Thu, April 17, 2008 stanford2008の投稿

桜井淳事務所の業務内容紹介

テーマ:ブログ

桜井淳事務所は三つあります。三つとも所長は設立者の桜井淳(さくらい・きよし、物理学者・社会学者)です。ひとつは1988年4月に設立された桜井淳水戸事務所です。現在の施設は水戸市千波町の団地内にある旧自宅です。スタッフ間では"水戸"と呼んでいます。ふたつめは、米国進出のために、2000年9月に設立された桜井淳カリフォルニア事務所です。現在の施設は、カリフォルニア大学バークレー校とスタンフォード大学の業務のしやすいサンフランシスコ市街地ノースビーチ地区にある小さな事務所です。スタッフ間では"カリフォルニア"と呼んでいます。三つめは2008年9月に設立された桜井淳ニューヨーク事務所です。現在の施設は、ニューヨーク州都のアルバーニィ近くのトロイ郊外にある小さな事務所です。スタッフ間では"ニューヨーク"と呼んでいます。三つの事務所間ではメールにより相互に情報交換がなされています。



桜井淳事務所の業務内容はつぎのとおりです。

(1)大学・学会研究活動

(2)受託研究

(3)調査・検討

(4)コンサルタント

(5)講演(一般講演・学術講演)

(6)批評(新聞・テレビ等のマスコミ対応)

(7)学術セミナー開催(専門家養成)

(8)その他



このブログではつぎのような情報を更新します。

(1)桜井淳所長の学歴・職歴・兼務・兼職

(2)桜井淳所長の哲学

(3)桜井淳所長の学術的業績

(4)桜井淳所長の著書・共著・監修(一般書)

(5)桜井淳所長の講演記録

(6)桜井淳所長の新聞掲載コメント回数

(7)桜井淳所長のテレビニュース出演回数

(8)桜井淳所長が実施している専門家養成のための学術セミナー内容

(9)桜井淳所長の編著(学術書)

(10)桜井淳所長のエッセー・小説

(11)桜井淳所長の学術翻訳書



(A)桜井淳水戸事務所(水戸市郊外の団地内にある旧自宅)スタッフ

所長(物理学、原子力、社会学)桜井淳(専任1)

副所長(英米文学)、非常勤A

スタッフ(電気工学)(第五世代、専任2)

スタッフ(機械工学)(第五世代、専任3)

スタッフ(法学)、非常勤B


桜井淳カリフォルニア事務所のHP代わりの硬いブログ-水戸事務所書籍棚 桜井淳カリフォルニア事務所のHP代わりの硬いブログ-水戸事務所応接室
30年経った古い水戸事務所の書籍棚(上半分)__30年経った古い水戸事務所の応接室兼会議室(定員10名)

桜井淳カリフォルニア事務所のHP代わりの硬いブログ-水戸事務所庭園
30年経った古い水戸事務所の庭園の一部


(1)申込先及び申込法(事務所の電話・ファクシミリ・メール・住所は世の中に公開済み)

①電話

②ファクシミリ

③メール(事務所メール、あるいは、本欄右端のメール)

④郵便


(2)申込者報告事項

①所属組織名・所属部門(組織に所属していない場合にはそのことを明記)

②住所

③連絡先(電話・ファクシミリ・メール・住所)

④専門(分野及び経験年数)

⑤参加目的


(3)参加者決定

①参加申込者に対し、セミナー事務局担当者からメールでいくつかの質問をして、的確な回答をした者のみ参加許可します。


(4)開催案内

①日本原子力学会メーリングリスト(約4700名対象)(2003年以降の学会メーリングリスト配信資料のバックナンバー参照)

②本欄


(5)年間総開催回数

約20-50回。


(6)参加者総数

約600名(2002-2006年に開催した各種モンテカルロセミナー参加者の約400名に対しては、研究データを得るために、参加費ゼロの完全ボランティアでしたが、2007年からは、研究的意味が少なくなったために、配布資料代込みの参加費を得るようにしました)。


(7)修了証書等

経費削減のために特に発行していません。


(8)第1回モンテカルロ夏季セミナー参加者

記念すべき第1回の実施内容を記載した報告書は、原研研究報告書JAERI-Review 2000-034(2000)としてまとめられ、附録として、参加者約120名の氏名・所属組織名・メールアドレスが掲載されています(実施事項のオリジナルな点は日本原子力学会和文論文誌の論文(Vol.2, No.2, pp.116-120(2003)に取りまとめられています))。


(9)過去に学会論文誌等掲載済み関係原著論文

本欄バックナンバー参照(特記すべき成果は、参加者への事前アンケートや当日の聞き取り調査の結果等を含む「モンテカルロ教育法」についての論文が、日本原子力学会和文論文誌(Vol.4, No.4, pp.16-26(2005)と炉物理の研究(No.61(2009.3)に掲載されたことです)。


(10)過去に企画・編集済み関係学術成果報告書

本欄バックナンバー参照(特記すべきことは、許認可のガイドラインの企画と内容を提案し、分担執筆(桜井所長分担は巻頭言に相当する内容の論文「モンテカルロ計算の哲学」)をとおして、日本原子力学会の成果報告書(『モンテカルロ計算ハンドブック』(2006))として取りまとめと編集を担当したことです)。


(11)最近の参加者の傾向

最初の参加者は、原研・サイクル機構・大手企業・ソフト会社等の研究者やエンジニアが主で、大学院生や大学教員はわずかでしたが、最近の参加者は、8割が大学院生・大学教員(北大・東大・東大原工施・京大・京大原子炉・阪大・名大・東工大・武蔵工大・近大原子炉・駒沢大(衛生学部では、放射線技師等の養成をしている関係で、教員には放射線物理実験や放射線輸送計算を実施している者がおり、参加した学生と教員は、大変優秀でした)・福山大(どのような組織で参加者がどのような研究をしているのか把握しておりません))になっており、結果的には、日本の大学院における計算科学・モンテカルロ教育の大きな分担を担っていることになっています(初期の頃の大学からの参加者名は原研研究報告書JAERI-Review 2000-034(2000)に記載されています)。


(12)参加者名簿

桜井所長が提案して2000年夏に試験的に実施した第1回モンテカルロ夏期セミナーに参加した約120名の氏名・所属・メールアドレスは、研究機関の学術報告書附録として、公表してあります。学術セミナーへの参加であるため、機密事項ではありませんので、支障ありません。しかし、その後、世の中に個人情報の保護の傾向が強くなったために、名簿の公表は、可能な限り、差し控えています。試験的実施の2000年から今日までの参加申し込みメールの内容と実際の参加者氏名・所属の記録は、プリントアウトされた文書として、ファイル化され、桜井淳水戸事務所に保管されています。機密扱いでないため、希望者には、閲覧許可しています。


(13)今後の課題(数年計画で順次実施)

①電子・陽子・重イオン等の高エネルギー荷電粒子輸送計算セミナーの開催(電子の制動放射にともなう光子の発生・輸送の医療照射場の試計算を実施しましたが、荷電粒子の輸送計算は、相互作用の多さから、中性子・光子の計算時間の約100倍もかかるために、1日のセミナーでは、計算演習が困難なため、何らかの工夫が必要です)。

②医療施設設計・照射場設計・最適照射条件決定のための医療モンテカルロセミナーの開催(電子の制動放射にともなう光子の発生・輸送の医療照射場の試計算を実施しましたが、荷電粒子の輸送計算は、相互作用の多さから、中性子・光子の計算時間の約100倍もかかるために、1日のセミナーでは、計算演習が困難なため、何らかの工夫が必要です)。

③過去に数回ほど海外大学から開催要請があったために実施セミナーの英文テキストを作成して海外でも主要セミナーの開催ができるようにすることです(特に、高エネルギー輸送計算)。

④"桜井学校"の専門分野別・研究テーマ別の生徒募集(これは、"桜井学校"の最終的な目的ですが、原則として大学院生等の研究者の卵の十数名の受け入れで、5名くらいをひとつの研究グループにして水戸事務所会議室や都内の公共施設の会議室でレクチャや討論を行います。"桜井学校"の最終的な体制・組織・授業料等の詳細事項は検討中です。生徒募集は日本原子力学会誌と日本原子力学会メーリングリスト配布資料として掲載するようにします。)



(B)桜井淳カリフォルニア事務所(カリフォルニア州サンフランシスコ市街地ノースビーチ地区(面積は水戸市千波町の約三分の一)コロンブス通り丘の上の貸し民家、他人の私的所有物のため建物の写真不可)スタッフ

所長(物理学、原子力、社会学)桜井淳

副所長(英米文学)、非常勤A

スタッフ(英米文学)(第三世代、専任4)

スタッフ(経済学)(第三世代、専任5)

スタッフ(法学)、非常勤B


事務所は、サンフランシスコにあるのに、なぜカリフォルニアかと言えば、それには、ふたつの意味を重ねており、ひとつは、カリフォルニア州にある事務所の意、もうひとつは、サンフランシスコ市街地を東西に走る最大のカリフォルニア通り(チャイナタウンの南側を通り、サンフランシスコの高層ビル街の真ん中を貫いています)の意で、桜井所長とスタッフの心の中には、サンフランシスコの代名詞として、カリフォルニア通りを位置づけています(事務所近くの南北約1.5kmのコロンブス通りとその先のモントゴメリ通りを介して約1km先で交差)。


他のふたつの事務所と異なる点は、平地にあるのではなく、と言って、山と言うほど高くなく、丘と言うほど低くない位置にあり、窓から眺めると、サンフランシスコ市街地が一望でき、近くのcolumbus av.の斜め向かい側の遠くには、San Francisco Art Institute、通りのこちら側の遠くには、St. Peter Paul's Church(欧州先進国の立派なカテドラルほどではなく、中規模のごく普通の教会)、山の上に目を転ずれば、遠く、North Beach地区のシンボル的存在のTelegraph Towerが見え、眺めは良いのですが、columbus av.から入り込み、斜面を歩いて上るのに、やや、疲れを感じます。


2010年3月1日から使用させていただいているブログ巻頭写真は、カリフォルニア事務所附近の光景に少し似ていますが、実際には、海(サンフランシスコ内海)は事務所のある山の反対側にあり、日常的には見えず、建物も壁の白いこじんまりした雰囲気で、写真のように立派な青いドームではありません。


業務上の移動手段は、通常、2km範囲であれば、30分間徒歩で済ませるようにしていますが、疲れている時には、近くから乗れるケーブルカーのパウエル-メイソン線を利用し、大学関係の業務でカリフォルニア大学バークレーへ行く時には、パウエル-メイソン線でマーケット通りにあるパウエル駅まで行き、そこから湾岸領域高速列車バート(Bay Area Rapid Transit ; BART)に乗り、サンフランシスコ・オークランド・ベイ・ブリッジに並行に海底地下を走り、もっと遠くに移動する場合には、レンタカーか鉄道か飛行機を利用し、しかし、一番多く利用しているのは、最も効率的で経済的なケーブルカーとバートです。


桜井所長は、スタッフを連れて、時々、徒歩20分のところにあるチャイナタウンに行きます。最初の頃は戸惑っていました。と言うのは、日本で食べていた中華料理やラーメンとは、まったく異なっており、それが本格的な中華とは分かっていましたが、なかなか受け入れられなかったようです。おいしくなかったため、わざわざ、日本的ラーメンを特注しようとしていました。


そう言えば、桜井所長は、1995年に中国へ旅行した時、内陸部の小都市のホテルのレストランでラーメンを注文し、話が伝わらず(チャイニーズヌードルと言ったらやや分かったようですが)、日本的ラーメンとはどのようなものであるか、ていねいに説明し、特注で、それらしきものを作ってもらったことがあると話していました。出てきたものは、どんぶり形のおわんに、スープの中に麺があり、その上にひき肉が乗っているだけで、日本のラーメンとは似て非なるものだっようです。北京や上海のような大都市では通じるのかも知れませんが、地方の小都市では通じなかったようです。


なお、サンフランシスコと言えば、「サンフランシスコのチャイナタウン」と「想い出のサンフランシスコ」という曲が有名です。後者の歌詞はつぎのとおりです。


I LEFT MY HEART IN SAN FRANCISCO


The loveliness of Paris
Seems somehow sadly gay
The glory that was Rome
Is of another day
I've been terribly alone
And forgotten in Manhattan
I'm going home to my city by the bay.


I left my heart in San Francisco
High on a hill, it calls to me.
To be where little cable cars
Climb halfway to the stars!
The morning fog may chill the air
I don't care!
My love waits there in San Francisco
Above the blue and windy sea
When I come home to you, San Francisco,
Your golden sun will shine for me!



(C)桜井淳ニューヨーク事務所(ニューヨーク州ハドソン河上流約150kmにある州都アルバーニィの近郊の地方都市トロイの郊外の貸し民家、他人の私的所有物のため建物の写真不可)スタッフ

所長(物理学、原子力、社会学)桜井淳

副所長(英米文学)、非常勤A

スタッフ(英米文学)(第一世代、専任6)

スタッフ(政治学)(第一世代、専任7)

スタッフ(法学)、非常勤B



(2010.3.12に変更事項の追加)