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LedLine:Wikipediaでの壮絶な戦い

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 もちろん一方の当事者は私だったりする訳だが、村木厚子・石井一と錚々たる顔触れのWikipediaへの事件等の記述についての戦いだ。

 Wikipediaは人物や事件の内容を知るうえで重要な情報源になる訳だが、ご存じのようにマスコミ報道は全て検察側に有利な記事となっており新聞記事等を出典にするケースが非常に多く自然と検察側に有利な内容のWikipediaが作成されて行く。

 公正で公平なWikipediaにする為に日夜努力をしている訳だが、此処に来て出典元として相応しくないリンクであると異議を唱える人が一名発生した。その人が言うにはTHE JOURNALは出典元としては認めないと言う姿勢でこちらが書いた記事を問答無用で削除している。

 私がリンクしたのは【第11回】竹中ナミの公判傍聴記であり投稿者は《THE JOURNAL》編集部である。もちろん元記事はプロップ・ステーションのニュースに書かれている文責が竹中ナミ氏の記事であるからそちらを出典元にしましょうか?との妥協案や本文は客観的事実だけに留め表現は貴方の要求に応じて変更してもよいとの妥協案を出してみたが一向に聞き入れられず合意形成が出来ない状態に陥っている。相手方の主張だと竹中ナミの記事は個人のブログでしかなく信頼性が無いこと、個人的意見が混ざってるので公平性の上でもダメ、そもそもWikipedia:信頼できる情報源ではないと言われる始末である。

プロップ・ステーション
http://www.prop.or.jp/

竹中ナミの記事
http://www.prop.or.jp/news/topics/2010/20100304_01.html

 そこで、色々と調べて見た訳だが・・・

*   *   *   *

プロップ・ステーションは1998年9月、第2種社会福祉法人として厚生大臣認可を取得しました。既存の福祉観とは異なるスローガンを掲げ、なおかつコンピュータネットワークを活用するという、全く新しいタイプの活動が「社会福祉法人」として認可された第2種社会福祉法人であり障害者にICT( 情報コミュニケーション技術 )を教えると共にニュース等をメールマガジンとして発刊している第2種社会福祉法人です。2002年10月1日に開催された「情報化記念式典」において「IT(情報通信技術)を利用した障害者の自立や就労を支援するボランティア団体の代表として長年活動してきたほか、障害者のIT利用の視点から政府の調査研究会等の報告の取りまとめに尽力するなど、情報通信バリアフリー環境実現の為に多大な貢献をした。』という業績により、『平成14年度情報化促進貢献個人表彰 総務大臣表彰』を受賞しました。

*   *   *   *

 とある訳でこうなると立派なニュースソース源では無いだろうか?

 そして、出典元にしたい理由は公判傍聴記でありその中に書かれている事実を引用したいのである。例えば、倉沢氏の手帳に書かれていた内容や石井氏の手帳に書かれていた内容である。マスコミは公判を傍聴しても検察に不利になるような詳細は書かなかったり曖昧なままにした記事となっていて公平で公正なソースではないと思うのだが・・・残念なことにマスコミの記事は無条件に出典OKであり、それ以外は目を付けられると今回のように情報源として相応しくないと言われてしまうのである。まだ争いは続いているがどうなることやらである。

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コメント (38)

■コメント投稿について編集部からのお願い

《THE JOURNAL》では、今後もこのコミュニティーを維持・発展させていくため、コメント投稿にルールを設けています。はじめて投稿される方は、投稿の前に下記のリンクの内容を必ずご確認ください。

http://www.the-journal.jp/contents/info/2009/07/post_31.html

ご理解・ご協力のほどよろしくお願いいたします。

記者クラブ的なWikipediaなんて、冗談のように思える。

LedLine様
今現在のウイキは次のようになっていて村木さんに不利なようにはなっていないと思うのですが、これが書き換えられてしまうという事ですか。ウイキに付いては誰が運営しているのか等無知なものですからつまらないし質問をしました。

「大阪地裁は公判のなかで「凛の会」から依頼された石井一民主党参議院議員が村木に対し口添えをしたという倉沢の手帳を証拠として採用した。問題の手帳には平成16年2月25日13時 石井一、木村と記入されていて居たと検察は主張しているが第11回公判で石井一が弁護側証人としてその日は一日中ゴルフをしていたと証言をすると共に証拠として石井一の手帳を証拠して提出、これに対して検察は必死に反対し抵抗したがその過程で、検察側も事前にゴルフ場に照会をしていることが発覚して醜態を晒すことになってしまい裁判官によって証拠採用が認められた。その手帳にはゴルフのスコアも書かれており検察もインコースから石井一がスタートしたことも承知済みであり石井一の証言が事実であることを自ら露呈したかたちと
なる[8]。」

少し冷静になられた方がよろしいかと。
進行中の裁判に関する記述はより慎重さが求められます。
他の記事の例では仮に大手メディアの記事であっても中立的であるかどうか、また検証可能性について度々論争になる事もあります。
「マスコミの記事であれば無条件に出展OK」とありますが、必ずしもそうではありません。
特に記者の印象にあたる部分などは不適当とされる場合が多いようです。

竹中ナミ氏が村木さんの支持者である事は事実ですから、内容から大方傍聴記の通りであろうと類推は出来ますが、Wikipedeiaの性質上不適当であるという意見には一定の理があります。

”必死に反対”などの印象に基づく記述については、踏み込みすぎた表現という印象を私も持ちますし、今回のような一回の公判の推移を詳細に記述する事を認めると他の公判の内容も記述せざるを得なくなり、結果的に「内容が冗長である」との指摘にも繋がります。

検察側の主張と村木さん側の主張を簡潔に併記した上で、判断は読む者に任せる、という形で充分なのではないでしょうか。

なにより編集合戦自体非常に不毛という印象を持ちますので、裁判については基本的に大手メディアの記事を出展元とし、プロップ・ステーションにリンクを貼りたい場合は、村木さん側の主張である事を断った上で「支援者が詳細な傍聴記を綴っている」という形での補記を求めるというのが妥当な所ではないかと思います。

横丁の永田様へ
コメントありがとう御座います。
その文章は私が投稿したものであり、その状態で編集保護処置が取られています。そして今裏方では壮絶な戦いが繰り広げられているのです。相手方は私を追放しようと私の行為に問題があるとして第三者を集めて吊るしあげをするご様子、私としては合意形成の為の呼びかけをしているところです。合意出来たとしても同文章から「これに対して検察は必死に反対し抵抗したがその過程で、検察側も事前にゴルフ場に照会をしていることが発覚して醜態を晒すことになってしまい」と「検察もインコースから石井一がスタートしたことも承知済みであり石井一の証言が事実であることを自ら露呈したかたちとなる」が削除される模様です。
そして察しの良い皆様にはご察しのとおり超大物の〇〇〇〇〇等のWikipediaにも影響を与えることになりますから重要なのです。

総務大臣表彰を受けた時は、自・・公明党政権下でしょう?
現政権下では、表彰に価するか検証するのも大事だと思う。

LedLineさん

このウィキというウェブ上の百科辞典サイトは,個人が書き込みを編集できるんですか?

そう読める内容がトップページにありますが、削除等を決定する編集部というものが存在しているんでしょうか?

私はgooニュース畑において、ネット工作員風の、常連さんと日々口論をしています。

そこで相手方はソースとして、ウィキを多用して「ここにそう書いてある」さも真実であるかのような使い方を致します。

このジャーナルをソースとして出したとき、ウィキの高野さんをソースとして使い、元○○党員が作るサイトは信用が無い!そんな反撃に憤慨しました。

もし、貴方の言われるとおり検察の有利な報道しかしないマスコミの記事のみがウィキに掲載が認められて、その他の意見が削除されるのであれば、政治面では民主党にとっては不利な文章が圧倒的に多くなっていきますね。

官房機密費で雇われていた工作員達にとっても都合の良いサイトと言う認識で良いのでしょうか?

数では圧倒的多い彼等が、ウィキに多数の投稿をし、削除依頼をしながら偏った事実を作り上げることが可能だということですか?

ウー 様へ
> このウィキというウェブ上の百科辞典サイトは,個人が書き込みを編集できるんですか?
--
はい出来ます。


> そう読める内容がトップページにありますが、削除等を決定する編集部というものが存在しているんでしょうか?
--
通常は全ての記事を消しても履歴が残りますので回復可能ですが、管理人の権限を持つ方がその権限で完全に末梢してしまうことや投稿者を追放することも可能です。基本的に管理人の権限は大別すると3つあります。

1)記事を保護状態にする権限
 これは状況を監視した上で管理人が独断で行える権限です。

2)記事を完全に末梢する権限。
 これは投票により決定され管理人が執行します。

3)投稿者を追放する権限。
 これは投票により決定され管理人が執行します。


> 数では圧倒的多い彼等が、ウィキに多数の投稿をし、削除依頼をしながら偏った事実を作り上げることが可能だということですか?
--
ある程度は可能ですね。

>Wikipedia:信頼できる情報源ではないと言われる始末である。


信頼できると思ったことはない。
ウィキペディアは信頼できるという幻想を無くすのがネットリテラシーの第一歩である。

LedLine 様

私は日本Wikipediaで南京事件などの歴史的項目であなた以上の激しい編集の応酬(編集合戦)を経験した者です。その経験からコメントします。

1Wikipediaには3Rとか出典明示などのWikipediaでだけ通用する特殊でかつ厳格なルールがありそれを守る事が前提になっています。今回の編集合戦はあからさまに3Rが破られており保護(編集禁止)になっても仕方がないでしょう。

2Wikipediaでは公正中立が表向きのルールです、検察を批判する文の「書き方」(見方)ではなく、いかに検察の主張が証人によって否定されたかの「事実」を書けば対絶対通ります。辞書的な「××と否定した」という調子です。

3出典明示はWikipediaでは絶対的ルールです、対立者と議論し「プロップ・ステーション」などを出典として認めさせる必要があります。ここでネットメディアが出典に相当するかは大きな戦いで、数年前の私の記憶では官公庁の公式HPはよいが個人ブログは出典と認めないという雰囲気が日本Wikipediaでは支配的(一部ローカルルールになっていた)でした。しかしその後ネットメディアの進歩で大きく変わり、当時と違う使用者間の合意が可能でしょう。記者さんのtwitterも含めてネットメディアを日本Wikipediaの出典とすべき時期にきていると思います。

4「ネットメディアもその内容はフリー記者による取材と報道であり大手新聞と同様信頼できる報道である」との主旨で議論し、議論で相手を負かす必要があります。これは一般論で言うネットメディアの社会的市民権を確立する小さな一歩ではないでしょうか。

5Wikipediaには特殊なルールがたくさんありそれを守らないとLedLineさんをWikipediaから有限ないし無期限に追放する投稿禁止処置が管理者によって行われます。日本Wikipediaの管理者はけして中立ではなく、個人的印象や古手の使用者(編集回数の多い人)寄りだったりします。つまり管理者や対立者の反感を買うと、ささいなつまらない理由で追放される可能性がある事を知っておいてください。

6一番よいのは同じ考えのの多くの方に日本Wikipediaの編集(執筆)に参加してもらう事です。今のように1対1ではなく、LedLineさんと同様の記述が、3Rなどのルールを守る形で他の数人の方から行われればそれで固定されるでしょう。もし対立者が3Rなどで無理をしたら管理者に言って投稿禁止にできます。要は擬似的な民主主義がWikipediaでもなりたっているという事です。なお、日本WikipediaではIDを取らずとも、誰でも、やりたいと思ったその瞬間から編集(執筆)ができます。その場合も注意すべきは出典明示などのルールを守る事です。

以上

Wikipediaの中でLedLineさんを応援する人が必要なんだな

愛煙太郎さんの「ウィキペディアは信頼できるという幻想を無くすのがネットリテラシーの第一歩である」に賛成です。

例えばWikiの「高野孟」の項にある、

「かつては日本共産党の党員であり、同党離党後は共産主義労働者党の専従活動家となり、「黒木」名義で同党の機関紙執筆者となるなど関わりを持った」

について、「かつては日本共産党の党員であり」は事実で私自身も隠してもいないことであるけれども(例えば高野個人HPの「余り短くない自分史」参照)、それ以下の「共産主義労働者党の…」などの記述は全く事実無根であり、そんな党があったということすら知らないし、「黒木」というペンネームも使ったこともないしそもそも知らないというかWiki上で初めて見たものであって何の覚えがないのですね。

それでWiki管理人に「出典不明であり名誉毀損に当たる」こと、またそこで「外部リンク」されている「噂の眞相96年12月」の記事も、全くデタラメで、刊行当時、いったんは岡留編集長を告訴する法的準備を進めたが、周辺の仲間から岡留ごときを告訴しても彼に“勲章”を与えるだけだから止めたほうがいいと諫めされて断念したもので、全く以て「信頼すべき出典」に該当せず、必要ならその当時の膨大な訴訟準備書面を送付してもおいいとメールしましたが、「それは自分で勝手に画面上で訂正しろ」という趣旨の返答があり、少し調べてみると、そこに踏み込むとかえって相当面倒なことになるらしいことが分かったので、そのまま放置してあります。

私は山本まさき他『ウィキペディアで何が起こっているのか』(九天社、2008年)で「世界最大の百科事典の管理体制は、便所の落書き消しにも劣っている」という指摘に賛同しますが、その問題の本質は「匿名性」という名の無責任性に帰着し、だから本サイトは(無理とは分かっているし匿名性が必要な場合があることも分かっているけれども)原則として顕名性を求めているのです。

世の中に向かって物を言うには、名前を晒し顔も晒して全責任を引き受ける覚悟で、つまり命懸けで、やらなければならないのであって、それはプロもアマも一緒で、例外的に自分の立場を守らなければならない場合にのみ匿名性が許されるというのが原則だと思います。安易な匿名性がネット文化の成長を阻んでいるのではないでしょうか。

高野編集長の言葉、痺れるねー。

「世の中に向かって物を言うには、名前を晒し顔も晒して全責任を引き受ける覚悟で、つまり命懸けで、やらなければならないのであって、それはプロもアマも一緒で、例外的に自分の立場を守らなければならない場合にのみ匿名性が許されるというのが原則だと思います。安易な匿名性がネット文化の成長を阻んでいるのではないでしょうか。」
私も本名を名乗ることにします。


話を拡散しすぎじゃないでしょうか。

LedLine氏の編集が公平で、削除が不当なものだという前提で話が進んでいるようですが、ちょっと待って頂きたい。

今回の件に関して言えば、私はLedLine氏は一歩引くべきであろうと思います。
村木さんのページの編集前後を比較して、LedLine氏が訂正する前の記述が不当だという印象は特に持ちませんし、LedLine氏の竹中ナミ氏が個人的に抱いた印象や感想までを含む編集内容は不適当との指摘はやむを得ないと感じます。

竹中ナミ氏の傍聴記が出展元として適当かどうかという点が中心に争われているのであれば戦うべきでしょうが、今回の件がそうであるようには私には見えませんでした。

「必死に反対」「醜態を晒す」「露呈」と言うような表記は、仮に大手メディアが出展元であったとしても認められない場合が多いはずです。
村木さんの公判で言えば産経新聞が石井議員の証言を伝える中で「意表を突かれた」「気色ばんだ」という表現を使っていますが、そのような記述は”記者の印象に過ぎずWikipediaには不適当”という異議はおそらく通るでしょう。

少なくとも印象に基づく記述の削除は受け入れるべきかと思います。

その点で「マスコミ出展であれば何でもOK」というのはLedLine氏の誤解であり、今回の記事では、出展元がプロップ・ステーションやTheJournal”であるから”削除されたという文章になっておりますが、相手方がその点のみを問題としているとはやりとりからは判断出来ず、その事に論点を集約させるのは、都合の良い解釈だと言われても仕方が無いと思われます。

簡潔に事実のみを抜き出す表記であったり「支援者の主張によると」として記述する分には出展元が竹中ナミ氏であっても通った可能性は否定出来ません。
また、プロップ・ステーションの正当性を主張される一方で「新聞社の記事は検察から出入禁止になるのを恐れて意図的に情報量が減らされているから」認めないとするLedLine氏の編集姿勢について、論理性に欠けるとの指摘は不当であるとまでは言えません。

事実のみを抜き出した記述であってもなお削除されるのであれば争うべきでしょうが、現段階ではLedLine氏の編集そのままの記述が通る可能性は低く、相手方にも一定の理はあり、明らかに不利な論争となってしまっています。

妥協案を提示したとの事ですが、ノートを拝見した限りではその時点で既に感情的な対立が深まってしまっており、合意形成が出来ない理由の一端はLedLine氏にもあるというのが私の印象です。

集合知とはなんなのか、ネットの匿名性の是非、本人が明確に事実と反すると主張しても反映されないWikipediaのそもそもの信頼性等、本質的な部分に対して一言申したい気持ちもありますが、少なくとも今回の編集合戦に限って言えば、そこまで本質的な議論に繋がるものとは私には思えませんでした。

んー、ルールが分からないまま参加してしまったんですね。サッカーのルールを知らないで「手を使えないのはおかしい」と審判に文句を言っている人に見えます。
Wikipediaは、Wikipediaのルールに則って書く場所であって真実を書く場所ではないから、ルールに納得できない人には参加しない・閲覧しない自由があります。そもそも一財団の私的な空間に過ぎませんからね。
まあそれ以前に、個人の記事に裁判で何が証拠として採用された・されないと事細かに書かれた百科辞典というものを見たことがありませんがね。何にしても場違いですよ。

山田正太郎様
見事な正論です。私もその通りだと思っております。私としては全くその考え方は正しいと思います。

山田正太郎 様・LedLine 様

日本Wikipediaで南京事件などの歴史的項目で相当回数の編集とそれに伴う争いの経験を積んだ者としてコメントします。

印象に基づく記述の削除は受け入れるべきだと私も思いますが、それ以外は自重する必要はなくルールを守った上で自分たちがよいと思う編集(執筆)を進めるしかないと思います。なぜなら、

1日本Wikipediaで編集合戦でひどく対立するような相手で、真実や正確さを求める者、集合知などを希求している者はまずいません。LedLine氏と対立しているHN:暇編集という方は、アニメの項目の執筆で熱を入れすぎて過去に投稿ブロック(アクセス禁止処分)を受け、3/12の今も1日間の投稿ブロックになっています。私の印象で言えば彼はWikipediaの編集(執筆)で対立相手を負かす「ゲーム」に熱心なだけで、内容などどうでもいいはずです。

2印象で言えば日本Wikipediaの編集で相手の邪魔をするのをゲームとして楽しんでいる方はけして少なくないし、また管理者はそういう人でもWikipediaのルールを守ってさえいればよく、執筆内容の真実性や正確さなどにまったく関心ありません。むしろそういう好ましくない利用者は編集回数が多く、Wikipedia内でより多くの権利(管理者の罷免投票権など)を認められているので尊重されているように感じます。

3上記のような状況から「日本Wikipediaは2chと同じだ」と西和彦氏はJ-CASTニュースで言っています、まったく同感です。(http://www.j-cast.com/2006/11/30004064.html)
「編集世話人の独断によって編集され、ウィキペディアを書いている仲間内で転がしているようなものです。(略)2ちゃんねるもウィキペディアも同じようなものですよ。日本のウィキペディアはカット、コピーペーストしているだけ。嘘で嘘を塗り固めているようなものです」

4日本Wikipediaに書ける事柄は「マスコミ出典であれば何でもOK」は一応その通りだと思います。これは利用者の思慮が足りないのと、Wikipediaのルールを表面的にだけ利用することで、例えそれが怪しくても有名人の失敗や裏話を書けるから皆が従うからでしょう。例えそれが事実でなくても「報じられたという事は事実だ」との屁理屈が通ってしまうからでしょう。LedLine氏には内容の信頼性を検討した上で出典の確かな事実を書く、という当たり前の事をやってほしいものです。

4今日本Wikipediaではネットメディアを出典とすることが議論になる(認められるか否か曖昧な)状態にあると思われます。「ネットメディアも信頼性で新聞と同じ」と主張してこの議論に勝ち、ネットメディアの社会的地位を高める小さな機会になればいいと私は思います。

以上

Wikipediaは「知の集積」を目指したものでしょう。そこに判決も確定しないまま裁判の過程を綴って、一方的な正義感で闘争を試みて何か意味があるのですかね。
だからWikipediaといえども「ネット情報は信用できない」と言われるゆえんです。報道機関は少なくとも「責任を取る」主体が明確であるからこそ社会的な信用を得ている訳ですが?情報は速いがいまいち信用できない、というのが最大の弱点だと思います

Wikipedia執筆経験者様へ
> LedLine氏には内容の信頼性を検討した上で出典の確かな事実を書く、という当たり前の事をやってほしいものです。
--
はい頑張ります。
先人達のご助言痛み入ります。私はまだ初心者マークなので何処までが許される範囲なのか判らずにやってました。反省すべきは反省し主張すべきは主張するを心がけたいと思います。

vega様へ
ホントその通りですね。今の時代情報は鵜呑みにせず、集めた情報の中から真実のみを抜き出し解説や論評は切り捨てて自分なりに精査し結論を得るという作業が必須となってる様に思うのです。もちろん精査した結果整合性が取れないこともあるわけでそうなると整合性を取る為に情報探しの旅を強いられます。その点は昔と違いインターネットという強力な道具がありますから何とかなってます。ありがたいことです。

LedLineさん  wikipeia

小沢さんのカネの問題に重ねて、此処での「ご自分の信じる処を、深く追求し向かう壁を突破するための執拗さを含めた強靭さ」に、敬意を表します。

1. 私も過去二回jp.wikipeiaに書き込みをして、一勝一敗(的確を欠く表現ですが、解り易いので)です。此の少ない経験から読み取ったのは、内容は同じであってもその媒体の編集方針また編集者の思考によって掲載の可否が決まるものであるとい現実でした。公正などが在ればある程その決定は覆らないと。従って、書き込み側としては、抗(あらが)うことを其処其処にして別途の適切な媒体を探すのが、時間を節約してかつ目的を速やかに達成する考え方だと心得ました。とはいえ、wikipediaは他には替え難い媒体ではありますね。然し、一部にご意見がある通り、私もjp.wikipeiaは内容の深みや広さと掲載項目の充実度から観て然程に大きな拘りを持つ程のものではないと思っています。此れが、en.wikipeiaなら拘るべきですが・・。
また、この観点ではこの機会に、このTheJournalは「厳しいReview」が意図的に排除されているので、極めて存在意義が高いと感謝したい。高野さんの「仏の如き偉大な寛容さ」のお陰だと・・・!!(笑)

2. 話が横道に外れますが(※注)・・、その敗退例は、「衆愚政治」の項目に下記の趣旨を書き込んだ際のことです。別途に誰かが表明していた訳でもなく全く私の確信に過ぎなかったので、従ってサポートするべき出典が皆無だったという理由なのでしょうが・・、数日後に無断で削除されていました。無断で書き込んだので、無断の削除も止むを得ませんが・・。
   (※注)私に拘りがあるのでしょう、一寸癪に障っているのかもしれません(笑)
--記—
「衆愚政治」はjp.wikipeiaがいう通りOchlocracyの訳語であり、そのOchlocracyはen.wikipeiaによればgovernment by mob or a mass of people と解説されmobocracyと同義とされている。此処で、英語の原語には「愚」という要素は直接的には含まれず、言葉の表面的要素も含まれてはいない。従って、訳語「衆『愚』政治」は間違いであって、正しくは「群衆政治」であるべきだ。日本語では、「愚」という言葉が入っているためにイメージが固定化される結果、「衆愚政治」という言葉も概念も従って議論自体も極めて正確性を欠く現実的恐れがある。
以上

何で人物記事に公判ごとの詳報を書かなくちゃいけないんですか?事件の記事があるじゃないですか

LedLine様

ぼくも、Wikipediaのアカウントを持っています。

Wikipediaのルールは、「真実かどうか」ではなく「検証可能かどうか」が重要なので、間違ったマスコミ報道が出典となることはありえます。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A4%9C%E8%A8%BC%E5%8F%AF%E8%83%BD%E6%80%A7

しかし、僕は、結構を出典にTHE JOURNALを使っているので、THE JOURNALは出典として成り立つと思います。また、意見があるということを載せることは、問題ありません。意見として載せる場合に、著名人のブログを出典として使うのも問題ありません。

拝見したところ、個人の会話ページで議論しているようですが、ノート:石井一‎で、もっと多くの方を交えて議論をすることをおすすめします。絶対に納得しない方というのは確かいますが、論点が整理されていくと思います。

Wikipediaはニュース速報ではないので、この記述は不要です。残念ながらWikipediaでも2ちゃんねるでも賛同は得られないと思います。失礼ですが、百科事典というものを見たことがありますか?

他の方も言ってますが、[[Wikipedia:性急な編集をしない]]・[[Wikipedia:現在進行]]・[[Wikipedia:外部リンクの選び方]]などのルールを読んでから参加するべきでした(該当するのなら[[Wikipedia:児童・生徒の方々へ]]も)。Wikipediaはウィキメディア財団のサーバ上でウィキメディア財団が決めた方針の下で百科事典を作るプロジェクトです。その財団が決めた方針では良い百科事典はできないと思うのであれば、自らのサーバ上で自らの信念の下でWikiを立ち上げる自由があなたにはあります。

大内弘嗣様

<失礼ですが、百科事典というものを見たことがありますか?>

理を尽くしてこのジャーナルに議論の題材を差し出している人に対して、この言い分は何処から出てくるのか????
貴方は、何様ですか!!??
<失礼ですが>と断りを入れれば、何を言っても許されるとでも?

百科事典の書き方と新聞・雑誌などの書き方とは全く異なります。優秀な記者やライターだからといって百科事典を知っているとは限りません。「理を尽くしてこのジャーナルに議論の題材を差し出している人」であることと「百科事典というものとその書き方を理解している人」との間に関連はありませんから、ライターとしての能力や人間性を問題にしているのではありません。Wikipediaへの百科事典的でない書き込みに対して「百科事典というものを見たことがありますか?」と問われるのは当然のことです。

大内弘嗣 様

>Wikipediaはニュース速報ではない
違うと思います。大きな事件であれば直後から報道と同じようなペースでWikipediaに記事が載る事はありますし、それ自体は禁止されている訳ではありません。禁止されているのはルールを破ることです。

>百科事典というものを見たことがありますか?
Wikipediaは百科事典ではなくWikipediaです、統一された編集方針もなく編集者もいません。今日本Wikipediaの記事の半分以上はアニメ関係(アニメ番組そのキャラなどetc)の記事だと2月の朝日新聞は伝えていますが、それがはたして百科事典なのでしょうか?結局参加者が書く総体が結果としてそのあり方を決めるのであって、勝手に自己規制しても無意味だと思います。豊富な知識を持った分別のある者の理想や回答が必ずしも通らないのがWikipediaと考えるべきでしょう。

>性急な編集をしないなどのルールを読んでから参加するべき
違うと思います。それらはただ書かれた文章であって実際にどれだけそれが有効かはその議論の場の結果や、管理者の裁定で決まるでしょう。管理者の裁定が統一されている保証はありません。ルールは一応あるが本当に有効なルールとは何かが不明な訳です。こうした難しさが対立の種にもなるわけです。

以上

Wikipedia執筆経験者様

>Wikipediaは百科事典ではなくWikipediaです、統一された編集方針もなく
[[Wikipedia:基本方針とガイドライン]]をお読みください。編集方針は厳然と存在します。守らない利用者がいるだけです。

>今日本Wikipediaの記事の半分以上はアニメ関係(アニメ番組そのキャラなどetc)の記事だと2月の朝日新聞は伝えていますが、それがはたして百科事典なのでしょうか?
百科事典に幻想を持ちすぎです。百科事典は高尚なテーマを対象としなければならないと誰が決めたのですか?半分以上がアニメ関係の百科事典が存在してはいけないのですか?世の中には『性の百科事典』(岡和彦著、路書房、1971年)という百科事典も存在します。

>ルールは一応あるが本当に有効なルールとは何かが不明な訳です。
みんな守ってないからといってルールがないことにはなりません。未解決の殺人事件があっても殺人が犯罪でないとは言えません。

大内弘嗣様 | 2010年3月13日 18:55

引き続き<失礼ですが、百科事典というものを見たことがありますか?>について

匿名 | 2010年3月13日 18:38の投稿をしたのは私です。手違いで失礼しました。

貴方の冒頭投稿の議論は、「重箱の隅を精緻な針で突ついた場合、汚れが出て来るかどうか、出てこないとは言い切れない」というものです。
「狭く小さい論理」としては正しい、と率直に言いましょう。

しかし、一般的に現実世界で大切なのは、そしてこの版で議論になっているのは、「大きな論理」です、貴方の「狭く小さい論理」が行われのは「大きな議論」が終わって成案が固まった後の段階です。

此の順番が大切です。
そして、議論に意味を持たせるためには、相手に対する礼儀も敬意も大切です。

(日本人を止めた)無国籍人様

貴殿の2010年3月13日 18:38の2ちゃんねるじみた投稿に、相手に対する礼儀と敬意を感じ取ることができませんでしたが、「相手に対する礼儀も敬意も大切です」と仰る貴殿の文章ですから、あの文章に礼儀と敬意を感じることができなかったのは偏に私めの日本語を読み取る能力の無さに原因があります。私めの無能さを痛感いたしております。礼儀と敬意を欠いていたとの貴殿のご指摘は真摯に受け止めさせていただき、これまでの非礼を伏して伏してお詫び申し上げます。

いやいや大内弘嗣さん、あれを見て礼儀も敬意も感じられないのは普通だと思いますよ。(日本人を止めた)無国籍人は、「お前が言うな」です。

Wikipediaは数あるWikiを利用したオンライン百科事典の一つに過ぎない。オンライン百科事典の中には、文字通り誰でも編集できて2ch化してるものもあれば、メールアドレスの登録を義務付けているものもあれば、個人情報の登録が必要なものもあれば、博士号取得者以上にしか執筆を認めないものもある。

その中でWikipediaは、人ではなく内容を制限する方法を採用した。出典がなければならない、と。結果として出典自体が間違っていたら間違った情報が載ることになるデメリットを考えてもメリットのほうが大きいと判断した。その判断が正しかったのかどうかは、今現在壮大な実験中であり、結論は出ていない。

正しくないと思うのなら、別の方法でオンライン百科事典を立ち上げれば良い。そこを変えろというのは、日本相撲協会に「相撲はもうダメだから、これからはカーリングの団体になれ」と言うようなもの。Wikipediaのアイデンティティの変更を求めるより、別の考えに基づくオンライン百科事典を作ったほうが早い。

沢山のご忠言やアドバイスありがとう御座います。
さて、戦いはまだまだ続いている・・・高野孟氏のコメントを読み早速Wikipediaの「高野孟」を見てみたわけだが高野孟氏の言われる通り「噂の眞相96年12月」の記事の外部リンクが貼られていたので「外部リンク 出典元に信憑性が無いのでコメント化して削除しました」と理由を付けて削除してみました。その後他の利用者が高野孟氏のコメント等を根拠に本文に書かれていた「同党離党後は[[共産主義労働者党]]の専従活動家となり、「黒木」名義で同党の機関紙執筆者となるなど関わりを持った。」を削除と、順調に推移していたが・・ここで問題が発生した。なんと私と意見対立状態である例の人が「関連項目は現段階で不要」との理由から関連項目を削除すると共に折角削除した外部リンクを復活させたのである。いやいやこうなって来るともう嫌がらせレベルでしかなく正当な理由があるとは思えない。私は他の人からWikipedia:3RRで投稿プロックされてもおかしくないとお叱りを受けた身であるからここは慎重に対応せねばと思いノート欄に例の外部リンクは信憑性が無いとして削除すべきとの意見を投稿。すると今度は例の人から「それって本当に高野孟さんの投稿ですか?高野孟さんの名を騙った第三者である可能性はありますが、その点についてはどう答えられるのですか?高野孟さんがご自身のブログなど本人だと確認出来るような公の場でそのようにおっしゃってるのであれば問題かもしれませんが、どうなのですか?必ずWikipedia:検証可能性を満たすようにしてください」と言われてしまう始末だ・・・

いやはや大変である、今度は高野孟氏のコメントであることの検証可能性を担保せよと要求されたのである。もちろん他の人が削除した部位には全く触れずにである・・・

さてどうしたら良いのやらである。

なぜWikipediaで報道することに拘るのでしょうか?ここまでの発言を見ても、Wikipediaでの言動を見ても、2ちゃんねるでのコメントを見ても、結局Wikipediaが何なのか分かってないようです。Wikipediaは事実を載せるところじゃない(Wikipedia:検証可能性)のですから、伝えたい事実があるなら他の相応しい場所で伝えたらどうですか?
今のままじゃ投稿ブロックから長期荒らし認定へ一直線ですね。参加したいなら参加する場のルールくらいちゃんと読んでください。

LedLine様

ウィキペディアは戦場ではありません(Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか)。

LedLine様

ウィキペディアは演説台ではありません(Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか)。

LedLine様

ウィキペディアでも、2ちゃんねるでも、ここでもご活躍のご様子ですね。

そんなあなたにcerebrally-challengedという言葉をお送りします。益々のご活躍、期待しております。

>いやはや大変である、今度は高野孟氏のコメントであることの検証可能性を担保せよと要求されたのである。もちろん他の人が削除した部位には全く触れずにである・・・


ここのコメントはザ・ジャーナル編集部の許諾を通して掲載される形式になっているので、氏名とかは関係なく、編集部だけはその自己同一性が信用できます。 編集部は髙野さんをリアルで知っているわけですから(というか主催なわけですから) 編集部に髙野さんに聞いてもらって、当該かきこみは髙野さんのものであるというコメントをつけてもらえば、必要十分だと思います。

>ここのコメントはザ・ジャーナル編集部の許諾を通して掲載される形式になっているので、氏名とかは関係なく、編集部だけはその自己同一性が信用できます

あれ?

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日本語の「ヨロン」という言葉には「世論」と「輿論」という2種類の漢字があります。実は、この2つの言葉は大きく意味が異なっていて、「世論(セロンとも読みます)」とは「感情的な世間の空気」のことで、「輿論」とは「議論を積み重ねてできあがった公的意見」のことを指します。《よろんず》が目指すものは後者の「ヨロン=輿論」をつくることであり、そのために、《よろんず》では情報のプロ・アマに関係なく自由闊達に議論を交わすための場所を提供します。メディアの調査で発表される「ヨロン=世論」とは違う真の「ヨロン」をつくるため、執筆者・出演者・読者のみなさんに、この新しい“知の共有空間”に参加いただけるよう呼びかけます。

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