釜山少女暴行殺害:キム容疑者、手口はいつも同じ(下)

強姦相手や場所を決めてから犯行

 キム容疑者は1997年7月、徳浦洞で9歳の女児を強姦しようとして未遂に終わったことがある。そのときも手口は同じだった。犯行前に女の子を連れ込む場所を決めておき、計画通り女の子を連れ込んだが、女児の両親に見つかって逃走した。女児を連れ込むときも、一方の手で口を塞ぎ、もう一方の手で首を絞めていた。

 2001年5月早朝にも、徳浦洞で道を歩いていた主婦を拉致し、強姦した上で、9日間にわたり自らが住む屋根部屋に閉じ込めたとして裁判を受けた。裁判でキム容疑者は、「女の方から自分を誘惑し、一緒に住むようになっただけだ」と主張した。さらに「女は示談金を手に入れるため、意図的に自分に接近してきた」というウソの主張もした。この裁判の裁判長を務めた法務法人チョンインの朴性哲(パク・ソンチョル)弁護士は当時を振り返りながら、「キム容疑者はその場しのぎのために、さほど緻密(ちみつ)さも感じられないウソを並べ立てた」と語る。

 犯行場所が、自分の住む徳浦洞ばかりだったことも、注目に値する。普通なら誰でも自分や家族が住む街で犯行に及ぶのはためらうものだが、キム容疑者はそうではなかった。しかも、自分の正体を知る養父母の家の屋根部屋で堂々と犯行を行うという点も、その図太さを端的に示している。2001年に主婦を拉致したときや、出所後の今年1月にカンさんを暴行したときも、いずれも自分の部屋で犯行に及んだ。

 捕まっても自分の罪を最後まで認めないのも、すべての犯行で共通している。1997年にも2001年にも、身柄を拘束されてから自分の罪を認めず、今回の女児殺害容疑についてもやはり否認している。

 これまでキム容疑者が犯した犯行は、どれも同じパターンだった。ただし、ユリさんが襲われた事件にほかと違いがあるとすれば、最後に殺害したという点だ。警察は「カンさんを帰してから刑事たちが養父母の家にやって来て、指名手配された。これがわずらわしくなって、キム容疑者の考えが変わったのではないか」と推測している。カンさんのときのように相手を生かしておくと、今度は自分の立場が危うくなると判断し、ユリさんに暴行を加えた後、殺害したということだ。

 警察大学行政学科で犯罪心理学を研究する表蒼園(ピョ・チャンウォン)教授は、「キム容疑者による共通した犯行のパターンは、自分にとって最も手慣れた方法で、その手口に自信を持っていたことだろう。犯行パターンを決して変えることができなかったケースだ」と述べた。

釜山=権慶勲(クォン・ギョンフン)記者

朴国熙(パク・グクヒ)記者

朝鮮日報/朝鮮日報日本語版
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