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現場発:山本町長、かすむカリスマ 福岡・添田に響く40年無給伝説

 ◇飛躍の陰に2人の政治家

 福岡県前副知事への贈賄罪で起訴された添田町長の山本文男被告(84)が、全国町村会と県町村会の会長を辞任した。わいろを渡したことも認めているが、保釈後の記者会見で出た言葉は「被害者は私」だった。町長は今後も続ける考えで、町政に40年近く君臨してきた強い自負がうかがえるが、その「王国」も揺らぎ始めている。【林田雅浩】

 「町長は給料をもらっちょらん。それで40年。優しい、偉い人なんよ」。かすみがたなびく添田町の山あい。農家の女性(81)は仕事の手を休めて話した。

 町のお年寄りの間で今も広く信じられている「無給伝説」。基になった実話はある。初当選から2期、山本被告は返上した給与を自身が設けた育英基金に入れていた。だが、今は毎月約90万円の給与を受け取っている。

 炭鉱労働者の家に生まれ、16歳で郵便局員に。出征先の中国から戻ると炭鉱で働いた。若くして労組委員長を務め、移った炭鉱で会社の労務担当をしたこともある。1958年には病院経営に乗り出し、63年に町議初当選。71年、初挑戦で町長の座を射止めた。

 法律書を真っ黒になるまで読み、県庁に出かけて財政の仕組みを熱心に尋ねる努力家だった。そして、元後援者は「彼の飛躍の陰には2人の政治家がいた」と指摘する。

 福岡県田川郡出身で自民党の大物だった故田中六助氏。山本被告は田川市郡連合後援会長を務め「城代家老」といわれた。全国鉱業市町村連合会の副会長に就任したのは、田中氏が大平正芳内閣で官房長官を務めた時。田中氏の遊説は、いつも添田町から始まったという。

 もう一人は「参院のドン」と呼ばれた同町出身の村上正邦元労相だ。山本被告が全国町村会長になった99年、村上氏は参院自民党議員会長に就任。この年、町で2人の就任祝賀会が開かれ、直前には当時の通産相と自治相を招き、麻生渡知事と特別陳情するパフォーマンスも繰り広げた。「こんな山奥まで大臣2人を呼びつけた」。町民は驚きを込めてささやきあった。

 権威は力になった。町職員OBは「例えば有力者と会った時、幹部職員を激しく罵倒(ばとう)してから向き直り、丁寧に『見苦しいところをお見せしました』と。じわっと怖い印象をつくるんです」。来客中、力を誇示するように「ああ大臣。来週お邪魔しますよ」と電話したこともあったという。

 だが、ほころびも見え始めていた。昨年3月、町指定管理者制度の契約議案を町議会が否決した。近年ではなかったことだ。契約先は山本被告がトップを務める団体で、議員らは「町長が自分に委託するようなもの」と反発した。否決に回った議員は「報復されるかもと思うと勇気はいったが、スジを通すべきだと考えた」。今月4日には賛否同数で議長裁決ながら、辞職勧告決議も可決した。町民の間には、リコール(解職請求)の声すら出始めている。

 元側近の一人はこう語る。「町長のごう慢な会見が報道され『あんな人だったのか』と疑問を抱く町民が増えた。有能な努力家だが、強烈な権力欲の持ち主でもある。偉くなるために行動してきたから友人もいない。進退? 今もひとりで考えているはずですよ」

毎日新聞 2010年3月13日 西部朝刊

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