岡田外相が九月十七日に大臣命令を発した「日米交渉を巡る密約」調査の期限、十一月末が迫っている。
「日米間の密約は四つありますが、なかでも最大の密約とされるのが沖縄返還時の核持ち込み問題。『アメリカは核抜き本土並みで沖縄を返還するが、日本も有事の核持ち込みを容認する』というものです」(政治部記者)
沖縄返還交渉に際し、ニクソン大統領はキッシンジャー補佐官を代理人として秘密交渉にあたらせたが、このとき佐藤栄作首相の代理人を務めたのが少壮の国際政治学者、若泉敬氏だった。
若泉氏が佐藤首相から「密使」の指名を受けたのは六八年。東大卒業後、ロンドン大学に留学、米ジョンズ・ホプキンス大学客員所員として活躍していた三十代後半の若泉氏は以後、表舞台から一切姿を消し、コードネーム「ヨシダ」を名乗る人物としてホワイトハウスと折衝を続け、この密約をまとめあげた。日本人を裏切りながらも、それがこの国を平和に導く唯一の道と信じた若泉氏は、密約成立後、一切公職を退き、すべてを闇に葬った。
だが、日本がその後、物質金銭万能主義に走って“愚者の楽園”になってしまったことを悔いた氏が、最高機密をあえて明らかにしたのは九四年のことだった。『他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス――核密約の真実』(文藝春秋刊)がそれだ。密約成立までの全ドキュメントが詳細に記されているが故に、政府を震撼(しんかん)させた。
「国会でも追及されましたが、当時の自民党政府は一切認めなかった」(同前)
しかし、〇七年八月に米国立公文書館から密約を裏付ける文書が発見されたことにより、同書の歴史的価値が証明され、今回復刊された。
若泉氏と長く交流を続けた外交ジャーナリストの手嶋龍一氏が語る。
「若泉氏は国益のために生きた、幕末の志士のような無私の人でした。彼が人生を賭して著した密約が存在したことは、外務省も無論知っています。新政権はかつて国会で否定された若泉証言が真実であることをいずれは公式に認めることになると思います」
しかし、若泉氏は自らの名誉回復を見ることはない。氏は、同書英語版完成直後の九六年、国家機密を公にした責任を取って自死したのである。
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