【訃報】「アポロ博士」こと趙慶哲氏81歳

5日間の「社会葬」

 「アポロ博士」として親しまれた天文学者、趙慶哲(チョ・ギョンチョル)元慶煕大副総長が6日、病気のため死去した。81歳だった。

 趙慶哲博士と星の出会いは、博士が1947年に延禧大学(現・延世大学)物理気象学科に入学、イ・ウォンチョル教授から天文学を学んだのがきっかけだった。6・25戦争(朝鮮戦争)中は陸軍中尉として任務に当たったが、戦後の政治状況に失望、「政治学を学ぶ」として米ペンシルバニア大学院に入学。これを聞いたイ・ウォンチョル博士は、「政治学に心移りしたと聞き、非常に失望した。ミシガン大学大学院天文学科の入学許可書と国費留学生指名の書類を送るから、天文学者の道を歩め」という手紙を送った。博士は恩師の意向に従い、ペンシルバニア大学からミシガン大学に籍を移した。

 趙博士は、天文学の博士号を取得後、韓国人初の米航空宇宙局(NASA)研究員を経て帰国、延世大学教授に就任した。69年のアポロ11号月面着陸では生中継を担当し、「アポロ博士」と呼ばれた。英語と宇宙科学に精通する趙博士は、駐韓米軍放送AFKNが放送する月面着陸の場面を見事に生中継した。趙博士はアームストロング船長が着陸した瞬間、喜びのあまりいすから落ちたという。

 博士は71年、42歳で映画『憎くてももう一度』でヒロインを演じたチョン・ゲヒョンさんと結婚、再び注目を浴びた。そして、天文学をはじめとする科学全般の大衆化に大きく貢献。約50本におよぶ論文、177冊に達する著書、そして3000件を上回る短編・寄稿文を残した。

 こうした功労に、70年には国民勲章「椿章」を、89年にはハンガリーのエートベシュ国立大学からアインシュタイン物理学賞を授与された。2001年には、日本人が見つけた小惑星(4976)に趙博士の名前を付けようという東京大学の提案により、「CHOU KYONG CHOL」という名で国際天文学連合(IAU)に登録されている。

 また、02年には、英ケンブリッジ大学人物評議会が「20世紀の優れた科学者賞」を授与した。

 遺族は妻のチョン・ゲヒョン夫人、息子のソウォン氏、娘のソファ氏。葬儀は延世セブランス病院で5日間の「社会葬」として行われ、告別式は10日午前8時、ソウル・汝矣島純福音教会で行われる。

趙虎鎮(チョ・ホジン)記者

朝鮮日報/朝鮮日報日本語版

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