KNN KENTARO NEWS NETWORK
サイトポリシー
 MENU
KNN TODAY
ENGLISH EDITION
SPECIAL REPORTS
WEATHER
ENTERTAINMENT
TRAVEL
SPORTS
SEARCH ENGINE
  目次
序章
機体の歴史
事故調の結論にウソ?
CVR記録を解読
謎の救出活動
事故調の誤摩化し
本当の事故原因
最終章



日航機123便は撃墜された?


〜序章〜
 昭和60(1985)年8月12日、東京国際空港(以下羽田空港)を午後18時12分に離陸し、大阪国際空港(以下伊丹空港)を目指した日本航空123便は、525人の乗員乗客を乗せたまま、わずか44分後の午後18時56分、通称・御巣鷹山(正確には高天原山山系の無名の尾根)に墜落した。

 まだ幼かった私は、これをゴールデンタイムのニュース速報で知る。当初は「日航機123便が行方不明」と言うものだった。暫くして、各メディアが通常番組を中止して報道特別番組に切り替える。「日航機123便が墜落した模様」と。乗客には芸能人、有名企業の社長や社員たち、某プロ野球球団社長、お盆の帰省に心弾ませる子供たちが含まれている、と報じられる。私はひどく怯え、家族と共に異例の夜更かしをもって、このニュースを見続けた。それ以降「三つ子の魂百まで」なのか、時折、航空機事故にまつわる悪夢を見る様になる。
 翌朝、たった4人だけが自衛隊によって救出され、残る521人の生存は絶望的とされた。この世界航空史上最悪の事故は、当時の日本人の圧倒的悲しみの中、事故原因の解明などが急がれた。しかし、幼少の私には恐怖の記憶しかなく、難しい専門用語の前で真実を知り得なかった。その真実がどのようなものであるかに再び触れたのは、大学生になってからである。

 日航機123便の事故原因について、様々な疑惑が浮上している事が分かったのだ。角田四郎氏の『疑惑』(早稲田出版刊)がその中心的著書である。それ以前にも「北朝鮮によるテロだった」とか「自衛隊機と追突した」「在日米軍機に誤射された」などの噂は耳にしていた。果たして、真相はどこにあるのだろうか? そもそもなぜ、このような疑惑がもたれるのだろうか?

〜日航機123便機体の歴史〜
 日航機123便は、アメリカの大手ザ・ボーイング社製造の747・SRー100 型で、JA8119号という機体番号を有していた。(画像は事故を起こす前のJA8119号)
 このJA8119号機は、この事故を起こす7年前の昭和53(1978)年、伊丹空港において着陸に失敗し、しりもち事故を起こしていた。その修理を請け負ったボーイング社の修理チームは、後部圧力隔壁(外気圧に対して機内の気圧を安定させるための壁)を接続する作業を行う際に修理ミスを犯していた、と言われている。

 現に1985年9月6日、御巣鷹山(高天原山)墜落事故発生から27日経って、突如ニューヨークタイムズ紙を通して発表されたザ・ボーイング社の「修理ミス声明」は、日本国民のみならず世界の航空関係者をも驚かせた。事故調査を主導していた運輸省(当時)の「日航機123便に関する事故調査委員会」も、金属疲労以前に修理ミスが原因だったと、この声明に乗ったのである。

 しかし、この流れに「待った」をかけた検察官が居た!

〜事故調の結論にはウソがある?〜
 運輸省(当時)の「日航機123便に関する事故調査委員会」による最終事故調査報告書(昭和62年6月19日報告)では、原因を後部圧力隔壁が損壊したため、とした。引き続いて尾部胴体・垂直尾翼(ツルのマークが描かれた部分=画像の赤丸部分)・操縦系統の損壊が生じ、飛行性の低下と主操縦機能が喪失を来した、と推定したのだ。

 そもそも、飛行中に後部圧力隔壁が損壊したのは、同隔壁ウエブ接続部で進展していた疲労亀裂(金属疲労)によって同隔壁の強度が低下し、飛行中の客室与圧に耐えられなくなったことによるものであろう、と記載している。

 そこで、前章で「待った」をかけたと人として紹介した検察官は、事故のご遺族方で結成された8.12連絡会で「修理ミスが事故の原因かどうか相当疑わしい。事故原因にはいろいろな説がある。(この前の)タイ国際航空機の事故時には、乗客の耳がキーンとしたという声があったが今回はない圧力隔壁破壊がいっぺんに起こったかも疑問である。まず、ボーイング社が修理ミスを認めたのは、そのほうが簡単だからだ。墜ちた飛行機だけの原因ならいいが、他の飛行機にまで及ぶ他の原因となると、全世界にシェアを占めている飛行機の売れいきも悪くなり、ボーイング社としては打撃を受けるからだ」と、敢えて運輸省事故調査委員会の報告内容に疑問を呈している。

 私自身がひっかかるのも、この点だ。後部圧力隔壁が損壊すれば機内は急減圧に晒され、濃い霧が長時間発生して呼吸が苦しくなり、やがて意識不明となってしまうだろう。この検察官が指摘した、タイ国際航空事故時の乗客証言と日航機生存者証言の比較から見ても、事故調が主張する後部圧力隔壁の損壊が主原因であったとは思えない。しかも、事故調は報告書の中で、急減圧をねつ造している。

 もし、急減圧が起こったとするならば、機内は前述の様な現象に見舞われ、真っ先に意識を失ってはいけないコクピット内の機長、副操縦士、航空機関士の3名は酸素マスクを装着したはずだ。ところが、CVR記録(いわゆるヴォイスレコーダー)を聞けば分かるが、酸素マスクを装着したときの不明瞭さはなく、危機的状態での聞き取りにくい発音を除いて、まさに最後の瞬間まで音声は明瞭そのものである。
 このことは、アシスタントパーサーOさんの証言でも明らかだ。救出された後、彼女は「バーンと言う音の後、暫くしてうっすら霧状のものが機内に発生したが、すぐに消え、呼吸が苦しいと言う事はなかった」と証言している。急減圧も起こらない様な後部圧力隔壁の破損程度で、果たして垂直尾翼が損壊したりするのだろうか? しかも、その垂直尾翼は3分の2以上も吹き飛んでいたというのに……。

〜CVR記録から読み取る、その瞬間〜
 私の手元には、事故調報告書に基づく航跡図と、CVR記録を文字におこしたものがある。勿論、音声も聞いて確認している。

 ところで、旧運輸省はそのテープを長年非公開としてきた。近年やっと公開されたものの、それは一部編集されたテープで、疑惑を持ってくれと言わんばかりの行政対応には呆れる。
 全公開しない理由は「日航社員のプライバシーを保護するため」だそうだ。と言うのも、関西出身のT機長が機長昇進目前のS副操縦士に対し「バンクそんなにとんなってんのに、バカ!」とか「『はい』じゃないわ!」などと、きつい言葉を浴びせているからであろうか。しかし、極度のパニック状態で、いわば上司にあたる機長が部下の副操縦士にこのぐらいの言葉を発したからと言って、誰が機長を責めるだろうか。誰が副操縦士の人権が脅かされていると考えるだろうか。
 通例では、航空学校に於いて大事故のヴォイスレコーダーは教材として使用される。だが、日航機123便のものは、世界航空史上最悪のものであったにも拘らず、後世に伝えられる事はなかった。あたかも、教材として使えないものであった、と言わんばかりに……。

 時:分:秒 コクピット内発言や事象
 18:12:00 羽田空港離陸
       木更津沖、東京湾から房総半島西部をなめ、相模湾に出る
 18:18:30 高度12200ft 速度290kt
 18:24:12 高度23400ft 速度300kt まもなく伊豆半島に差し掛かる手前
       アシスタントパーサーかスチュワーデス(現キャビンアテンダント)が
       客の要望をコクピットに伝えに来る。
 18:24:15 機長「気をつけて」
 18:24:17 副操縦士「手早く」
 18:24:18 航空機関士「気をつけて下さい」
 18:24:35〜36 ドーンと言う音
 18:24:37 客室高度警報音(または離陸警報音)が鳴る
 18:24:38 発言者不明「まずい」
 18:24:39 機長「なんか爆発したぞ」

 ここまでが、相模湾上空で異常事態が発生した時点での記録。問題なのは、最後の機長の発言が「なんか爆発したぞ」と報告書には記載されているが、私の耳には「やっぱりぶつかったぞ」に聞こえる点だ。同様に指摘する専門家が居るせいかも知れぬが、その直前の「まずい」の流れからいくと、この発言も機長によるものと思われ、さらに以前の「気をつけて」「手早く」との客室乗務員に慎重を期する様促した発言といい、コクピットは何らかのイヤな前兆を捉えていた可能性はないだろうか?

 18:24:42 機長「スコーク77」(→非常事態宣言の信号のこと)
 18:24:43 副操縦士「ギアドア」機長「ギア見て、ギア」
 18:24:44 航空機関士「えっ」機長「ギア見て、ギア」
       ここからパーサーによる機内放送が始まる
       「酸素マスクを着けて下さい。ベルトをして下さい」

 この時点で、衝撃により客席に酸素マスクが降りていたことが分かる。とりあえずその装着をお客様に指示するパーサー。このあと18:25:15よりプリレコーデッドアナウンス(自動放送)が流れ始める。内容は「ベルトを締めて下さい。タバコは消して下さい。只今緊急降下中」というもの。
 さて、18:24:43の副操縦士発言は「ギアドア」ではなく、「エルロン」と言っている可能性がある。エルロンとは主翼の補助翼のこと。破損箇所を模索してるものと見られるが、機長はそれに対しギア(車輪)のチェックを指示している。このあと18:24:48の航空機関士発言「オールエンジン」は「ボディギア」ではないかとか、18:24:59には機長がまた「何か爆発したよ」と発言する不思議がある。
 しかし、ここでの最大の疑問は異常を認知してからわずか3秒でスコーク77を発した事だ。何が原因なのか十分な確認もせずに、非常事態宣言の信号を発する事は通常あり得ない。やはり前段で指摘した通り、機長らは何らかのイヤな前兆を捉えていたと思われる。彼らの目に飛び込んでいたのは、自衛隊機か? 在日米軍機か? それとも、某国の爆撃機か? このまま機はアンコントロール(操縦不能)となる。

 18:25:16〜17 機長「ライトターン、ライトターン」
 18:25:21〜34 機長「Ah,Tokyo,Japan Air 123,request from immediate...
         trouble request return back to Haneda descend and maintain 220 over.」

 このあとの機長と東京管制区管制所(所沢)との交信から見て、この時点で機長はあくまでバック・トゥ・ハネダ(羽田空港に戻る事)を目指し、進行方向から見て最も機体力を必要としないライトターン(右旋回)を試みる。
 さらに、ここでハイドロプレッシャー(油圧系統)がオールロス(全て落ちている事)を航空機関士が確認している。そして、旋回するためにバンクをとるわけだが、ここで例の「バンクそんなにとんなってんのに、バカ!」という機長発言が飛び出す。時刻は18:25:55。18:26:03にも「バンクとるな、マニュアルだから」と念を押している。
 この間、18:25:04に鳴り出した客室高度警報音(または離陸警報音)は、なんと18:47:28まで鳴り続ける。そこへさらに高度警報音が2秒間鳴る瞬間が何度かある。ついに18:26:41に機長が「なんでこいつ鳴るんや」と愚痴っている。
 18:28:00、機体は駿河湾上空に差し掛かった。機長は「なんで騒いでんの?」と発言する。これは客室の様子を指していると思われ、丁度1分後、機長「気合いを入れろ」副操縦士「はい」と右旋回のコントロールをしている最中、航空機関士が「おこってるかどうか聞いてみます」と客室乗務員との連絡を始めている。この直後に、機長「ストール(失速)するぞ、本当に」副操縦士「はい、気をつけてやります」機長「はいじゃないわ!」という例のやりとりが行われる。18:28:36時点の高度22100ft、速度280kt。
 航空機関士は18:30:35、客室の酸素マスクが落ちてきている事を確認し、18:30:55、機長に「オキシジェンマスクがドロップしてるから」と客室が騒がしい理由を報告している。18:31:26、東京管制区管制所は機長に「ここから日本語で話していただいて結構ですから」と語りかけ、機長「はいはい」。この段階で機体は焼津市上空を通過していた模様。18:31:08時点の高度24900ft、速度250kt。

 18:31:36 火災警報音1秒間 副操縦士「どこが?」
 18:31:37 機長「おー、おおお」

 ここで火災より破損箇所についての確認が始まる。航空機関士が18:32:11から機長へ報告。「あのですね。荷物入れてある、荷物のですね、一番後ろです。荷物の収納スペースのところがおっこってますね。これは降りた方がいいと思います」と。尾部胴体に破損があった事の根拠はこれだ。

 18:33:46 航空機関士「マスク我々もかけますか?」
 18:33:48 機長「はい」
 18:33:49 副操縦士「かけたほうがいいです」

 この会話からしてこれ以降、酸素マスクをかけることによる音声のこもり現象が起こるのか、と注意深く聞き分けるが、以降一切マスクをかけた様子はない。というのも、この間にカンパニー(日航社用無線)呼出音が何度か鳴るが、誰もこれに応えていないことから、既にこの時点でかなりの余裕を失っていることが分かる。マスクをつけるゆとりもなく、つけなくても身体的異常を感じなかった事から、特に必要性を認めなかったのだろう。やはり急減圧は事実無根だったのだ。

 18:34:55 航空機関士「ジャパンエアどこですか?」
 18:34:59 機長「どこからだ?」
 18:35:00 副操縦士「大阪です」
 18:35:01 機長「ジャパンエア呼んでくれ」
 18:35:02 航空機関士「ジャパンエア大阪ですか?」
 18:35:04 副操縦士「ジャパンエア東京、ジャパンエア東京」
 18:35:06 機長「ジャパンエアどこだ?」
 18:35:08 航空機関士「ジャパンエア東京」

 日航のカンパニーとやり取りするだけで、この混乱である。18:35:20、カンパニーは「ジャパンエア123、ジャパンエア東京、26分に大島の30マイルウエストで、エマージェンシーコールを東京ACC(東京管制区管制所)が傍受したということですが」と話し出した。それに対し「ええっとですね、今、あのー、R5のドアーが、あのー、ブロークン(破損)しました」と航空機関士が応答している。
 さらに18:35:53、カンパニー「キャプテンのインテンションとしては、リターン・トゥー・東京でしょうか?」航空機関士「はい、なんですか?」カンパニー「羽田に戻って来られますか?」航空機関士「えーっと、ちょっと待って下さい。今エマージェンシー・ディセント(緊急降下)してますので、えー、もう少ししたら、あー、コンタクトしますので」というやりとりに続く。

 18:37:11 機長「あー、あああー」
 18:37:31 機長「あたま(機首)下げろ」
 18:37:38 機長「あたま下げろ」
 18:37:39 副操縦士「はい」
 18:38:04 機長「あたま下げろよ」
 18:38:05 副操縦士「はい」
 18:38:17 機長「あたま下げろ」
 18:38:18 副操縦士「はい」
 18:38:29 機長「両手でやれ、両手で」
 18:38:30 副操縦士「はい」
 18:38:32 航空機関士「ギアダウンしたらどうでしょうか、ギアダウン」
 18:38:34 副操縦士「ギアダウンでしょうか?」
 18:38:45 機長「出せない、ギア降りない」
        <中略>
 18:39:13 航空機関士「オルタネートでゆっくりと出しましょうか」
 18:39:18 機長「はい、ゆっくり出して」

 この時間帯、機体は富士山を右に眺める位置に居た。とは言っても高度は18:38:06の時点で22400ft、速度260kt。ここからまっすぐ東に向かえば最短距離で羽田空港に着く。機長はそう考え、徐々に高度を下げていこうという計算があったと思われる。さかんに「あたま下げて」と口走る。しかし、期せずしてギア(車輪)が降りないことが発覚。この中の会話でオルタネートとは、油圧が効かない時に電力でギアやフラップを動かす事。動作は遅い。因みに非常時モーターはエンジンについている。

 このあと、最大の謎が……。
 18:45:37 在日米軍横田基地が日航機123便に話しかけて来る

 この前の18:40:22、航空機関士がギアダウンを確認。18:43:47、機首を下げるコントロールの中で、機長が「重たい。もっと、もう少し。あたま下げろ」と、舵が重たい感覚を覚えている。そんな中、在日米軍横田基地が日本の民間機に話しかけてきたのである。しかも、東京管制区管制所がエマージェンシーのやりとりをしたわずか20分後に。内容は「If you hear me,Contact Yokota 129.4」というもの。しかし、元々在日米軍と交信するマニュアルがなく、以降一切横田に応えていない。18:40:30から18:44:09まで、機体は山梨県大月市周辺上空を囲う様に迷走している。

 18:47:39 機長「おい山だぞ」
 18:47:43 機長「山だ」 副操縦士「はい」
 18:47:44 機長「コントロールとれ、右。ライトターン」
 18:47:52 副操縦士「ライトターンですね?」
 18:47:53 機長「山にぶつかるぞ」 副操縦士「はい」

 機体は高度9000ftまで下がり、速度230kt。実はこの時点で横田基地に向かえば、最短距離ですぐに着陸出来たろう。もう横田とは目と鼻の先だった。客室アナウンスは「赤ちゃん連れの方は……背に……頭を……座席の背に頭を支えて……にして下さい。赤ちゃんはしっかり抱いて下さい。ベルトはしていますか? テーブルは戻してありますか? 確認して下さい」と言っている。18:47:28に鳴り止んだ客室高度警報音(または離陸警報音)が、18:47:58に再び鳴り出す。
 その途端、機長「マックパワー」副操縦士「マックパワー」航空機関士「がんばれー!」機長「あー、二人でやらなくていい。レフトターンだ」とコクピットに緊張が走る。パワーコントロールとは、エンジン推力で機体挙動をコントロールすることである。奇跡の生還を果たしたアシスタントパーサーOさんの証言にもあったが、この時点で客室に「予告しないで着陸する事があります」というアナウンスがあった。この間も横田基地が何度も話しかけている。

 18:48:40 機長「山いくぞ」 副操縦士「はい」
 18:48:45 機長「でない」
 18:48:51 副操縦士「ふかしましょうか?」
 18:48:52 機長「パワー、パワー」
       再び客室高度警報音(または離陸警報音)が鳴り出し、それは最後まで続く
 18:48:54〜18:49:03 かなり荒い機長の呼吸音が続く
 18:49:11 航空機関士「ふかしましょう、ふかしましょう」
 18:49:13 機長「ライトターン」
 18:49:39 機長「あーだめだ、終わりだ
 18:49:41 機長「ストール(失速)、マックパワー、マックパワー」
 18:49:45 機長「ストール」
 18:49:46 失速警報音が1秒間鳴る 航空機関士「はい高度落ちた」

 この時、機体は激しく上下に揺れたと思われる。乗員・乗客に相当の恐怖が走った事は言うまでもないだろう。ここから日航機123便は、ひたすら東京から離れていく。意地でも羽田に帰る事を目指した機長の想いとは逆の方向へ……。

 18:50:09 機長「どーんと行こうや」
 18:50:27 機長「がんばれ」 副操縦士「はい」

 実は、この会話のやり取りがのちに「不謹慎な部分」として指摘され、機長に対する批難の槍玉に挙げられた。人命のかかった危機的状況で「どーんと行こうや」とは何事か、と言うのだ。ならばアメリカ人など、ほとんどのシチュエーションで不謹慎だろう。機長は、恐らく失速を避けようとスロットル最大にしてコントロールしていたと思われ、副操縦士を元気づけようとして言った事だ。18:48:03に高度6800ftまで下がっていた機体は、18:51:03には9800ftまで回復。ただ、速度は200ktを下回り始める。

 18:53:45 東京管制区管制所「周波数119.7、119.7に変えて下さい」
 18:53:58 東京進入管制(羽田)が初めて日航機123便に話しかける
       機長、リクエストポジションを航空機関士に指示
        <中略>
 18:54:38 航空機関士「ノースウェストオブハネダ、えー、あー、えー
       何マイルですか?」
 18:54:42 東京進入管制「はい、そのとおりです。
       こちらのレーダーでは55マイルノースウェスト
       熊谷から、あー、25マイルウェストの地点です。どうぞ」
 18:54:55 航空機関士「はい了解。熊谷から25マイルウェストだそうです」
 18:55:01 機長「フラップ降りるね……口答えするな」
 18:55:03 副操縦士「はい、フラップ、じゅう」
 18:55:05 東京進入管制「日本語で申し上げます。
       こちらのほうは、あー、アプローチいつでもレディになっております
       なお、横田と調整して横田ランディング・アベイラブルになっております」

 この時点で、機長は機体の位置が分からなくなっていて、羽田の進入管制に確認させている。しかも、既に羽田空港が着陸受け入れ態勢に入っていた事と、進入管制が横田基地と調整して着陸許可を得ていたのだ。
 しかし、時はもう遅かった……。進入管制が「インテンションを聞かせて下さい」と問いかけたのに、もはや123便は応える余裕を失っていく。

 18:55:27 機長「あたま(機首)上げろ」
 18:55:34 副操縦士「ずっと前から支えてます」
 18:55:36 機内アナウンス「……からの交信はちゃんと繋がっております」
 18:55:42 副操縦士「パワー」
 18:55:43 機長「フラップ止めな」
 18:55:47 機長「パワー、フラップ、みんなでくっついてちゃだめだ」
 18:55:49 副操縦士「フラップアップ、フラップアップ……」
 18:55:51 機長「フラップアップ」 副操縦士「はい」
 18:55:56 機長「パワー、パワー、フラップ」
 18:55:59 副操縦士「あげてます」
 18:56:04 機長「あたま上げろ」
 18:56:07 機長「あたま上げろ」
 18:56:10 機長「パワー」
 18:56:12 火災警報音1秒間 カンパニー呼出音1秒間
 18:56:14 GPWS(地上接近警報)「シンク・レイト」
 18:56:16 GPWS「ウープ・ウープ・プルアップ」
 18:56:18 GPWS「ウープ・ウープ・プルアップ」
 18:56:20 GPWS「ウープ・ウープ・プルアップ」
 18:56:21 機長「ああだめだぁ……
 18:56:22 GPWS「ウープ・ウープ・プルアップ」
 18:56:23 ここで樹木(松)に最初の衝突
 18:56:24 GPWS「ウープ・ウープ・プルアップ」
 18:56:26 猛烈な衝撃音
 18:56:28 ……録音終了
 ※GPWSの正式名称は、対地警報システムと言う。

〜謎の救出活動〜
 かくして18時56分23秒に、松の木は機体後方下部、及び第4エンジンに接触。これにより、機体と乗客は3Gの垂直加速度と時速640kmから600kmまでの減速、右側からの非平行過重を受けたものと思われる。
 これらの力を受けて、第4エンジン、水平尾翼、既に大半が欠落していた垂直尾翼、右主翼のV/Cフラップなどが機体から脱落し、御巣鷹山(高天原山)の尾根に飛び散った。その後、機体は大きくバウンドし、右翼が山腹に垂直に切り込むほどの角度で接触。御巣鷹山(高天原山)から南南東約2500メートルの地点にて、ほぼ裏返しの状態で機体は墜落した。機内が凄惨を極めたであろう事は、もう書く事を拒むほど想像に難くない。

 さて、迷走する123便を目撃したと言う証言の中で「ジャンボ機のあとを、戦闘機みたいなのが2機追いかけていったから、すぐに救出されるのかと思っていた」というものがあった。また、地元住民が「墜落現場が小倉山だの御座山だのと言っていたのは、機動隊や自衛隊の連中だけだ。オレたち地元の住民は12日の夜から、南のスゲノ沢の方だと確信していたんだよ。なのに、(警察などは)オレたちの声を無視してあさっての方向を捜索させた。4人以外にも生存者がいたのなら夜中でも十分救出に行けたんだ!」と東京新聞のインタビューに答えている。何を隠そう、この地元住民たちこそ、生存者を最初に発見した人たちだ。

 また、123便墜落の知らせを受けた山梨・長野などの警察は、墜落地点の特定にヘリを出そうとした。が、或る警察署に謎の電話が入る。「日航機123便には、医療用アイソトーブ(放射性同位物質)が積みこまれているので、軽々に近づかない様に」という根拠なきものであった。これがどこから送信された通話なのか、もはや明らかでない。

 結果、いつまでも墜落地点が特定されないまま時間が過ぎ、メディアもこの間振り回された。さらに、地元民たちの情報では、生存者救出のために山腹に到着した時、既に自衛隊員が到着していて機体の一部を回収していた、と言うのだ。これが事実なら全くひどい話である。人命より優先される何らかの指令が自衛隊員に下されていた、ということか?

〜事故調が誤摩化した事柄〜
 前項の理由によるものなのか、事故調は「520人全員即死」と報告した。これは完全なる間違いだ。生存者Kさん(当時12歳の女の子)は「墜落した後、お父さんと会話した。弟は何も話さなかった。お父さんは朝にはもう話さなくなっていた」と証言している。即死した人間が喋るのか? つまり、もう少し救出が早ければ生存者はもっと多かったはずなのだ。しかも、人数を間違えている。赤ちゃんをカウントしなかった事故調は、521人の死者を前にして520人即死と言ってのけたのだ。

 彼らの罪はさらに信じられない事にも及ぶ。
 この事故が発生したのは相模湾上空であり、その海底には垂直尾翼や尾部胴体、APU(補助動力装置)、その他多数の部品が沈んでいる筈である。それらを引き揚げて調査・解析することによって、初期破壊がどこに発生したのか、そしてその破壊がどのように進展していったかを知ることが出来る。

 しかし事故調は、海底からの部品の回収と、それらに関する調査・解析を全くと言っていいほど行なわなかった。理由は「APUは爆発の危険性がなく、あれ以上の捜査は必要なかっただけ」などと委員長が吐き捨てた。呆れた怠慢である。
 問題はAPUではない。3分の2以上も吹き飛んだ垂直尾翼にこそ、事故原因が隠されている可能性があるのだ。

〜事故原因は?〜
 重要な証拠物件を回収しないという信じられない行為、生存者や地上での目撃者証言などから、やはり事故原因は後部圧力隔壁の損壊などではない。明らかに垂直尾翼の損壊が主原因だ。ならば、金属疲労やら修理ミス、或いは点検保守ミスなどで、航行中に垂直尾翼がもぎとられるように損壊する事があり得るか? 答えは航空力学的見地からノーである。

 ならば外的要因……つまり何者かに(意図したものかどうかは別として)攻撃されたと見る事が可能であろう。この隠蔽に関わったのは内閣調査室(当時)である。時の内閣総理大臣は「日本列島は浮沈空母」と発言して物議を醸した中曽根康弘氏、内閣調査室を司る内閣官房長官には「自民党のカミソリ」と呼ばれた後藤田正晴氏(元警察庁長官)が居た。

 しかし一方で、この内調がやったことは「日本政府の金のなる木・日本航空を守っただけ」という見方も出来る。この事故が本当に『事故』であったとして。

 と言うのも昭和60年当時、バブル経済に向かう日本の中にあって日本航空は、国が出資した特殊法人として国の庇護を受け、航空機を81機保有し、国際線を運航する航空会社の中で運送実績が世界第一位、年商八千億円を超す巨大な企業になっていた。ところが、日航はこのような急成長の裏で、ニューデリーのバラム空港事故(昭和47年6月)をはじめ、モスクワ事故(昭和47年11月)、クアラルンプール事故(昭和52年9月)、羽田沖の墜落事故(昭和57年2月)、など、この御巣鷹山大事故に至るまでに、数多くの人命を失う事故を起していた。

 だが、日本航空の経営陣とそれを指導していた行政当局(当時、日航の役員人事は運輸大臣の承認事項)は、事故を起こしても誰も責任を取らず、皆が頬冠りを決め込み、お互いが癒着し合って経営を私物化。関係ないホテルやリゾート開発の子会社を設立して、無責任な経営を続けていたのである。平成17年に入って次々と起こす不祥事を見るにつけ、完全民営化してもこの有様か、と落胆させられる。

 さて、やはり単なる事故とは思えない破損状況、機内状態、事後処理のずさんさを再確認するにつけ、何者かに撃墜されたのでは?という疑惑を持たざるを得ない。ならば何者か?

<北朝鮮によるテロ>……これは論じる価値もないほどあり得ない。これほどピンポイントで攻撃しようとしてきたとして、それこそ浮沈空母・日本は領空侵犯する爆撃機をキャッチし、何らかの防衛行動に出たはずだ。唯一可能性があるとしたら、その防衛行動に失敗した日本政府が事実を隠蔽していると言う事くらいか。いくら何でも、そこまで日本の防衛体制が脆弱とは思えぬが。

<自衛隊による攻撃>……自衛隊機と接触したことが考えられるが、8月12日と言えば自衛隊もお盆休みである。基本的に陸海空それぞれに於いて訓練は行われない期間だ。ただ、当時相模湾内で新型護衛艦「まつゆき」が試運航中だった。訓練の一環で高速無人標的機「ファイア・ビー」が発射されたとするなら、垂直尾翼を吹き飛ばすのに相当するものだったとの見解がある。機長たちが警戒していたのもこれではないかとされる。また、一部で囁かれる中曽根首相が出動命令をかけて日航機123便を撃墜させた、というシナリオの存在。これはあまりに荒唐無稽すぎるが、中にはケネディ暗殺を超える国家的陰謀に日本が手を染めていた、と主張する人が居る。その説では、航空機丸ごと爆破しても構わないほど暗殺しなければならない人物が搭乗していたと言うのだ。その人とは、大阪大学で大脳生理学を研究していた塚原仲晃教授のことだと言う。彼はマインドコントロール(洗脳)についての専門家であり、厚生省管轄の国家プロジェクトに関与していたと言うのだ。それにしても怪しい話ではある。

<グリコ森永事件の犯人との関連?>……ついでにもっと怪しい話を。123便に搭乗したグリコ森永事件の犯人たち(挙動不審者)による、人為的で意図的な航空機内部爆破によって墜落した、という論拠の曖昧な話。確証がないので、これについては何とも言えない。ただ、この日奇しくも犯人側からの「終結宣言」が夕刊に出た。その相手はハウス食品。そして、123便にハウス食品社長が搭乗し死亡したのは事実だ。

<米軍機による攻撃>……原則として、日本国内で行われる在日米軍による訓練内容は、日本政府への報告義務がない。よって、いつどこで・どのような訓練が行われるか、或いは行われたかを知る術がない。横田基地が一民間機の迷走をわずか20分で探知し交信してきた事や、実は救助に向かったトップバッターが在日米軍のヘリだったことなどから、彼らが逸早く123便を発見していた事は間違いない。なぜか? 米軍は時折、民間機を仮想敵機に見立てて撃墜訓練をする。この時、間違って垂直尾翼を撃ち抜いてしまった可能性は考えられないだろうか? 「しまった!」と思った彼らは、懸命に123便を追尾し、横田基地への緊急着陸受け入れを申し出た。よしんば無事帰還してくれれば謝って済む話だ。ついに墜落しても、救助にだけは向かおうとした。ところが、日本政府から「米軍は救助活動に関わらないでほしい」という妙な要請を受けて撤退した事は事実である。これは警視庁が断ったからに他ならないが、その後の現場(壮絶な遺体と遺品の回収)の全てをとり仕切ったのは実は自衛隊であり、警察は当初入れてももらえなかったようだ。
 となると……、やっぱり怪しいのは時の政府だ。墜落現場で「単なる墜落では考えられない様な遺体の状態だった。爆撃にあった様な跡が見られた」とコメントする検死にあたった医師も居たと言う。墜落の後、「さらに爆撃音が2回、山の方から聞こえてきて、火の玉を見た」と言う地元民も居る。まさか証拠隠滅のために、自衛隊が上空から墜落機体を爆撃したのか?

〜最終章〜
 私はこれらの推察を持って、日本国家を否定したいわけではない。むしろその逆である。
 しかし、多くの国民の命を奪った航空機事故にしては、当時の運輸省の態度があまりにも怠慢な事に怒りを覚えるのである。現在の国土交通省に掛合っても「既に終了した案件」と一蹴される。
 ましてわが国を代表する日本航空と全日本空輸に対し、運輸行政は国家の威信にかけて、その安全を確保せねばならない。そのことを政治・行政に携わる人々に認識しておいてもらいたいのだ。

 この航空機事故で死んでいたのは、私やあなただったかも知れない。いや、自分が死ななくても親や親類、友人を亡くしていたかも知れない。それだけに、この事故に対する運輸省・事故調査委員会の報告書はあまりにずさんで、怒りを禁じ得ないのである。

 平成17年8月12日、事故から20年たった今日このレポートを掲載するにあたって、亡くなられた全ての乗員乗客のご冥福を心よりお祈りします。また、そのご遺族の皆さんの悲しみを忘れません。 (KNN編集部)

copyright© KNN-Japan All Rights Reserved.