突然の外部環境の変化によって、それまで順調に業績を拡大してきた企業が、ある日突然、存亡の危機にさらされることがある。牛丼の吉野家でいうと、2003年末、米国でのBSE(牛海綿状脳症)感染牛確認を受けての米国産牛肉輸入停止措置がそれであった。
その日から、吉野家ではアルバイトを含めた2万人の社員による「全員創業」の日々がスタートした。倒産も噂されるなか、吉野家はどうやってその危機を乗り越えたのか。半年後に黒字回復を成し遂げた吉野家ホールディングス代表取締役社長 安部修仁氏の話を紹介しよう。
この記事は、2008年8月20~22日に東京ビッグサイトで開催された「ERM(エンタープライズ・リスク・マネジメント)2008」(日経BP社主催)において、「危機を乗り越える経営--リスク管理、コンプライアンス、連結経営と企業力の向上」と題された講演の中から、リスク管理に関連した話題を要約したものである。
文/二村高史、写真/新関雅士
2008年10月27日
米国から第一報が入るや、即座に情報収集に走った
吉野家は1899(明治32)年に東京・日本橋で創業。その100年以上の歴史において、大きな危機が二度訪れました。
初回は1980年、業績不振による会社更生法の適用申請でした。ちなみに、わたしはこのとき30歳。若くして倒産の憂き目に遭ったわけです。その後、おかげさまで再生計画は順調に進み、1990年1月には株式を店頭登録、2000年11月には東証一部へ上場することができました。
そして、第2回目の危機が、これからお話しする米国産牛肉輸入停止と、それにともなう牛丼提供休止でした。BSE確認という第一報が入ってから牛丼提供再開までの約2年半、それは吉野家にとって空前絶後の経験だったといえるでしょう。
事の起こりは2003年12月24日未明。いまでもクリスマスが来ると思い出します。カリフォルニアにいるスタッフから緊急連絡が入りました。それが、米国でBSE感染牛が確認されたという第一報でした。
もちろん感情面でいえば、「これはまずい」とショックを受けたのは確かです。しかし、その2、3秒後には、トップという立場上、いま何をしなければならないか、どうすればよいのかを考え始めました。
初動においてもっとも重要なのは情報収集です。国内在庫はどれだけあるか。そして既に米国を出た品を含めて、在庫がいつまで持つかを把握しなければなりません。あわせて、輸入停止措置が長期化した場合に備え、USビーフ以外で、どういうメニュー構成にすれば営業利益を確保できるかを考える必要があります。
当日から会社の応接室が対策本部に変身。会社の幹部、各部門の担当者を集め、課題を持ち寄って方針を定めました。
こうした将来シナリオを描く際に、リスク管理の原則があります。それは、「自分でできることはポジティブに、環境予測はネガティブに」というものです。わたしたちの意志や手が及ぶことに対しては楽観主義をとるべきですが、自分たちの手が届かない点については、なるべく悲観的に考える必要があるのです。
このときも、そうした原則に基づいて、輸入停止措置は長期化するという前提で対処しました。しかし、本当に輸入停止措置があれほど長く続くとは、そのときには想像していなかったというのが正直なところです。
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