新聞記者として最初に赴任した奈良でもう一度ぜひ行ってみたかったのが、「お水取り」で知られる東大寺二月堂の修二会(しゅにえ)だ。テレビではたいてい3月12日夜の番組に松明(たいまつ)の炎が乱舞する光景が映しだされ、「お水取りが終わると、大和路に春が訪れます」といったコメントで締めくくられる。だがこの行事は本行だけでも1日から15日未明まで続く。そこで人出が比較的少ない先週の平日に出かけ、今は亡き研究者が「天平のオペラ」と形容した声明にしばし耳を傾けた。
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私にとっては四半世紀余り離れていた修二会だ。「二月堂では寒くて震えたなあ」。奈良支局で取材した記憶をたどりつつ近鉄奈良駅前から臨時バスに乗る。大仏殿春日大社前で降り、南大門をくぐると、正面に構える大仏殿の手前から右前方の山腹にある二月堂へ参道が伸びている。遠くから「足もとに気をつけてください」というアナウンスが聞こえる。二月堂を見上げる場所はライブの立ち見席のように人々が集まっていた。
午後7時すぎ。一人では支えるのも大変そうな長さ7メートルもある太い竹の松明の炎が欄干から突き出された。「ウォー」という歓声が上がり、火の粉が激しく振り落とされると、拍手が起こる。10本ほどの松明が次々と現れるさまは、古都の夜に繰り広げられるショーのような趣をたたえていた。
修二会は天平勝宝4年(752)に実忠和尚が創始したと伝えられる法会で、「練行衆」と呼ばれる11人の僧たちが二月堂で1日から15日未明の満行まで連日連夜、人々が犯したさまざまな罪を懺悔し、一切の罪を消滅させようという行法が繰り返し行われる。
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修二会声明の魅力を教えてくれたのは、28年前に取材した奈良教育大学教授(当時)の牧野英三さん(1920-2003)だった。
約20年にわたって録音、採譜し、1200年以上続く伝統の行法に西洋音楽の視点からメスを入れ、その研究成果を大学の紀要に発表する際に取材した。駆け出し記者にとって難解な専門用語はなかなか頭に入らず、奈良市内の自宅に2度うかがい、手引書や声明のテープをいただいた。新米記者に辛抱強く説明してくれたおかげで、ようやく仕上がった記事は奈良版(82年3月13日付)に掲載された。
その記事はこんな内容だ。
牧野さんは1950年代から奈良県下の民謡などの発掘を手がけ、64年に東洋音楽の研究家に「二月堂修二会にはすばらしい日本音楽の源流がある」とアドバイスされ、研究を思い立った。それ以来、二月堂に通って雑音が入らないように苦心しながら約600本のテープに収め、それを繰り返し聴くうちに気付いた。
「声明は旋律、テンポ、起伏の作り方などから、天平期のオペラであり、組曲であり、ドラマチックな芸術だ」
「しかも、現代に残るほかの"宗教音楽"真言声明や天台声明にない土臭い節回しがあり、古い民謡に似た個性を持っている」
採譜作業は難航し、はじめの数年間は全体の構成を知るために一日中テープを回したことも度々あったが、紀要にまとめた論文でキリスト教のグレゴリー聖歌が西洋音楽確立に寄与したことを踏まえ、こう結論づけた。
「声明は日本古来の旋律を伝えている部分が多く、中世におこった謡曲、浄瑠璃、能などにも影響を与えている。いわば日本音楽の源だ」
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その翌年、私は転勤で奈良を離れ、牧野さんが数年後に私立中高一貫校「東大寺学園」の校長になったことを年賀状で知るぐらいで、2003年に82歳で亡くなられたという。
このたび調べてみると、東大寺修二会の声明の研究で86年、京都音楽賞(第1回・研究評論部門)を受賞したほか、「奈良県内の消えゆく民謡、童謡を記録したい」と250曲を収録した「五線譜に生きる大和のうた」(音楽之友社刊)を71歳で出版していた。
さらに驚くことに、牧野さんが解説を寄せた修二会のLP盤(朝日ソノラマから73年発売)が今年1月、最新デジタル・マスタリングにより37年ぶりにCDで復刻されたことを知った。72年に東大寺二月堂で収録されたもので、さっそく購入すると、取材の際に自宅居間で聞かせてくれた「後夜の悔過作法(けかさほう)」も含まれていた。
「修二会の声明の特徴は変化することで、リズムも拍数も違えば省略もあって、おもしろいんですよ。ほら、聴いてごらんなさい......」。牧野さんの喜々とした口調がよみがえる。
「なーむかんじーざいぼさ(南無観自在菩薩)」が「なむかんじーざい(南無観自在)」になり、「なーむかん(南無観)」へ――。衆生が犯す過ちを懺悔する悔過作法のクライマックス「宝号」。本尊の御名が力強く、繰り返し唱えられ、テンポの速まりとともに、菩薩の名号の省略がみられるドラマチックな展開が駆け出し時代の記憶を呼びさました。
また牧野さんが収録した修二会声明のテープは全9巻のCDにデジタル記録され、奈良教育大学教育資料館に永久保存されている。そのプロジェクトに加わった京都市立芸術大学の久保田敏子・日本伝統音楽研究センター所長も「復刻CDを聴いて、懐かしく思い出した」そうだが、記録作業はテープの劣化が進んでいたため苦労が多く、テープで聴かれる声明の声柄と、(修二会での)参籠(さんろう)者名簿を照らし合わせて僧侶を特定しながら収録年次の手がかりを得たという。
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松明の炎の乱舞が収まり、参拝客のざわめきは次第に収まっていく。ほどなく二月堂の堂内にある局(つぼね)の板戸を開けてもらい、座っていると、格子の向こうの内陣に影を映す僧侶の声明が聞こえてきた。
《南無毘盧舎那仏 遍周法界盧舎那仏 登霞聖霊成正覚 恩徳広大不可量 令法久住利有情 補陀落山観音宝殿釈迦尊 当来教主慈氏尊 去来現在常住三宝......》
称名悔過に続いて宝号へ。時折、「ダダン、ダダン」と差懸(さしかけ、木の履物)で床を踏み歩く乾いた沓音(くつおと)が響く。
《南無観自在菩薩......、南無観自在......、南無観......》
あのエネルギーに満ちた「なむかん」の唱和が内陣に響く。
導師の独唱に呼応して僧侶たちが斉唱するスタイルは、西洋音楽のカノンに類した唄法だが、アメリカ南部などのキリスト教会で聞かれるゴスペルやブルースのコール・アンド・リスポンスにも通ずるところがある。また抑揚ある節回しは、中東のイスラム教モスクから流れるアザーン(信徒に礼拝を呼びかける朗詠)をも想起させる。
宇宙の広がりを感じさせる根源的な祈りの世界に浸りながら二月堂回廊に立つと、大仏殿の屋根がシルエットとして浮かび、市街地の夜景の向こう、西方に生駒の山影が連なって見えた。
「南無観、南無観、南無観......」。春迎えの行事「東大寺修二会」は平城遷都1300年の今年、大仏開眼の年から1度も途切れることなく1259回目を迎えた。(編集局次長)
3月10日 | <その6> 東大寺・お水取り |
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