TOP

『無医地区問題と医療費についての歴史・・ある医師のマスコミウオッチより・・・・離島を除いて、無医地区の問題は、本質的には交通問題・・・しかし無医地区の住民に、都会地並の、他人を傷つけないで生活するテクニックが有るか無いかの問題が解決されなければ 駄目』
 


マスコミには、時折、無医村、無医地区、僻地での医療の話が出ます。 大概、そこへの医師派遣や診療所の開設を促進せよとの論調です。 はっきり言いますと、これは、現状では馬鹿げています。 離島を除いて、無医地区の問題は、本質的には交通問題なのです。 現在の無医地区に、医師が自発的に診療所を開設する可能性はほとんどありません。 もし私が他のロマンチストの医師から、一人で無医地区に行きたいとの相談を受けたら、即座に止める様勧めます。 例え、オンラインで情報交換や相談可能な大病院がバックについていてもの話です。

 無医地区の、無医地区たる理由は、診療所の個人経営が成り立たない地域だからでは無く、医師の子弟の教育が困難なわけでも有りません。 そこの地域住民が悪い、殊に、自分が有力者だと思い込んでいる首長、議員、町内会長、大地主、資産家等が、馬鹿な要求や他所者扱いや三流医師扱いをするから、医師が嫌がって地区を出て行くだけの事なのです。 本質的には、その地区出身の若者がいなくなるのと全く同じ理由なのです。

 馬鹿な要求の例が、診察時間中に、有力者が自分や自分の縁者について、先に診察しろと言う事、往診が必要な状態ではないのに、俺の顔を立てて往診しろと言う事、不要なビタミン剤や点滴をしてくれと言う事、時間内に来れるのに、特別扱いとしてわざと時間外診察を要求する事、診察券や保険証を呈示せず口頭で受付に氏名を告げもせず、顔パスを要求する事等々です。 直接に医師に言うとはねつけられるため、看護婦や事務員を介して要求することも有ります。

 もし、その診療所が、地区の自治体立だったりすると、さらに酷いことになります。 まず、そこに医師が赴任する事が、首長選挙の道具になることが多々あります。 医師が赴任した時点の首長は、医師を「連れてきた」事を次の選挙の時、功績の一つとして宣伝することがよくあります。 この時、住民の意識の中で、医師が首長より上の存在になっていれば問題は少ないのですが、大概は、首長の「子分」と見なされていますから、選挙で対立候補が勝ったりすると、新首長は、診療所の運営に嫌がらせをする事もあります。 また、政治絡みでなくとも、住民の中には、俺の税金で建てたのだから、俺の言うことを聞けと言って、前述の馬鹿な要求をする者が後を断ちません。

 他所者扱いの例は、誰でも見当がつくでしょう。 何か、地区の為になる事を話しても「ここでは通用しない」の一言です。 医師が地区の集会に招かれて意見を聞かれても、大概はその地区の有力者の意見に賛成を表明して欲しい、つまり、有力者のさらなる権威付けに役だって欲しいからで、医師個人の意見は言って欲しくないのです。 これに嫌気がさして集会に参加しないと、必ず、生意気だとの陰口をたたかれます。

 家族を連れて住み着いた場合は、当然、家族も他所者で特別扱いです。 表面上は大切にされますが、裏では、格好な悪い噂の標的にされます。 私の体験を記しましょう。 私は田舎の開業医の長男だったので、「医者様の跡取り息子」として特別扱いされ、その時に出来る壁のため、田舎では友達が出来ませんでした。 弟は「跡取り」ではないため、近所に友達が出来て、皆で遊んだり喧嘩をしたり、楽しく暮らす事が出来ました。 しかし、それも表面的な話です。

 家の近くに浅い井戸が有って、そこが砂混じりの土地だったため、自然に周囲が崩れて年々浅くなって行きました。 ところが、地区の大人達は、弟が井戸に砂を入れて遊んだから埋まったと噂したのです。 弟はそんな種類の悪さはしません。 もしやったとしても、小学校入学以前の幼児が、人が頻繁に行き来する道路のすぐ脇にあって、人の目を逃れて悪さするのが困難な、直径2m深さ5m水深2mの井戸が埋まる程に砂を運べますか。

 構図は次の通りです。 井戸が埋まった誰かが悪さをしたに違いない犯人が見つからない誰かを犯人にしたてなければならない子供がやったことにすれば皆あまり目くじら立てず地区に波風が起きないそれでも仕立てられた子供の親に文句を言う先っぱしりが出て、その親が怒っても困る誰も文句をいいにくい親の子のせいにすればよい医者の次男坊のせいにしよう、医者は他所ものだから、我々の地区住民内ではいさかいが起き無くて済む、...というわけで、弟が悪者にされてしまいました。 田舎なんてこんなものです。 医師の家族に限らず、その地区での飛び抜けた「有力者」の家族も時として、格好の陰口の対象、彼らの人間関係維持の為のスケープゴートにされてしまいます。

 さらに追い打ちをかけるのが、診療所の医師に対する「三流医師扱い」です。 無医地区に開業するとすれば、医師は必然的に軽装備になります。 重装備では採算が取れません。 そうすると、確定診断出来る病気の数が減り、患者に確信を持って説明する事も出来なくなります。 確定診断できない患者をいかに遠方の大病院に紹介しても、患者から見れば、紹介に感謝するのでは無くて、「あの開業医は病気が判らなかったから紹介したあの開業医は薮医者だ」となってしまいます。 従って、地区の住民は、交通手段が確保されれば、簡単に遠方の大病院に鞍替えをしてしまいます。

 また、住民には無関係の話ですが、大病院の医師の中には、「田舎の開業医=藪医者」と思う医師がいることです。 田舎の開業医でも、日本で2例目の褐色細胞種を見つけた医師がいます。 1例目は、某大学病院で正体が判らない副腎腫瘍として手術していしまい、病理検査の結果、たまたま褐色細胞種と判ったというもので、手術以前に診断をつけて手術し助けたという意味では、かの「田舎の開業医」が見つけたものが、日本で第1例目だったのです。 私自身にしても、世界で初めて、全く自力で血中の遊離型ドパミンの測定法を開発したという経歴があります。 こんな事は、大病院の医師たちには判らなくても仕方ない事ですが、時々、初対面から不勉強な藪医者扱いされて虚しく思う事があります。 私自身は田舎医者の息子なので、大病院にいるときも決して開業医を十把一からげにしたことは一度も無いのですが...。  田舎にいるからと言って、全員が不勉強とは限らないのですが、住民のみならず、仲間の医師からも藪医者扱いされるのも、田舎が嫌になる理由の一つです。

 住民に話を戻すと、無医地区なんて、現実はこんなものです。 素朴だの朴訥なんて物は、都会人の虚しいロマンに過ぎません。 無医地区には、必ずその地区で生まれ育った若者ですら、耐えられなくて都会に脱出する原因となる因習が存在し、医師が行った当初は歓迎されても、半年経たないうちに、医師はその因習と戦わねばならなくなります。 都会地でも似たような事をする馬鹿な住民はいます。 しかし都会の住民の多くは、他人を傷つけないで生活するテクニックを自然に身につけていますので、医師としても都会の方が精神的に暮らし易いのです。 これが、医師が増えても無医地区に開業しようとする医師が増えない本当の理由です。

 医師も人間です。 単に、交通の便が悪いため仕事が少なくて若者が流出しているだけの無医地区ならば、医師は必ず住みつきます。 不採算に対しては診療所を自治体立にすれば良いだけの事です。 子供の学習については、中学までは自分で教え、高校は都会地に出してやれば良いだけの事です。 要は、無医地区の住民に、都会地並の、他人を傷つけないで生活するテクニックが有るか無いかの問題なのです。

 皆さんの殆どは御存知無いでしょうが、実は、日本には無医地区を無くす千載一遇の機会が有りました。 第2次大戦敗戦後、都市の荒廃に見切りをつけた医師達が、続々田舎に入り込んだのです。 この時住民が、医師を人間として大切にすれば、彼らはそのままずっと居続け、また、田舎で大切にされる事が若い医師に伝われば、世代交代も順調に進み、無医地区は無くなるはずだったのです。

 ところが田舎に行った医師達がそこで受けた扱いは上記の通り、さらに当時の世相を反映して、高価な品物で少しの食料との交換を願う都会の住民に対する尊大な応対、自分の2、3男が戦死して悲しむどころか、厄介者がいなくなった上に遺族年金が貰えると大喜びする馬鹿親等々、....医師で無くとも、脱出する機会が有れば、必ず脱出するのが人間として当然でしょう。 当時田舎に行った医師達は、田舎で資金を貯め、それが出来ると、次々都会地に戻りました。 私の父も、時代は違いますが祖父も、そうした医師の一人でした。

 勿論、戻らなかった医師もいます。 そうした医師達は、押したり引いたり、敵の敵は味方にする等の権謀術数を使って、自らをその地の絶対的有力者と化した者達です。 私の叔父の一人がそうした医師の一人でした。 田舎の診療所で長くやろうと思うなら、この権謀術数は今でも必須です。

 田舎は今も昔も変わりません。 伝統と称する因習を守り続けている人達が殆どです。 数年前、米が不作で都会地の人が田舎の農家に米を買いに来ました。 しかし農家の人達は、自家用以上の米を持っていても、分けてはやらず、「買いにきたけど売ってやらなかった」「高く売ってやった」との声が聞こえて来ました。 老人達は、敗戦直後の状況を思いだしたとはしゃいでいたそうです。

 この様な田舎の状況は、余程の変わり者で先輩も友人もいない医師を除いて、医師なら誰でも知っているし、若い時のアルバイト先の病院や診療所で、1度位は田舎の因習との接触を体験しているはずなのです。 ですから、どんな誘導策を取っても、無医地区を解消するだけの医師数の確保は出来ません。 こんな事は、現場の医師の世界では昔からの常識なのです。

 それにも拘らず、30数年前、政府やマスコミは医師の数を増やして「無医村を無くそう」とのキャンペーンを張り、医学部や医大の定員増や新設をやってしまいました。 新設医学部や医大に教員を供給する有力大学にとっても、自分の大学や医局の勢力拡張のチャンスであり、女々しく医局に残っていた古手の助教授や講師の追い出し先が出来たと、大歓迎されました。 しかし現場の開業医達は知っていました、医師の人数を増やそうと、そうそう田舎に行く者は出ず医師が都会に集中する事を。 

 そしてさらに現場の開業医達は、医師数の増加によって、医師一人当りの患者数が減り、それを埋め合わせる為には、患者一人当りの「水揚げ」を増やさねばならず、そうなれば医療費は簡単に高騰する事も知っていたのです。 しかし、この警告は政府やマスコミによって完全に無視されてしまいました。 世情一般の競争原理が、医師にも働き、医療費の総額がそれほど増えないと勘違いしたのです。 昔の日本医師会長の武見太郎氏も、始めは医師養成数の急激な増加には反対していましたが、子弟の医大入学の機会が増えるとの一部の医師会員の声に押し切られたと聞いています。

 かくして、医師数は増えましたが無医地区は残り、医療費が増加したという訳なのです。 結局、根本的な責任は、自分達の因習に固執し、千載一遇の医師常駐の機会を自ら壊し、自らの地域の若者を追い出し、他所者の移入を拒み、採算性の低下に寄与した無医地区の住民自身に有ります。 これを上滑りの「同情」だけで「無医地区を無くそう」キャンペーンに仕立てたマスコミ、医師養成数増加に荷担した政府、窓際族整理に利用した有力大学医学部、子弟の闇雲な医業継承を願った一部の医師達が共犯者なのです。

 さて、無医地区解消の話をしましょう。 医師は、都市部での生活がいくら苦しくなっても、無医地区には行きません。 一番冷たい見方としては、将来を考えれば、自動車の運転が出来ない老人が亡くなって減って行くわけですから、20年位で殆どの老人が車を運転出来る様になりますので、その時点で、現在の「半径何Km以内に医療機関が無い」という無医地区の定義自体が、離島以外では無意味になります。 離島以外の無医地区の独居老人には、連絡網を張るだけで大概の用が足ります。 とすると、時間の経過で自然解消を待つという手が有ります。

 次の手段としては、交通網の整備、つまり、道路の確保と家から医療機関迄の送迎や緊急搬送手段の確保です。 簡単に言えば、人の住む所には、車が楽にすれ違える程度の舗装路を通し、送迎バスと救急車の手配をすれば良いだけの事です。 これで、離島以外の無医地区はほぼ完全に消滅します。 これには金がかかりますが、従来型の公共事業として、少しは景気浮揚に役立つかもしれません、勿論、直接的採算は全く合いませんが。

 無医地区の住民の意識改革は不可能です。 彼らにとってみれば、彼ら自身はその地区に住み続ける事が出来た「勝者」であり、その地区の「正しい伝統」の継承者なのです。 「勝った」者が反省するなんて、有り得ない事なのです。

 以上、無医地区の無医地区たる由縁と、それが今日の医療費の高騰を招いた経緯を説明しました。 最後に、もし、これを読んでいるあなたが、無医地区の解消に情熱を持っている医師ならば、実行は慎重にして下さい。 単なる「気の毒」で飛び込むと、裏切られるだけです。 理不尽な要求を全て厳しくはねつける度胸と、その地区の因習の打破を実行してくれる賛同者を育てる能力と、時には先に書いた権謀術数を実行する覚悟が無ければ、行くのはおやめなさい。 (MAX)