人の軒先を借りて話を始める。
諸君にはまず、この文章の「注」を熟読していただこう。
http://watashinim.exblog.jp/8554298/
正しくもこの方が指摘されているように、最近の「リベラル(左派)」の間では、「左翼の愛国=いいじゃない」説とでもいうべき言説が猖獗を極めている。山口二郎のボンクラぶりについては、徐々にではあるが公的言論外において認識が広まりつつあるようなのでここでは言及しない(注1)。一方、ミシェル・フーコーなどでドレスアップされた「権力論」で売り出していたはずの萱野稔人もが、彼と重なる所が多いというのにはいささかの驚きを禁じ得ない。かのフランスの碩学からは放埓なまでにアナーキーな姿勢が見受けられるようにわたしには思われるのだが、果たして彼はこの手の「愛国」を肯定していたのであろうか。
萱野氏は、「戦後の日本共産党」の「愛国路線」を自分の議論の補強として用いている訳だが、これを共産党が採るに至った歴史的経緯が一考されなければならない(注2)。なぜなら「戦前の日本共産党(ないし若干の左派無産政党)」は、まぎれもなくその反対の「非国民路線」を採っていたからである。彼らは「ソ連を守れ」「帝国主義戦争絶対反対」といったスローガンに基づき、日本を支配する政治・金融・軍事権力に対し正面から挑戦し、完敗した。
この経緯は、客観的に見れば失敗も多く、彼らが救済しようとした人民にとってもあまり役には立っていなかったとは言えよう。しかるに彼らに歴史的意義を認められるとすれば、明治維新により日本が後発帝国主義国家として形成され出して以来、育った母国を真っ向から否定しようとした日本で最初の戦闘者集団だったという事実ゆえではないのか。仮に彼らが母国を、ソ連というもう一つの国家に置き換えようとしただけだったかもしれないとしても、である(国家と天皇に対する忠心をイヤというほど刷りこまれるこの時代の日本人にとって、母国を置き換えるという行為自体がいかに反逆的だったのかは見過ごされがちである)。彼らは最初から「愛国路線」で行くべきだったという事であろうか。
「リベラル(左派)」ないし一部の左翼が人種主義的右翼に対してヘゲモニーを奪取するために、独自の道理や論理で人民を説得するのではなく、「愛国」に違った位置づけを「左」から与えつつ右翼と競い合う――このような「愛国競争」の戦略は、そもそも戦略的に馬鹿馬鹿しい事が判明しつつある。「護憲ブロック」を右へ右へ伸ばそうとする動きもまた然り。先に挙げた両人が「孫子の兵法」を知らないとしても、「敵の土俵に乗るのが政治における必勝法です」と自分たちの講義でしゃべっているのではあるまい。さもなくば北海道や津田塾の学生たちが災難である。「愛国」というジャンルにおいてあらゆる面で「右翼」に圧倒的にアドヴァンテージがある以上、外部の人々から「愛国競争」を眺めれば、「リベラル(左派)」は力走するマラソン選手のそばを走る白バイのようにしか見えまい。そもそもレースに参加しているのではなく、マラソン選手を不慮の事故や妨害から保護するために走っていると見られている。観客の眼には入らない(もしくは邪魔である)。そしてゴールの競技場に着くころには、いつの間にか消えてしまっている。
そして「愛国」の最も早い表明法は、近隣諸国への膨張という事になるだろう。これは山口氏の言葉にある「まずはそれぞれの国の中で貧困をなくしていく、あるいはミニマムを保障していくという社会民主主義を実践しないと、外には目が向かないと思っています」という目標とも矛盾しない。むしろ、国内で社会民主主義が実践される前に「外」には目が向いていたというべきか。すなわち70年以上前、「転向」した共産主義者や無産政党の多くは、「まず我が国から」と自分自身を説得しつつ、「愛国」に燃える若手の革新官僚や軍人らとともに、朝鮮の収奪を強化し満州から中国を征服する計画に多かれ少なかれ動員されていったのである。そして「我々」の時代においても「リベラル(左派)」なり左翼を自任する人々は、「愛国競争」にエントリーするとともに、「中国非難競争」や「北朝鮮非難競争」にもまた参加しているのである。
(注1):それにしてもこの文章は一行ごとに困惑の種を周囲にばらまいている。「社会民主主義はあと100年ぐらいしか動かないと思うんです」という発言は何を見て言っているのであろうか? とっくに「もう動いていない」のではないか? 北欧はまだしも西欧では、イギリス労働党やドイツ社会民主党を選ぶかなりの人々が、しばしば「ネオリベラリストよりはマシ」という極めて消極的な理由で選んでいるように思われる。しかしこれらの政党は政権につくと、実際には「第三の道」に代表されるような標語の下にネオリベラリスト以上の福祉国家解体を進めており、結果大きく不信を買っている。下手をすると「社会民主主義」というタームそのものの訴求力が「共産主義」以上に失われている可能性がある。もしネオリベラリスト的に振る舞う事が「社会民主主義が機能している」事なら、そのようなものは埋めてしまえ!
(注2):このような路線が生まれた外的理由としては、たびたび指摘されているように、ヨシフ・スターリンとその配下の官僚たちの指示がある。こちらはスターリン批判後に日本の党自らがフェードアウトさせる要素であるが、この「愛国路線」が奇貨となり、後にソ連圏が国際問題上でたびたび失点を重ねていく際、逆に日本の党が「自主独立」している証とされるという事になっていく。しかし現在問題なのは内的理由の方である。戦後の記録に現われる徳田球一なり野坂参三なりのぎこちない笑顔の根本には、彼らの内にある猛烈な弾圧の記憶があったのは理解されうるものの、日本人の抜き難い「左翼嫌悪」を迂回したこの戦略は、根本的な日本の問題を避けたのではないかという点ではいまだに議論の余地がある。