企業存亡の危機を吉野家はどう乗り越えたか

「破綻しない」という自信の根拠

 危機に直面した場合の対応では、何よりも初動が大切です。ここを、どう取り組んだかをお話しましょう。

 第一報が入ったのは、さきほども述べたように2003年12月24日でした。30日には東証の大納会があるために、それまでに重要な営業方針の変更を発表しなければなりません。事態は急を要しました。

 中心に据えたのは、「企業生命の継続を何よりも最優先する」ということです。牛丼の提供休止を決断した以上、まずしなければならないのは、代替メニューの決定と関係者のコンセンサスを図ることでした。

 25、26日の2日間で当面のメニューを決定。27日には社内の幹部とコンセンサスを図り、その後の28、29日間でフランチャイズの方々に方針を説明したのです。

 当然、誰もが行く末を心配します。それまで牛丼単品で勝負してきた吉野家は、設備もそれ一本に絞って造り、15%を下回らない営業利益率でやってきたのです。しかも1店平均800人という獲得客数は、外食産業のなかでも突出していました。その吉野家が、はたして牛丼抜きでやっていけるのか。世間では「吉野家はつぶれるだろう」と噂していたほどです。

 しかし、わたしにはそれなりの自信がありました。なぜなら、さまざまな会社の破綻を見ていくと、その原因は外部環境の悪化にあるのではなく、内部崩壊にあることが分かっていたからです。「破綻は内部崩壊によって決定づけられるのであり、本質論でいえば外部環境の悪化はあくまでもきっかけに過ぎない」というのがわたしの持論です。

吉野家ホールディングス代表取締役社長 安部修仁氏 吉野家ホールディングス代表取締役社長 安部修仁氏

 会社が破綻すると、あとになって、あれが悪かった、これが悪かったと外部環境を原因にしがちです。しかし、問題はそれを内部の人たちがどう受け止めるかにかかっているのです。外部環境悪化に右往左往したり、自らだめにしていくということが決定的な破綻の原因なのです。

 そこで、わたしたちはどうやれば混乱を防ぐことができ、どうすれば一致団結できるのかを探っていったのです。それには、政策論、技術論、精神論の三つの柱を、同時並行する必要がありました。

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