現在位置:
  1. asahi.com
  2. 関西
  3. ニュース
  4. 記事

娼妓無念 大阪大空襲65年、花街育ちの男性が語る(2/3ページ)

2010年3月11日

印刷

ソーシャルブックマーク このエントリをはてなブックマークに追加 Yahoo!ブックマークに登録 このエントリをdel.icio.usに登録 このエントリをlivedoorクリップに登録 このエントリをBuzzurlに登録

地図   

 生涯心を縛る光景を見たのは、その4、5日後、焼け跡を訪れた時だ。がれきの下になっていた防空壕のふたを開けた瞬間、異様なにおいとともに、両手を天に突き上げたり、縮こまらせたりした黒い塊が目に入った。変わり果てた娼妓らの姿だった。

 「かわいそうにな。みんな連れて行けばよかった」

 母は唇をかみしめた。戦後、商売を再開することはなかった。なぜ娼妓たちを置いて逃げたのかは語らなかった。徳田さんも、実家が娼家だったことが負い目となり、この体験は生涯口にしないと決めた。40年前、関東に引っ越し、建材販売や旅館経営で生計を立てた。

 だが、あの日以来、年に数回、悪夢を見る。いつも叫び声を上げて目が覚める。娼妓たちが蒸し焼きにされる場面だ。テレビで精神科医が「苦しみを語ることでトラウマが消えることがある」と語るのを見て、思いを変えた。

 「お女郎さんの無念を伝えるためにも、語らなあかん」

 昨年、久しぶりに新町を訪れ、かいわいの歴史の掘り起こしを続けるNPO法人「なにわ堀江1500」の水知(みっとも)悠之介代表(67)らに体験を明かした。不思議なことに、悪夢はそれから消えた。

 戦前の売買春の実態に詳しい甲南大学人間科学研究所の人見佐知子研究員は「当時、遊郭は各都市にあった。空襲で亡くなった女性はかなりの数に上るはずだが、人身売買を伴う遊郭関係者の口は重く、被災状況は今もほとんどわかっていない」という。

PR情報
検索フォーム
キーワード:


朝日新聞購読のご案内
  • 近畿のお天気