型の赤い物体は、アスカ達の前に屈みこんだ。

 「も、もう一匹増えた?」

 アスカは、恐怖に顔を引き攣らせた。

 「違うわアスカちゃん。これは味方よ」

 「味方って……」

 ミサトの言葉に、アスカは改めて目の前の赤い物体を見やる。

 緑色に光る四つの目が、アスカたちに注がれていた。

 「これ、ロボット……?」

 アスカは、呆然と赤いロボットを見上げた。

 赤い巨大ロボットは、ミサトのひっくり返った車を元に戻した。ミサトは、手を振ってロボットに応えている。

 「いけない、もうこんな時間!!」

 腕時計を見て、ミサトが叫んだ。

 「アスカちゃん、早く車に乗って! 時間がないの!!」

 「時間?」

 「早く乗りなさい!」

 と、ミサトは、アスカを車に押し込んだ。

 「出来るだけ早く、ここから離れないと!!」

 言うが早いか、ミサトは車を急発進させた。

 「葛城さん、何が起こるんですか!?」

 「N2地雷が、使われるのよ!! 早くリニアレールに乗らないと巻き添えを食うわ!!」

 「N2地雷!?」

 思わず振り向いたアスカの目に映ったのは、使徒に一方的にやられるロボットの姿。

 「い、一方的じゃない……」

 アスカの言葉に、ミサトは表情を暗くする。

 (わかっていた事だわ。今のレイでは負担が重過ぎるもの――)

 

***

 

 「――パイロット、脈拍、血圧共に低下!」

 「胸の縫合部より出血!!」

 「NN作戦まで、後180秒!!」

 騒然とした発令所に、ネルフ総司令の六分儀ゲンドウの指示が飛ぶ。

 「弐号機を、ルート192で高速回収しろ!!」

 

 発令所の大型スクリーンに、地面に吸い込まれていくロボットの映像が映し出される。

 続いて国連軍のVTOLも使徒の前から撤退していった。

 大型スクリーンに映し出されているのは、使徒の姿のみ。

 一瞬の間を置いて大型スクリーンは真白になる。爆発と閃光に使徒の姿がかき消された――。

 

 「――わははははは!」

 発令所で、国連軍の面々は得意の絶頂だった。

 「見たかね、六分儀君。これが、我が国連軍のN2地雷の威力だよ。これで、君の新兵器とやらの出番は2度とないわけだ」

 その国連軍幹部の嘲るような物言いに、ゲンドウは何の反応も示さなかった。

 「電波障害のため目標確認まで今しばらくお待ちください!」

 オペレーターの言葉に、国連軍の幹部は鼻を鳴らす。

 「フン、確認するまでもない。あの爆発だ、ケリはついてる」

 モニターを見つめるオペレーターの顔に、緊張が走った。

 「爆心地にエネルギー反応!」

 「なんだと!!」

 「映像、回復しました!」

 「おお!」

 巨大スクリーンに映し出される使徒の姿に、国連軍の面々は驚愕した。

 「我々の切り札が!」

 「街を一つ、犠牲にしたんだぞ!!」

 「何て奴だ!!」

 「化け物め!!」

 

 ――数分後。国連軍幹部は、苦渋に満ちた表情で口を開いた。

 「六分儀君、本部からの通達だよ。

 今から本作戦の指揮権は、君とネルフに移った。お手並みを拝見させてもらおう」

 「ハイ」

 ゲンドウは、立ちあがって国連軍の面々を見やった。

 「……我々国連軍の所有兵器が目標に対して無効だった事は、素直に認めよう。

 だが、六分儀君。――君なら勝てるのかね」

 「フッ」

 その質問を聞いて、ゲンドウは不敵な笑みを浮かべる。

 「ご安心を。そのためのネルフです」

 

***

 

 そのころアスカとミサトは、無事に地下へ向かうリニアレールに辿り着き、ようやく落ちついて会話を交わしていた。

 

 「――アスカちゃん、これ、読んどいてね」

 と、ミサトが『ようこそネルフ江』という小冊子をアスカに手渡した。

 「特務機関ネルフ?」

 興味なげに小冊子をパラパラっとめくりながら、アスカはミサトに視線を向けた。

 「そ。国連直属の非公開組織。私もここに所属しているの。まあ、国際公務員ってやつかしら。

 アスカちゃんのお父さんと同じよ♪」

 と、軽い調子で、ミサトがアスカに言った。

 「お父さんか。ねえ葛城さん――」

 「ん。ミサトでいいわよ、アスカちゃん」

 「じゃ、ミサトさん。お父さんは何のために、アタシを呼んだの?」

 「ウーン、それはぁ……」

 アスカの問いかけを聞いて、ミサトは少し考え込む仕草を見せた。

 「――それは、私の口からは言えないわね。お父さんに直接会って聞きなさい」

 「お父さんにか……」

 ミサトの返事を聞いて、アスカは言葉を選ぶように話し始める。

 「アタシは、ミサトさんとお父さんが結婚する事になったから、呼ばれたんだと思ってたんだけど……」

 「えっ? ええぇー!!」

 アスカの言葉を理解した瞬間、ミサトは引き攣った表情を浮かべ甲高い声で叫んでいた。

 「わ、私と司令が結婚!! ジョ、ジョーダンじゃないわよ、あんな怪しげな顎鬚親父とぉー!!

 ――あっ!!」

 思わず本音が出てしまったようで、ミサトは顔を引き攣らせながら慌てて口を押さえる。

 そう。目の前にいるのはその実の娘なのだから、非常にマズイという事だろう。

 「ご、ごめんね、アスカちゃん……」

 ミサトは、慌ててアスカに謝った。

 「いいのよ。ミサトさんの言ってる事、大当たりだから……」

 「えっ?」

 アスカの返事に、ミサトは怪訝な表情を浮かべつつも、穏やかな調子で尋ねてみる。

 「アスカちゃん。お父さんの事――嫌いなの?」

 「好きとか嫌いとかじゃない。――今更関わるのが面倒なだけ」

 アスカの素っ気無い答えに、ミサトはため息をつきながら再び口を開く。

 「んー、話しは変わるけどさ。――どうして私を、お父さんの再婚相手だって思ったのかなぁ?」

 「お父さんの代わりに知らない女の人が迎えに来るって手紙が来たら、この人お父さんの何なのって気になるのは当然だと思うけど。それに……」

 アスカは、ミサトをジロリと睨んだ。

 「それに、あの写真! キスマークやら、胸に矢印つけて、ここに注目とか書いてあった写真!

 普通、あんな写真女の子に送る!?」

 「……あ、あれねぇ」

 ミサトは、アッチャーと言いたげな表情を浮かべて、アスカから顔を背けた。

 「――だからアタシ、再婚相手の娘に対するミサトさんの一種の挑発だって思ったのよ」

 ミサトはバツの悪い表情を浮かべ、両手の人差し指を突つき合いながら口を開いた。

 「じ、実を言うとね。私、写真見るまで、アスカちゃんの事を男の子だって思っていたのよ」

 「ええーー! 何でぇ!!」

 「だ、だってさ、あのいかつい顔の司令に、あなたみたいな可愛い娘がいるってイメージなんて湧かないんだもん!

 アスカって名前聞いても、女の子みたいな名前の男の子だって思っちゃって、それで、ちょっと、からかってみようっかなぁって、あの写真送ったのよ」

 と、まくし立てるように叫ぶミサトを、アスカは冷ややかな目で見つめる。

 「で、送った後でアタシの写真を見て、女の子だってわかったと……」

 「そ、そーいう事よん」

 「はぁ……悩んで損した……」

 アスカは、呆れたようにミサトを見た。

 「そんな顔しないでよぉ。ホントにゴミン!!」

 ミサトは、片手で拝む仕草をして頭を下げる。

 

 ――急に視界が開けた。2人を乗せたリニアレールは、地中の広い空間に出たのだ。

 天井ビルに地中湖と森。そしてピラミッドのような建造物。

 「すごい……」

 ジオフロントの光景に無邪気に感嘆するアスカを見て、ミサトは頷く。

 「そう。これが私達の秘密基地ネルフ本部。世界再建の要。人類の砦になるところよ」

 

***

 

 「――さて、UNもご退散か。どうするつもりだ、六分儀?」

 発令所の司令塔では、老紳士といった風情の、副司令、冬月コウゾウが、斜め前に陣取っているゲンドウに声をかけた。

 「もう一度、弐号機を出撃させる」

 「無理だぞ。パイロットは、もういない」

 ゲンドウの返事を聞いて、冬月はモニターを見やりながら顔を強張らせた。

 モニターには、ストレッチャーに載せられた少女が運ばれているのが映し出されている。

 苦しげに息を吐いている、赤い目をした蒼い髪の少女。

 「レイ……いや、ファースト・チルドレンにはもう……」

 「問題ない」

 冬月の言葉をさえぎると、ゲンドウはモニターの映像を切り替えた。

 モニターに映し出されたのは、本部の廊下を進む葛城ミサトと惣流アスカの姿。

 「たった今、予備が届いた」

 「いいのか、六分儀?」

 冬月の問いかけに対する、ゲンドウの返事はなかった。

 刹那、オペレーターがゲンドウに報告する。

 「使徒前進!! 強羅最終防衛線を突破!!」

 「進行ベクトル5度調整、なおも進行中!!」

 「予測目的地、我第三新東京市!!」

 オペレーターの報告に、ゲンドウは指示を飛ばす。

 「よし、総員第一種戦闘配置だ!!」

 「ハッ!!」

 ゲンドウは、斜め後ろに立っている冬月に視線を向ける。

 「冬月。後を頼む」

 「ああ」

 発令所から姿を消すゲンドウを見て、冬月はため息をついた。

 (3年ぶりの、父娘の再会か……)

 

***

 

 ミサトと共に本部の廊下を歩いていると、いきなり警報が鳴り響いたので、アスカは思わず天井を見上げた。

 「な、何?」

 <総員第一種戦闘配置! 繰り返す、総員第一種戦闘配置!>

 <対置迎撃戦! 弐号機起動準備!>

 「――弐号機起動準備?」

 放送の内容を聞いて、ミサトはいぶかしげに呟いた。

 (何を考えてんのよ、六分儀司令は? レイはとても戦えるような状態じゃないのに……。パイロットはどうすんのよ)

 ミサトは、ハッとしたようにアスカを見た。

 (ま、まさか、アスカちゃんを!)

 

 それから約30分後――。

 「ミサトさん?」

 「な、何?」

 「まだ、お父さんの所に着かないの。さっきから随分、歩いているわよ」

 ギクッ!

 アスカの問いかけに、ミサトは身体を強張らせた。

 「う、うるさいわね。アスカちゃんは、黙って私についてくればいいの」

 アスカは、ジト目でミサトを見た。

 「迷ったんでしょ、ミサトさん」

 「そ、そんな事ないわよ!」

 「ここ、さっきも通ったわよ」

 「そ、そうだっけ……」

 アスカの冷ややかな言葉に、ミサトは愛想笑いを漏らした。

 

 「――どこに行くの? 2人とも」

 「えっ?」

 訝しげに振り向いたミサトは、同年代の白衣を着た金髪の女性の姿を見て顔を引き攣らせた。

 「リ、リツコ……」

 「あんまり遅いから迎えに来たわ。人手も時間もないんだから、グズグズしてる暇はないのよ、葛城一尉」

 「ゴミン。迷っちゃったのよぉ、まだ不慣れだから」

 リツコにキツイ調子で言われ、ミサトはテレ笑いを浮かべて両手で拝む仕草をした。

 「まったく……」

 リツコはため息をついて、ミサトからアスカに視線を移した。

 「その子がセカンド・チルドレン候補者ね」

 (セカンド・チルドレン?)

 リツコの発した『セカンド・チルドレン』というよくわからない単語と、彼女の探るような視線に晒される嫌悪感から、無意識の内にアスカはミサトの背後に隠れるように移動する。

 「――ねえ、ミサトさん。このオバさん、誰?」

 と、アスカがミサトに尋ねた瞬間、リツコの顔が見る見るうちに引きつり始めた。

 「オバ……さん?」

 「ああ、アスカちゃーん。この、オバさん!はねぇ、ネルフの技術部長、赤木リツコっていうのよぉ」

 ミサトは、オバさんの部分を強調して、アスカにリツコの紹介をした。

 「赤木リツコさん、かぁ……」

 と、リツコに顔を向けたアスカは息を呑む。

 「んっ!」

 「赤木リツコよ、よろしく……」

 リツコの顔は、まさに般若。アスカは顔を引きつらせた。

 「……こ、こちらこそ。そ、惣流アスカです」

 「いらっしゃぁい、アスカちゃん。お父さんに会わせる前に、見せたいものがあるの……」

 怒りからか、リツコの語尾は震えていた。

 「み、見せたいもの、ですか?」

 正直なところアスカは、このリツコという人について行きたくなかったが、ミサトも一緒だから大丈夫だと自分を信じ込ませ、素直に従う事にした。

 

***

 

 三人は、薄暗い水路をゴムボートで進んでいた。

 リツコとミサトは、何やら難しい顔で話し合っている。

 2人の会話は、意味不明な部分が多すぎるので、アスカは蚊帳の外に置かれた格好であった。

 「――じゃあ、N2地雷は使徒に効かなかったの?」

 ミサトの問いに、リツコは頷く。

 「ええ。表層部にダメージを与えただけ。依然、進行中よ。

 おまけに学習能力もちゃんとあって、外部からの遠隔操作ではなく、プログラムによって動作する、一種の知的巨大生命体と、MAGIシステムは分析してるわ」

 ミサトは、息を呑んだ。

 「それって、リツコ……」

 「そう。エヴァと同じよ」

 (――MAGIシステム? エバー? 一体何の事なの?)

 わけもわからず、アスカは憮然と天井を見上げていた。

 

 ゴムボートから降りたアスカたちは、タラップを駆け上がり巨大ゲートの前に辿り着いた。

 「ここよ」

 と、リツコがゲートを開けた瞬間、アスカの視界に入ってきたのは、四つ目の赤い巨人の顔。

 「あっ、あれは、さっきアタシ達を助けてくれたロボット!?」

 「厳密に言うとロボットじゃないわ」

 リツコは、落ち着いた調子で説明を始めた。

 「人の作り出した究極の汎用決戦兵器。人造人間エヴァンゲリオン。

 これは、その弐号機よ」

 「エ、エヴァンゲリオン――。これが、お父さんの仕事?」

 アスカは、呆然とエヴァンゲリオンというロボット(?)を見た。

 「その通りだ!」

 ケイジ内に、野太い声が響いた。

 「えっ!?」

 顔を上げたアスカは、エヴァンゲリオンの頭上にある管制室の中にいる、父、六分儀ゲンドウの姿に気づく。

 「お父さん!」

 アスカの呼びかけに、ゲンドウは表情も変えずに口を開く。

 「――アスカ。私が今から言う事をよく聞け」

 「え、う、うん」

 反射的に、アスカは頷いた。

 「これにはお前が乗るのだ」

 (えっ、これに乗る?)

 「そして、使徒と戦うのだ」

 (使徒って……。あ、あの怪獣と戦う!? 何でアタシが!?)

 アスカは、唖然とゲンドウを見上げるだけだった。

 「ま、待ってください、六分儀司令!

 綾波レイだって、エヴァとシンクロするのに7ヶ月かかったと聞いてます。今日来たばかりのアスカちゃんには、とても無理です!」

 ミサトは、慌ててゲンドウに抗議した。

 「……座っていればいい。それ以上は望まん」

 あまりにも素っ気無い、ゲンドウの答えである。

 「で、でも!」

 なおも言い募ろうとするミサトを、リツコが止めた。

 「葛城一尉。今は使徒撃退が第一事項よ。そのためには、誰であれエヴァとわずかでもシンクロ可能な人間を乗せるしか方法はないのよ」

 「それは……」

 「それとも、他にいい方法があるっていうの。葛城作戦部長」

 「クッ……」

 確かに今の状況からすれば、シンクロ出来る可能性のあるアスカをエヴァに乗せるしかない。ネルフ本部作戦部長の立場からすれば、ゲンドウやリツコに同調するのが当然なのだ。

 だがミサトは迷っていた。ここに来るまでの間、アスカと会話を交わした結果、情が移ってしまったのか……。

 それとも、今のアスカの姿に、かつての自分自身の姿を重ね合わせてしまったのか、ミサト自身にもわからなかった。

 ――ミサトの沈黙を消極的な賛成と理解したのか、リツコは振り返ってアスカの肩に手を置いた。

 「さ、アスカちゃん、こっちに来て」

 リツコの手が肩に置かれた瞬間、アスカは身体を振るわせる。

 「ア、アタシが……これに乗って、あの怪獣と戦うですってぇ!」

 アスカはリツコの手を振り払って、ゲンドウを睨みつけた。

 「アタシにそんな事出来るわけないじゃない!!」

 「赤木博士から説明を受けろ。お前でなければ駄目なのだ」

 「なんでアタシなのよ! 全然、わかんないわよ!!」

 「今は、わからなくてもいい。出撃しろ」

 「いやよ! 何で、こんなのに乗らなきゃいけないのよ!! 何で、あの怪獣と戦わなきゃいけないのよ!! アタシに死ねって言うの!!」

 瞬間、アスカの脳裏に、使徒に一方的にやられる弐号機の姿が浮かび、その恐怖に身体が強張った。

 「……今まで、ほうっておいたくせに。こんな事のためだけに、アタシを呼んだの、お父さん?」

 視線を下に落としつつ、アスカは否定してくれる事を期待して言葉を搾り出した。

 しかし――。

 「その通りだ」

 と、冷たく言い放たれ、弾かれるようにアスカは管制室のゲンドウを見た。

 「お前が乗らなければ、人類は滅亡する。人類の存亡は、お前の肩に――」

 「イヤ、イヤ、イヤ! 誰が乗るもんですか!!」

 アスカは、ゲンドウの言葉を遮って叫んだ。

 「――わかった。お前など必要ない。帰れ!」

 と、ゲンドウは、冷ややかにアスカに言った。

 「言われなくても、そうするわよ! アンタの顔なんか、2度と見たくない!!」

 そう叫ぶとアスカは、ゲンドウに向かって手に持っていたネルフ案内のパンフレットを投げつける。

 パンフレットはゲンドウまで届かず、弐号機の頭部にあたって水槽に落ちた。

 「アスカちゃん! あっ――」

 注意しようとしたミサトは、アスカの顔を見て言葉を失った。

 アスカは、涙が出てくるのを懸命に堪えていたのだ。

 父との再会に、何も期待なんかしていなかった。期待できるような父だとは思ってなかった。しかし、それでも、何かを待っていた。何かを信じていた。

 だが、それは幻に過ぎなかったと、今、アスカは思い知らされた。

 上では、ゲンドウが何やら話している。しかし、アスカの耳には入らない。

 

 ――数分後。

 重い扉の開く音に、アスカは顔を上げた。

 「えっ?」

 すると、アスカの前に、ストレッチャーに乗せられ、全身に包帯を巻いた同い年くらいの蒼い髪の少女が運ばれてきた。

 「誰――?」

 誰に問い掛けるわけでもなく、アスカは呟いた。

 「レイ。そこにいる予備が使えなくなった。もう一度だ」

 ケイジにゲンドウの冷たい声が響いた。

 (レイ? そこにいる予備? もう一度?)

 「……はい」

 そう答えると、レイと呼ばれた少女は身体を起こそうとした。

 「クッ……」

 動きが止まる。それでも振るえながら、レイは身を起こそうとしていた。

 「危ない!」

 呆然と見ていたアスカだったが、慌ててレイに駆け寄った。この子は、どう見ても重傷を負っているとしか思えない。

 「あ、ああ!」

 崩れ落ちるレイの身体を支えるアスカ。

 「しっかりして!」

 「はぁはぁ……」

 荒い呼吸をするレイの姿に、アスカは信じられないようにミサトを見つめる。

 「――ミサトさん。もしかして、さっき、あのロボットに乗っていたのは、この子なの?」

 「そうよ。綾波レイ。エヴァンゲリオンのテストパイロット。ファースト・チルドレン」

 「この子が、あのロボットのパイロット……」

 レイに視線を戻し、アスカは信じられない様子で呟いた。

 「離して……」

 「えっ!?」

 レイの言葉に、アスカは驚愕した。

 「――な、何言ってんの! アンタ、動くのがやっとじゃない!!」

 「命令……だから」

 「め、命令って、アンタ……」

 アスカは、涙ながらに首を振った。

 「何で何でどうして……」

 「命令……」

 「……くっ」

 アスカはレイを抱きしめ、耳元に口を寄せた。

 「アタシがやるから。アタシがアンタの代わりに、あのロボット……。

 エヴァンゲリオンに乗るから、アンタは、もう休んでもいいの」

 アスカの言葉が耳に入ったのか、レイは動きを止めた。

 アスカは、静かにレイをストレッチャーに横たわらせ、力強く立ちあがる。

 「アスカちゃん……」

 呆然とアスカを見やるミサト。

 アスカは、ミサトに頷いて見せると、ゲンドウに向き直った。

 

 「――アタシ乗るわ! エヴァンゲリオンに!!」

 

 


Act.01 End Asuka will return.