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ビジネス対談 ソフトバンクモバイル株式会社 松本徹三氏1
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松本徹三氏プロフィール(2007年12月現在)
1962年 伊藤忠商事株式会社入社
1984年 伊藤忠アメリカ会社上級副社長兼エレクトロニクス部長就任
伊藤忠商事(株)東京本社通信事業部長、同マルチメディア事業部長歴任
1996年 同社退職、ジャパン・リンク設立
1998年 クアルコムジャパン(株)代表取締役社長就任
2005年 同社取締役会長、クアルコム米国本社上級副社長就任
2006年 ボーダフォン(株)(現ソフトバンクモバイル)執行役副社長 技術統括兼CSO就任
早期からインターネットと通信事業に強い期待感
渡部薫(以下、渡部) 現在はソフトバンクモバイルでご活躍されている松本副社長ですが、僕としてはクアルコムでご活躍されていた印象が強くあります。ソフトバンクモバイル取締役副社長に就任する以前と現在では、どのような変化がありましたか。松本徹三氏(以下、松本) 私にとって取締役副社長という今の立場は、これまでになかった新しい体験です。つまり、「無任所の補佐役」という立場なのですから。これまでは、大きい仕事か小さい仕事かは別として、どんな場合でも、自分がその組織のトップでした。全ての責任は自分が負っており、「結果が全て」という考えでやってきました。また、「情報通信やインターネットの世界に、何時の日か、新しい波を自分の力で起こそう」とという気持ちも強かったのです。しかし、最近になって「自分が働けるのは、おそらくあと数年だろう。自分だけの力ではもうあまり何も出来ないな」と考えるようになりました。「それならばむしろ、自分は黒子になり、将来を担う人達の役に立つことを考えた方がよいのではないか」とも考えるようになりました。
そんな時に孫さんからお誘いを頂いたので、「この人なら、既得権意識の強い通信メディア業界に本当の変革をもたらすことができるかもしれない」と大きな期待感を持ち、方向転換を決意したのです。孫さんはすさまじいエネルギーをもった、類いまれな経営者です。一般的に言えば、毀誉褒貶半ばするところもあるかもしれませんが、私は「とにかくこの人を成功させたい。そうすれば世の中が少し変わるかもしれない」と本気で考えています。
渡部 なるほど。それまでは自分の力でビジネスを切り開く、という意思を強くお持ちだったのですね。では、クアルコムジャパンの代表取締役社長となった経緯をお話いただけますか。
松本 クアルコムは、私が伊藤忠商事を退社して設立したジャパン・リンクというコンサルタント会社のクライアントでしたが、私は、この会社の持つとてつもないポテンシャリティーにたちまちにして心を奪われました。その為に、自分で起業しようと思っていた当初の考えを捨てて、この会社の日本での仕事を拡大させることに全力を集中する事にしました。クアルコムではとても中身の濃い経験をさせてもらいました。クアルコムは、超一流の技術者を集めた開発主体の会社なのですが、その頃はいつも生きるか死ぬかの瀬戸際を走っていました。考えてみれば、それは動きの速い情報通信・エレクトロニクスの世界に生きる全ての会社の宿命なのです。この世界で最も重要なのは、見えない将来のコンペティターとの戦いです。例えば、これから重要になるだろうと思われる技術分野で、もし競合しそうな有力企業が現れた場合、取るべき方法は3つしかありません。一つは買収するか、或いは提携すること、一つは競争して叩き潰すこと、あと一つは「これは自分達の分野ではない」と割り切って、忘れることです。結論はすぐ出さなければなりません。こんなことで迷っていたら、会社は遠からず危機的な状況に陥ってしまうはずです。だから、私のように本来技術者でなかった人間でも、市場の将来とそれに対応する技術の流れについては、四六時中考えており、神経が休まる時がありませんでした。
渡部 そのお話で思い出したのですが、確かインテルのジョン・アントン氏は、「シリコンバレーで生き残るには、病的なほど相手を研究しなくてはいけない。そういうものだけがここでは生き残ることができる。」と言っていたと思います。
松本 その通りだと思いますね。僕はクアルコムに勤めていて、身をもってそれを学びました。それが今の仕事にも役立っていると思います。
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