アレン博士の遺品、105年の時を経て韓国へ(上)

ホロス・アレン博士
 延世大セブランス病院の前身で韓国初の近代式病院、済衆院を設立したホロス・アレン氏(1858-1932)の遺品が、105年の長い歳月を経て韓国に帰ってきた。

 延世大広報大使でHBグループ会長のムン・フンリョル氏(69)は9日、「韓国で医師、宣教師として活動し、1905年に米国に帰国したアレン博士の遺品約10点を最近、米国で入手した」と明らかにした。アレン氏の遺品が公開されるのは初めてのこと。

 中国に派遣された米国宣教師のアレン氏は1884年、駐韓米国公使館所属の医師として韓国に赴任した。甲申政変当時、明成皇后のおい、閔泳翊(ミン・ヨンイク)が改革派の刺客に襲われ、重体となった。この時、高宗はドイツ外交官メレンドルフの勧めで、アレン博士に治療を任せた。

 アレン博士は29カ所の刺傷を負った閔泳翊の傷を絹糸で縫合し、包帯を巻いて治療を施した。鍼や漢方薬で治療していた当時、こうした外科治療は画期的な治療法だった。4日目に閔泳翊の容態が回復すると、高宗は感服し、アレン夫妻に衣服を贈った。礼服とみられる絹の衣服2着には、美しい刺繍が施されていた。

 セブランス病院のパク・ヒョンウ教授は、「アレン博士の自叙伝によると、高宗は、閔泳翊の治療に対する感謝の意を表し、絹の衣服と扇子、陶磁器を贈ったという記録がある。アレン博士はお抱え医師として活動し、通政大夫という官職に就いていたため、堂上官に当たる衣服も贈られた」と説明した。

ムン・フンリョル会長が9日、米国で入手したアレン博士の遺品を延世大に寄贈することを明らかにした。写真は、高宗(コジョン)皇帝がアレン夫妻に贈った衣服について説明するムン会長。/写真=イ・ジンハン記者

朝鮮日報/朝鮮日報日本語版

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