JLPGA:アン・ソンジュ大変身の理由とは(下)

体重10キロ減も、JLPGA優勝も「完全なる変身への序章」

「実力で見せるしかない」

 国内にいた時のアン・ソンジュには、誰もはっきりとは言わなかったが、明確な「壁」があった。2006年に申智愛と共に韓国女子プロゴルフ(KLPGA)にデビュー、1年目から毎年1-2勝を挙げるトップクラスの実力を持っていたが、彼女に注目するメディアやファンは少なかった。テレビによる生中継が定着しているKLPGAだが、「完全な成績順」で選手の組を決めるという原則が2年前にある程度定着するまで、彼女は常に「よくない時間帯」に1・2ラウンドプレーしなければならなかった。プロ選手は主にテレビ中継に収まる5組ほどの「放送組」に入ってこそ初めて、自身はもちろん、スポンサーのロゴを知ってもらえる。放送組の編成は主に成績中心だが、最近でも大会主催者側やスポンサーの「興行的意向」が加わることがある。特に、女子大会はルックスがメーンのポイントだとも言われている。テレビを意識して多くの選手が整形手術をしたり、スポンサーもルックス重視で所属選手を選んだりという話は公然の秘密だ。

 昨年までアン・ソンジュが所属していた大手ディスカウントストア「ハイマート」の関係者は「アン選手が組の編成を見て『納得いかない』という顔をするたび、心苦しかった。アン選手は、そういう面ではとても『目に見えない損』をしていた」と話す。ひどい場合は、試合前に行われるプロアマ大会から外してほしいと言われたり、所属事務所が「選手全員で出場をボイコットする」と言ってきたりしたそうだ。父のアン・ビョンギルさんは「ある日、しょんぼりとしていたソンジュに『お前は実力で見せてやるしかない』と厳しく言い聞かせた」と語った。

 以前から実力に見合う待遇が受けられなかった彼女の気持ちも穏やかでなかっただろう。そんなアン・ソンジュが日本で気持ちよく、新たなスタートを切った。海外進出はアン・ソンジュの夢だった。その夢をかなえた途端、彼女はすばらしい第一歩を踏み出した。拍手を送る日本のファンの中で、アン・ソンジュはとても幸せそうに見えた。「ちょっと悔しいと思っても、すぐに忘れてしまう性格です。できるだけ前向きに考えようと思います」。だが、いつも笑顔を絶やさず、楽天的だったアン・ソンジュは確実に変わりつつある。

閔鶴洙(ミン・ハクス)記者

朝鮮日報/朝鮮日報日本語版

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