2010年02月22日 (月)時論公論 「"高卒資格"を守れ!」
(藤井キャスター)
学校は間もなく卒業の季節を迎えますが、家庭の経済事情で授業料が払えない高校生が卒業できなくなる事態を回避しようという動きが活発になっています。その行方と課題について早川解説委員がお伝えします。
(早川解説委員)
政府は「家庭の経済状況にかかわらず、すべての意志ある高校生が安心して勉学に打ち込める社会をつくる」として、高校教育の実質無償化をめざし、近く法案の審議が始まります。しかし、無償化の実施を前に、家庭の経済的な理由で授業料が払えず高校の卒業資格が得られないかもしれないという不安が広がっています。また、たとえ卒業の危機が回避されたとしても、その先に課題は残ります。こうした高校生たちをめぐる問題について考えたいと思います。
高校進学率は98%。高校卒業という資格は、今や、若者が自立して社会の中で生きていくために必要な条件となっています。ところが、高校生本人がいくらやる気があっても、家庭の経済事情で授業料が払えない生徒が増えていると言われます。文部科学省によりますと、去年3月末現在で授業料を3か月以上滞納していた生徒は、公立が8200人あまり、私立が9千人あまり、合わせて1万7312人にのぼっています。前の年に比べおよそ2千人、1割あまり増えています。おととし秋の金融危機以降、長引く景気の低迷が家計を直撃し、その影響が高校生たちの学校生活にも及んでいるのです。改善の兆しは見えず、ことしも授業料を滞納している生徒が間もなく卒業の時期を迎えます。
本来なら、出席日数や成績などの卒業要件が満たされていれば、卒業できるはずです。ところが、私立学校の教職員でつくる組合が私立高校を対象に行った調査では授業料を滞納している場合「そのまま卒業させ卒業後に支払わせる」というケースは18%にとどまり、多くは納入まで卒業を保留としているということです。知らない間に、一緒に卒業したはずの同級生が実は卒業できていなかったというようなことが起きているのです。ある私立高校の関係者から、卒業生の中に勤め先から「卒業証書を持ってくれば正社員にしてあげる」と言われているのにまだ滞納分を納められずに非正規に甘んじているケースがあるという話を聞きました。
いったい授業料が払えずに卒業できない高校生はどれぐらいいるのでしょうか。文部科学省は、去年3月の国会で「卒業要件を満たしているのに滞納を理由に卒業式のあとに卒業証書を回収したり、卒業式への出席を認めなかったりしたケースを把握しているか」という質問に対し、「報道で確認されただけで、全国で21校44人にのぼった」と答えています。実態すら把握されていないのが現状です。 こうした問題がなかなか表面化してこなかったのは、学校ごと、地方ごとに事情が異なるからです。経済的に困難な生徒たちの集まる学校と比較的恵まれた生徒の多い進学校とで状況が違い、高校全体の問題になりにくかったのです。また、私立高校に通う生徒に対しては、わざわざ私立を選んで進学したのに「授業料が払えないなら公立に行けばいいじゃないか」と受け取る空気もありました。ただ、私立高校の中には、学力や中学校時代の出席日数の関係で、公立に入学できない生徒たちの受け皿となっているところも少なくありません。
このように高校の状況が一様でない中で、おととし以来の経済危機で放っておけないほどにあちこちで問題が噴き出すようになりました。そこで、各地の福祉や教育の関係者から何とかしなくてはという声が上がり、先月31日に東京で「なくそう!子どもの貧困」全国ネットワークの準備会が立ち上がり、関係機関への要請を始めました。今月9日には国会内で定時制高校で学ぶ生徒たちが、長妻厚生労働大臣や高井文部政務官に「滞納で卒業させられない高校生が一人も出ないようにしてほしい」と訴えました。
これに応える形で、厚生労働省は、高校生が入学した時点までさかのぼって月額3万5千円を限度に滞納分を無利子で貸し付ける制度を実施することになりました。都道府県ごとにはこれまでにも家庭の事情に応じて授業料を免除したり、減額したりする制度がありますが、基準にバラツキがあり、制度の恩恵を受けられない生徒たちがあることから、緊急の措置として必要な額を借りられるようにしたものです。また、文部科学省も、支援策を知らないで終わらないように、教育現場でのキメ細かい対応を求めました。こうした対応によって、高校を卒業できなくなるという当面の危機はひとまず回避されそうです。卒業の不安は、高校が実質無償化することによって解消されるはずで、実施前の過渡的な問題に過ぎないとする受け止め方があります。たしかに、無償化の実施によって公立高校の生徒は授業料を納める必要がなくなりますし、私立高校の場合も、低所得者向けの加算があって、負担は軽くなります。しかし、それだけでは解消しない課題があります。3点あげたいと思います。
一つは、卒業後に進路の格差。このグラフは、高校卒業後の進路について東京大学が調査したものです。親の年収が低いと就職率が高く、年収が上がると進学率も上がる。ハッキリ分かれます。さらに学びたいと思っても進学をあきらめざるを得ない若者の存在がうかがえます。厚生労働省の貸し付けの制度を利用して高校を卒業できたとしても、大きな借金を抱えた上に進学までを考えるのは重い負担です。家計による進学の格差が解消されるには至りません。給付型の奨学金創設が求められる理由はここにあります。 二つめは、高校生活を送るには授業料以外にもお金がかかること。文部科学省が先月発表したこどもの学習費調査では、不況による影響で塾や予備校の費用が減ったと話題になりましたが、その陰で、学校でかかる費用、通学費や学用品費などが増えていました。とりわけ、公立の場合、部活などにかかる費用がこの2年間で15%も膨らんでいて、部活への参加・不参加は家計に左右されやすいことがうかがえます。
さらに、三つめは、なお残る高校の入り口の狭さ。少子化にもかかわらず、高校への進学を希望しながら、進学の道が閉ざされていると言われます。最近は定時制高校が、高校に入学できなかった生徒の最後のよりどころになっています。ところが、先月開かれた日教組の教育研究全国集会で、現場の先生の間から、各地で定時制高校の統合の動きが相次いでいること、県によっては募集定員に余裕があっても、学習意欲や授業についていけるだけの学力がないことを理由に入学を認めない「定員内不合格」が出ていることが報告され、高校入学以前に行き場を失っているこどもたちの存在が浮かび上がりました。「すべての意志ある高校生が安心して学べる」という前に学びたいという意志があっても受け入れてもらえないという問題が起きています。
国会では、近く高校無償化法案の審議が始まります。無償化の制度設計について徹底した議論をするのは言うまでもありませんが、無償化した先にどんな課題があるのか。意志ある若者に高卒という資格を与えるために何をなすべきなのか、この点についての議論を求めたいと思います。若者が「自立的に社会の中で生きていくとはどのようなことなのか」、そのために高校教育をどう描き直すのか、さらなる議論が必要です。
投稿者:早川 信夫 | 投稿時間:23:51